千五百七十年 十一月中旬
九月二十三日、信長は明智光秀と柴田勝家を殿として残し、野田・福島に展開しているすべての兵を引き払って、江口の渡しへ向かった。
江口は中・近代において水上交通の要所で、京から来た船便もここで乗降した。
しかし、宇治川・淀川の支流が入り込んでいる江口付近は、勢いが強く、また水流が多い。
そして、江口の渡し一帯はすでに一揆の蜂起下にあり、一向一揆衆が対岸に群がっている状態だった。
「始めろ」
緊迫した事態に尻込みする足軽たちを後方へ下げ、足満は投石兵100名を三部隊に別けて岸に配置する。
一向一揆衆は竹やりを手に群がっている状態だ。当然、ここに投石すれば効果は絶大だ。
彼らは石が届くとは夢にも思わなかった。何しろ戦国時代の投石は、基本的に手で投げる以外にないと思われていたからだ。
「殺れ」
足満の短い号令で岸に集められた石が100個、空を飛び対岸にいる一向一揆衆に襲い掛かる。
まともな防具を装備していない彼らは、石が対岸にまで届いたことに驚愕する。そしてすぐに理解する、襲い掛かる石を防ぐ手立てはないことを。
次々と襲いかかる石に一向一揆衆が右往左往している間、信長は一番初めに馬を川へ乗り入れ、後ろにいる全軍へ渡河を命じた。
このとき、信長は事前に家臣たちへ歩幅を小さくする、真横に横切らない、すり足状態で歩く、体勢は流れに対して斜めに向ける、下流方向に向かって斜めに移動する、などサバイバルでの渡河技術を伝授した。
「投げ続けろ」
単純に石が飛んでくるだけの攻撃は防ぎにくい。防戦一方になれば一向一揆衆に取れる手段は何もない。
中には石の雨をものともせず、反撃に転じて突撃する者もいた。しかし、水に足を取られ、機動力が落ちている人間など、弓騎兵隊からすれば良い的だった。
案の定、突撃した人間は川の半分を渡る前に、弓騎兵隊の矢によって命を落とした。
勝ち目がないことを理解した一向一揆衆は、撤退するために武器を捨て逃げ走る。
しかし、一向衆が散り散りになって撤退を開始する前に、織田軍は渡河し終えた。例え武器を捨てようとも織田軍には関係なく、彼らは一向一揆衆を側面から急襲する。
織田軍の迅速かつ果敢な突撃に、一向一揆衆は反撃の糸口を見つけることができず壊滅した。対岸の安全が確保されたところで、残っていた足満たちも渡河する。
背後から追撃する敵兵たちを振り切り、わずか一日以内に信長は京へ戻る。二十四日に信長は大津から坂本へ兵を進め、宇佐山城へ救援に向かった。
信長の電光石火の行動に、宇佐山城を攻めていた浅井・朝倉連合軍は慌てふためき、壺笠山城や比叡山に急いで逃げ込む。
織田本軍と合戦すれば、確実に負けると彼らは理解しているからだ。
信長は逃げる浅井・朝倉連合軍には目もくれず、すぐさま宇佐山城に入城する。
「現状を報告せよ」
「はっ、われわれは坂本で浅井・朝倉連合軍の進軍を阻止しましたが、二十三日に陣が壊滅しました。その後、浅井・朝倉連合軍は大津の馬場、松本、そして山科を焼き払いながら、ここ宇佐山城を攻めました」
青地茂綱が場を代表して信長の質問に答える。ほかにも野府城主の織田信治、森可成の家老である各務元正らの姿があった。だが、そこに宇佐山城主・森可成の姿はなかった。
勘の良い信長は瞬時に全てを悟った。それでも一縷の望みをかけて質問を口にした。
「可成はどこだ」
その言葉に森可成の家臣たちが無言で森可成の甲冑を、信長の前で組み立てる。
血塗れの甲冑を見て信長は嫌でも森可成がどうなったかを理解した。
「ばか者が。誰が命をかけよと命じた」
信長は悲痛な声で呟く。
実際、彼は森可成に『最悪の場合は宇佐山城を捨てろ』とまで命じていた。
城は建て直せば良い、奪われた領土は取り返せば良い、しかし森可成という人物は替えの利かない人間だ。
拳を強く握り締めながらも、信長は平静な表情で森可成の甲冑の前に移動する。
甲冑を片膝立ちで眺めた後、信長は甲冑の肩に手を置いて絞りだすような声で語った。
「大儀であった」
信長の言葉に森可成の家臣一同は涙を流した。
長可は荒れに荒れていた。その様は台風と言っても過言ではない。
ふらっといなくなったかと思うと、僧兵や連合軍の斥候を捕まえて城へ戻り、尋問という名の拷問をした。しかし、それは苛立ちを敵にぶつけているようにしか見えなかった。
「ぶば……ほ、仏を……恐れぬしょ、所業。お、織田にはい、つか……仏罰……がく、だる」
「なら仏を連れて来いよ。おら、どうした。仏罰や神罰を起こせるんだろ」
僧兵の顔は歪んでいた。顔だけではない、腕や足も曲がらない方向に曲がっていた上に、指が何本もちぎれていた。
「仏を連れてこいよ! 俺がぶっ殺してやるからよ!」
手に持ったメイスで力の限り僧兵を殴る。長可の一撃で完全に意識を飛ばした僧兵だが、彼は一切気にせず返す手で再度僧兵を殴る。
「仏の力ってのを見せてみろよ! おら、何とか言えよ、この生臭坊主どもが!!」
「止めろ。もう、そいつは死んでいる」
長可の暴走を慶次が止める。だが、彼の表情はいつもの陽気なものではなく、深い悲しみをたたえていた。
「くそっ!」
長可は僧兵の死体を蹴り飛ばす。体液が辺りにまき散らされて、2人の周囲は凄惨な状態となっていた。だが、誰も気にかけない。否、気にする余裕が彼らにはない。
今までは防衛に必死だったからこそ、そのことを考えなくて済んだ。しかし、織田本軍が合流した今、考える時間がたっぷりできてしまった。
「結局……結局、俺は親父に追いつけなかった。何のために、今まで死に物狂いで鍛えてきたんだ。こんな状況を、俺は変えるために力を手に入れたはずなのに……」
「後ろを向くな、勝蔵。つらいときほど前を見ろ。そして、お前が歩んできた道を否定するな」
長可の胸を軽くたたくと、ようやくいつもの陽気な笑みを浮かべて慶次は言葉を続ける。
「いくさは理不尽で不条理だ。だから、好きに戦って、理不尽に死のうぜ」
「……ふん、俺は死ぬ気はまだない。もっと強くなって親父の背中を超える」
普段の調子を取り戻しつつあった長可は、慶次に対して悪態をつく。
周囲に凄惨な僧兵の死体がなければ、戦場映画のように映える。だが、残念なことに彼らの周りは血と臓物が飛び散っていた。
「そういえば静っちはどうしたよ」
空気を変えようと思った慶次は、別の話題を長可にふる。
「親父を死なせちまった責任を感じているのか、今日も朝から働き詰めだ」
「……良くないね」
「ああ、あいつが悪いわけじゃない。親父は深手だった……誰が診ても助からなかっただろう」
長可は重いため息を吐く。2人は今の静子は一番危険だと感じていた。このままの状況が続けばいずれ彼女は倒れる。しかし、静子の耳には誰の声も届かなかった。
「皆、分かっているんだよ。あの傷で助かれば、それこそ奇跡だって事がな」
それでも、長可は期待を抱かずにはいられなかった。きっと静子なら何とかしてくれると、そんな淡い期待を抱いていた。
だが、それがむなしい願望だということを、森可成の死体を見たときに彼は知った。
(親父……すまねぇ)
自分の無力さに打ちひしがれながら、長可は心の中で森可成に謝罪した。
悲しみに包まれた宇佐山城に織田本軍が入城して数日後、信長は延暦寺の僧を呼び出した。
主君を討ち取られた悲しみは怒りに代わり、延暦寺の僧たちは呪詛にも似た怒りに晒される。
だが、彼らは決して織田軍が自分たちへ手を出せぬと確信している。ゆえに、どれだけ殺気を向けられようと、織田軍は手も足も出せない連中と侮っていた。
延暦寺を呼び出した信長は、彼らへ端的に告げた。
「山門領を返却する。代わりに武家の合戦に首を突っ込まず中立を保て。それとも、すべてが灰になる方をお望みか」
強気な脅しに一瞬、おびえた僧たちだがすぐに落ち着きを取り戻す。
比叡山は仏の治める不入の地であり、同時に聖域だ。そこにある延暦寺の僧たる自分たちには、常に仏の加護があると彼らは信じている。
延暦寺は過去に2度の焼き討ちを受けているが、行った人物はすべて家臣に裏切られる結末を迎えていることが、仏の加護があると彼らが確信する理由だ。
「……?」
信長の話を聞いていた僧は、ときおりものを引きずるような音がするのに気付く。
重たい何かを引きずる音と、水っぽい何かが滴る音が混ざり、耳障りな音を形成していた。
しかし、その音に対して信長や、彼の周りにいる人間は一切反応を示さない。
何かを引きずる音は少しずつ自分たちへ近づいてくる。それでも、信長はなんの反応を示さず、変わらず延々と延暦寺の対応を非難し続けていた。
やがて音の発生源は僧たちのいる部屋の前でいったん止まる。何事だと眉をひそめた僧の耳に、入り口が静かに開けられた音が届く。
「何が!? ひ、ぎゃああああああああああああ!!」
気になった僧の1人が後ろへ振り返り、そして驚愕の表情で悲鳴を上げた。
その大声にほかの僧たちも背後にあるものが気になって振り返る。そして、最初の僧と同じように悲鳴を上げた。
信じられない人物が入り口に立っていたからである。彼らの視線の先には甲冑姿の森可成がいた。
全身が土で汚れ、あちこちに矢が刺さり、血が止めどなく床へ落ちているが、彼の目は迷いなく僧たちを捉えていた。
僧たちはおびえた。首級は上げられなかったものの、心の臓を矢に貫かれた森可成は討ち死にしたと報告を受けた。
聖衆来迎寺に森可成の墓所があること、その場まで織田兵が森可成の死体を運んだことの報告も受けていた。だが、目の前にいる人物は紛れもなく信長の右腕である森可成だ。
一体何がどうなっているのか分からず、僧たちは理解に苦しむ。気を落ち着けることもできず、混乱してまともな考えが出てこなかった。
「僧には入り口を見て、悲鳴を上げる教義でもあるのか」
信長の言葉に僧たちが一斉に振り向く。彼の顔は、僧たちが何におびえているのかまるで理解していな表情だった。
僧の1人が言葉にならない言葉を吐きつつ、入り口で不動のまま僧を睨む森可成を指さす。
不快感をあらわにする信長は、ため息交じりに僧の指さす場所を一見する。だが、すぐに苦い顔で彼らに再度尋ねる。
「だから入り口に何があるというのだ。何もないではないか」
「い、だ! も、もももも……ッ!」
恐怖の余り、僧の口からは言葉にならない言葉が漏れていた。
入り口に立つ森可成が、僧の声に呼応するように動く。視線は僧たちから外れることなく、沈黙したまま憤怒の表情を浮かべて一歩、また一歩と歩みを進める。
すでに僧たちは、憤怒の表情で自分たちを睨む森可成にしか見えていなかった。僧の態度を不快に思った信長は立ち上がると、目の前にある膳を蹴り飛ばして叫ぶ。
「いい加減にしろ! 何を見ているか知らんが、それほどわしと話をしたくないのならうせろ!」
瞬間、僧たちははじかれたように駆け足で部屋から出て行く。
少しして兵士たちの嘲笑う声がした。それが消え、部屋に静寂が訪れたところで信長は盛大に笑った。
「わははははっ! 見たか、可成。奴らの顔を! 仏の加護を得ていると豪語しておきながら、死人の演技ごときで腰を抜かして必死に逃げおったわ!」
よほど愉快だったのだろう、信長は腹を抱えて笑った。
「残念です。目の前で腕を落とす準備は万端でしたが、披露する機会を失ってしまいました。演技指導をしてくれた静子殿がかわいそうです」
信長の言葉に森可成が答える。彼からはおどろおどろしい雰囲気が霧散し、いつもの落ち着いた雰囲気を身にまとっていた。
「くっくっく、残念だ。可成の腕が落ちれば、奴らは驚きの余り目が飛び出しただろうよ!」
痛快すぎたのか、それとも笑いのツボだったのか、信長は少しの間、人目を気にせず腹を抱えて笑った。
「うわあああああああああああああああああっ!!!」
「えええええええええええええええええっ!!」
「なあああああああああああああああっ!!!」
「お、おおおおおおおおおやじぃぃぃぃぃぃぃぃ!!! じょ、じょじょじょじょじょじょ成仏しししししてくれれれれよー!?」
当然のことだが森可成の姿を見た青地茂綱や慶次、才蔵、長可、森可成の家老である各務元正らは悲鳴に近い声を上げる。全員の驚きように森可成は苦笑いを浮かべて頬をかく。
「足はついておるぞ。ほれ、このとおりだ」
自分の足を見せつつ森可成は戯けてみせる。だが、長可たちは何が起きているか分からず、僧たちと同じく頭の中が混乱する。
全員の反応が面白かったのか、信長はニヤニヤと笑っていた。しかし、種明かしをしなければ話が進まないことを理解し、すべての計画を立てた静子を呼び出した。
「ごめんね、森様が死んだって話、あれ嘘なんだよ」
呼びだされた静子は、檜扇で自分の頬をつつきながら軽い調子で種明かしをした。
「え、ちょ、ちょっと待て。じゃあ、親父が瀕死の重傷だって話は?」
最初に頭の理解が追いついた長可が、混乱しながらも疑問を口にする。
「確かに瀕死だったよ。最後は森様の生命力に賭けたしね。見事、賭けには勝ったよ」
「あ、そうなんだ。じゃ、じゃなくてさ。何で親父を死んだことにしたんだよ!」
「それについてはわしから話そう。あの日、一命を取り留めたわしだが、ある問題が発生した。わしは槍が握れなくなったのじゃよ」
なおも食って掛かる長可に、森可成が軽い調子で重大な話を口にする。
「勝蔵、貴様なら分かるだろ。槍の持てぬわしなど、前線に立っても役立たずだ。ならば、死んだことにして、連中を油断させる方がよほど良い」
「じゃ、じゃあ静子が出してきた亡きがらは……?」
「途中までは森様に演技して貰ったけど、聖衆来迎寺に運ぶときは別の人間だよ。ちなみに、亡きがらは坂本から拾ってきたの。苦労したよ、森様に似た見た目の亡きがらを探すの」
「親父の亡きがらを前に、自分を斬れって言ったのは?」
「あれは演技だよ。間者に教えるためにも、派手な行動をする必要があったの」
「運ばれる前、盛大に泣いていたのは?」
「あれも演技だよ。悲壮感を出して、森様が確実に死んだと間者たちに思わせるためだよ。まさか兵たちがもらい泣きするとは思わなかったけどね」
「……死ぬほど働いていたのは?」
「あれも演技だよ。追い詰められている感じを出さないと、私が嘘を言っていると見抜かれるからね」
「はあああああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!! 全部、うそだったのかよ!!」
ここでようやく全員が頭の理解が追いつき、森可成と静子の大それた計画を理解した。死を秘匿することはあっても、死んだことを吹聴して広げるなど考えもつかなかった。
皆、2人の作戦にまんまとはまり、完全に森可成が死んだと思い込んでいた。
その状態ならば間者がどの様なことをしても、森可成が生きていることに考えが及び付かない。
なにしろ、森可成が生きていることを知っているのは静子と本人の森可成、途中から信長の3人だ。おまけに静子と信長には、森可成が生きて欲しいと願いやすい背景がある。
万が一、2人の内どちらかが生きていることを漏らしても、誰も真剣に取り合わず妄想や願望が口に出たと思うだけだ。
「この作戦だけは、どうしても成功させなければならなかったの。だから、敵をだますために、味方である皆をだましたの。謝っても許されることじゃないけど、ごめんなさい」
「静子殿が謝る必要はない。これはわしが頼んだことだ。責めるならわしを責めろ。彼女はわしの頼みに対し、最大限に応えてくれただけだ」
頭を下げる静子の横で、森可成もまた頭を下げる。多少混乱したが、全貌を知った長可は疲れたようなため息を吐く。
「確かに驚いたけど……その、必要な策だったのだろう。じゃあ、仕方ねぇ……それに『敵を欺くにはまず味方から』というしな。だから、気にするな!」
照れ隠しに長可は静子の頭を軽くたたく。長可本人は重苦しい空気を吹き飛ばすために、力を込めず軽い調子でたたいたつもりだった。
静子自身も痛みはほとんどなく、勝蔵が重苦しい空気を吹き飛ばすためにやったことだと理解した。しかし、静子は軽口を叩こうと頭を上げた瞬間、急に視界が暗転した。
(あれ……?)
自分の身に何が起きたか分からず、まるで電池が切れるように静子は意識を手放した。
森可成は討ち死にした。それが浅井・朝倉・延暦寺・一向衆が調べた結果だった。
実際、逃げられはしたものの、死の間際にまで森可成を追いつめた。また宇佐山城から厳重に遺体が運び出される光景を間者たちが目撃している。
聖衆来迎寺で供養され、墓があることも確認した。その後、織田軍の奮闘や彼らの憤りから連合軍は、首級こそ挙げられなかったものの森可成が討ち死にしたと判断した。
しかし、そこには双方のちょっとした勘違いがあった。
まず森可成は確かに深手を負った。
だが、直前に長可が森可成に危険を知らせたこと、長可が叫ぶと同時に無意識に投げたものが敵兵の顔に当たって狙いが外れたことで、森可成の心臓を貫く矢が胸から肩にかけて貫く形にそれた。
幸運なことに、その矢は主要な血管や肺などの内臓を大きく傷付けなかった。
それでも、胸から肩を貫いた矢は森可成に深手を負わし、誰がどう見ても死にゆく身体に見えた。
戦国時代の医療技術なら死は免れなかっただろう。しかし、静子の知る医療技術は数百年先の技術だ。
専門的な知識がなくとも普通に知られている治療で十分だった。そのおかげで辛くも一命を取りとめた森可成だったが、現実は非情で彼は『命』だけしか助からなかった。
左肩に刺さった矢が肩の筋肉を引き裂いたため、森可成の左腕には後遺症が残った。いくつかあるが、もっとも彼を苦しめたのは槍をふるう力を出せなくなったことだ。
槍がうまく扱えないことは、彼として致命的な問題だった。医者ではない静子には、矢によって破壊された肩の治療はできない。
日常生活に影響は小さいものの、戦う力が失われたあの日、九月二十三日に森可成は武辺者として死んだ。
相談を受けた静子はすぐさま様々な演技を行い、あたかも森可成が死んだように見せかけた。
偽の死体を用意し、墓を用意し、嘘の情報を自軍に流して森可成の死を真実として固定すると、連合軍側へ『人づてに伝わる』ようにした。
浅井・朝倉連合軍も死んでいる人間を生きていることにする策は考えついても、生きている人間を死んだことにする策にまでは考えが回らず、見事に森可成が死んだと勘違いした。
つまり、双方の情報発信源になる静子一人の話を、織田軍も浅井・朝倉連合軍も信じきった。
写真も映像もない戦国時代だからこそ可能だった策で、現代で行えばほぼ確実にうそは見抜かれる。
それでも、『人づてに伝える』事は、嘘を相手に信じ込ませる方法として単純、かつそれなりの効果が期待できる。
何しろ人は不正に入手した情報や、信じている相手から教えられた情報は、無条件に信じてしまう心理が働くからだ。
嘘の情報を流すだけで終わり、と思われたが森可成はとんでもない事を思いついた。
彼は単純に生きていることを後に知らせるだけでは面白くない、何か連合軍に仕返しをしたいと考えた。
それが延暦寺の僧にした騒動だ。墓から蘇った風貌で僧を無言のまま睨む。そして、森可成の姿は僧にしか見えていないようにするため、周りの人間は一切見えないふりをする。
この計画は大成功をおさめ、僧たちは混乱からパニックを起こし、無様な姿を周囲に晒しながら延暦寺へ逃げ帰った。
「あのときの僧たちの顔、貴様たちにも見せたかったぞ」
信長、森可成と彼の家老である各務元正ら、青地茂綱に野府城主の織田信治が今後の対応を考えるため軍議を開いた。
九月二十三日に多数の兵を犠牲にしながらも、森可成を筆頭に多くの家臣たちは討ち死にを免れた。多くの兵たちが死兵と化したことで、追撃を受けなかった故に生き延びたとも言える。
延暦寺に逃げ込んだ浅井・朝倉軍の引き渡しを、信長は延暦寺に通達したが返事はない。
もともと、比叡山延暦寺は京の丑寅(北東)に位置し、国家鎮護、仏教信仰の聖地として今まで武家の支配を受け付けなかった。
また、大檀那たる朝倉氏を始め、多くの武家信者と結びつき、全国の一揆の後ろ盾になったり、僧兵を雇い兵にしたりと一大勢力を形成していた。
織田包囲網が出来上がった今、信長は恐れるに足りずと考え、延暦寺側は信長に譲歩する気は一切なかった。
「……わしとしては敵が多すぎる。まず浅井か、朝倉のどちらかをつぶす。そのためには延暦寺を包囲する必要がある」
「失礼ながらお館様、延暦寺は引き渡しに応じません。また、包囲しても延暦寺側が応じるとも思えません」
「何、気にするな。もうすぐ雪の季節がくる。雪がふれば朝倉は越前へ戻れなくなる。そこを利用し、神輿を使って朝廷からの勅許を得る。さすれば、連中も無体なことはできん」
信長の考えは正しく、朝倉は織田軍の包囲によって越前へ帰ることができない状態に危機感を覚えていた。
今の状態が続けば、越前は四か月近く朝倉家当主と朝倉本軍が不在の状況に陥る。
周辺国が黙ってみているとは思えず、朝倉は雪がふるまでに越前へ戻る方法を模索していた。
「雪が降るころだ。それまで一切、気を緩めるな」
「はっ、承知しました」
「されど身体を壊した静子と森可成、貴様たちは先に岐阜へ戻って身体を休めろ。何も気にするな、身体を休めることも仕事だ。今、お前たちに無理をされて倒れられては困る」
演技のためとはいえ、静子は朝から夕方まで宇佐山城の防衛、皆が寝静まるころに森可成の治療をしていた。
信長が入城してからも朝から夜中まで忙しかったことと坂本の合戦の疲労が重なり、彼女は知らず知らずの内に疲労を溜め、ついには倒れてしまった。
宇佐山城にいる兵士たちの精神的支柱になっていた静子が、電池が切れたように後ろへ倒れたときは城中が上を下への大騒ぎだった。
坊主は殺す、仏も殺すと公言していた長可は神仏に祈り出し、冷静に見える才蔵は報告書を逆さまのまま読み始め、慶次に至ってはタバコに火を付けては吹かさず灰を飛ばしていた。
足満に至っては常に威圧感を放ち、少しでも怪しい動きをする人間に殺意を向ける始末だ。
原因は過労からくる心因性発熱で数日安静にすれば落ち着く。だが、今まで健康優良児だった静子が倒れたことで信長も少なからず動揺した。
「お恥ずかしい限りです。われわれは知らず知らずのうちに、彼女へ負担を強いていたようです」
結局、疲労困憊の静子をこれ以上働かせることは危険と判断し、信長は慶次と才蔵、足満と兵2000の護衛をつけて尾張に帰還させることを決定した。
静子軍は兵力7500だったが坂本の合戦、そして宇佐山城の防衛で数を半分以下に減らし、今や3000と黒鍬衆500しかいなかった。
内、1000と長可は宇佐山城に残り、ほかは尾張へ帰還させたという形だ。その後、足満と兵2000および黒鍬衆500は小木江城で防衛任務に当たることとなった。
本来は全員を帰還させる予定の信長だったが、長可と一部の兵たちが残って戦うと帰還を断固拒否した。
最終的に長可と兵1000のみ残すことを妥協案とした。残った兵は疲労を覚えながらも依然として士気が高い。否、坂本の戦いを始める前よりも高まっていた。
「可成、お前の息子は頼もしくなったな。今や立派な武将だ。少々、荒々しい性質があるが、若人にはそれぐらいが良い」
「勿体ないお言葉です。若輩なれど、お館様のために働くよう申し付けておきます。どうぞ存分にお使いください」
深々と頭を下げる森可成の目には、一筋の涙が流れていた。
坂本の合戦と宇佐山城の合戦で、静子隊は兵を半分以上失った。
静子軍は再編成を行い、慶次と才蔵は本来の任務である静子の馬廻衆に専念することとなる。
静子自身も連日の合戦で体力を著しく消耗し、さらにさまざまな重圧によって体調を崩し、今は療養生活をしている。
森可成もまた、傷を癒やすため長男が守る森家の知行地へ戻り、リハビリに努めた。
つまり長可の手綱を握っている森可成と静子が、そろって長可の元にいない状態だ。
信長からの期待も感じた長可は、今以上に働こうと考えた。つまり、はじけた行動を取り出す。
後世に志賀の陣と呼ばれた合戦において、長可は戦国時代に名を残した武将の中でも特に狂気じみた逸話を残す。
最初は信長の「延暦寺に協力する村を説得してこい」という命令に対する対応だった。
任務を与えられた彼は、期待を胸に村の説得へ向かった。しかし、翌日帰ってくれば、村人は全滅、家から畑まで何もかも焼け落ちていた。
村に対して軍事行動を行ったことは明白だが、長可は信長を前に平然と言い放った。
「村長を説得しようとしましたが、話し合い中に背後から襲われたため、やむなく武力で対応することになりました」
「ならば委細問題なし」
信長は長可の言葉にあっさり納得した。その上、彼は「いいぞ、もっとやれ」をいくぶんオブラートに包んで長可を煽った。
説得とは違う結果をもたらした長可だが、一切のおとがめ無しだった彼はさらにはじけた行動をとる。
次に行ったことは延暦寺が管轄する関所だ。当然ながら織田軍の通行を関所は認めない。普通ならさまざまな調略を取るか、主君へ対応を伺いに行くだろう。
だが、長可は違った。門番を皆殺しにした挙げ句、関所へ火を放った。門番の死体を野晒しにしたまま進軍し村を襲撃し、これまた惨殺と略奪の限りを尽くすという鬼畜ぶりを発揮した。
そして、信長の元へ戻ってきたとき、今度は狂気じみた台詞を信長に言い放つ。
「通れなかったので通れるようにしました」
「ご苦労」
関所での虐殺と放火、さらに村の襲撃をしても長可がとがめられることはなかった。
彼で鬱憤を晴らすが如く、信長は長可の行動を認め、煽るような言動をする始末だ。どちらも悪意がない分、とんでもなくたちが悪かった。
ある日、兵士たちを宿泊させる宿として延暦寺勢力の寺を見つけると、長可は相手の都合などお構いなしに寺の中に殴りこみをかけ、勝手に兵士たちを休憩させた。
そして、苦情を言いに来た僧たちに「飯を用意しろ」と言う始末だ。当然、僧たちは受け入れず拒否するが、それを聞いた長可は淡々と僧たちを皆殺しにする。
さらに寺へ火を放とうとするが、彼はふと思った。さすがに仏像を焼くのは問題ではないかと。
そこで、長可は足軽たちに仏像を運ばせて寺がよく見える位置に配置した後、何も問題なしと呟いてから寺に火を放った。
轟々と燃え盛る寺を見ながら、彼は足軽たちに向かって狂気の台詞を言い放つ。
「寺がよく見えて仏もさぞかし喜んでいるだろう」
なお彼はそれから五日後、自分が置いたということを忘れて、道端に野ざらし状態の仏像を破壊し、薪の材料にする鬼畜行為をした。
長可の狂気じみた行動は続く。ある日、延暦寺の斥候らしき僧兵を捕まえると、尋問という名の拷問をする。
それだけでも頭がおかしいと言われそうだが、彼は僧兵を磔にすると、生きたまま火あぶりの刑を行った。
「逃亡したため追跡しましたが、僧兵に焼身自殺をされてしまいました」
現場を見れば明らかに長可が焼き殺しを行ったと見えるのだが、やはり信長がとがめない。
ここまで来ると、もはや長可のやりたい放題を止められる家臣は一人もいなくなった。
こうして、逸話が出てくるたびに敵の誰かが犠牲になる上、自身の所業に対してまるで自責の念や後悔を覚えない長可に対して、いつしか織田家家臣は鬼も皆殺しにする勢いの彼を『鬼斬』と呼んだ。
敵のレッテル貼りではなく、名実ともに狂気の武辺者扱いを受けた長可だが、その程度で彼が考えを改めることはなく、ゲリラ戦術を自身なりに改造してあちこちで悪逆無道の限りを尽くす。
史実以上に頭の回転が良く、余計にたちが悪くなった長可は、戦国史上最凶最悪の非常識人の看板をほしいままに暴れた。
その後、比叡山や坂本で小火騒ぎを起こしたときは、さすがの信長も長可を呼び出した。
これで少しはおとなしくなる、そう思った家臣たちの期待は脆くも崩れ去る。
「長島が一向一揆を起こしておる。貴様に兵2000を預ける。小木江城へ行き、長島の一向一揆に備えよ」
「はっ、承知しました。長島の一向一揆衆は如何いたしましょう」
「徹底的にやれ」
単に長可の暴れ先が変わっただけであった。それでも、彼が移動するということで、家臣のほとんどが胸を撫で下ろしたことは言うまでもない。
過労で倒れた静子は一ヶ月近く自宅で療養生活を過ごしていた。
信長が大事をとって療養生活を強いたわけだが、やはりこの療養生活も反静子派が騒ぐ種になりかけた。
しかし、木下秀長が今度は反静子派の面々と会談を行い、彼らにこう言った。
「織田家のために自ら前線で戦った彼女を『家臣』ではなく、単なる『手駒』として扱う事は許されるべきではない。われわれはいい加減、彼女が立派な織田家『家臣』である事実を認めるべきではなかろうか」
自分で火種を作り、自分で消火する、いわゆるマッチポンプに近いことをした秀長だが、そのことを知らない反静子派は、彼の説得を受け入れ徐々に声を小さくする。
一か月もすれば声はなくなり、織田家家臣内で再び反静子派が盛り上がることはなくなった。彼らの行動に満足した秀長は、次に静子へ『干しアユ』という土産を贈った。
アユの旬は六月から八月、産卵前の落ちアユは九月から十月である。
近江商人連合とつながりを持った秀吉はアユの商品価値を高めるため、資源保護を名目に十一月から五月までアユの漁を禁じた。
同時にアユの一夜干しや干しアユ、アユの薫製など、保存性に優れた調理法を広めた。アユの禁漁時期を決め、保存性に優れた調理法を公布したことで、アユの価値は高まった。
特に干しアユは、干したことでうま味が凝縮し川魚独特の臭いが消えるので、今までアユを敬遠していた人間が好物だと語るほど人気商品になった。
秀長の行動に信長は目をつけ、醤油と出汁味噌の販売区域を拡大するため、干しアユやアユの一夜干しを使ったレシピを第6軍に広めるよう命じた。
地域に移り住んで『草』として生活している彼らは、干しアユの釜飯や干しアユの甘露煮などさまざまな料理を地域に広める。
料理方法が広まるたびに醤油や出汁味噌の使用地域が増え、それに対して商人たちがこぞって織田家から醤油や出汁味噌を仕入れるようになった。
京に住む料理人たちも最初は田舎の調味料と見下していたが、後に醤油の万能さを思い知ると手のひらを返して買いあさり始めた。
日ノ本三大調味料の一角まで上り詰めた醤油は、信長に莫大な富をもたらした。
その莫大な富をもたらした醤油の製造法を信長に伝授した静子は、またもや新しく、そして周りにとって怪しい調味料の開発を行っていた。
「うーん、いまいちかなぁ」
それは柚子胡椒である。胡椒という名前から柚子と胡椒を連想するが、実際は柚子の皮と青唐辛子が原料の調味料である。
九州や長野の一部では唐辛子を胡椒と呼ぶことがあり、また柚子胡椒の発祥地が九州と言われているため、柚子唐辛子ではなく柚子胡椒と呼ばれている。
古くから家庭の調味料として利用されている一方で、昭和25年(1950年)に商品として販売された記録が残っている。
しかし、柚子胡椒の発祥地は確定しておらず、複数の地域が発祥の地と推測されている。
柚子胡椒は柚子や唐辛子のビタミンAやB6、C、E、ナトリウムが豊富で、和風料理の薬味として用いられることが多い。
鶏肉の燻製や炭火焼きに柚子胡椒を加えることや、スナック菓子に風味として加えられることもある。辛味があるものの、静子は柚子胡椒を調味料の一つに加える気でいた。
「鶏の炭火焼、柚子胡椒味定食は流行らないかも」
「新しき料理の提供形態かい? 確かに別々に来るよりは良いが、忙しい人間向けだな」
慶次の言葉に静子は頬に手を当ててため息を吐く。
戦国時代、食事は皿を床に置いて食べることが多い。衛生面で問題になるので静子の家では、お膳に乗せることが決まりだ。
しかし、お膳は小さいのしかなく、いくつかお膳が分かれて出てくることが多い。必然的に彩への負担が増えるので、静子としては定食の形で提供できるお膳が必要となった。
箱膳も考えたが油を使う料理がある以上、箱膳の利点である洗わずにすむという事が出来なかった。
「(あっちを立てればこっちが立たず……か)ふーむ、まぁいろいろと考えるかぁ。時間はたっぷりあるし」
「療養で外出がままならないからか?」
「蟄居している気分だよ。もう元気なのに『わしが確認するまで門から出るな』だよ。行動範囲が狭すぎて困るよ」
門扉、窓を閉ざし、その上で自宅の一室に謹慎させる刑罰を蟄居と言う。
中世から近世にかけて、公家や武家に対して課せられることが多かった。
静子は蟄居を言い渡されたわけではないが、それに近い内容である。彼女が自由になるには信長が許可を出す必要があるが、彼は今比叡山を囲い込み中である。
つまり、静子が自由になるのは、当分先のことが確定している。
「静子様。和泉守と孫六から荷物が届きました」
「お、ちょうど良いところに暇つぶしの道具がきた。こっちに持ってきて」
「才蔵様にご協力願い、既に箱をこちらへ運んでおります」
言葉と共に襖が開けられ、そこから才蔵が大きな木箱を二つ抱えて入ってきた。静子の前に木箱を置くと彼は恭しく礼をして、彼女のそばに控える。
「まさか半年でできるとはね。さすがは美濃を代表する刀工たちだ」
木箱に入っていたのは大小さまざま、太さもいろいろある鉈だ。
静子の黒鍬衆500名の装備は多目的軍用シャベル、剣鉈のマタギ刀、手斧である。
静子が最も開発を進めているのは多目的軍用シャベルではあるが、剣鉈と腰鉈も重要な道具だと考えている。
だが、この手のものは、実際に使って初めて不満が出てくる。それを知るために、刀工たちに鉈の製造を依頼した。
鉈と言っても日本刀を製造する技術が応用されているので、肉厚感のある鉈は見た目が凶悪だ。
「それから静子様。勝蔵様が比叡山を離れ、小木江城の防衛任務にあたるとのことです。途中、この場所に寄ると早馬から報告がございました」
「お、ちょうど良いね。なら、この鉈を勝蔵君に運んでもらおうかな」
小木江城にいる黒鍬衆500名は、城および周辺を要塞化するために全員が工事にかかりっきりだ。
誰に取りにこさせるのかを考えていた静子だが、長可が小木江城へ向かうなら彼に渡した方が確実だと考えた。
数日後、村に到着した長可に木箱を渡したところ、彼は『1本欲しい』と静子に申し出た。
用途が思いつかなかった静子だが、特に気にせず長可に長めの腰鉈を譲った。
刃渡り300ミリ、背部厚約6ミリの腰鉈は見た目の迫力が凄く、長可は一目ぼれした。
長可の鉈に『脳天かち割り鉈』という逸話がついたのは、それからすぐのことだった。




