ある雪の日
十二月二十四日、雪。
雪といっても傘が必要なほどじゃない。まるで恋人たちの楽しい一日にさりげなく花を添えるような。そんな憎たらしいくらいの、ちょうどいい雪。
そんな雪の日の午後十時ごろ。バイト帰りの斎藤学はコンビニで買った肉まんの入った袋を手にぶら下げて公園に入った。
「さすがにこんな時間じゃ誰もいないよなぁ」
白いため息を吐きながら小さく呟く。
学には一緒にクリスマスを楽しむ相手がいない。一人寂しくベンチに積もったサラサラの雪を手で払いのける。学はいつもバイト帰りに肉まんを買い、その足で公園へ行きベンチに座って食べていた。それがクリスマスだろうと大晦日だろうと関係ない。
いつも通り。いつも通り。
寂しい?そんなことはない。オレはこの温かい肉まんを食べることが出来ればそれだけで幸せなのだから。
いつもと同じ日常のはずなのに、そこに異物が紛れ込んでいたのに気づいたのは一口目を食べようとしたとき。
「…………」
少し沈黙をした。このまま肉まんを食べ初めてしまおうか、目の前に倒れている女性を助けようか迷ったからだ。
黒髪でボブカット。背は160cm未満。
ネイビーカラーのダッフルコートを着ている。そして雪が少しだけ積もっている。なんだか面倒くさいなと思いつつ、とりあえず声をかけてみることにした。
「あのう、もしもし。生きてますか?」
すぐそばで独り言のように声をかけてみる。倒れている女は体を動かすこともなく
「…生きてますよ」
と応答をくれた。
あぁ、しまった。これは絶対面倒くさいやつだ。生きているのなら声なんてかけなければよかった。返事をもらえなければもらえないで、それはそれで面倒くさかったと思うだろう。つまりもう、自分の視界にこの女をいれてしまったこと自体がそもそものミスだったのだ。返事をもらってから学はようやくそれに気づく。
「帰らないのですか?」
「…はい」
「はいって、こんなところで寝ていたら風邪ひいちゃいますよ?」
「それもいいかも知れませんね」
女はまだ体を動かそうとしない。
「ってもなぁ。うん。あんたこんなところで寝られてね。それで次の日の朝のニュースに、公園で女性の凍傷死体なんて流れた日にゃ、オレはたぶん半年くらいは目覚めが悪いし、この公園だって夜使えなくなる。雪が降った日には特に使えなくなるじゃないか」
「化けてなんてでませんよ…?」
「オレがこのまま帰ってしまったら罪悪感に襲われるという話をしたんだ」
「あぁ…、ごめんなさい」
「ん、じゃあ帰ろうか」
「帰るってどこに?」
「オレはオレんちに帰る」
「じゃあ私も遊びに行ってもいい?」
あぁ…、うん。ダメだこりゃ。酔っ払いかなにかなのだろうか。
どっちでもいいけど。
「はいはい。うん、来ていいから。立ちなさい」
家に入れるはずもないが嘘も方便だ。とりあえず起き上がってもらおう。そしてもう帰ろう。体もだいぶ冷えてきた。起き上がってくれたらそこらへんの通行人と同じだ。オレが罪悪感を覚えなければならない理由はなくなる。
女は小さい体をゆっくり動かしこちらを見た。
黒髪ボブカットのせいだろうか。えらく幼い顔に見える。
「だ……いや高校……中学生は早く家に帰りなさい」
「よく言われるんだけど、私大学生なの」
「うん。じゃあ帰るね。お大事に」
「うん。帰ろう」
「………。」
「本当に家くるの?」
「え、うん。行くよ」
「あのねぇ。オレは今一人暮らしだから家に誰もいないけど、だからこそ、若い女の子が知らない男にひょいひょいついて行っていいわけないでしょ」
「なんで?」
「なんでってそりゃあんた。襲われるかもよ」
「あなたは襲うの?」
「いや、そんなことはしないけど」
「だよね。だって襲うような人なら私が倒れてるときにきっと襲ってたよ」
女は頭に積もった雪を払いのける。
「それに寂しいじゃん。こんな雪の日のクリスマスに男一人だけなんて」
「ほっとけ」
周りから見ればクリスマスの夜に一人、公園で肉まんを食べてる男は寂しい人間なのだろうか。いやきっとそんなことはない。
誰もが羨むクリスマスの過ごし方だろう。
「それにね。私家出中なの。私、あなたが家にあげてくれないとたぶんこの雪の夜に凍死してしまう」
それを言うのは反則だろう。嘘か本当か確認する術はないが確実に一人で帰れば罪悪感に襲われてしまうことだろう。
まぁ小柄だし。せいぜい取られるものがあっても、財布の中身くらいだろう。このままここで水かけをしてもラチがあかないので、しぶしぶ家にあげることを承諾してしまった。
「朝になったら帰る?」
「うん」
はぁ、と聞こえるように大きくため息を吐いた。