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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
元亀二年 比叡山延暦寺

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千五百七十一年 十一月下旬

静子が奇妙丸に爆弾発言をしたころ、とある神社の神主は盛大にくしゃみをしていた。


「ぬぅ、誰かが噂しておるな」


鼻をすすりながら足満はぼやく。そんな彼の足下には二匹の猫が丸まっていた。

いつのころからか神社に住み着いた猫で、当初は追い払っていたがそれでも神社に居座る猫に、足満は根負けして放置することにした。

猫は兄弟のようでいつも一緒だ。さらに仲間がいるのか三毛猫や黒猫と共に居るところを見ることもあったが、兄弟以外はいつも一緒という訳ではなかった。


「兄弟か。ふっ、わしの弟は底なしの阿呆で困る。もはや足利に世を治める力なし。そのことが理解できぬとはな」


現代において自身の死後の歴史を知ったからではない。足満は己が襲撃されたときに、将軍家の威光は最早なく足利家は滅びる運命だと悟ったのだ。

政治的に将軍の座から追い落されるならまだしも、暗殺という卑劣な手段で反逆し、更に周囲はその行動を黙認しているのだ。

これでは将軍など形だけの存在と言われても無理はない。


(だからといって、わしを殺そうとしたことを許す気はないがな)


「猫と日なたぼっことは、随分と可愛らしいことをしているではないか」


考えごとをしていると、ふいに声が飛んできた。足満はそちらへ顔を向けず、小さくため息を吐いた。


「どの様に三好の馬鹿どもを殺すか考え中だ」


「物騒なことだ」


声をかけた人物、前久はおどけた表情をして肩をすくめる。そして、当たり前のように彼の隣に腰掛けると、懐から陶器の栓付きとっくりを出す。


「良い酒が手に入った。空を肴に飲まぬか?」


「……どうせ飲まぬといったら、勝手に飲むのだろう。好きにするが良い」


「では、好きにさせて貰おうか」


そういうと前久は杯を二つ取り出し、それぞれに酒を注いだ。無言で杯を手に取ると、黙したまま足満は半分ほどを一気に流し込む。


「わしに付き合っても、貴様に利はないぞ」


「友と語らうのに損得勘定は無粋。そもそも、私が利ばかり求めるなら、わざわざここに足を運ばぬ」


「……一理ある」


呟いた後、足満は杯を呷って酒を飲み干す。カラになった杯に前久が笑みを浮かべつつ酒を注ぐ。酒が満たされた杯を置くと、返杯として足満は前久の杯へ酒を注いだ。

一層にやけた笑みを浮かべつつ前久は言葉を発する。


「不機嫌な理由は、やはり静子殿か?」


瞬間、杯を口に付けたまま足満が固まった。数秒の後、感情の手綱を取り戻した足満は、前久を一瞥した後、杯を()した。


「……最近、武田の間者が多くなった。静子の身近にさえもだ。見つけ次第、始末しているが減る気配が一向にない。織田は屋敷で守りを固めるようだが、多くの動員をかけるということは余計に間者が入り込む隙を与えることに何故気が付かぬ!」


気が立ったのか足満は杯を握り潰す。怒髪天を衝く、とはこのことを言うのだろうと、怒れる足満の横で前久はのんきに杯を傾けた。


「そこまで心配なら、ここを出て静子殿の下へ行けば良かろう」


「それが出来れば苦労はない。厄介事を抱えておるから、この場から動けぬのだ」


「それは難儀なことだな」


そういって前久は酒を飲み干す。一方、苛立ちがおさまらない足満は、己の爪を噛みしめて感情の制御を試みる。しかし、大して効果はなく、鋭い視線で前方を睨んでいた。

気の弱い人間なら足満が発散する殺意ともいえる雰囲気に萎縮するところだが、魑魅魍魎の跋扈する伏魔殿たる朝廷を牛耳る関白職すら務めた前久は、柳に風とばかりに涼しい顔で受け流していた。


「ほれ、そんな顔をするな。どうやら来客・・のようじゃぞ」


薄い笑みを浮かべながら、前久はある方向を顎で指す。そこには若干ラフな格好だが、腰に二振りの刀を差した男装の人物が立っていた。


「ありゃ、お取込み中でした?」


のんきな声でそんな事を呟きつつ、男装の人物、静子は後頭部をかいた。







尾張のとある場所、周囲に遮蔽物はなく、また人が隠れられそうな物陰もない所に、信長と数人の家臣が集まった。

周囲は静子や光秀の子飼いの精兵が距離を置いて囲むように警備している、人はおろか猫の子一匹立ち入る余地がない。

猟犬部隊や警備衆も警護に加わっているゆえ、秘密の話し合いをするには持って来いの場所だ。


集まった家臣は明智光秀、竹中半兵衛、森可成、足満、そして静子の5人だ。

8人以上集めればどこかから情報が漏れるゆえ、それ以下の人数で今後のことを話し合うに相応しい人物を集めた結果だ。


「ふっ、此度は流石に驚かされた」


上座にいる信長が笑みを浮かべつつ呟く。光秀や竹中半兵衛、森可成は表情が固まっていたが、足満と静子は至って平静な顔だった。咳払いをして空気を変えた後、静子は言葉を発する。


「まずは昨年のいくさ、私如きの策を採用して頂いてありがとうございます。お陰で予定通り(・・・・負けを(・・・)演じられました(・・・・・・・)。そして延暦寺攻め、これで武田をおびき出す(・・・・・)状態が整いました」


3人の表情が硬い理由、それは昨年の敗北が最初から仕組まれていたことだ。しかし、最初は驚いたものの彼らはすぐにあることに気付く。

主要な武将たちは負傷こそすれ、一人たりとも討ち死にしていないこと。裏切り者が何人も出たが有能な武将は信長の手元にあることをだ。


「構わぬ。わしは貴様の策に価値を見出した。それだけの話だ」


「ありがたき幸せ。重臣の皆様にも一敗地に塗れ決して少なくない損害を(もたら)しましたが、これも最終的に織田家の勝利を得るがため。ご了承頂けるよう伏してお願いいたします」


「いや、勝敗は兵家の常。先の説明にて得心がいったゆえ、お気に召されるな」


未だ表情が固いものの、状況を理解し納得がいったのか森可成がそう答える。それに釣られて光秀や竹中半兵衛も小さく頷く。

3人の態度を見て静子は人の良い笑みを浮かべると、脇に置いていた紙を広げる。


「第一次三方ヶ原台地の調査で、色々と良い情報が手に入りました。これでますます武田は不利になります。まぁ不利を隠すために全軍を以てことに当たるでしょう。数は……おそらく3万ほどかと」


「3万ッ!」


思わず光秀が声を上げる。武田軍3万とは、冷静沈着な光秀が取り乱す程の脅威であった。しかし、静子は光秀の心配を軽く流す。


「数に頼る者は数に溺れる、ですよ。3万は確かに脅威です。しかし、彼らは弱点を抱えているため、それだけの数で挑まなければならないのですよ」


赤備え、ゆる矢じりなどの軍隊面、工兵攻城や片翼包囲、きつつき戦法などの戦術面と、武田家の戦闘教義は奇抜な戦術はあまりなく、基本に少し改良をかけた程度のものが多い。

そこに武田兵の純粋な強さと、率いる武将たちの質の高さこそが武田軍最大の武器だ。それゆえ野戦に強く、その証拠に信玄は生涯に於いて二度しか戦術的敗北を喫していない。

武田兵が強い理由は、甲州という厳しい生活環境が剽悍でたくましい兵を生むからだと言われている。

「三河兵一人は尾張兵三人に匹敵する」、「甲州兵一人は尾張兵五人に匹敵する」という言葉があるように、武田兵は一人一人が屈強な戦士だ。


その中でも精鋭兵を集めたのが有名な「武田の赤備え」である。飯富虎昌が創設し、彼の死後は弟の山県昌景が継承した戦国時代最強の部隊である。

この武田の赤備えの中の特攻隊が武藤喜兵衛むとうきへえ、後の真田昌幸である。

10倍の敵を平然と撃破する赤備えは、後の赤備え精鋭神話を生み出した。この神話にあやかり、徳川最強部隊の「井伊の赤備え」と、真田率いる「真田の赤備え」が生まれた。


だが、戦国時代最強と名高い武田軍も弱点がない訳ではない。最も有名な点が「武田家当主の立場の弱さ」である。

家臣の発言力が強く封建制を取っているが寡頭政治に近く、当主が独断で裁可を下し家臣が受諾する体制ではない。

また武田信玄が快進撃をしていた理由の大半が、有能な部下の功績や献策のお陰であるため、独立独歩の気風が強く当主を中心に結束するようになっていない。


さらに、弱肉強食を体現する信玄の外交方針は、同盟を結んでいても相手が弱体化した瞬間、裏切って領土侵略を続けたため、同盟相手との信頼性を醸成できず、常に寝首を掻かれる危険性を孕んでいた。

このため、長期の出陣が中々できず、短期間で勝敗を決する必要に迫られた。史実でも武田信玄死後、勝頼がこのツケを支払う羽目となった。


家臣団にも弱点はあった。

信玄は家臣の意見を聞き、大事なことは家臣と話し合って決めていたと言われるが、これは合議制に近く、優れたリーダーではあったが議長兼調停者として家臣同士の諍いを取り持つことに腐心していたとも言える。

つまり、家臣同士が諍いをしても信玄には止める手立てが少なかった訳だ。何しろ家臣たちは独自の領土と兵を持つ小国の国人で、それぞれが戦う力を持つ者たちだ。

全員の意見を纏めて行動しなければ、裏切り者が出てくる可能性もあった。

この状態を打破しようとしたのが信虎だが、息子である信玄がこれを放逐してしまったため、武田家当主の独裁力を強める機会は失われてしまった。


最後が旧式の軍事制度からの脱却ができていない点だ。動員する兵は農兵と地侍の組み合わせ方式で、鉄砲の装備比率も並程度だ。

弱卒と強兵の差異をなくしてしまう鉄砲を嫌ったのか、それとも単なる資金不足かは不明だが、ともかく武田兵の鉄砲装備は非常に悪かった。

これは鉄砲伝来の5年後には、鉄砲に新時代の可能性を見出した信長と対極の考えとも言える。


「武田は強敵です。だからこそ、最大動員でくる彼らを逆撃し完膚なきまでに打ち破る。これをなくして今の本願寺が敷く織田包囲網を破る手段はありません」


互角の力を持つ上杉、北条などは別枠としても、武田を打ち破るということは織田包囲網に参加する殆どの国人に衝撃を与える。

浅井や朝倉は勿論、本願寺に協力する国人たちを切り崩していくことも可能だ。それほどに武田はビッグネームであり反織田勢力の要とも言えた。


「一つ質問を宜しいかな?」


今まで黙っていた竹中半兵衛が疑義を口にする。穏やかな表情をしているが、有無を言わせぬ迫力が感じられた。


「静子殿の策は流れが良いと言えます。しかし、貴女は武田を打ち倒せる根拠を示されていない。いかなる力をもって、精強無比の武田兵3万を打ち破れると確信させるおつもりですか」


それは信長も感じていたことだ。説明に何の疑問点もなく、時系列に違和感はなく、およそ武田軍が取り得る行動は予測済みと言っても良い。

しかし、それだけだ。相対する武田軍をどう倒すか、静子の話は肝心な部分が抜けていた。


「幾つかの兵器(・・)を使いますが、もっとも活用するのはコレ(・・)でしょう」


静子がよどみなく竹中半兵衛の質問に答える横で、足満が新型火縄銃を周囲に見せるように掲げた。


「私と足満おじさんが開発した、現行の火縄銃と比して数倍の超長距離を有効射程に収める新型火縄銃です」


新型火縄銃とは、シャープス軍用カービンをベースに、エンフィールド銃やウィンチェスターM1873カービンなど、多数の銃の利点を取り込んだ銃だ。

有効射程は830メートル、発射速度は毎分9発、重量は4・6キロ、初速は420m/s、弾は紙薬莢を1発のみ後詰する方式だ。

無煙火薬を使うと初速が600m/s以上になり、鉛が溶けてしまうため使用している火薬は褐色火薬だ。

紙薬莢は現代で一般的なセンターファイア式雷管を採用している。発射後、褐色火薬の燃えカスは紙に付着するため、銃身内の汚れを軽減する利点がある。

単純計算すれば一分以内に最低9人射殺できる。100丁あれば1分で900人を射殺できる計算だ。数百メートル先の敵を狙えば、彼らが近づく前に大損害を与えることが可能だ。


なお、無煙火薬を用いた実包は弾速が速すぎて摩擦熱から鉛の溶融を引き起こし、数発も発射すれば弾詰まりで済めば良い方で、最悪は暴発を招き銃身が破裂し発砲者に危険が及ぶ事態となった。この問題を解決した方法が被覆鋼弾(フルメタルジャケット)である。

だが被覆鋼弾は加工に時間が掛かる上に高価であり、数を用意する必要のある弾薬(しょうもうひん)としては採用できずに性能の劣る褐色火薬と紙薬莢で代用した経緯があった。


「完成したのか!」


叫びながら信長は勢いよく立ち上がる。今にも新型火縄銃を奪い取りそうな雰囲気に、思わず腰が引けた静子だが、咳払いをすると足満から新型火縄銃を受け取る。


「詳細は秘密ですが、私が持てる技術全てを費やしました。幾つか南蛮より輸入しておりますが、彼らはものの価値に気付けていない様子。もっともそのお陰で白金(プラチナ)と同じく、安く入手できて助かっておりますが」


現代では非常に高価な金属のプラチナだが、大航海時代では偽物の銀扱いされ、大量のプラチナが海に廃棄された。

その理由が、当時ヨーロッパで珍重されていた銀と勘違いされ略奪して持ち帰ったが、銀用の加工設備で一向に溶けなかったからだ。

それもそのはず、銀の融点は約960度だがプラチナの融点は約1770度だ。倍近く違うプラチナを銀の加工設備で溶かすことは不可能だ。


無論、それは静子も変わりないが、彼女はプラチナが非常に酸化しにくい性質を利用してプラチナを加工した。

粉末状に加工した後、粉末冶金という技術を利用して保管しやすい延べ棒に成型しただけだが。

スペイン商人やポルトガル商人に、日本が溶けない銀を買い取るという話が広まったお陰で、それなりの量が集まった。

彼らの様子から馬鹿にされていることは分かったが、騙されていた方が好都合なので静子はさして気にしなかった。

騙されたふりをする程度で、莫大な量のプラチナが入手できるのだから安いものだ。


「ひとまず性能をお見せ致します。その為にも明智様、少々協力をお願い致します」


「……承知した」


双方準備を終えた後、信長たちは火縄銃の性能を確認する為の試験場へ移動する。そこは1kmもの超長距離まで射撃用の的が用意された場所だった。

流石の静子も1km先の的を当てる射撃能力はないが、最大射程を測るために用意した。


「まずは明智様からどうぞ」


言われて光秀は従来の火縄銃を構え、21間(約38メートル)から一尺四方の的を撃ち抜く。当時の火縄銃や弾丸の性能を考えると驚異的な腕前と言える。

朝倉義景に仕官した際、25間(約45メートル)から一尺四方の的に当てたという話もあながち嘘ではないと静子は思った。


「流石は明智様です。では、新型火縄銃の性能をご覧下さい」


シャープス銃に紙薬莢を装填すると静子は銃を構える。

弾丸の装填方法が余りに違ったため、信長たちは静子が何をしているか理解できなかった。

だが静子に声をかけるより先に静子が引き金をひいた。瞬間、爆発音がしたかと思うと61間(約110メートル)先にあった一尺四方の的が砕け散った。


「ふぅ……(あぁ、良かった。どや顔で説明し続けたから、外したら恥ずかしいってレベルじゃないよね)」


予定の的とは違うが、見事命中したことに静子はホッと息を吐く。しかし、信長たちはそれどころではなかった。明らかに倍以上の距離の的に当てた。

それも直線上にある的をだ。火縄銃は弾丸が球体のため、威力はそれなりにあるが発射時に銃身内部で左右に揺れるため四方八方に飛ぶことが多い。

それゆえ弾丸をまっすぐ飛ばすことは至難の技だ。しかし、それを静子の火縄銃はなんなくやってのけた。早くから火縄銃を研究していた信長が驚くのも無理はない。


「コホン、見ての通りでございます」


だらしなく口を開けている信長たちに、静子は咳払いをして空気を変える。ようやく理解が追い付いたのか、信長は表情を引き締めると頭を軽く振る。


「……わしは確信した、武田を倒せることを。静子、その火縄銃を可能な限り量産せよ、金子がいるなら幾らでも出そう」


「はっ!」


静子の返事に信長は満足げに頷いた。光秀や竹中半兵衛、森可成は疑問がない訳ではない。

しかし、ここで問いただすことのメリットがないため、疑問を飲み込んでいた。理屈を説明されても理解できない可能性もあったが。

ともかく信長から予算を獲得したため、静子は1年をかけて本格的に新型火縄銃を製造することにした。間者対策を考慮して、部品毎に生産し最後に組み立てる方式を採用する。


その後、色々と話し合いをして各自解散となった。静子は実質的な武田戦の総司令官となったが、名目上は奇妙丸が総司令官となる。

自分が一番上であることで話が進まない可能性もあるため、静子は信長の意見を受け入れた。

これから静子は竹中半兵衛と武田戦の策を話し合ったり、光秀の鉄砲隊の力を借りたり、森可成と共に兵の訓練を行ったりする。

忙しくなるが、この戦いこそが織田家の運命を左右するため、生半可なことは出来なかった。


「疲れたー」


自身の肩を揉みながら静子は呟く。これ以上ないどや顔で説明し続けたのだから、これで態度にそぐわない結果だったら目も当てられない。やることが多くて静子は少し気分が滅入った。


「……例の話は黙っていて良かったのか」


暫く歩いた所でふいに足満が尋ねる。何の事を言っているのかを理解した静子は、苦笑しながらあるものを懐から取り出す。


「流石にこれが秘密兵器、と言っても分からないでしょう?」


静子が取り出したもの、それは現代では一般的に売られている折りたたみ傘だった。


「……わしとみつお、そして静子の折りたたみ傘。十分な量だ」


「そうだね。しっかし、なんで全員折りたたみ傘を持っていたのだろう? 特にみつおさんが持っていたことが不思議だね」


刹那とも言える極めて短時間だが足満の顔が苦渋に歪んだ。それは知られたくない事を静子が知ろうとしたのか、それとも知られたくない事を静子が口にしたのかは分からない。

確かな事は、静子にとって折りたたみ傘が3つある事は単なる疑問だが、足満にとっては静子に知らせたくない既知の事情だということだ。

気持ちを落ち着けさせると、足満はなんてことのない表情で静子の肩に手を置く。


「折りたたみ傘など、あの時代なら誰でも持っていよう。備えあれば憂いなし、だ」


「まーそうだね。急な雨とか普通にあるものね」


大した疑問ではなかった静子は、足満の言葉に納得すると折りたたみ傘を懐に仕舞う。足満は彼女に見えない位置で小さくため息を吐くと、心の中である言葉を呟いた。


(すまぬ、静子。だがわしは……もう二度とお前の泣き顔を見たくないのだ)







十一月下旬になると一層寒さが厳しくなり、野外活動できる時間が短くなった。三方ヶ原台地の調査で体調を崩す人間が増えたため、静子は地形調査の中止を余儀なくされた。

調査を終えたことで高虎が戻り、続いて陣借りを終えた慶次と長可が戻ってきた。しかし、静子の家は大改修中で彼らも、静子用の仮御所での寝泊まりを余儀なくされた。

もっとも慶次はどこに住んでも慶次だった。ただ、気軽に風呂へ入れない事だけが彼らの不満だった。


信長から予算は青天井、との言質を取った静子は、予算を無視して各自に膨大な数の部品生産を命じた。後、静子のする仕事は、対武田戦で結果を出すのみだ。

全ては静子の思い描いたとおりに各勢力が動いていた。本願寺も、延暦寺も、武田も、上杉も、そして徳川もだ。このときばかりは、全ての勢力が静子の手の上で踊っていた。


全勢力の動向を注視しつつ、冬になると多くなる文の返信を静子は書いていた。

寒さで室内にいることが多くなるせいかな、と彼女は思ったが、先方は冬ならば静子からの返信が早いため時期を選んで文を出しているだけであった。


「しっかし、文の相手が年々増えているような気が……?」


秀吉や竹中半兵衛、柴田、丹羽、佐々、前田利家などは前からだが、この頃は池田(いけだ) 恒興つねおき佐久間(さくま) 信盛(のぶもり)(はやし) 秀貞(ひでさだ)(ほり) 秀政(ひでまさ)などの有名な武将からも文が届くようになった。

たまに全く名前の売れていないマイナーな武将からも来るが、大抵はそれなりに家臣内で名の売れている人物ばかりだ。

思い出したように細川(ほそかわ) 藤孝(ふじたか)が文とともに、ターキッシュアンゴラに関する和歌を分厚い冊子にして送ってくる。

歴史的資料としては一級品で、その手の人なら喉から手が出るほど欲しい一品だろう。だが、静子にとっては読むのが疲れる上に長いので、毎度よくこれだけ書けるなと呆れる代物だった。


「お、また文でも来たのかい?」


着流し姿の慶次は静子に声をかけると同時、近くに腰を下ろすと遠慮無しに手近にある文を取った。

プライバシーが、と一瞬思った静子だが、静子に届く文は全て検閲済であり今更見られても困る内容など書かれていないため、気にしないことにした。

単純に返信の数が多くて考える余裕がないとも言えるが。


「暇ならお市様の相手をお願い」


「はっはっは、俺にあのじゃじゃ馬お姫様を相手にするのは無理だ」


手紙を元の場所に戻すと、慶次は軽く手を振って受け流した。

お市は最初こそ大人しかった。大人しかった、というより余りにも勝手が違いすぎる生活環境に慣れるので手一杯という状態だった。

しかし、ひとたび生活に慣れればそこは信長の実妹、あれこれと周囲の事物に興味を示し始めた。

侍女の言葉などなんのその、時には一人でふらふらと散歩していた。流石に危険だと思った静子は、信長に文を送ってやんわりと注意して貰おうと考えた。


『お市らしい。責はあ奴自身が負う。捨て置け』


だが返ってきた文は短く、そして静子が頭を悩ます内容だった。文からお市の行動は奇行ではなく、元からそういう性格であることが理解できる。

理解できるのと納得するのは別だが、ともかく勝手に出歩いて外まで出られては困るゆえ、静子は門番へお市を通さないように命じた。


「冬は今年度の開発品を検証する必要があるってのに……困ったなぁ」


大きな疲労感を感じた静子は、思わず小さなため息を口から漏らす。


静子の開発計画は基本的に一月から二月に予算を獲得し、四月までに計画を纏めて技術街へ発注をかける。

その後は静子が信長に従って軍事行動をとるため、米の収穫を行う九月から十月まで進行は任せっきりだ。収穫完了後、各計画の進行状況を聞き、遅れていれば発破をかける。

完成していれば検証機を受け取り、最終チェックを行う。静子の検証で合格すれば晴れて計画は完了、細々とした後処理を行ってプロジェクトは終了する。

信長の軍事行動が春から夏にかけて集中するため、このような計画の流れになっている。静子が冬場に自宅で籠りがちになる理由は、農閑期であり検証する時間が比較的取りやすいことも影響している。


「……私、なんでたい焼き器とかたこ焼き器、今川焼き(大判焼きや二重焼き、御座候(ござそうろう)と複数の愛称がある)器を作ろうと思ったのだろう。過去に戻れるなら、当時の私をぶん殴りたい」


今年、計画を立てたのは鏡、磁石、六分儀、測距儀そくきょぎ、日時計コンパス、各種円形計算尺、機械式の海洋クロノメーター、スターリングエンジンの八つだ。

鏡、磁石、六分儀、測距儀、日時計コンパス、各種円形計算尺は量産体制に入るだけだったので、そこまで大きな問題は発生しなかった。

機械式の海洋クロノメーターは船の上で安定させることに時間がかかり、いまだ試作機の製造にすら入れていない。スターリングエンジンは単純に試行錯誤の繰り返しなので、進捗はいまいちだった。


それでも案外問題が起きなかったので、静子は追加で電球用のガラスを発注した。

それから少しして、何を思ったか不明だが静子はたい焼きとたこ焼き器、今川焼き器の開発を発注した。つい最近、検証器が届いて静子が頭を抱えたのは言うまでも無い。


「あんは家中(かちゅう)で不和の種になるから、作らない方が良いのだけどねぇ」


「うちの叔父御おじごはつぶあん派閥に入っていたな」


笑いながら言う慶次だが、静子としては気が気でなかった。何しろ「あん」の好みはタブーに近い。下手に他の「あん」を貶せば、重鎮の雷が落ちることもある。それが如実に出たのが羊羹の乱だ。


羊羹の乱で大半の人間はこしあんかつぶあん派に分かれた。もっとも光秀は抹茶、丹羽や森可成は柚、滝川と佐久間、林は塩、信長は栗と好みは細分化されていた。

二大派閥の内、こしあん派筆頭が柴田、つぶあん派筆頭が秀吉と非常に喧嘩しやすい人たちが筆頭だった。

それだけではない。柴田は親友の前田利家がつぶあん派へ、秀吉は弟の秀長と竹中半兵衛がこしあん派だったため、余計に相手が許せなくなっていた。

なお、秀長がこしあん派だと知った時、秀吉はカエサルが腹心のブルトゥスの裏切りを非難した時と似たような台詞を零したという。


「俺は何でも良い。うまいことが大事だ」


「それだけ割り切りが良ければ、あんな言い争いは起きなかったのだけどね」


現代でも決着のつかないつぶあん派対こしあん派論争、戦国時代に決着が付くはずもなく、二人は静子が開催する尾張・美濃川柳大会でもやり合っていた。


「まー作るのは良いけど、今日は駄目だねー。茶丸君がいないから、作ったらまた怒りそうだし」


前回の塩釜焼きで仲間はずれにされたことがよほど堪えたのか、奇妙丸は最近静子に荷物が届く度に「次は必ず呼べ」と口を酸っぱくして叫んでいる。

ゆえに今日、信長の元へ行っている間にたい焼きを作れば、今度こそへそを曲げて拗ねる。

彼が拗ねると色々と面倒なので、静子は岐阜へ早馬を出した。内容は奇妙丸の帰宅がいつなのかを問うだけだが、これが静子にとって不幸を呼ぶこととなる。


翌日、早馬の代わりに大量の小豆(あずき)と砂糖が静子の元へ届けられる。嫌な予感を感じた静子は同封された文を読む。文には信長と一族一門衆、家中も味見に参加する内容だ。

大量の小豆と砂糖が送られた理由は、それだけ大人数で参加する意味が込められている。そして更に問題が発生した。


「妾をのけ者にするとは、静子もやるようになったのう」


小豆と砂糖を届けたのは、今まで姿を見せなかった濃姫だった。彼女は勝手知ったる他人の家の如く、立ち入り禁止看板が立つエリアも容赦なく入ってくる。

期待していなかったとはいえ、効果が全くない事に静子は若干頭が痛かった。


「別にのけ者って訳では」


「まぁ良い。所で最近、鳥を仕入れては弄っていると聞いておるが? その妙に真っ黒な鳥もその一つかえ?」


とある鶏を扇子で指しながら濃姫は尋ねる。

今、静子が可愛がっている鳥は烏骨鶏(うこっけい)という鶏の品種だ。名前の通り骨に至るまで黒色という他の鶏にない特異な特徴を持つ。


原産地は未だ不明だが歴史的には中国産の品種が有名である。

古来より中国では霊鳥として扱われており、11世紀には「物類相感志」に、14世紀には「東方見聞録」にもその記述が見られる古い品種である。

外見的にも一般の鶏とはかけ離れた姿をしており、更にはその身や骨、内臓に至るまで黒を宿している。

そして肉は言うに及ばず卵も栄養面で一般の鶏卵とは隔絶した優位性を示すため各国で薬として珍重された経緯がある。

尤も産卵数が少なく絶対数が少数になるため現代においても高価な鶏卵、鶏肉として流通している。


しかし、複数の地で育てた烏骨鶏の中から優れた個体を選別し、それらを掛け合わせて産卵数が多い純血の烏骨鶏品種を創る事は可能だ。


「ええ、隣国の鶏です。他にも仕入れてはいます」


烏骨鶏の他に九斤黄(コーチン)種という中国の地鶏も静子は仕入れた。名前の通り大型の鶏でブロイラー種がおよそ2・5キロなのに対し、コーチン種は通常4から5キロまで成長する。

このコーチン種と尾張の地鶏を掛け合わせた品種が、世に名高い名古屋コーチンだ。静子がコーチン種を仕入れたのも、名古屋コーチンに近い品種を造り出すためである。


「それから、えーと……薩摩鶏にドードーにダチョウも仕入れました」


薩摩で飼われている地鶏を薩摩鶏という。その歴史は古く、平安から鎌倉時代の武将で島津氏の祖である島津(しまづ) 忠久(ただひさ)の時から飼育していると言われている。

気性が荒く闘鶏向けの性格だが、黒く長い尾に、赤く鮮やかな体色も相まって非常に美しい姿をしており観賞用としても飼育される。


日本三大地鶏に数えられる最後の一種、比内鶏はタイから輸入された軍鶏(シャモ)と、秋田県北部で飼育されていた地鶏を交配させたとされている。

こちらは秋田県北部という立地が織田家の勢力外であり、流石に入手は難しいと断念し、静子は比内鶏をベースにした品種改良計画を中止した。


一方、ドードーは発見から僅か100年足らずで絶滅した鳥類だ。野生生物の割には非常に警戒心が薄く、初めて見る人間にも無警戒に近づくほどだった。

そのためヨーロッパの入植者たちによる捕食が一般化し、また入植者が持ち込んだ小動物が野生化してドードーを襲うようになった。

その他にも地上に巣を作るなど複数の要因が重なり、ドードーはあっという間に絶滅した。


ヨーロッパに持ち込まれた記録から環境適応能力が高く、食肉にした際の歩留まりも良い、更には気性が大人しいため飼育も容易だと踏んだ静子は、イエズス会を通してドードーを日本へ輸入した。

静子の読み通り、ある程度高い環境適応能力がある事は判明したが、殆ど記録が残されていないので他の鶏と違い、隔離した場所で飼育している。

今、判明している事は子育て中のみ警戒心が強いが、それ以外は人を恐れるどころか積極的に近寄ってくるほどに無警戒であった。


最後がダチョウだ。

鳥類最大の鳥であるダチョウは驚異的な生命力と環境適応能力を持ち、怪我や病気にも強く、雑食で生活から出る野菜クズ程度で飼育する事が可能だ。

古代エジプト時代には既に飼育されていた記録があり、肉だけなく皮や脂など利用出来る点は多い。

成体であれば暑さや寒さ、高湿度にも耐え、感染症に強く、静かで大人しく、臭いはなく、高い繁殖能力を持ち、他と縄張り争いをしないダチョウを飼育しない手はない。

他の鶏と違い一年近くの飼育期間が必要となるが、雑食であるため牧草や野菜くずなどの植物主体で飼育する事が可能だ。

一つ難点があるとすれば、驚異的な生命力を持つため頭を落とした程度では即死せず、生命の危機にあって時速60kmもの速力を支える心臓が全力で全身に血流を送り続ける事だ。


ダチョウの肉は緻密で繊細にして癖がないのを身上としている。

言わば全身笹身に近い肉質をしているため、先の状態で放置すれば限界を超えて血流を送られた全身の毛細血管は破裂し、肉の隅々までを血流で真っ赤に染め上げる。

一度この状態になってしまえば淡白で繊細な肉ゆえに、血生臭くてとても食べられたものではなくなってしまうという欠点があった。

余談だが現代では炭酸ガスなどで眠らせた状態でしめる事で前述の現象を回避している。


「なにやら初めて聞く名が多いの」


「そりゃまぁ、鶏の品種改良をするために集めているわけですから……」


鶏は牛や豚と違って生命サイクルが短く品種改良にかかる時間が短くて済む利点がある。

そして殆どの品種は容易に飼育できる事も美点だ。また鶏は飼育の容易さに比べて栄養価が高いことも評価できる。

ただ今回仕入れた鶏の中で唯一問題があるとすれば烏骨鶏であろう。鶏の中でも突出して高い栄養価を誇る烏骨鶏だが、黒色のために食欲が湧かない見た目になりやすい。


「ほほほっ、いつになるか分からぬが、味は期待しておるぞ」


それだけ言うと濃姫は颯爽と立ち去った。

何が何だか分からなかった静子だが、暫くして濃姫の考えを理解するのは無理と判断し、烏骨鶏の飼育作業を再開した。が、その手はすぐに止まる。


「忘れておった。何やら最近、旨いものを食べていたそうじゃな。なのに妾を呼ばないとはどういう了見かえ?」


立ち去ったはずの濃姫がいつの間にか背後まで迫り、静子の両肩に手を乗せ、耳元で囁く。


「次は忘れるでないぞ?」


若干、肩に乗せた手に力を込めて濃姫は警告する。静子は冷や汗を流しながら首を縦にふった。その様子に満足した濃姫はにこりと笑うと、両肩を軽く叩いてから静子のもとを去った。


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― 新着の感想 ―
濃姫様ステキ 史実通り&この小説に近ければ是非お会いしたいものです
[一言] 身勝手な食い意地はった連中がウザい 作者様は好きなようですが(笑)
[良い点] 初めて感想を書かせて戴きます。 人の好みも十人十色、餡の派閥に羊羹の派閥にはたいへん読んでいて笑えました(笑)
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