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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
永禄十年 天下布武
32/246

千五百六十七年 四月上旬

気まずい沈黙がその場を支配していた。彩はいつもと変わらぬ、いや若干ジト目になっている。

静子は沈黙に耐え切れずに切り出した。


「い、いつからそこに?」


「『この問題を忘れていた』、という所からです」


「思いっきり最初の方じゃない!? 何で、声をかけてくれなかったの!」


「何やら真剣にお考えの様子でしたから、声をかけるのも憚られましたので、終わるまで控えておりました」


「いや、その配慮はいらないからね? 次からは遠慮なく声をかけていいよ!?」


頭を抱えながらそう叫ぶ静子だが、彩は変わらず冷静な表情で恭しく頭を下げていた。


「茶丸様がお見えです。焼き討ちと仰る暇がおありでしたら、お相手をお願い致します」


言外に馬鹿な事を叫んでいないで仕事をして欲しいと匂わせる慇懃無礼な態度を露骨に示しつつ、彩は来た道を戻るために踵を返した。


「……うん、分かった」


結局、何を言っても冷静に返されるから、かえって静子の方がダメージが大きくなる。

そう理解した彼女は、ちょっとうなだれながら彩の後をついていく。


「おう、静子か。ケホ……待ちわびたぞ」


家に戻ると勝手知ったる他人の家状態の奇妙丸が、部屋でゴロゴロしていた。

お茶やお茶うけがある所を見るに、彩が出したのだろう。


「あーごめんね、畑見てたから……顔色悪いけど大丈夫?」


部屋でゴロゴロしている奇妙丸が、静子の目にはどこか熱っぽい感じに見えた。

風邪でも引いたのかなと彼女が尋ねる前に、奇妙丸の方が答えを口にする。


「うむ。ちょっと咳病を患ってしまった。ゴホッ……まぁその内治るだろう」


「そう? 無茶しちゃ駄目よ。しばらくは暖かくして寝なさい」


「分かっておる」


若干心配しながらも静子は奇妙丸に付き合う。

結局いつも通りに滞在していた奇妙丸は、いつも通りに家路についた。

ただ一ついつもと違っていたのは、それまで毎日のように静子宅に日参していた奇妙丸だが、その日を境にぱったりと訪問が途絶えた。







奇妙丸の訪問が絶えて一週間。

最初の数日は心配していた静子も、日々の作業に忙殺されて意識からすっかり抜け落ちてしまった。

奇妙丸の音沙汰が絶えて更に一週間ほど経った頃、静子の家にある人が尋ねてきた。


「静子殿はいらっしゃいますか」


それは身なりの整った五〇代前後の老人だった。だが静子はその人物を知らない。

そもそも話を持ってくるのは基本的に森可成か丹羽長秀本人か、彼らが出した早馬のどちらかだ。

教育者の雰囲気を醸し出している老人とは一度も顔を合わせた事がない。

一体誰だろうと静子が首を傾げると、その老人は小さく頭を下げながらこう言った。


「私は織田家家中の一人で、奇妙丸様の教育係を務めさせて頂いております」


「は、はぁ……(奇妙丸って確か織田信忠の幼名だったような……)。そのような方が私にどういったご用でしょうか」


静子は奇妙丸と茶丸が同一人物だという事を知らない。

故に、奇妙丸の教育係が自分を訪ねてくるのか皆目見当がつかなかった。


「奇妙丸様が罹った咳病は悪化の一途を辿り、すっかり臥せってしまっておいでです。すっかり気が弱くなられたのか、近頃では最期に一目静子殿に言い残したいことがあると仰る始末」


「は、はぁ……」


「卒爾ながら、今からご足労願えませぬか?」


もとより否やなどあろうはずのない静子だが、それでも奇妙丸の教育係はひたすら平身低頭し請い願った。

彼にとって奇妙丸はとても大切な存在なのだろう。それだけ分かれば静子にとっては十分だった。


「頭をお上げ下さい。元より私は断るつもりはありません。お急ぎのようですし、今すぐ出立しましょう」


「かたじけない。それでは参りましょう」


その後、彩に留守を頼んだ静子は素早く準備を済ませて家を出た。

静子宅まで馬で駆け付けた教育係だったが、目的地までの道のりは静子の歩調に合わせるため下馬し、状況を説明しながらも道を急いだ。


奇妙丸の屋敷につくとすぐに馬丁が馬を引き取り、すぐさま奇妙丸の寝所へと向かう。

その後ろを慌ててついていく静子は、奇妙丸の家に到着した頃から奇妙な違和感を感じていた。


(なーんか……どっかで見たような……?)


初めて見たはずなのに初めてではない、そんな既視感を彼女はずっと感じていた。

まもなく、彼女は違和感を感じる理由を知る。


「奇妙丸様、静子様をお連れしました」


「ゲホゲホッ……うむ、通せ」


その言葉と共に襖が静かに開けられる。


「よく来てくれた、静子」


襖の向こうから声をかけた人物は、やつれてはいたが間違いなく静子の知る茶丸その人だった。

どういう事なのか分からず困惑している静子へ、奇妙丸は無理やり小さく笑みを浮かべながらこう言った。


「騙して悪かったな。俺の本当の名前は奇妙丸……だ」


未だ事態が飲み込めない静子は、教育係の老人に促されるまま部屋へと入る。

彼女が奇妙丸の枕元に座ると同時に、奇妙丸は無理に起き上がろうとした。

だが咳病で体力を失ったのか、体をもぞもぞと動かす程度しか出来なかった。


「茶丸君が……奇妙丸様? お館様の嫡男の……?」


「流石静子だな。その通りだ……ゲホッ! 悪かったな、嘘の名を名乗っていて」


「ううん、いいよそんな事」


権力者やその後継者が暗殺などを回避するため、わざと大事そうに見えない名前をつけたり、幾つもの偽名を使い分けるのは当たり前の話だ。

戦国時代、有名な国人やその子供たちの幼名が適当に見えるのも、大事な名前をつければ短命になるとの考えからだ。

また、他国と同盟関係を結ぶ時の人質として子を差し出す時、情が湧いてしまうのを防ぐ意味もあった。


「見ての通り、病に冒されておる。お主の言う通り、暖かくして過ごしておるが一向に治る気配がない」


「……」


「悔しいのぅ……病如きにこうもいいようにされるとは」


乾いた笑いをしながら奇妙丸はそう呟く。

いつもの自信に満ち溢れた奇妙丸の顔ではなかった。全てを諦めたような、絶望に満ちた顔だった。

静子は言葉を口に出来ない。沢山の情報が頭の中を駆け巡り、奇妙丸への返答が疎かになっていた。


「父上の後を継ぎ、立派な天下人になる夢が――――」


「ちぇいさー」


ポツポツと語る奇妙丸の頭に、ようやく頭の理解が追いついた静子が奇妙な掛け声と共に手刀を振り下ろした。

小気味良い音が炸裂する。後ろで見ていた教育係の老人が、息をのむ音が聞こえた。

痛む頭を押さえつつ奇妙丸が言葉を口にしようとしたが、それより先に静子が口を開いた。


「黙って聞いてれば人生もう終わりみたいな事ばかり言って。いつから茶丸君はそんなに諦めが良くなったの?」


「し、しかしだな。ゲホッゲホッ……頭はくらくらするし、喉は痛むし、咳が止まらぬ。もう半月もこの有様だ」


確かに静子でも風邪が二週間も続けば気が滅入る。しかし奇妙丸と静子では、一つだけ決定的な違いがある。

的確な治療方法を『知っている』か、それとも『知らない』かだ。

そして静子は治療方法を知っている。それも頭の中の他に、もう一つ現代より持ち込み日の目を見ないままホコリを被っている物が。


(まさか保健体育の副教材として買わされたあれ・・を利用する時がこようとはね)


現代ならそんなものに頼るより病院に行くほうが早いし確実だ。

今までは単なる重石程度の扱いで、静子は特別重要なものとは思っていなかった。

しかし奇妙丸の様子を見て、やはり四〇〇年という膨大な時間はあらゆる分野を成長させている事を実感した。


「いい、茶丸君。病は気から、だよ。苦しいかもしれないけど、今は弱気でいる時ではないわ。むしろ何だこの野郎、というぐらいの気概を持っていて欲しい」


「む、無茶を言う。薬師が煎じた薬湯すら効果が……ゲホッゲホッ、なかったんだぞ。これ以上どうしろと」


「そんな怪しげな薬なんて捨ててきなさい。とにかく、私には秘密兵器があるの。今から家に取りに帰るから、それまでは大人しく安静にしていなさい」


人差し指で奇妙丸のおでこをグリグリしながら静子はそう言う。

後ろで控えている教育係の老人は、そろそろ泡を吹いて倒れそうな雰囲気だが、静子はそちらへは気を払わない。


「お、俺の病は治る……のか?」


何かに期待するような、縋るような感じで問いかける奇妙丸へ、彼女は極めて明るい表情でこう言った。


「この静子お姉さんに任せなさい!」







馬を借りて自宅に戻った静子は、家の中に入るやいなや事情も説明せず彩に命を飛ばす。

基本徒歩の彼女が馬に乗れるのは乗馬などが趣味だった訳ではなく、単に丹羽から教わったからだ。

最悪の事態を想定し、丹羽は緊急移動手段として静子に馬の乗り方を教えた訳だが、そんな裏事情など知らない彼女は言われるがまま乗馬を教わった。


「大根、蜂蜜、長ネギ、生姜はこの前仕入れたよね。後、炭も幾つか用意して。準備が終わったら、それらをこの鞄に詰めて」


普段よりよく持ち歩いてる革のリュックサックを投げるように彩へ渡すと、彼女の返事も待たず静子は自分の部屋へ向かう。

中へ入るとアーデルハイト、リッター、ルッツの三匹が仲良く丸まっていた。

襖を勢い良く開けた時の音に驚いたのか、彼らはびっくりしながら静子の方へ顔を向ける。

そこにいるのが静子とわかると、三匹は尻尾をふりながら彼女へ近づく。三匹を均等に撫でた後、静子は部屋の一角にあるものの前まで歩く。


(……さて……と)


それは彩が中を見たがっていた厳重に封がされた木箱。

中に入っているのは、静子が戦国時代にタイムスリップする時に持ち込んだものだ。

その中には現代科学品の他に、未だ信長にも秘密にしているものが入っている。


厳重な封を解くと、静子はゆっくりと木箱の蓋をあける。

やはり最初に目につくのは『古代から現代までの兵器一覧』という本だ。本と言って皆が思い浮かべる程度のものではなく、勢いよく角を叩き付ければ人を殺めることも可能とするほどの厚みを持つ、百科事典さながらの様相を呈していた。

だがそれに負けじと分厚いものがある。全体的に赤で統一された本、保健体育に似つかわしくない家庭向けの医学本だ。

内容は多岐に渡り、特別な専門知識が必要とされる病気・怪我以外の症状と応急手当の方法、その病気や怪我に関する基礎知識が記載されている。

更に世間で関心が高いテーマや、病気や怪我のセルフチェックシート、果ては体温計などの簡素な医療道具が何点かついているという、もはやどこに向けて編集されたものか不明である。

言うまでもなく静子が通っていた学校の生徒たちは、利権関係によって強制的に購入させられたものと考えていた。


分厚い上に重い、そもそもこんな本に頼らず大人しく病院に行け、という理由で生徒たちの大半はぞんざいに扱っていた。

それ以外にも理由がある。静子が生きていた現代は電子書籍が広く普及しているため、紙の本が極端なまでに少ないのだ。

印刷技術、及び製本に関する技術が失われないように、学校の教材や特別な書籍のみが紙の本になっている。

それ以外の新聞、広告などのチラシ、漫画、小説、雑誌、実用や文芸、写真集など民間企業が出版するものはほぼ全て電子書籍だ。

静子も電子書籍には慣れ親しんでおり、手持ちのスマートフォンに沢山の本が入っている。

だが気になるものを見つけるやいなやワンクリックで購入する静子と、姉の響子が静子の端末で電子書籍を購入するので、彼女のスマートフォンには何がどれだけ入っているか静子自身も把握していない。


(あー……購入はもう出来ないから、今のうちに目録を作っておくかな)


そんな事を考えながら真っ赤な本をバッグに入れて木箱を片付けようとした時、彼女の目にスマートフォンが入ってきた。

無意識にそれを手に取ると、意味もなくポチポチと画面を弄って、特に目的もなく中に入っているデータを閲覧する。

現代っ子によくある携帯チェック癖は、流石の静子でも二年程度では抜けないようだ。

そうやってローカルに保存している記事をペラペラと見る。本来ならこのまま適当に見た後、何となく満足してスマートフォンをしまう予定だった。

だがあるニュースサイトの記事が目に入った時、静子の指はピタリと止まった。


「……」


それは現代の日常にありふれているモノについての記事だった。

都市の復興には必ず絡んでくる『ソレ』は、実は様々な積み重ねで出来た奇跡の材料だ。

そして低コストで作れるエコなものだ、と記事には書かれていた。

だが静子が気にしているのはそこではない。『ソレ』を作るための材料だ。

『ソレ』を作るための材料リストを見て静子は思わずほくそ笑む。


「まさか、こんな良い記事があったとはね。くふっ、これは是非とも活用しないと駄目だね」


記事をもう一度読み直した後、静子はスマートフォンの電源をオフにして木箱の奥に仕舞う。

そして木箱の蓋を閉じ、再び厳重な封をして元の位置に戻す。

そのまま奇妙丸の屋敷へ向かう予定だったが、その前に静子はやる事が一つあった。

時間が惜しいので炭で必要な事を紙に書き、四つ折りにするとバッグを担いで部屋を後にする。


玄関に到着すると既に準備を終えた彩が待機していた。

頼んでいた荷物を彼女から受け取ると、静子は先ほど書いた四つ折りの紙を彼女に差し出す。


「この材料を揃えておいてー。出来れば沢山用意してくれるとありがたいよ」


「畏まりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」


「ははっ、ちょっと風邪引きさんを治してくるね。明日の朝には一度戻ってくるよ」


彩があまり気負いしないように、極めて気楽な態度で静子は家を後にした。

案の定、静子の抜けた感じに彩は小さく息を吐く。だがその顔には僅かに笑みを浮かべていた。

困ったものだ、と言いたげな笑顔で静子を見送った後、彩は手渡された紙を開く。


「……漆喰でも作る気ですか?」


書かれている内容を見て、彩は無意識の内にそう呟いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] もしかしなくても静子のやってきた元の世界は我々の時代より結構先?
[一言] スマホは手廻し充電機があると、最初の方にありましたよ。 読み込んでから批判しよう。
[一言] 二年間スマホ充電なしにまだ使えるのは流石に無理あって草
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