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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正六年 織田政権

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239/246

千五百七十九年 九月下旬

秀吉軍は破竹の快進撃を続けていた。毛利陣営は予想を遥かに上回る速度で侵攻してくる秀吉軍に圧倒され、各地から届く救援要請に応じて軍を派遣する必要が出てきていた。

この一月余りで彼らが落とした城は二桁に達しており、支配地とした領地に関しても防衛の兵を残さず只管(ひたすら)西へと突き進む様子は毛利陣営を焦らせた。

とは言え完全に支配地を放置した訳でもなく、降伏した敵将兵を落とした城に集めると城門を閉ざして軟禁状態とし、最低限の代官に後事を託して進軍を続けている。

秀吉軍の本隊は瞬く間に伯耆(ほうき)国を支配下に置くと、その勢いのまま出雲(いずも)国も蚕食(さんしょく)し始めた。

そんな慌ただしい侵攻の最中にあっても秀吉の人たらしは健在であり、状況を正しく把握して降伏を呼び掛ける前に臣従を申し出た者や、交戦した際に見どころのある者に対しては寛大な対応をしている。


「いくさの最中(さなか)ゆえ大した物を贈れぬが、貴殿の活躍を(たた)えたい」


秀吉は目ぼしい人材については直接会って人となりを確かめ、流行に敏感な者ならば垂涎の的である尾張の文物を贈って配下に誘った。

こうした引き抜きを仕掛ける一方で、秀吉は間者を放って新たに臣下に組み入れた武将たちの内部事情を調べるよう命じている。

誰と誰がどのような派閥を構成していて、誰と対立しているかなどを徹底的に洗い出し、お互いに監視し合うように仕向けて支配地の安定を図った。

現時点では敗戦直後ゆえ大人しくしているが、いずれ現状に不満を抱いて反抗するべく牙を剥くだろう。

今の秀吉はそんな些事(さじ)に構っている余裕がないため、適当な緊張状態を作り出して二の足を踏んでいる間に西国の勢力図を塗り替える算段であった。



その頃尾張では秀吉軍と光秀軍の戦況及び、毛利陣営の動向について静子は定期報告を受けていた。

何故味方である西国攻め部隊の状況まで調べているかと言えば、静子の軍は殆どが後方支援を担当する兵站部隊だからだ。

的確な支援をするためには両軍の侵攻状況や、軍需物資の消耗具合等についても(つぶさ)に把握しておく必要があり、彼らを阻止する毛利陣営の動向については言わずもがなというところだろう。

こうした情報収集に於いてすら静子の脳裏を不安が(かす)める。それは日本史上最大の謀叛(むほん)と呼ばれる『本能寺の変』である。

後世に於いても謎が多い事件であり、何を契機として光秀が謀叛を決意するに至ったのかが想像できないでいた。

静子としては明智光秀か羽柴秀吉のどちらかが必ず関与していると睨んでおり、二人の動向については特に注意を払い続けている。


(今のところ明智様に謀叛を起こす兆しは見えない。周囲が彼を(そそのか)している様子もなく、親族や臣下に至るまで信長に反逆しようという気運がない。それでも万が一に備えなければ……京を含む周辺一帯には常に監視網を敷いた上で軍を駐留させているのだから)


京の治安維持を名目に、静子は京から安土を経由して尾張までの範囲に監視網を構築していた。更に人・金・物の流れを掌握し、誰がどの程度の富や武力を抱えているかについて常に報告が上がるようになっている。

私財を投じて主要街道のインフラを整備し、関所の数を絞ることで物流の活性化を図りながらも要人の動向が把握できるようになっており、この地域に於いて静子に知られず暗躍することは不可能に近い。

それだけの熱意で以て静子が京に兵を駐留させているとなれば彼女が天下に野心を抱いていると邪推する者が現れようものだが、他ならぬ長可のお陰で回避できていた。

長可は敵味方関係なく己が気に入らないことに対して暴力で解決を図る傾向がある。しかも悪知恵が働くため粗暴に振る舞うのではなく、己が暴力を行使せざるを得ない状況を的確に作り出すのだ。

自分に有利な状況を作り出す術に長けており、迅速(じんそく)果断(かだん)な行動によって相手の反論を封じ込めてしまうのだ。

更には長可が信長のお気に入りであることも問題を助長しており、長可の苛烈な問題行動が不問にされることが多い。


こうした背景もあって長可を(いさ)めることが出来る人物は限られており、現場の人間は『触らぬ神に祟りなし』とばかりに敬遠するため静子が乗り出すしかないのだ。

流石の長可も普段から何かと世話になっている静子には頭が上がらず、また彼女の兵に対して圧力を掛けようものなら才蔵や慶次、最悪の場合は足満までもが参戦してきて無理やり鎮圧されてしまう。

身内だからこそ才蔵や慶次の腕前及び足満の容赦なさを知悉(ちしつ)しており、長可としても彼らが参戦してくる前に逃亡を図るようになる。

そうした姿を何度も見せている為か、長可を鎮圧するための部隊だという大義名分の下、周囲からむしろ歓迎される形で兵力を駐留させることに成功していた。


(既に歴史は私の知る史実から変わってきてしまっている。本能寺の変が正確に二年後に起きるとは限らないため、本能寺も二条城も改築して要塞化を進めているけれど……果たして本当に起こるのか、起こるとしたらいつ頃になるのか皆目見当がつかない……一体明智様の謀叛は何が原因だったのだろう……)


本能寺の変最大の謎である明智光秀が謀叛に至った理由、これが判らない限りは抜本的な対処が出来ないと静子は考えていた。

ゆえに対症療法的に謀叛が仮に起きたとしても、最悪信長と信忠さえ逃がすことが出来れば巻き返しが可能と様々な対策を立てている。

足満が開発して実戦配備が進められている連発銃もその一環であり、機関銃に類する据え置き型の大型銃器によって兵力の差を覆せる準備が出来ていた。


(最善は謀叛自体が起きないことだけれど、もし明智様が謀叛を起こすというのならば……その時は遠慮なくお命を頂戴いたしましょう)


拳を握りしめつつ静子は覚悟を決めた。







西国では毛利と明智・羽柴軍とによるいくさで盛り上がっているが、東国に於いては静子子飼いの農業士たちが挙げた成果によって活気づいていた。

今年は実験導入的な側面があったため越後と三河の一部地域でしか実践されなかったのだが、それでも彼らの仕事の成果は素晴らしいと誰もが認めるものであった。

元よりそれぞれの領地で収穫量が期待できない地域を選んで導入されたため、支援を要請した国人ですら過度な期待をしていなかった。

それにも拘わらず直近の収穫量の三倍にも達する豊作となったため、誰もが浮足立ったのは当然と言える。

周囲の喜びとは対照的に当初の見積りよりも収穫量が少なかったことが農業士たちの表情に影を落としていた。


「ここまで水温が下がるとは想定しておらず対処の遅れが収穫量に響いている。このような有様では我らを信頼して送り出して下さった静子様に顔向けできぬ」


彼らは自身が計画した予定収穫量を下方修正した報告を上げねばならないと恥じていた。

一方静子は農業とは自然を相手にした途方もない挑戦であり、予定通りにはいかないものと理解しているため彼らを叱責することは無い。

今年の反省を来年に生かし、どうすれば同様の事象を防ぐことが出来るのか、もしくは防げないまでも生育状況が思わしくない時点で早期報告を行って判断を仰ぐようにと励ました。

静子の激励を受けること自体を情けなく思った農業士たちだが、同時に行動指針を示されたことで来年こそはと奮起する。

今年の収穫が全て完了していないにも拘わらず、彼らは既に来年の計画について相談を始めていた。

農業士たちが密かに闘志を燃やしているのに気が付かなかった静子は、信長に対して技術継承を優先するため来年も同程度の収穫となる見込みだと報告する。

えてして想定というのは裏切られると二人が思い知るのは一年後である。



大過なく過ぎてゆく平穏な日々に満足していた静子だが、突然彼女に冷や水を浴びせ掛ける事件が起きた。

ある日の定例報告によって主君である信長と明智光秀との仲が険悪になりかけているというものだった。

『本能寺の変』について神経質になっていた静子は、思わず詳細の報告を求めたのだが彼女は大きく肩を落としてしまう。

それは彼らが険悪になった原因にあった。何と二人が険悪になった原因は、それぞれが飼っている飼い猫に起因したのだ。

普段から己の飼い猫こそが世界一可愛いと公言して(はばか)らない猫大好きおじさんズこと帝を筆頭とした朝廷の要人たちが、それぞれの飼い猫の写真を撮って絵師に色付けさせた物を品評するという催しを開いた。開いてしまったのだ。

その催しに於いて最優秀の誉に輝いたのが光秀の愛猫であり、猫の優美な歩く姿が想像できそうな躍動感溢れる瞬間を切り取った写真が絶賛された。

彼以外の写真は皆がそろって己が愛猫を抱えている姿など、少なからず猫の行動を抑制する形で写真を撮っており、猫らしい姿を切り取った写真こそが最優秀に相応しいというのは全員が一致した意見であった。

このまま閉会すれば問題なかったのだが、帝が余計な一言を呟いたことを契機に空気が凍り付いた。


「流石は惟任(これとう)日向守(ひゅうがのかみ)の愛猫よ、写真を撮る腕前もさることながら猫自体が気品に溢れておる」


帝としては優勝者を称える為のリップサービスに過ぎなかったのだが、そうは受け取らない御仁が存在した。

それは信長である。彼は帝の言葉にカチンと来るのを抑えられなかった。

なるほど光秀の愛猫は優美でしなやかだ、しかし愛しい虎太郎とて決して劣ってはいないと内心憤りを抱えているところへ、光秀がお褒めの言葉をそのまま受け取ってしまい皆の猫もそれぞれに良さがあるというフォローが無かった。

光秀としては予想もしていなかったお褒めの言葉に焦ってしまい、周囲の飼い主が抱く心情にまで配慮出来ないでいただけなのだが、悲惨な事件の切っ掛けは往々にしてつまらない出来事であることが多い。


「しかもこの様子が朝廷で噂になったせいで義父上(近衛前久のこと)や細川様までもが我が愛猫こそがと名乗りを上げたとか…… 嘘であって欲しいのに、裏付けが撮れてしまっているんだよね……」


関与している貴人たちは誰もが自分の飼い猫こそが日ノ本一であると自負してやまない。

この時ほど静子は己が芸事保護の役職に就いていることを呪ったことは無かった。

何故なら信長を始めとした猫大好きおじさんズに愛猫の姿を写真で残すことを進言したのが他ならぬ静子であったからだ。

現時点で写真を最も活用しているのは静子であり、もっと多くの需要を開拓できれば写真に掛る費用を安くできると考えた静子は、富裕層への売り込みとして最悪の手段を選択してしまったのだった。

彼女の思惑は成功した。貴人たちは猫の寿命を前もって知らされていたため、やがて訪れるであろう訣別の時に備えて元気な愛猫の姿を留めおきたいと挙って写真を求めた。

現在の白黒写真では味気ないため、ネガを元に焼き増しした紙に絵師が彩色する形で鮮やかな愛猫の姿が手に入る。

この画期的な商売は大当たりとなり、写真に関する消耗品や絵師に対する報酬などもかなりお手頃な価格まで下がってきており、豪商ならば己と家族の写真を残せる程度にまでなっていた。

そこにこの事件が勃発してしまったのだ。彼らは分別のある大人であり、日ノ本の行く末を左右する要人だけに己が分というものを弁えている。

だと言うのに、ことが己の愛猫のことになると自制が効かなくなるのは何かの呪いでは無いかと静子は嘆く。


「アニマルセラピーは孤独に陥り易い人に効果的だとはいえ、流石にのめり込み過ぎでしょう……まあ確かにそれぞれの組織の頂点に近い権力者ともなれば、誰かに甘えるという事ができないのでしょうけれど」


権力者は権力を持たない者と比べて大きな影響力を持つが、同時に持たない者とは隔絶した存在として孤立する。

特に立場が上になればなるほどその傾向は顕著となり、たとえ権力者同士であったとしても天下人とそれ以外とでは肩に()し掛かる重さが異なる。

しかし言葉を解さないペット、特に猫にとってはそのような斟酌(しんしゃく)が存在しない。

こちらの顔色を窺ったりせず自儘(じまま)に振る舞って見せたり、時に猫の気に障ることをすれば威嚇(いかく)されすらする。

厳密には飼育者と被飼育者であり、生殺与奪の権限を握っているのは飼育者側なのだが猫大好きおじさんズは対等な立場だと考えていた。

彼らは猫の奔放かつ自由闊達(かったつ)な様子を愛し、時に媚びて甘えてくれる仕草に心を揺さぶられてしまうのだ。

こうして非常に厄介な顧客を抱えることになった静子は一計を案じることにした。


幸いにして静子の提案によって二人の確執が深まることは無かった。

静子は彼らに対して奇跡の一瞬を切り取った一枚だけで皆様の愛猫が評価されて良いものだろうかと疑問を呈したのだ。

まるで火に油を注ぐかのような暴挙に見えるのだが、皆が一様に静子のいう事には一理あるなと矛を収めることとなる。

要するに自分の猫が一番になれば良いのであり、静子が何百枚にも及ぶヴィットマンファミリーの写真が収められたアルバムを開陳すると、時間の移ろいすらを封じ込めるアルバムに夢中になった。

こうして貴人たちは競うように己の望むアルバム制作に注力することになり、ある程度の分量が収まったアルバムを見せ合う内に優劣をつけること自体が無粋であると品評会を止めてしまう。

静子の機転によって不和の芽を摘むことが出来て一段落したとともに、貴人たち以外にも写真の良さを普及させるべく今度は大食い大会の開催を告知した。

とは言え他国では食糧難に(あえ)ぐ人々が居る中での大食い大会だけに規模は控えめとなる。

参加資格は尾張在住の成人男性に限定し、まずは身内で競い合う大会かつ飛び入り歓迎という形での開催を予定していた。


「と言うわけで大食い大会を開催します。参加希望者は申込用紙にどの部門に出場するか記入してね。あ、複数部門に出るのは無しだよ」


静子は自邸にいる者へ昼餉の後に集まって貰って一斉に通達する。今回は米、芋、酒の三部門について会場を分けて一斉に行うこととする。

評定はシンプルに食べた重量にて判定し、制限時間一刻(約二時間)の間に食べた量に加えて口の中に入れた分までが有効となる。(一旦口の中に入れた後、吐きだしてしまった場合は無効)

そしてそれぞれの部門で優勝した者については、大判の写真を撮影して額に入れた上で名前と共に一年間掲示することとした。

ルールは勝敗が観客に判りやすいように、直前で重量を計測してから選手に提供し、残した場合はその重量分が差し引かれる。

それぞれの選手の背後に数字の書かれた板をめくる形で重量を表示し、観客たちにも誰がどれだけ食べたか判りやすいようにしてある。

選手と観客が共に楽しめれば催し物としては最良の結果だろう、ついでに写真について興味を持ってもらえれば言うことなしである。


「それで、これだけ参加者が集まったのに中止か……」


翌日になって静子は参加者の多さを見て苦笑いを浮かべていたのだが、突如として信長から鶴の一声によって大食い大会は中止の憂き目を見た。

理由については想像だにしなかった処からの干渉によるものだった。


「徳川様が人質を差し出されると……」


信長から急を要する知らせとして飛び込んできたのは、家康が静子の許へ人質を預けたいという申し出があったという。

信長と家康の間には同盟関係が存在するが、その力関係は明らかに信長の方が上である。

依然として同盟関係を継続しているため、別段家康が織田家に対して人質を送らねばならないような事件は無かった。

しかし徳川家としては上杉謙信や伊達家が人質を差し出しているのに対し、徳川家だけが従来の同盟に胡坐(あぐら)をかいているのは如何なものかとの意見が出るようになったのだ。

無論のこと信長や、謙信及び伊達家に関してもこれに思う処がある訳ではない。要するに徳川家内の権力闘争及び安全保障上の関係性を強固にしたいという思いの表れだった。


「既に上様と徳川様との間で合意がなされたらしいけれど、人質に抜擢されるのが彼だとは思わなかったな。徳川様の正室殿も今回は折れたんだ」


預ける先については信長のおわす安土でも問題なかったのだが、最先端の学問及び最先端の技術に触れられるのは尾張であるため、どうせ人質に送るならば留学も兼ねて静子の許に託すのが最適との見解だ。

人質の人選については徳川家内で揉めた末に決まったようだ。

当初は嫡男である松平(まつだいら)信康(のぶやす)が相応しいと思われたのだが、彼は信長の娘である徳姫と婚姻しており信長に対して無礼となる。

また信康は性格的に粗暴な部分が目立つため、万が一にも静子とひと悶着を起こそうものなら本末転倒であるとして見送られた。

次に候補として挙がったのは三男秀忠(ひでただ)だが、こちらは産まれたばかりの赤子であり、人質としての価値が著しく低い。(この時代は乳幼児の死亡率が高く、後継ぎと考えられていないため)

最終的に白羽の矢が立ったのは、次男の於義伊(おぎい)(後の結城(ゆうき)秀康(ひでやす)のこと)であった。

とは言え彼は正式に家康の子として認知されていない。

その理由は家康の正室にあたる築山殿(つきやまどの)が於義伊の実母である長勝院(ちょうしょういん)の妊娠を認めなかった為である。

これは於義伊を家康の子として認めないと宣言したに等しく、実際に史実に於いて家康は築山殿が死去するまで於義伊を次男だと認められなかった。


なお築山殿が頑なに於義伊を家康の子として認めなかった理由は判っていない。

一説には築山殿が長勝院殿に嫉妬していたためと言われているが、戦国時代に於ける正室は側室や妾を纏め統率する立場であり、双方に上下関係があることを考えれば於義伊の存在よりも母親たる長勝院殿を側室として認めなかった可能性が高い。

側室としての地位を得ていない長勝院が子を(はら)めば、なし崩し的に側室へ収まってしまう。築山殿からすれば奥向きの秩序を乱す簒奪(さんだつ)者として捉えるのも無理はない。

故に築山殿が長勝院を女房衆から追放し、更に浜松城からの退去を言い渡したのは当然の措置と言えた。

こうした経緯から長らく冷遇されていた於義伊であったのだが、ここにきて状況が一変する。

築山殿も自分の子供に人質としての価値が無い以上、譲歩せざるを得なくなり於義伊と母親である長勝院が浜松城へと呼び戻されることとなった。

しかし女同士の確執は理屈では解決できず、築山殿は於義伊を人質に差し出す代わりに長勝院を側室にすることを認めた。

その扱いについても彼女は条件を付けた。長勝院を女房衆へ復帰させないこと及び、その扱いは側室・妾の中で一番下のものとする旨を家康に約束させたのだ。

こうして正式に家康の次男と名乗ることが出来た於義伊だが、即座に人質として静子の許へと送られることとなる。

徳川家内での政治が及ばない静子の許で暮らした方が於義伊も心安らかに過ごせるだろうという家康なりの配慮であった。


「於義伊殿は数えで六歳か……流石に自分が冷遇されてきた理由を理解してはいないよねえ。子供に尋ねるには下世話だし、藪をつついて蛇を出す愚は犯したくない」


一歴女としては後世に伝わっていない理由について深堀りしたいのだが、興味本位で首を突っ込めば虎の尾を踏みかねない。

それゆえ好奇心を抑え込んで沈黙することを静子は選んだ。

小姓たちに五・六歳の子供が必要とする物を揃えるよう命じると、静子は残りの定期報告を読み進めることにした。

煽りを食って中止になってしまった大食い大会は来年の収穫期に改めて実施する旨を宣言し、幻の大食い大会は白紙に戻った。


「周辺地域の浮浪者がかなり減っているから、経済的に安定している尾張に流れてきているんだろうね。正直なところインフラ整備で人手は何処でも大歓迎だから、城下町よりも直接知多半島方面に向かって貰う方がありがたいんだけどね」


既に国家事業として継続している愛知用水の開発が絶賛稼働中であり、健康な成人男性であればどんな素性の者であろうと仕事にありつけた。

更には東国開発についても街道整備を始めとしたインフラ整備が必要となっており、これから各地で大規模な工事が予定されている。

道路や水道などの必須インフラは言うに及ばず、学校や診療所、役所や集合住宅といった公共施設の建設も目白押しになっていた。

ある程度の形が出来上がっている尾張・美濃地域ですら末端までは整備が行き届いていないのだから、他の領国については完全に新規に事業を起こす必要がある。

インフラなどは放っておいてもそこで生活する人々が勝手に望ましい形に作り上げるという者もいるが、それでは長く使い続けられる設備とはなり得ない。

故に領民から税収を得ている国主が計画した上でインフラに投資し、またその維持に税をつぎ込むのだ。


「インフラ事業は基本的に赤字だから、別の事業で利益を出して赤字を可能な限り穴埋めしないといけない。流石に私も無尽蔵にお金を出せるわけじゃないからね」


浮浪者への支援については生活基盤の安定と就労支援をセットで実施する必要がある。

金だけ与えた処で生活基盤が整うはずもなく、また継続して利益を得られる環境がなければ浮浪者へと逆戻りとなるだろう。

そんな彼らへの就労支援で一番手っ取り早いのが肉体労働であった。インフラ事業はまさにうってつけの公共事業と言える。

建設用重機の投入によって機械が担う仕事もあるが、未だその殆どを人力に頼っているというのが現状だ。

浮浪者たちに土木工事を斡旋することは、周辺の治安も良くなり、工事の進捗が稼げる上に元浮浪者たちについても身代を立て直せる一石三鳥の施策であった。


こうして静子が国内に関してあれやこれやと奔走している折、西国で遂に織田と毛利の雌雄を決するいくさが行われようとしていた。


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― 新着の感想 ―
本能寺の変の原因は明智光秀の猫が可愛すぎたこと! 新解釈過ぎるわなぁ…にしても静子さんが頭を抱えている姿が容易に想像出来ますね…いい歳した大人が揃いも揃って、しかも立場も立場なくせに何やってんだ?って…
秀吉の人たらし描写は悪くないが 小田原攻めの信忠軍の近代な軍政・軍令の後に見ると、食い違いが大きい。 「勝手に所領安堵を決めるのは越権行為じゃぞ」 「えっ、中世の慣例では普通は・・・」 「ばかもの、…
松江から三好につながる道を整備しているのに、鳥取を出て伯耆国を占領って順番が逆な気がするんだが。
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