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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正六年 織田政権

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245/246

千五百七十九年 十一月中旬

『中国大返し』

それは史実に於いて毛利氏との交戦中であった羽柴秀吉が、主君である信長の訃報を知ってから行った戦国時代屈指の大行軍である。

情報を得てから僅か10日という短期間に、総勢2万人にも及ぶ大軍を引き連れ直線にして220キロメートルもの距離を踏破せしめたのだ。

現代人の感覚で言えば10日も掛けてたった220キロメートルと思うかも知れないが、平均50キログラムもの装備を背負った兵士が徒歩で移動した距離だと考えると想像を絶することが判るだろう。

実際には毛利方との和睦や行軍準備等の期間があり、実質5日で220キロメートルを踏破した上に翌日には京の山崎にて合戦を行っているのだ。

これ程の軍事行動を実現できたのには様々な理由が存在するが、大きくは信長の出陣を依頼していたための事前準備が大きかったと言われている。

毛利との決着が視野に入っていた秀吉は、決着を前に主君たる信長の出陣を要請し、信長が快適に過ごせるよう行軍経路上の各拠点に充分な物資を用意させていた。

これを逆に辿ることによって大軍を補給させながら移動することが出来たと言われている。



秀吉が()う這うの(てい)で京へと辿り着いた一報は、すぐさま信長の許へと届けられた。

当初は道中に不測の事態が発生し、遭難をしていたのかと考えたのだが詳細が知らされると信長は堪らず破顔してしまった。

秀吉は毛利との和睦を成し遂げると、即座に京へと引き返す算段について軍師である両兵衛(竹中半兵衛と黒田官兵衛の二人を指す呼称)に模索させる。

しかし毛利との講和に時間を掛けてしまった秀吉は初手から出遅れてしまっており、挽回不能な致命的な状況に陥っていた。

この状況下で最も早く京へと辿り着くには瀬戸内海を船で移動し、堺港から陸路で京へと向かうのが鉄板のルートである。

しかし港湾及び海運の運行を静子及びその薫陶を受けた組織が担ったことが秀吉の不幸の始まりだった。

彼らは公正かつ秩序だった運営を厳密に守っており、西国征伐の功労者が凱旋(がいせん)するといっても一切の忖度(そんたく)などしてくれなかった。

既に撤退を始めていた明智軍や、折悪く土佐から戻る足満が多くの船便を押さえてしまったため、秀吉が利用できる船便は最も早くて二週間後という有様となってしまった。

ここにきて西国征伐で大きく水を開けたはずの光秀に対して後塵を拝することが秀吉には我慢ならず、彼は両兵衛と頭を突き合わせて無謀な挑戦を試みることとなる。

それは西国征伐にて開通した中国山地越えルートを通って日本海側へと移動し、船便にて京の舞鶴港まで達した後に陸路で京を目指すというものだ。

明らかに遠回りな上に、充分な安全すら確保されないという博打に打って出ることになった。

まず両兵衛は折よくその経路を移動中であった福島正則に早馬を派遣した。そして彼に経路上の各拠点での補給が可能となるよう準備を依頼する。

福島は西国征伐に於いて静子軍より貸与されていた各装備を返却すべく、秀吉と同じ事情で混雑していた瀬戸内海を避けて日本海ルートを選択していた。

山越えを果たして大休止を取っていた処へ秀吉からの早馬が着き、状況を把握した福島は己が主君をいち早く京へと送り届ける為に奮闘を始める。


手始めに福島は自軍の行軍を即座に中止し、その準備した物資や移動計画の全てを秀吉に明け渡すことを決断する。

次に静子に対して当初の予定より返却が大きく遅れることを伝えるため、使者を派遣して電信のある山陽側へと再び山越えルートを駆けさせた。

こうして稼ぎだした猶予を元に、先遣隊として合流してきた秀吉の両兵衛と協議を重ね、後に『中国大返し』と呼ばれる無茶な計画が走り出す。

当の秀吉は自身の頭脳たる両兵衛を自身に先んじて出発させたため、計画の詳細が掴めぬまま不安を抱えながら安芸(あき)国を出陣した。

最低限の手勢のみを率いた秀吉は、山越えルートの出口である川根村で歓待を受け、福島が構築した陣にて補給を受けて山越えを開始する。

既に何度か大軍が移動したため山越えルートは充分に整備されており、秀吉出陣から二日経過した頃に一行は中国山地を駆け抜けることが出来た。

こうして補給を受け、両兵衛と合流して行軍計画の詳細を知らされた秀吉は、自身の予定を遅らせてでも秀吉の都合を優先してくれた福島に礼を伝える。


「市松(福島の幼名、秀吉はいとこでもあった彼をこう呼んでいた)、此度(こたび)の貴様の献身には我が全霊を以て報いようぞ!」


「水くさいことを申されますな、わしと筑前はん(秀吉のこと)の仲やないですか! あのすかした明智殿に目にもの見せてやりましょう」


つい数年前に初陣を終えたばかりの若武者からの激励に秀吉は感無量となり、溢れそうになる涙をこらえて光秀よりも先に京へと着くことを心に誓った。

ここからは両兵衛が面目躍如とばかりに辣腕(らつわん)を発揮し、先遣隊を派遣しながら行く先々に補給物資を準備させて駆け抜ける強行軍となる。

日本海では悪天候による高波で船酔いに苦しめられ、何とか落伍者を出さずに舞鶴港へと辿り着いたは良いものの、陸路で一路京へと向かう途中に更なる災難が降りかかった。

それは各地より要人が京を訪れるため、静子軍の手により周辺一帯のならず者共が追い払われた結果、山賊に身を(やつ)した彼らと秀吉一行がかち合ってしまったのだ。

慣れない船旅による重度の船酔いと、無茶な行軍による疲労が重なった秀吉たち一行は精彩を欠いており、数だけは多い山賊相手に苦戦を強いられてしまう。

それでも正規に訓練を受けた軍隊と寄せ集めの山賊とでは装備も練度も違い過ぎたため、時間経過と共に勝敗が明らかになってゆき山賊たちは算を乱して逃げ出すに至った。

秀吉たちにはこれを追う余力等無いため、一戦を終えて泥まみれ汗まみれとなったままで京へと辿り着くことになってしまったのだった。



これを知らされた信長が破顔したのは秀吉の臨機応変さと、またそれを現実に成し得てしまう実行力の高さを評価したためである。

全行程では倍以上となる遠回りを余儀なくされておきながら、僅差とは言え明智光秀に先んじて京へと辿り着いたことを信長はこう評した。


「この西国征伐に於いて毛利を下したことよりも、こちらの方が面白い」


静子の京屋敷にてお茶と茶菓子を片手に報告書を読んでいた信長が独白する。

信長の相手をしながら新たな茶請けの手配を命じていた静子は、京へと辿り着いた直後に診療所へと担ぎ込まれた秀吉一行の容体の方が気にかかった。

極度の疲労と睡眠不足に脱水症状が加わり、一時はかなり危険な状態になっていたのだが懸命な治療の甲斐あって回復の兆しを見せているようだ。


「毎日十里(約40キロメートル)以上の大移動ですからね。少人数とはいえ、これだけの無茶を10日間も繰り返せば衰弱するのも無理はないでしょう」


秀吉一行は今回の元服式に向けて増築された診療所で治療を受けており、疲労回復と栄養補給を中心に処置を受けているとのことだった。

哀しいかな秀吉たちが倒れたことにより当初目星をつけていた宿は既に満員御礼となってしまったのだが、怪我の功名か診療所に担ぎ込まれたことで宿泊の心配をする必要が無くなったのは皮肉と言えよう。

結局は遅れて到着してきた両兵衛が付近の寺に掛け合って宿坊を借りるよう手配したため、容体が落ち着けば秀吉たちもそちらに移る予定となっている。


「ふふっ、息子の元服式よりも派手に話題を攫われたがどうじゃ?」


「どうじゃと言われても、羽柴様とてこのような不名誉な騒がれ方は不本意でしょう。それに四六は今、緊張でそれどころじゃないでしょう」


「なんじゃ、つまらぬのう。少しは()いてみせてもバチは当たらぬじゃろう?」


「若人の巣立ちなのですから、余計な問題が起こらないにこしたことはありません」


そう口にしながらも静子は信長が本気でハプニングを期待しているとは思っていない。

何故なら四六の元服式が予定通り終わって欲しいという気持ちは、静子よりも信長の方が強いからである。

元より自分の血を引いた四六が、腹心である静子の後継者となり彼女の基盤を受け継ぐからだ。

ともすれば信長が己の血族を用いて、静子の家や財産の全てを乗っ取ったようにも受け取られる所業である。

幸いにして何処からもそのような話は出ていないが、口さがない者はいつの世にもいるため油断出来ないのだ。


「のう静子。わしはそろそろ隠居するゆえ、代わりに天下人になってみぬか?」


他人が耳にすれば大事件ともなり得る台詞を信長が口にする。それを聞いた静子は思い切り渋面を作った。

この反応こそ静子に信を置ける理由だと信長はほくそ笑む。

誰もが喉から手が出る程に欲しがる権力を前に嫌そうな表情を浮かべられるのは、日ノ本広しといえども静子ぐらいであろうと彼は考える。


「お断りいたします。私を傀儡(かいらい)にしたてて院政を敷くおつもりなら、もっと別の人を神輿(みこし)に据えて下さい」


「少しは考える素振りぐらいしてくれても良いではないか」


無論、信長とて本気でそのような提言をしているはずもなく、彼はおどけた仕草で肩を(すく)めて見せた。

静子もそれを重々承知しているからこそ、露骨に拒絶をして見せたのだ。


「私が天下人に向いていないのはご存じでしょう? そもそも私の目標は、上様が天下人になるのを支えて誰もが当たり前に明日を享受できる世を目指すことです。自分で新たないくさの火種を作ってどうするんですか」


「地位や権力を手にすれば多少は野心も芽生えるかと思うたが、貴様は本当に変わらぬな」


「私の手で囲える範囲が広がるから地位を求めたのです。今の地位で充分日ノ本中に手が届くのですから、これ以上の地位は必要ありません」


「そうか。じゃが朝廷は貴様を従二位(じゅにい)に叙するつもりのようだぞ。何としても貴様の影響力を抱え込みたいようじゃな。わっはっは!」


呵々(かか)と大笑して見せる信長だが、静子はまるで笑えなかった。

信長の位階は正三位であり、臣下である静子により高い位階を授けて仲違いを起こさせようと言う意図が透けて見える。

しかしこれで仲違いが起きるのなら、信長と静子のどちらもが正三位の時に既に起きているだろう。

それが起こっていない時点で、両者とも位階にそれほど執着をしておらず、政治的に利用できる肩書程度の認識に過ぎない。

もはや信長にとって官位は公家及び公家よりの人々に対して箔が付く道具でしかなかった。


「お断り下さい。朝廷が復権するための道具となるために彼らを支援していたのではありませんから」


「くれるというなら断る必要もあるまい? その上で気に入らねば話を突っぱねれば良い。奴らが今更どれ程騒ごうが、権威だけで世は動かぬ」


信長の言葉通り、仮に静子を取りこめたとしても朝廷が再び返り咲くことはあり得ない。何故なら彼らは暴力の使い方を心得ていないからだ。

どれだけ強大な武力を持とうとも、それを効果的に運用できないのであれば無用の長物でしかない。

永く荒事から遠ざかっていた朝廷には、軍事力を正しく扱える人間などいるはずもなく、そのような状態では碌な結果にならないのは明白だ。


「何より私の兵や武具が何処に保管され、また何処に生産拠点があるか等を上様は把握されているでしょう? 仮に私が裏切ったとしても、すぐさま拠点の制圧に動かれるでしょう」


静子は信長に対して常に兵力の報告を(つぶさ)に行っていた。

それは一般には伏せられている静子の隠し生産拠点をも含めて全て網羅されており、静子軍の傭兵部隊が日ノ本中に散っている様子までもが記されている。

故に静子に万が一のことがあったり、静子が乱心したりした際には信長が即座に各拠点を制圧できる手筈が整えられていた。

つまり何らかの理由によって静子が朝廷側に立たされたとしても、静子は即座に全拠点を制圧されてしまい手も足も出なくなるのだ。

静子は信長に対して常に己の首を差し出しているに等しい覚悟を示し続けている。


「一度そういう姿を見せれば諦めますかね?」


「諦めぬだろう、あ奴らは現実を見て居らぬ。ならばこそ『自分ならばもっと上手くやれる』と根拠のない自信を持ち出すに決まっておる」


「でしょうね。何事も外野からすれば容易く見えてしまうものですから…… 下らないことを考えられる程暇になったんですかね? まさに『小人閑居して不善を成す』と言ったところでしょう」


「ならば余計なことを考える暇がないよう、働かせてやるとするか」


信長は人の悪い表情を浮かべて何かを企んでいるようだ。彼は冗談めかして語ってはいるが、静子には信長がまだ朝廷の力を削ぐときではないと判断していると察した。

まだ利用価値があるため、当面は様子見が続くのだろう。


「それよりも貴様が持ち込んでいる『がとりんぐ』とやらが気に掛かる。アレは足満が以前申していた機関銃とは違うのか?」


「機関銃とは異なる武器になりますね。機関銃は一度引き金を引いたら、弾が発射され続ける銃を指しますので」


そう言いながら静子は信長が興味を持つだろうと事前に準備をしていた模型を運び込むよう小姓に命じた。

暫くして二人の前に運び込まれたのは銃身が二本のみに簡略化され、またドラム側面を覆う金属板が取り払われたガトリングガンの模型であった。

模型とは言いながらも実物と同じ寸法で作られた巨大さであるため、信長も興味津々で模型を眺めている。


「これはガトリングガンと呼ばれる連発式の銃になります。御覧のように複数の銃身をそなえ、このハンドルを回すことによって稼働します」


「ほうほう! 貴様の部隊が近頃配備しておる新式銃が五連射出来るそうじゃが、これは如何ほど撃てるのじゃ?」


「理論上は弾薬の続く限り無限に撃ち続けることが可能です」


「無限じゃと!」


信長の目が驚愕に見開かれる。信長にとって五連発ですら革新的であったのに、無限に射撃できるなどということは受け入れ難い。


「あくまで理論上の話です。現実的には二百発程度で弾倉を交換する必要があります」


静子はそう言うと、模型の隣に置かれている弾薬箱から銃弾が帯状に連なった弾帯を引き出し、銃本体の挿入口に差し込むとハンドルを回した。

ドラム側面がむき出しになっているため、一見して一本に見えていた銃身が途中で遊底(ボルト)と銃身の二つに分割されていることが判る。

ハンドルが回るのにつれてボルトに弾薬が装填され、ボルト後端上部に設けられた三角形の突起部分がドラム側面を後部から前部に向けて斜めに走るガイドレールに噛み込み、レールに沿ってボルト全体が前へと押し出されていく。

初期位置から150度ほど回転した時点で弾薬が装填されたボルト自体が銃身へと押し込まれラチェット機構によってロックされた。

次にボルト後端に備え付けられたファイアリングピンと呼ばれる装置のピンが後ろへと引き延ばされ、回転が初期位置から丁度180度つまりドラムの真下にきた時点でピンのロックが外れる。

ピンはバネの復元力によってボルトへと引き戻され、ボルトの後端を激しく叩いた。

これによって激発された銃弾が発射され、次はエクストラクターと呼ばれる排莢装置がラチェット機構のロックを解除し、押し込まれたボルトを後ろへと引き戻しながら残された薬莢を外部へと排出する。

この一連の動作が何度も繰り返されることによってガトリングガンは連射を実現しているのだ。

一見するとグルグルと回転する銃身全部から弾丸が発射されるように見えるが、実は銃弾を発射するのは最下端にある1本だけであり、銃弾を発射するタイミングすら厳密には決めることが出来ない武器なのだ。

当然ながら模型であるため実包が装填されておらず銃弾は発射されないまま外部へと排出されるのだが、信長は一連の流れを食い入るようにして見つめていた。


「実際に配備しているガトリングガンには銃身が十本束ねられていますが、やはり銃弾を発射するのは最下端の一本のみです」


「これは非常に洗練された絡繰りじゃ! わしがかつて火縄銃を素早く射撃するために、銃弾の装填と射撃、銃身の清掃と各作業を別人に分担させようと考えていたことが絡繰りに代替されておる!」


そう、これは史実に於いて信長が行った長篠の戦いで行われたとされる『三段撃ち』に酷似しているのだ。


「上様落ち着いて下さい。このガトリングガンは優秀ですが欠点もございます」


「わしは落ち着いておる! して、欠点とは何じゃ?」


信長は静子が差し出した茶をひったくるように受け取ると、一気に呷って飲み干すと問いを放つ。


「まず単純に重すぎます。銃弾を除いた本体だけでも銃身が十本あるだけで重量も当然十倍になり、他の機構部品を考えれば新式銃の十三倍程度に達する重量があります」


「だから大砲のように固定式の兵器になっておるのか……」


「次に銃弾を湯水のごとく消費します。およそ1分で200発を撃ち切る設計になっております」


「これ1台が1分に200発も銃弾を撃ち出すというのか!?」


「はい。代わりに正面の制圧能力は新式銃の比ではありません。二人の兵が運用する想定ではありますが、二人で百人の兵を倒せる兵器となっています」


静子の言葉に信長は絶句すると、次々と銃弾を吐きだすガトリングガンによって突撃してくる騎馬武者の群れがなぎ倒される姿を幻視していた。

鉄砲の伝来によっていくさの形が変わったと思っていたが、この兵器の登場によって数の優位性すら覆す転換点が訪れるのだと信長は戦慄するほかなかった。







信長が新時代の到来に(おのの)いている頃、人々が続々と京へ集まってきていた。

各地の有力者は己の領地がどれほど京から離れていようとも、一族の長が四六の元服式に出席できるよう取り計らったため、恐ろしい程の賑わいを見せている。

特に東国の国人たちはこの傾向が顕著であり、積年の恨みによっていがみ合う仲であっても矛を収めて京に集っていた。

何せ東国管領の嫡男が元服するのだ、不参加などはもってのほかである。当然名代を派遣するなど失礼に当たると考え、一族の長本人が直接出向いて来ている。


「名代を派遣した家が取り潰しになった? 私は独裁者か何かかな?」


民たちがまことしやかに(ささや)いている噂を集めた報告書に目を通した静子はあきれる他なかった。

明らかに根も葉もない噂が出回っていると間者から報告を受けていた静子であったが、ここまで荒唐無稽(こうとうむけい)であると逆に脱力してしまう。

そもそも静子にそのような権限は与えられていないし、実際に取り潰しになった家の具体的な名は挙がっていないなど、明らかに流言飛語の類であった。

とは言え、不自然に同じ噂が同時期に広まっていることから、誰かが意図的に流している可能性が疑われた。


「犯人を捜し出して締め上げますか?」


「『人を(そし)るは鴨の味』というけれど、流石にこれは目に余るね。少しお手紙を書いて、釘を刺そう」


主君を貶す内容の噂に不快感を示す才蔵が問うと、さしもの静子も重い腰を上げることにした。

既に噂を流した犯人については目星がついており、遠地より京を訪れたが静子に目通りが叶わなかった国人の仕業だと目されている。

既に間者が裏取りに動いているため、確定となり次第手紙を出せるよう文を(したた)めている。

武力を以て脅迫するのではなく、あくまでも妙な噂が流れていることを把握して心を痛めている旨を知らせる内容に過ぎないのだが、ピンポイントでその国人にのみ届けられる文を受け取れば本人はどう思うだろう?

要するに「今ならば目こぼしをしてやるが、程々にしておけよ」という内容を婉曲に伝える警告文となるのだ。


「すぐにこんな与太話に構っていられるほど暇じゃなくなるでしょう。ただ上様や義父上のお耳に入ると大変だから、噂の収束は図ろうか」


静子が笑って済ませたとして、信長と前久が同じく見過ごしてくれるかと問われれば否である。

詳しい話を聞かせろと本人を呼びつけるのは当然として、事実が判明し次第噂が現実のものとなる可能性すらあるのだ。


「人死にが出ない間に収束させないとね」


噂を流した原因が静子に袖にされたことによる腹いせであったにせよ、虚言を弄して他者を貶める行為が容認される筈もない。

更には噂というのが悪質だ。不確かな情報であるだけに責任の所在を問いにくく、また時間の経過と共に面白おかしく変容していくため看過できない一線を超えて広まってしまう。

それが信長の耳へと届いてしまえば、待っているのは粛清の嵐である。


「それよりも京に来ているのに、慶次さんが出歩いていないのだけれど、何かあったの?」


慶次は静子が京屋敷に滞在している間、知己の許へと顔を出すことが多い。彼の顔の広さは京にあっても変わらず、様々な職種の人々と縁を結んでいた。

馬廻衆として静子に帯同しているが、気が付けばふらりと出かけていることが多々あった。

それが今回に限っては京屋敷から殆ど外出していない。特に制限を掛けた覚えもないため、静子は慶次の思惑が読めずに困惑していた。


「どうにも飯が口に合わなかったようで……」


「京の食事がそこまで不満だったのかな? 今までは精力的に出歩いていたから、それなりに満足しているものだと思っていたよ」


「静子様がお気にかける必要はございませぬ。ただ舌が肥えただけですゆえ」


「ああ……」


才蔵の言葉で静子は察してしまった。尾張は東国随一の規模を誇る経済圏であり、港湾都市を擁することから様々な人々が領地を訪れる。

必然的に様々な食材が持ち込まれ、日ノ本各地はおろか海外の料理すら提供する店が存在した。

こうした背景から様々な食文化が競い合い、融合し合った結果として尾張の料理レベルは群を抜いて高くなってしまっているのだ。

貴重なはずの砂糖や香辛料などもふんだんに用いられ、各種調味料も洗練された品が流通しているため味付けのバリエーションが豊富になっている。

この生活に慣れた人間が、他の地域へと移動すると塩のみの味付けに耐えられないという報告は以前より上がっていたのだ。


「食事の選択肢が多い方が良いと思っていたけれど、それが無い地域では現地の料理に不満を覚えてしまうのか…… 今更尾張の料理文化を規制するのは難しいけれど、食の不満は深刻な問題だから何か対策を考えないといけないね」


食べ物の恨みは恐ろしいと言う言葉があるように、食に対する不満は決して軽く見て良いものではない。

毎日の食事がその人を形作っている以上、食事は生活の質に直結した深刻な問題となり得るのだ。

更に言えば風の向くまま気の向くままを地で行く慶次が、外出を控える程に不満を覚えていることに静子は危機感を持っていた。

しかし、その静子の懸念は杞憂に終わる。伝聞ではなく、本人から思う処を聞きだそうと考えた静子が慶次に訊ねると予想外の答えが返ってきたのだ。


「……食べ過ぎによる胸やけが酷かったから外出していなかったのね」


慶次が語った外出を控えていた理由がこれだ。実際に京の食事を味気なく思ってはいたのだが、尾張から持ち込んだ酒と調味料で味変しながら痛飲した挙句に胃もたれを起こしたに過ぎなかったのだ。


「ここ暫く外出をしないから、何か深刻な理由を抱えているのかと心配したのだけれど……体調不良で伏せっていただけだったんだね」


「酒なら今でも飲めるのだが、流石に塩のみの味付けがされた料理では食指が動かなかったな。わっはっは!」


「そもそも何故寝込むほど大食いなんかしたの?」


「最初は店の料理が口に合わなくてな、調味料なんかで味付けを変えて食ってたんだが、ふと揚げ物が恋しくなって油を持ち込んで色々揚げて貰ったのよ」


「揚げ物だと塩を振っただけで充分美味しかったと?」


「うむ。皆も食うだろうと大量に作って貰ったのだが、油に耐性の無い奴は早々に音を上げてしまってな。料理の大半を俺が食う羽目になったのよ」


つまり慶次が引き籠っていたのは大量に揚げ物を食べたことによる胃もたれと胸やけが原因であり、それらの症状が収まるまで胃に優しい料理を食べながら屋敷内で安静に過ごしていたにすぎなかったようだ。

盛大に肩透かしを食らった形になったのだが、何事もなかったと知って静子は思わず胸をなでおろすのだった。


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― 新着の感想 ―
これだけ大きな「静子絡み」のイベントなんだから、イエズス会とか、仏教界とか、朝鮮とか、明とか、猫つながりでタイからとかの使節や贈り物があってもおかしくないよね? 久々に当時の海外産物の解説あってもいい…
銃身の過熱問題が気になるかな。
>これ1台が1分に200発も 信長には洋時計の時間で伝わるのでしたっけ?
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