街
「よっ」
「うわっ。びっくりした」
講義のあとの大教室。帰る支度をしていると後ろから声をかけられた。
清水涼子である。
「なに驚いてるのよ。見つけたら声かけるって言ったじゃん。この講義学科の必修なんだから」
あの日に連絡先を交換しなかったこと。冬休みをはさんだこと。その二つの要因のせいで、学の頭から涼子のことは消えかけていた。
「っていうか、あんた。この講義一人で受けてるってことは友達いないの…?」
「まぁ…。知り合い程度なら何人か。ていうかオレあんまり人とつるんだりしないし」
「ふーん。このあとなんかあるの?」
「いや、もう帰るだけだけど」
「じゃあ、どっか行こっか」
「行くってどこに?」
「んー。街にでも出よっか。」
「まぁ、いいけど」
学は渋々だが承諾した。本当は帰って録画した番組を見る予定だったのだが。せっかく自分を遊びに誘ってくれる物好きがいるのだ。無下に扱うのも気が引ける。…これが毎回続いたら流石に断るだろうが。
授業終わりのバス停は大学生で溢れていた。
「人多いなー」
「この時間帯は仕方ない。ちょっとズラす?」
「ううん。いいよ。たぶん私たちのバスが来るころには、ほとんどいなくなってるし」
「そっか。オレあんまりバス乗らないからなぁ」
「私はバスと電車で通ってるからね」
学の頭に一瞬ハテナマークが浮かぶ。
「え?じゃああの日オレが泊めなかったらどこで一夜過ごすつもりだったんだよ。てっきり家近所だと思ってたぞ」
「んーまぁ、そのときはそのときよ。実際なんとかなったじゃない」
そんなことを話していると、いつの間にか列の先頭に立っていた。
「あっ。来たよ」
停留所に停まったバスの窓には、並んだ二人が映っている。こうやってみたら、まるでずっと仲良しの友達みたいだなぁと、学はそんなことを思った
バスに揺られて目的地に向かう。つり革に二人で捕まるが、特に話すこともないので外を眺めていた。黙って立っていたら、それなりに涼子は可愛かった。
小柄で黒髪のショートカットだから、年齢よりもだいぶ幼く見えた。
あと口が悪くなくて、行動がもう少し計画的だったら、モテただろうなぁと考えたが、そういえばコイツには、ずっと付き合ってた男がいたんだよな。
もうふられたけど。
そんなことを考えながら涼子を見ていると、視線に気づいたのか、涼子も学のほうを見る。
「なによ?」
「なんでもない」
「あんまり人をジロジロ見ないほうがいいよ。あんた雰囲気怪しいんだから捕まるかもよ」
「これでも没個性の一般大学生のつもりだったんだがな…」
「普通の大学生はもっとはっちゃけてるわよ。あんたはなんかこう… 暗い」
「それは知ってる…」
相変わらずの毒舌が学を襲う。学は特に怒ることも悲しむこともしなかった。
「街に来たのはいいけど、特にやることもないのよねぇ。あんたいつもなにして遊んでるの?」
「オレ?オレ遊ばないよ。大学終わったらすぐ家帰るかバイト行くかだし」
「えー…。やっぱりあんた暗いのね…。」
「よく言われるな」
せっかく街に来たのだから、目的はなくとも歩き始めることにした。気になる店があれば入ればいいし、歩いてるだけでもそれなりに楽しいだろう。
「あ、ゲーセンあるよ。入る?」
「いいよ」
ガチャガチャと賑やかな店内は、そこにいるだけでなにかしている気分にさせてくれる。
「わっ、このキーホルダー可愛い」
涼子がUFOキャッチャーの前で立ち止まる。
「やってみたらいいじゃん」
「いいよ。私こういうの取れた試しがないし」
「とってやろうか?」
「え?」
「せっかく店入ったしなんかやらねーとな」
そういうと学は、財布から100円を取り出す。
「たぶん、これ取りやすい奴だから」
そしてあっという間に、涼子のお望みの品を穴に落とした。
「ほら」
「あ…ありがとう。あんたすごいのね。ちょっとだけ見直したわ…」
「こんなことで見直されてもなぁ」
学は笑った。その肩の抜けた笑い方を涼子は初めて見たような気がした。
「あんた。そんなふうに笑うんだね」
「え、そうか。オレ結構笑顔意識して生活してるけど」
「ううん。なんか今素が出てたよ」
普段人に対してそこまでオープンじゃない学は、キーホルダーが無事取れたことで気が抜けたのかも知れない。
「あんた、そっちの顔の方がいいよ。」
そう言われた学は、自分だって普段そういう顔してればいいのにと思った。
「プリクラでも撮る?」
「オレ撮ったことないんだけど」
「いいじゃん。せっかくだし」
そう言われて半ば強引にプリクラ機の中に突っ込まれた。
「思ってたより中広いんだな」
「頑張れば10人くらい入れるからね」
涼子がメニューを選んでくれる。
「はい。撮るよー」
「え、おお。」
訳の分からないうちに数枚撮影された。なるほど。なかなかプリクラも捨てたもんじゃない。結構楽しかった
「……あんた全部同じ顔してるじゃん」
「しょうがないだろ。初めてだったんだから」
「プリクラとは縁のない人生歩んでそうだもんね」
涼子はプリクラを設置されている鋏で半分に切る。隣のプリクラ機では女子高生が数人で楽しそうだ。
「はい。これあげる」
「あ、うん。ありがとう」
確かに全部同じ顔だった。涼子はというと、それなりに慣れた感じで表情を作っている。
「はー、なんかこんなに目が大きくなるもんなんだな」
「もはや誰だよって感じだよね。あんたのこのプリクラとか気持ち悪いもんね」
そう言われたプリクラには、魚のような顔をした学が写っていた。
「たしかにな…」
学は一人でつぶやいた。ゲームセンターから出てまたあてもなくブラブラ歩き続ける。
「まぁ、でも思ってたより元気そうじゃん」
「…うん」
「まー男なんてさ、星の数ほどいるんだから。気にすんなよ」
「付き合ったこともない人にそんなこと言われてもねぇ」
「な…。なんで知ってんだ」
「いや、普通に分かるでしょ。あんた絶対彼女いたことなさそうだし」
「そ…そうなのか」
「うん。でも私彼氏が欲しくて付き合ってたんじゃないよ。あの人だったから一緒にいたいって思えた。だから一緒にいたの」
「あれから連絡とったりした?」
「ううん、とってないよ。だって私のこと嫌いになったんだもん。迷惑だよ。それにまたあんなこと言われたらさすがにね…」
「そっか」
「でももういいの。頑張って忘れるわ」
涼子の作った表情でそれが強がりだってことは、学にもすぐ分かった。
「忘れなくてもいいんじゃない?だって楽しかったんだろ。じゃあ覚えてりゃいいじゃんか。なにも大切な思い出まで忘れる必要なんてないよ」
「うん…。分かってるんだけどね。その思い出が大切だったら大切な分だけ、辛くなるんだ。もう戻れないんだなぁって余計に分かっちゃうの。あの楽しかった日々を、楽しかったって思ってるのは私だけだったのかなぁって、いつから無理させてたんだろうなぁってさ。あの人にとったら、もう捨てたいくらいの過去なのかなって。ごめんね、なんかダメだね私」
小柄な体で精一杯強がっている涼子を、慰める術を学は知らなかった。ただ、そうだな…としかかけてあげる言葉が出なかった。
日が暮れ始めた。
気温も少しずつ下がり始める。
「そろそろ帰ろっか」
街での遊びに満足したのか涼子は帰宅を提案した。
「駅まで送るよ」
1月の空は薄暗く、気づけばもう中盤だ。こうしてまた一年が足早に過ぎていくのだろう。特に変化のない毎日でも、少しずつ積み重なっていくものなのだろうか。特に変化のない毎日を過ごしているつもりでも、気づけば友人が増えていくこともあるのだろう。
あっ。と思い出したように涼子は声を出した。
「そういえば、この前家出したって言ってたけどさ。あれ嘘だから」
そういえばそんなことも言ってたなと学は思い返した。
「いや、なんかさ。バレバレの嘘だったけど、心配してたら申し訳ないから」
と続けた。
改札の前につくと定期入れからICカードを取り出す。
「今日はなんか付き合わせちゃって悪かったわね」
「いや、いいよ。オレも久しぶりに遊べて楽しかったしさ」
いつもの感じで、定型文のやりとりをする。
「そう言ってもらえたら助かるわ。じゃあねガク」
ガクって誰だっけ?ああオレか。呼ばれるときアンタとしか呼ばれないから、てっきり名前なんて呼ばれないと学は思っていた。そう言い終わると涼子は駅のホームへ消えていった。後ろ姿はやっぱり小さく、誰が見ても中学生だった。