夜の途中
あぁ…。 まさしだ。
いつもどおりの笑顔で私の手を握ってくれる。
この人と一緒なら、私はどこにいたって幸せだと思えたんだ。
いつもどおりの、覚えなくてもいいくらいの、どうでもいい話をする。
楽しいなぁ。
幸せだなぁ。
やっぱり好きだなぁ。
心が温まる。
優しくなれる。
好きだなぁ。あんたの笑った顔が好き…。
大好き…。
「あ…れ。私… 寝ちゃってた…?」
目が覚めてもよく見えない。部屋の電気は消えていた。
また同じ夢か。ここは… ガクの部屋か…。月明かりで薄暗い部屋で自分のスマホを探す。それを懐中電灯代わりに部屋を見渡す。
「私がベッド使っちゃったら、ガクが寝る場所がないじゃない。バカね……。」
ガクは寒そうに厚手の上着を体にかけて、ベッドの横にもたれるように寝ていた。
「この部屋寒いのに…。そんな冷たいところで寝たら風邪ひくってのに…」
私は呆れて少し笑ってしまった。
午前4時。
あと二時間くらいで夜明けか…。眠たくないから少しだけ起きてようかなぁ。なんとなくこのまま、ずっと朝が来なければいいのになぁ。それにしても…。本当にこいつは安全というかなんというか…。華の女子大生が自分の部屋で寝てるというのに手も出さないのか…。少し心配になってしまう。なんとなくガクの隣に座ってみる。寝息をたてていて、全然起きる気配がない。
「風邪ひかれたら、私が困るから。仕方なくよ。今回だけよ?」
聞こえるはずもない声で話し、かけ布団をもってきてガクと共有する。さっきまで自分が寝ていたこともあって、人肌に温められてちょうどいい温度になっている。なんとなくガクの肩にもたれてみる。温かい。生きているのだから当然か…。でもやっぱり温かい。なんとなく涙がでそうになる。でも意地でも泣かない。
「………。 はぁ…。」
大きくため息をする。また目を閉じる。なんとも静かで心地がいい。
「ん……んん……?」
隣になにか重いものを感じ、目が覚めてしまった。まだ薄暗い。遠くで車が走る音がする。こんな早くからどこに行くのだろう。そんなことを考えながら手元のスマホを確認する。
午前五時。
すごく中途半端な時間だ。起きるにしても早すぎるし、寝るにしても完全に二度寝になってしまう。まぁ今日は学校が休みだから別にいいんだけど。それにしてもなんだ。隣が重い…。
「――って。おおう」
思わず声が出てしまう。なぜならあの清水涼子があろうことかオレの肩にもたれかかっているのだから。しかもなぜかオレがかけてあげた布団をオレにもかけてくれてる。おかげで温かいけど。寝てるのか…。寝てるな。これはどうしたらいいんだろう。オレがせっかくベッドで寝させてあげたのに。なんでこいつはわざわざオレの隣で寝てるんだ?なんだかんだでやっぱり可愛いほうなのかな。寝てる顔は無防備で思わず見とれてしまう。いつもならこんな長時間見ていたら、絶対にパンチかキックに暴言のおまけが飛んでくる。
「黙ってたら可愛いのにな……」
思わず声に出してしまった。起きてないよな。寝てるよな。寝息を確かめる。
スースーと静かに聞こえる。本当に寝ている姿は女の子のようだった。いや、女なんだけどさ。
「…………」
動こうと思ったが、たぶん起きてしまうだろうな。もう一回寝るか…。
仕方ない奴だ全く。こういうところは子供なんだな…。
「………っちゃって………ごめんね……。」
ハッと目をあけてしまった。スースーとまた静かなリズムが繰り返される。
「寝言か……。びっくりしたな」
誰に謝ってる夢なのだろう。なんでこんなに悲しそうなのだろう。どうしてやることも出来ない自分が、情けなくてやるせない。でもなんだかんだで、優しい奴なんだよな。普段は口が悪いけど。こうして寝ている人間に、布団をかけてくれるんだから。少なくともオレは嬉しかった。なんでこいつはふられたのだろう。こんなにもいい奴なのになぁ。世の中はよく分からないな…。でもこいつが幸せになってくれたら、オレは嬉しいと思う。
あの日、雪のふる寒い公園で、あんなになっていたコイツを思い出すと、今こうしてちゃんと温かく眠ってくれるだけでほっとする。よっぽど傷ついたのだろう。よっぽど好きだったのだろう。本当に大切だったのだろう。
――雑音がしている。よく聞くと誰かの笑い声だ。寝ぼけていてそれがテレビの音だと認識するのに少し時間がかかった。
脳みそを覚醒させるために、大きく欠伸をする。
「おはよ」
いつもどおりこたつでみかんを食べている涼子がいた。
「あぁ…、うん…。おはよ」
寝起き一発目の声はよく出なかった。
「あんたね。寝すぎよ。いくら学校が休みだからってもう十時よ。今日はなにも予定は…。ないわよね。どーせ」
どうせないんでしょう。と言われるととなんだかバカにされた気分になるが、実際ないのだから仕方ない。カーテンが開けられたベランダへ通じる窓からは、太陽の光が降り注ぐ。白っぽいそれを見て、まだまだ冬の途中なのだと感じる。
「おま…。涼子はなにか予定あんの?」
「今日私はね。オフなの。ゆっくりするの」
それってオレと同じで予定がないってことなんじゃないかと突っ込みたくなった衝動を、学は必死に胸の中に収める。せっかくの休日の朝だ。そのスタート地点をこじらせるようなことは極力したくない。
「お茶でも飲むか?温かいの」
「あー、うん。お願い」
学は立ち上がり、ひんやりと冷えたキッチンでお湯を沸かす。
腐っているかも分からないお茶の葉を取り出す。今のところ二人に異常は見られないからたぶん大丈夫なのだろう。それにしてもコイツが家にきてから、お茶の葉がどんどん無くなるな。今度買いに行かないと。
学は沸々と動き始めた水面を見ながら、買い物の予定を立てる。
「こんなにボケーっとしていていいのかなぁ」
こたつの中で背中を丸め、涼子は温かいお茶をすする。涼子がきてから、オレにも怠け癖がついてしまった気がする。涼子は机にうつぶせ、ぼんやりと壁を見つめている。テレビを全く見ないでリモコンで電源を落とした。
「あ、なにすんだよ。オレ見てたのに」
「うるさいのよ…。テレビ…。せっかく静かな休日の朝なのに…。知らない誰かの笑い声なんて…。聞く意味ないじゃない…。」
たしかに微塵も興味のない番組だったから別にいいけど。オレもボケっと思考を停止させてみる。相変わらずオレの家の壁は寒い。
ふと涼子と目が合う。
幸せそうにゆるい微笑みをくれた。珍しいこともあるもんだ。きっとこたつで温まって幸せなんだろうな。単純な奴……。
「付き合う?」
なんとなく聞いてしまった。
別にコイツのこと好きでもなんでもないんだけど。
涼子は目を丸くさせていた。
あぁ……。こいつ告白されたらこんな顔するのか。考えているふりして思考停止してんのな…。
涼子は数秒間微動だにしなかった。