怒りの武神 本多平八郎忠勝
観音寺城の戦いは箕作城戦が主戦場として取り上げられがちであるが、その裏に隠れて和田山城と観音寺城でも激戦が繰り広げられていた。
二つの内の一つ、和田山城には稲葉良通が率いる第一隊に混じって徳川軍の姿があった。
織田軍に比べて徳川軍は千人と数が少なく、もはや織田軍の一部にしか見えない。
だがその中でひときわ目立つ存在がいた。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!! 退け! 退けぇ!!」
徳川軍きっての武将、本多平八郎忠勝。
後の世に徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる彼も、この時はまだ二十歳前後の若輩の将だ。
しかし一九歳で旗本先手役に抜擢され、与力五十騎を任される程の実力を示し頭角を現していた。
その彼は蜻蛉切りを片手に、片端から六角兵を斬り伏せていた。彼が蜻蛉切りを振るう度に、六角兵の血肉が飛び交う。
「命を惜しまぬのなら某の前に立ちはだかってみせよ!」
雑兵四十名が忠勝に一斉に襲いかかるも、忠勝の気炎一つで彼らの足は止まる。
生命体としての本能が忠勝を眼前に迫る死と認識し背中に氷柱を突きこまれたかのように体中がこわばる。最早逃げようにも足が思うように動かない。
蛇に睨まれた蛙状態の雑兵に、忠勝は蜻蛉切りを振り回しながら突撃する。
槍の一振りで三人の雑兵が斜めにズレた。一瞬の間を置いて血がしぶき臓物が零れ落ちる。余りの切れ味に死にきれなかった雑兵の身の毛をよだつ断末魔の悲鳴が辺り一面に轟く。その酸鼻極まる地獄絵図に生き残りの雑兵は勿論、味方の兵すら戦慄を覚える。瞬く間に半数以上が斬り伏せられた。
「某の名は本多平八郎!! 我こそはと思わん者は掛かって参れ!」
彼の声に反応して馬に跨っている一人の武将が前に飛び出してくる。
「たった一騎、恐るるに足らず! 某の名は――」
「邪魔だッ!?」
槍を手に名乗る武将だったが、一度も刃を交える事なく忠勝に斬り捨てられる。
六角軍の間ではそれなりに名の通った武将だったのか、彼が騎馬の首ごと一刀両断されてから六角兵の士気は下がり、恐怖が前線から戦場全体へと伝播していく。
皆、忠勝を見るだけで蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。中には武器を放り出し失禁しながら逃げている兵士もいた。
「逃げるなぁ!! 六角兵は腰抜けか!? 某は此処だ! 手柄を立ててみせよ!」
槍を振り回しながら吠えた時、飛んできた矢を弾き飛ばした。
運命の悪戯か狙った訳ではなかったが六角兵には眼前に迫る矢を切り落とす人外の化生に写った。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!! ば、化け物だー!」
六角兵の戦意は挫け、最早隊伍を組まぬ烏合の衆と成り果てた。忠勝という鬼神の如き猛将の手によって。
「……何で平八郎は、あれだけ猛り狂っておるのだ?」
少し遠巻きに眺めていた康政へ、正重が怪訝そうに尋ねる。
康政は大きくため息を吐いた後、彼に向かってこう言った。
「例の女が作った握り飯を腰に下げていたらしいが……それを六角兵に台無しにされたそうだ」