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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正六年 織田政権

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241/246

千五百七十九年 十月中旬

出雲(いずも)国で行方をくらませた秀吉軍の本隊は、無事に中国山地を踏破して遂に川根村へと至っていた。

川根村から吉田郡山城を望む一夜城こと高小屋(たかこや)城へは、付近を流れる江の川を利用した水運にて毛利側に妨害されることなく合流できるようだ。

秀吉軍本隊は各地に兵を残してきたとは言え、総勢で二万人を超える大所帯である。

到底川根村には収まりきらないため、部隊を幾つかに分割して高小屋城を起点に兵を展開し始めた。

まずは高小屋城の南、江の川を挟む対岸に位置する柿原城へと攻め入る。

秀吉軍は悪く言えば寄せ集めの軍隊であるため、光秀軍のように高度な作戦行動は期待できない。

しかし、代わりに物量が圧倒的であるため真正面からの力押しによって大抵の問題は解決てきてしまうのだ。

基本的に籠城する敵に対して寄せ手側は不利な戦いを強いられるのだが、そこに最新式の連発銃を装備した兵が加わることで地理的優位性をように覆してしまった。

瞬く間に柿原城を攻め落とすと周辺に存在する吉田郡山城の支城を次々に落城させていく。

秀吉軍はそのまま南進を続け、手始めに釜ヶ(かまが)城を手掛けると長見山(ながみやま)城、中山(なかやま)城と破竹の勢いで突き進む。

その勢いのまま高塚山(たかつかやま)城までをも落城させると秀吉軍の各部隊をそれぞれの支城に分散して駐留させた。

こうして秀吉が福島の部隊と合流することから僅か三日にして、吉田郡山城の東側半分を手中に収めた包囲編が完成してしまった。


「はっはっは! 愉快愉快。いくさとはかくあるべきだと思わぬか?」


「優勢な時ほど油断してはなりませぬ、兄上!」


「そう堅い事を申すな。一気に周囲の支城から連絡が途絶えたのだ、毛利共はさぞ泡を食っていることじゃろうて」


「幸い日向守(ひゅうがのかみ)殿(光秀のこと)が合流されるまでには猶予がある様子。このまま我らのみにて毛利を攻め落とすのも一興かと」


秀吉は弟である秀長の意見を聞いて笑みを深めると、余裕の態度で言葉を放った。


「毛利攻めも佳境と言えよう。ゆえにわしはここで一つ遊んでやろうと思う」


「はっ、遊びとは?」


「毛利側は戦々恐々としてわしらの布陣を盗み見ておろう。奴らは今、打って出るべきかこのまま居城にて籠城を続けるか紛糾しておる筈よ。ここでわしらは敢えて動きを止めるのだ」


秀長を始めとする諸将の間に疑問が浮かぶ。いくさの定石で言えば勢いに乗ったまま攻め続けるのが良手の筈だ。皆の困惑の表情を見て秀吉は再び口を開いた。


「奴らとて西国の覇者たる矜持がある。そしてこの局面となれば、雌雄を決したいと考えるのは必然。しかし真正面からぶつかっても面白みが無かろう? 何か毛利を揶揄(からか)う策が欲しいのじゃ」


「せっかくの勝ちいくさに面白みなど必要ないと思いますが……」


「馬鹿者! ここまでお膳立てをした上で真正面から毛利を打ち破ったとて、それは順当な結果であって上様の印象に残らぬではないか! 何か上様が面白いと評される出来事が無ければ、日向守めと手柄を分け合って終わりになってしまう」


実際に秀吉の指摘は正しかった。定期的な物資の補給に際して戦況を逐次報告しているのだが、信長は秀吉優位で推移している戦況に大きな関心を寄せなかった。

勝てる状況を作り、勝って当然の作戦を取っているのだから当然とも言えよう。

実際に投入された物量を考えれば負ける方が難しい状況にあって、順当な報告が続いてしまったために信長の記憶に留まらなくなっていた。

どれ程美味い料理であろうとも毎日続けば飽きてしまうのと同じである。


秀吉の指摘は正しく、彼らは毛利の防衛網を次々と打ち破っていたが、信長はそこまで関心を持たなかった。勝てる状態を作り、勝てるような作戦を取っていたのだから余り印象に残らなかったためだ。

これは信長が勝つのが前提と思っているのではなく、多く勝利報告を受けた為に勝っている事だけでは記憶に残りにくくなってしまったためだ。どんなに良い商品があろうと競合が多くいれば売れにくいのと同じである。


「勝利するのは当然! その上で遊び心が無ければ上様は関心を持たれまい。かといって無謀な作戦で消耗してもいかん、そこで思いついたのが支城攻めよ」


「は、はあ?」


「既に我らは奴らの東に存在する主要な支城を全て手中に収めておる。奴らも西国の雄たる矜持があるゆえ、よもやこの期に及んで逃げはすまい。それを判った上で敢えて西側の支城も全て落とすのじゃ! わしらは奴らが尻尾を巻いて逃げると思っておると示してやることで、奴らの矜持はいたく傷つけられよう」


秀吉がここまで語ると、ようやく諸将の間に理解が追いついたのか安堵の表情が浮かぶ。


「無論、本拠地である吉田郡山城を一切攻めないと言うことはない。常に圧力をかけ続け、奴らの気力を奪うのだ。奴らが余計な気を回せない程度に攻めつつ、奴らが(たの)みとしている支城を全て落とす!」


「要するに今まで通りで良いと?」


「そうじゃ! 最悪こちらの意図を気取られても構わぬ、それでも可能な限り奴らが気付く前に丸裸にしてくれようぞ! 郡山城を攻めあぐねているわしらを間抜けと侮ったら、真なる間抜けは己だと教えてやろうではないか!」


「それはまた迂遠(うえん)な作戦ですな……」


「ゆえに遊びと称したのじゃ、作戦などと堅苦しく思うでない。毛利が屈すれば、この日ノ本で上様に逆らうものはいなくなる。これがわしらに与えられた最後の見せ場と大いに奮起せよ!」


「承知しました」







毛利の居城である吉田郡山城を直接攻めないことに不満を抱くものもいたのだが、多くの家臣は秀吉の言葉に納得して従った。

大方針を打ち出すのは秀吉の仕事だが、それを詳細な計画に落とし込んで各部隊に展開するのは軍師たる両兵衛の仕事である。

今までの攻城戦に於いて兵数の多さが仇となり、遊兵が出てしまっていることを踏まえ、支城攻略は南北に部隊を二分して一斉にかかることとなった。

早速南は高塚山城を出て南進し、吉常ヶ(よしつねが)城を経由して田淵ヶ(たぶちが)城で方向転換して北西へと進路を取る。

そのまま北西へと進みながら青山(あおやま)城、光井山(みついやま)城を攻める四か所攻めのルート。

逆に北回りの進路は険しい山中を、吉田郡山城からの発見を避けつつ進まねばならないために城攻めは少ない。

それでも安芸(あき)宮崎(みやざき)城(宮崎県にあったお城と区別するため安芸を付ける)と船山(ふなやま)城とを落とすルートとなる。


毛利陣営にとって唯一の勝機があったとすれば、この時を除いて他はあるまい。

吉田郡山城から見て東側全ての支城を落とされた時点で居城を放棄するなり、落とされた各支城を奪回するべく打って出ていれば運命は変わっていたかも知れない。

しかし現実にはここでも合議制の弊害によって足並みが揃わず、気が付けば周辺一帯の支城を全て奪われて退路を断たれてしまう形となってしまった。

この期に及んで毛利陣営に出来ることと言えば和睦を申し入れて織田方に下るか、援軍の当てがない絶望的な籠城戦を行うかの二択となる。

ちなみに吉田郡山城に詰めている人数は非戦闘員である民達も含めて約八千人ほどとなり、純粋な戦闘要員だけに絞れば兵数三千人を割り込むだろう。

それでもかつて尼子(あまご)詮久(あきひさ)率いる三万の兵を撃退した実績から、秀吉軍二万の攻城に耐えうると判断してしまった。


「結局全ての支城を落とされて尚、毛利は直接対決を避けたのだな。それでも相手が我らでさえなければ持ちこたえたやも知れぬ」


「北条は先祖伝来の戦法と言い訳も立とうが、毛利はそうでも無かろう。これでは臣下から腰が引けていると非難されようぞ」


「流石に支城全てを失ってしまっては、援軍のあてがない籠城など『絵に描いた餅』よ。いつ裏切りが起こってもおかしくはない」


今後の展開を予想しつつ両兵衛たちは策を練り続ける。部隊を南北に分けたことで進軍速度は更に上がり、まさに電撃的な速度で支城を攻略していった。

こうして秀吉軍が攻勢に入って僅か一週間の内に吉田郡山城周辺一帯の全ての支城が攻略されてしまい、毛利陣営は文字通りの丸裸にされてしまう。

吉田郡山城は外部から孤立し、全方位を秀吉軍に包囲されていると言う状況にあっても沈黙を続けていた。

流石の両兵衛にとっても毛利側の対応は不自然であり、何か見落としている要素があるのではと不安が頭を(よぎ)る。

少しでも毛利陣営の様子を探ろうと望遠鏡などで監視を続けたのだが、それでも毛利側に積極的な攻めの姿勢が見られなかった。


「これはいよいよ以て様子がおかしい。毛利の動向について貴殿はどうお考えか?」


毛利の態度に困惑した黒田官兵衛は、この状況を打破すべく両兵衛と称される相方たる竹中半兵衛に意見を求めた。

官兵衛の予想では毛利が本格的な反撃に出ることはないまでも、こちらの隙を突いて支城の奪還を試みると考えている。


「流石に想定できなかった事態です。考えられるとすれば、毛利もこちらと同じく本拠を(おとり)に何か企んでいるのやも……」


「ふむ……籠城している風を装って夜陰に乗じて吉田郡山城を脱し、包囲網を掻い潜って更に後方の支城と連携するか? 確かに更なる外縁の支城と吉田郡山城との挟み撃ちに遭えば、我らとて分が悪い」


確かに秀吉軍にとって安芸国は土地鑑がない。自分たちに発見できない抜け道を通って外部と連絡を取るなり、救援を要請して挟み撃ちにするなりと取れる戦法は無くもない。

それならばそもそも完全に包囲される前に救援を求めていれば良い話であり、何処かの支城一点に絞っての脱出ならば出来なくもないだろう。


「確かに狙いの見えない行動ですね。他に考えられるとすれば毛利は冬の到来を待つつもりかも知れませぬ。高小屋城を建てた頃と比べて大所帯ですから、冬になって雪に埋もれてしまえば撤退が必要となりますゆえ」


「それならば最低限の支城だけに絞って残りは放棄し、余剰部隊も帰らせれば充分越冬は出来よう」


「殿が四六殿の元服に間に合わせるべく(はや)っておられるのは周知の事実。毛利はそこを狙っているのかも知れませぬ」


「それこそ殿だけが一部隊を率いて戻られれば良かろう。攻略を急ぐ理由にはならぬ」


どれだけ知恵を絞ろうとも毛利側の意図が読めずに両兵衛は頭を悩ませる。

籠城を主戦略としていた北条氏ですら、攻める機会があれば打って出る気概を持っていた。

しかし毛利にはそれが感じられない。ここまで徹底した籠城を続ける理由が何なのか想像すら出来ないでいる。

何故ならば希望が無い状態での籠城は、内部での不満が蓄積して離反者が出る可能性があるからだ。

実際に毛利の行動によって離反者を出した事例もあり、これはかつて毛利元就(もとなり)が『毛利家を存続させるには領地と当主の権力は程々が良い』と説いたためだとされる。


「毛利方が攻勢に出てくれれば、それだけで様々な情報が手に入るという物だ。しかし、ここまで守勢に徹されると毛利の狙いが読めぬ」


「決戦は日向守殿の到着を待つとの方針でしたが、我らだけで吉田郡山城を攻めますか?」


「……いや、それは予定通りで良いだろう。毛利の狙いが読めぬゆえ、不測の事態に備えて斥候を増やそう」


官兵衛は毛利の消極的さを訝しみつつも、大方針については変更せずに当初通りの計画を進めるように決めた。

万が一にも外部と連携を取られては面倒になるため、斥候を増員することで包囲の網の目を細かくする方針だ。


小早川(こばやかわ)吉川(きっかわ)と毛利を支える将は勇猛だ。彼らさえいればまだ戦えると慢心していることを祈ろう」


「ええ、彼らの勇猛さは伝え聞いておりまする。長らく毛利家の繁栄を支えてきた武将は一味も二味も違うことでしょう」


「水軍主体の小早川は早々に降伏するかと思いきや、腐っても毛利両川の一翼、簡単に勝たせてはくれぬようだ」


毛利家当主輝元の叔父にあたる吉川(きっかわ)元春(もとはる)小早川(こばやかわ)隆景(たかかげ)は両名とも名字に川の字があることから、輝元を中心とした左右を担う三本の矢になぞらえて毛利両川(もうりりょうせん)と呼ばれている。

これは毛利元就が確立した当主と親族二家による組織の通称で、史実に於いては長州藩の藩主と家老たち重臣が支える藩体制に移行するまで続いた。隆景の死によって小早川氏が滅亡した時を同じくして消えたという説もある。


「いずれにせよ吉田郡山城の落城は時間の問題よ」


「いえいえ、まだまだ油断なりませぬ。彼らには我らとは比べ物にならぬほどの実戦経験があるのですから」


多少の困難はあれど秀吉軍は毛利の防衛網を順当に突破してきた。その成功体験が両兵衛に僅かな増長を促したのかもしれない。

それに気付いた半兵衛が自省を促す。官兵衛も自身の驕りに気付いて気を引き締め直した。







備前国を出て備中国は忍山城へと入った宇喜多直家は、この織田方による西国攻めに於いて毛利の敗北を予感していた。

理由を問われれば勘だとしか答えられないのだが、大敗した瀬戸内海戦にせよ、浦上が敗走した吉井川の戦いにせよ、いくさの常識が変わってしまったのを肌で感じているからかもしれない。

彼は己の皺が目立つようになった手に視線を落とす。じっと見つめていると、己が生涯を懸けて何を掴めたのだろうかと言う思いが胸に去来した。

様々な謀略を用いて積み上げてきたものは全て己の手から零れ落ちた。残っているのは我が身ただ一つという有様に愉快さすら感じる。


(もはや毛利も宇喜多も無い。西国の全てが織田という怪物に呑まれるのだ。我らは織田を侮っていたのやも知れぬ、いや羽柴筑前守(ちくぜんのかみ)をか……)


羽柴筑前守秀吉、織田の方面軍一つを任された武将であり、立志伝中の人物ではあるのだが、所詮は足軽上がりの成り上がり者と侮っていた。

事実として秀吉は第一次西国征伐に於いて手痛い失敗を被り、一時期は中国地方から追い払われてしまった過去がある。

しかし秀吉は不屈の闘志で再びチャンスを掴むと、捲土重来(けんどちょうらい)の奮闘によって今まさに毛利に王手を掛けていた。

西国の覇者として毛利が名を馳せて久しいが、それでも直家とて幼くして放浪の身から備前(びぜん)美作(みまさか)の国主にまでなったのだ。

そう易々と討ち取られてはやれぬ程度の矜持は持ち合わせている。


(気が付けばわしも齢五十になった。わしの生涯最期を飾るのが名将と謳われる明智日向守ならば不足はない!)


我が身を惜しんで延命を図るのならば、家督を譲らず織田家に下るという選択肢も無くはない。しかし、彼の謀略に満ちた人生がそれを良しとしなかった。


(矜持を捨てて残り少ない人生を惨めに生きるより、我が心の赴くままに足掻いて散るのがわしらしい)


そんな事を思うと、思わず笑いが込み上げてきた。


(思えば裏切りと謀略に満ちた人生だった。その最期をいくさ人として死ねるのならば本望よ)


直家は祖父が裏切りに合って殺されると、幼くして流浪の身となった原体験がある。

そこから宇喜多家を再興するために直家はありとあらゆる手を尽くした。

好色な浦上の噂を聞きつければ美人であった母に愛妾となるよう勧め、また自身も美少年であったことから直家本人も(ねや)を共にしている。

避け得ぬ死を前にして直家はふと思う。己が謀略によって手に掛けてきたものたちは、今の自分をどう思うのだろうかと。

そんな感傷的な想いを頭を振って追い出すと、彼らならば恨みを込めて惨めに死ねと呪いの言葉を吐くだろうと自嘲(じちょう)した。


直家は浦上だけでなく毛利とも対立したことがある。幕府の後ろ盾を失った時は流石に身の破滅を覚悟したが、その後に敵対していたはずの毛利から支援を取り付けるまでに至った。

その当時を思い出して笑みを浮かべたが、すぐに今はいくさ中であると思い直す。


(いかんな、死を前につい過去を振り返ってしまう。さて、わしが半生を掛けて築き上げた宇喜多家の為に明智の兵には道連れになって貰おう)


彼は立ち上がると愛用の槍を手に取った。握りしめた瞬間、最期まで連れそう得物はこれだと確信する。

もう一度しっかりと握りしめると、若かりし頃の情熱が再び胸に去来するように思えた。


「さあ、ここがわしの死に場所よ。あの世で一人は寂しいゆえ、死出の友連れは多ければ多い程良いだろう! 精々わしが生きた証拠となって貰おう」


眼下に広がる最後のいくさ場を見下ろしながら直家は高々と叫んだ。


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― 新着の感想 ―
慢心した秀吉が痛い目に遭うという展開に期待
更新お疲れ様&ありがとうございます。 他の方も指摘されてますが重複している文がありますね。 ◯実際に秀吉の指摘は正しかった。定期的な物資の補給に際して戦況を逐次報告しているのだが、信長は秀吉優位で…
>実際に秀吉の指摘は正しかった。 >秀吉の指摘は正しく、 同じような内容が二度書かれています
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