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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正六年 織田政権
236/246

千五百七十九年 六月中旬

長らく続いていた梅雨が明け、静子は久しぶりに技術街を訪れていた。

目の前に並ぶ陶器製の壺を眺めながら、静子をはじめ技術者たちが頭を悩ませている。壺の中には刺激臭を放つドロリとした粘液が詰まっており、竈に据えられて加熱されていた。


「静子様、本当にこのような廃油が使い物になるのですか?」


「うん。本当は植物油を使う方が良いんだけれど、廃油が再利用できるなら価格を抑えられるからね」


静子たちが何をしているかと言えば石鹸づくりである。何故今更になって石鹸づくりを始めたかと問われれば、尾張に於ける工業化推進の弊害であろう。

日夜製造機械などと格闘する技術者たちは、機械の作動油などによる油汚れで衣服だけでなく己の体までも黒くなってしまい、不衛生な状況に陥っていた。

従来尾張で大量に流通していた天然の無患子(むくろじ)を乾燥させた洗剤では頑固な油汚れや土木作業由来の泥汚れを落としきれず、洗浄力の強い石鹸が強く望まれたのだ。

それだけでなく外洋航行に際して衛生を保つためにも石鹸は必要不可欠であり、より効率的に多く積載できる粉石鹸なども必要となった背景もある。

石鹸の作り方は簡単であり、原料油脂に苛性ソーダ(水酸化ナトリウムのこと)を加えて加熱すれば鹸化(けんか)(原料油脂が化学変化して石鹸に変わる現象)して固形石鹸の元が出来上がる。

これを長期間乾燥させれば我々が思い描く石鹸が出来上がる寸法だ。

本来であればこの時代に於いて苛性ソーダを大量に得るなど夢物語なのだが、工業化で常に需要がある苛性ソーダは尾張ではありふれた薬品なのだ。

単純に苛性ソーダを得ようとするなら食塩水を電気分解すれば良い。しかし、この方法では大量生産するのに莫大な電力が必要となり現実的ではない。

史実に於いて石鹸発明時のように海藻を燃やして残ったソーダ灰から苛性ソーダを得る方法もあるが、これは大量の海藻を集める手間が掛かったり、強い洗浄力を求める上で高い純度が求められたりすることから論外となる。

そこで採用されたのが所謂(いわゆる)『ルブラン法』であり、海水と硫酸を混合して硫酸ナトリウムを作り、それに木炭(炭素)と石灰石(炭酸カルシウム)を混ぜて焼くことで大量の苛性ソーダを確保した。

これを濃縮することで十分な品質の苛性ソーダを得ることができるのだが、苛性ソーダこと水酸化ナトリウムは強いアルカリ性を示す劇薬であり取り扱いには注意が必要とされる。


因みに富裕層向けの高級石鹸はいとも容易く開発できた。椿の種から採取した椿油を原料油脂として使用し、後述の塩析肯工程を経てジャスミンから取り出した精油と蜂蜜を添加することによって華やかな香りをつけた逸品だ。

当然ながら相応に値段の張る代物であり、帝への献上品や公卿(くぎょう)等が贈答品として重宝している程の高級品である。

それでは一般人に普及させたり、普段使いに使用したりするのは難しいため安価な石鹸を作ることが課題となった。そこで目をつけたのが尾張の焼き鳥屋台等から大量に出る廃油だ。

これまでは廃油の処理方法としてぼろきれ等に吸わせて焼却処分していたのだが、食品由来の腐敗臭や大量の煤を含んだ排煙を出すなどの問題となっていた。

そこで石鹸として再利用するにあたりまず濾過(ろか)を行って大まかなゴミを()し取り、沸点の違いを利用した油水分離処理を行い脱水し、最後に遠心分離を行うことによって油脂部分のみを抽出する。

静子たちが加熱しているのはここまで処理をおこなった元廃油であり、それでも奇妙な刺激臭が取り切れないで残されているのだ。


「それでは塩析(えんせき)を行います。塩を入れて下さい」


静子の号令一下、技術者たちが壺の中に大量の食塩を放り込んだ。

すると液状だった石鹸(にかわ)(石鹸の元をこう呼ぶ)の上部にそぼろ状のふわふわとした固形成分が浮かんでくる。この状態で暫く放置しておくと上部には固形化した石鹸の層、下部に食塩水の層とに分離する。

この作業を塩析と呼び、出来上がった石鹸層を再び過熱しながら水と塩を加えて塩析を繰り返すと洗浄力が高く無臭の石鹸を得ることが出来る。

これを再び熱して溶かし、今度は安価なローズマリーの精油を加えて加熱して水分を飛ばすと所謂グリーンハーブの香りがする廉価版洗濯用石鹸が出来上がった。

しかし、これでも工業用油の汚れを落とすには不十分であったため、今度は比較的安価な白絞油(しらしめゆ)(菜種油のこと)の廃油に対して水酸化カリウム(苛性カリ)と水を加えて釜で炊き上げ常温でも液状となるカリ石鹸を作ることになる。

こうして釜炊きを終えた液体石鹸はゲル状になる手前まで水分を飛ばし、そこに塩と乾燥させたレモンの皮から作ったスクラブと呼ばれる研磨剤を添加することで強力な洗浄力を確保した。

出来上がった液体石鹸を油汚れのついた衣類に付けて、ぬるま湯で揉み洗いをすると頑固な油汚れが嘘のように綺麗に落ちた。

その洗浄力に周囲から歓声が上がり、静子は生産手順を最適化して量産を始めるよう指示をし、一息つくのであった。







石鹸づくりが静子の手を離れた頃、各地に派遣していた農業士の成果が少しずつ形になり始めたとの報告が上がってきていた。

尾張式農法と呼ばれるようになった様式で作付けされた田畑は、従来とは文字通り桁違いの収穫量を誇り、東国各地から驚嘆の声が上がっている。

その成果を目の当たりにした各地の国人は(こぞ)って自分の領地へと農業士の派遣を望むようになったのだが、当の農業士たちは思ったよりも成果が上がっていないことに頭を悩ませつつも現地人の反応に喜びを覚えていた。

家康及び謙信は農業士たちの出した成果に満足しており、引き続き農業士の支援及び領地全体への展開を願う旨を静子に陳情する。

静子は農業士たちが尾張以外の土地でも目に見える程の成果を上げられた事を喜びつつも、更なる技術支援に対する主君の考えを伺うべく信長へと連絡を取った。

これに対する信長の返答は「好きにせよ」という素っ気ないものであり、彼の望む方向性と己の方針がずれていない事に安堵する。


「丸投げして貰えているのは信頼の証として、今後は他の技術者についても派遣し易い土壌が出来たね。三河と遠江(とおとうみ)には大豆を、越後には酒造関係の技術者を送ろうか」


これは初期の頃から信長と協力体制にあったため家康の領土に関して、食料自給率が既に底上げされており味噌や醤油作りに必要な大豆を作付けする余裕があることが関係している。

一方の越後に関しては清酒造りに対する熱意が強く、救荒作物である薩摩芋等の普及を待つ間に余剰米を流用した醸造にも注力して欲しいとの要望があった。

『人はパンのみにて生くるにあらず』という言葉があるように、嗜好品の普及による精神的満足度が明日への希望となると静子は考えており、各地の生活水準の向上に腐心している。

主目的である米の増産が成功している時点で農業士の派遣事業は成功と言えるのだが、各地域で主食以外となる様々な作物が取れるようになって欲しいという彼女の願いの下、追加支援の計画が練られることとなった。

こうして急に忙しさを増した静子邸が夏を迎える頃、静子に対して謙信から尾張訪問の伺いが届けられる。

かねてより朝廷への挨拶及び、信長と近衛前久(さきひさ)に会談するべく京と安土へ向かう計画を知らされていたのだが、自分の許へも立ち寄りたいとは思っておらず驚いてしまう。

静子からすると農業士の支援に関する意向を確認できるため渡りに船であり、謙信に対して歓迎する旨の返信を出した。

そこからが大忙しであった。何せ越後の人間は無類の酒好きが揃っており、七月上旬に差し掛かった今の状況では新酒の『呑切(のみき)り』にはまだ早い。

毎年の夏恒例となっている呑切りとは、秋口に掛けて仕込んだ日本酒を貯蔵している樽を開栓し、着色はないか、香りや味の熟成度合いを確かめる品質検査を指す。

手塩に掛けて育ててきた我が子たる新酒に出会える緊張と喜びのイベントであるため、酒造に力を入れようとしている謙信には立ち会って欲しかったのだが仕方ない。

その罪滅ぼしではないのだが、謙信に随伴してくるであろう越後の人々をもてなすべく酒の用意を手配することにした。


「これだけあれば大丈夫かな?」


念のため越後人である景勝と兼続に宴席用の酒類を確認して貰うことにする。

普段酒蔵へと立ち入ることのない二人は、見上げる程の高さにまで詰み上がっている酒樽の量に舌を巻いた。

二人は一声かけるだけでこれだけの酒を調達できる静子を空恐ろしく思いながら、辛うじて問題ない旨を返答する。

恐ろしく思うと同時に兼続は静子の自制心に尊敬の念を抱かずには居られなかった。

これ程の財と権力を(ほしいまま)に出来る立場にあるというのに、静子の私生活は驚くほどに質素だからだ。

(ひるがえ)って己が同様の立場にあったとしたら、権力を濫用したり浪費に走ったりせずにいられるだろうか?

戦国時代に生を受け、野心を持って育った己には難しいと思わざるを得ないことを二人は理解した。


「これから東国統治の一角を担うであろう我らも、襟を正さねばならぬな」


景勝はいずれ越後の統治を任される立場となる。他者からの期待を一身に受ける重圧の中、静子のように虚飾を排し誠実にありたいと思うのだった。


こうした為政者たちの思惑とは対照的に、東国の民草の間に顕著な変化が起こっていた。

それは織田の農業支援を受けて生産力が向上し、当面の食い扶持が安堵されて生活に余裕が持てるという実感を皆が持ったことに起因する。

つまり安定した生活を手放したくないという至極当たり前の欲求からくる厭戦(えんせん)気運であった。

厭戦気運とは文字通りいくさを敬遠する風潮であり、己の命を賭け皿に乗せてイチかバチかの博打をするのではなく、地道に田畑を耕し穏やかに暮らしたいと思うことだ。

そもそも、この時代のいくさは食料問題を発端に発生していることが実に多いのだ。

不作や流民の流入、疫病の蔓延などの予期せぬ事情で十分な食料を確保できなかった場合、ただ座して死を待つのではなく他者から奪うという選択肢を取るのは仕方ないとも言える。

しかし、十分な食料が手に入る見込みがあり、多少なりとも貯えを作ることすら可能となれば人々はどう思うだろうか?

誰だって己の命は惜しい、危険を避ける方法があるなら迷わずにそちらを選択する。


こうした民の風潮はともかく、武士階級に於いてまでも厭戦気運が広まってしまったのは誰もが予想し得なかっただろう。

特に下級武士にとっては一族を食わせてゆくことが大事であり、己の主義や主張、過去の遺恨などよりも皆が豊かな生活を享受できる道を選んだ。

これは実に甘い毒であった。織田家に恭順を示すことにより一度安定した生活を体験した者たちは、最早それを手放すことなど考えられないようになってしまう。

それ程までに飢餓とは耐え難い苦しみであり、明日をも知れぬ生活を送ることからくる心理的負担は大きいのだ。

腹一杯になるまで飯を食べられて、明日の飯を心配する必要もない生活は信長に対する反抗心すらもへし折ってしまった。

十分な栄養と休息を得た彼らに真っ当な判断力が戻ったともいえるだろう。

豊かさを与えることにより猛獣の牙を抜く妙手だと織田家中では静子の手腕が高く評価されたのだが、彼女としてはその様な意図はないため複雑な心境になるのだった。


「流石に尾張程の石高にはならないと思うんだけど、過度な期待はして欲しくないなあ……」


元より尾張は肥沃な土地がらであり、技術革新によって飛躍的に生産力を増やせるだけの地力があった。

尾張で成功した施策が他の土地で成功するとは限らないうえ、自然が相手のことだけに何が起こるかは予想できない。

今年は良くても翌年は突発的に不作に見舞われることも充分にあり得るため、常に予備の食料確保施策を並行で慎重に推進するよう静子は指示していた。

とは言え、この時代の経済は米本意制度と呼ばれる程に米という作物に依存しており、各国人も米の作付けを可能な限り増やしたいという気持ちは理解できる。

選択と集中によって米作りにリソースを投入すれば、確かに生産量は目覚ましく伸びるだろうが、万が一米が駄目だった場合は餓死者が出かねないという危険な政策なのだ。

更には各国からの支援要請が殺到しているため、教える側の人手不足も表面化している。

農業士の育成には力を入れてきたとはいえ、所詮は一国だけの人材に依存しているため東国全域を網羅できる程の人数を確保するには至らない。

当初の予定では派遣した農業士と共に農作業をすることで学んだ地元の人々が別の人々に教えるという、水平の技術拡散によってネズミ算式に教える人材を増やす狙いがあった。

しかし、農業支援を受けた地域が軒並み想像以上の成果を上げたため一気に需要が爆増し、供給が間に合わない事態となってしまう。

結局はない袖は振れぬということで、事前調査をしていない地域に関してはリスクが高い旨を受け容れるという文書を交わして候補を絞り、更にその中から抽選で選ぶ方式とした。

この抽選は(くじ)によって天意を問うものとし、不平不満を躱す狙いがあった。


こうした東国の動きによって西国の国人たちは酷く不利な状況に追い込まれてしまう。

何せ東西から織田を挟撃するという従来の織田包囲網を構築することが不可能となってしまっただけでなく、静子による開発支援が進めば進むほどに東西の経済格差が大きく広がってしまうという時間的制約までついてくるのだ。

現時点でも尾張・美濃二国だけで東国全ての国と勝負できるといわれる程に経済力が突出している。これが東国全体に広がってゆくのは、西国の国人たちにとって悪夢でしかない。

西国ではこの期に及んでも尚、織田家に対して恭順を選択するか徹底抗戦するかを決断できずにいる。

今でこそ西国攻略をしているのが秀吉と光秀の二人だが、東国が豊かになればなるほどに余剰戦力を西へ振り向ける余裕が出来てしまう。

仮に死力をふり絞って二人を追い返したとして、織田軍の主力たる信長軍と静子軍は無傷のままだ。

今は静観を決め込んでいる信長が本格的に行軍を開始すれば抵抗は無意味であり、逡巡している余裕すらなくなってしまうだろう。

少しずつ、されど着実に西国でも戦国時代の終焉が訪れようとしていた。







謙信が越後より上京し、朝廷及び信長への挨拶行脚の後、遂に尾張へと到着することとなる。

静子は接待の総責任者として彼らをもてなす宴席を催していた。


「皆が今日より良い明日が待っていると心から信じているのが窺える。明日の糧を得る為に他者から奪わねば生きられない世の中ではなくなろうとしている」


越後を出て今浜(現在の長浜)を経由し、京及び安土を歴訪し尾張に至った謙信は万感の思いで言葉を紡いだ。

織田領の何処へ行っても民たちが生活苦に喘いでいる様子はなく、大人も子供にも笑顔が溢れていた。

とはいえ領国ごとに貧富の差は確実に存在するのだが、それでも皆が一様に前を向いて生活していることが謙信は我が事のように嬉しかった。


「乱世を生きた身としては、いくさが無くなる事に一抹の寂しさを覚えるが、それ以上にいくさの終焉が喜ばしい。たった一握りの種籾を巡って親が子を売るような世ではなくなるのだ……」


この時代に於いて親が食い扶持を確保するために子を売ることは常習化しており、年老いて働けなくなった老人を捨てる(うば)捨てなども横行していた。

寒さの厳しい東国に於いてはその傾向がより顕著であり、そんな状況を長らく見てきた謙信は、子供が遊んでいる様子を老親が見守り、両親は労働に汗を流す様を心の底から美しいと思った。


「この光景は近い将来の越後の姿となりましょう! いえ、絶対にしてみせるのです」


謙信の傍に座している景勝が拳を掲げて気炎を吐いた。いくさ人の活躍の場が無くなることに寂寥(せきりょう)感を覚えない訳ではないのだが、それ以上に家族が互いに慈しみ合って生活出来る事への憧れが強い。


「……仮に我らがいくさで織田殿を破っていたとしても、この光景を目にすることは無かったであろうな。結局他者から奪うことしか出来ぬ者では皆を笑顔にしてやれぬ」


戦国の世と言う過酷な状況下で、少ない食料を互いに奪い合って争っていてはじり貧に陥ることは目に見えている。

それでもその日一日を生き抜くためには奪わずにはいられない。人が人らしく生きる為には奪うのではなく、分け与えるのだと判ってはいた。

しかし、それは現実を見ない絵空事だと彼らは諦めてしまっていたのだ。しかし、信長はそれを成して見せた、ただこの一事を以て恭順を選んだことが間違いではなかったと思える。


「恐れながら、我らがどれ程いくさに強くとも彼らには勝利できなかったことでしょう。彼らが窮地に陥った際には、彼らに糧を分け与えられた者が立ち上がり、その連鎖が途切れないのですから」


「確かにな。どれだけいくさ巧者であろうとも、所詮は命を奪うだけのこと。口減らしに子を売る親となんら変わらぬことに今更ながら気づかされたわ」


謙信は信長が窮地に陥った宇佐山の戦いを知った折、その戦いぶりに戦慄を抱かずにはいられなかった。

この時代における負けいくさでは、兵は散り散りになってしまい統率など出来ようはずもないのが常識だ。

しかし宇佐山の戦いに於いて殿(しんがり)を務めた兵たちは、最期まで逃げずに戦い抜いたのだ。

逃げる機会など幾らでもあっただろう。現場を検分した者が残した手記には、彼らの遺体の殆どがまともな状態ではなく、四肢が欠け矢がハリネズミのように刺さっているものすらあったと記されている。

それでも得物を手放さず、敵兵であろう遺体と相打ちになっていたと言うのだから驚嘆する他ない。

誰かを守るために命を賭して死兵となったものは、それ程までに恐ろしいのだ。


「あれこそ精神が肉体を凌駕(りょうが)した証左よ。正に一騎当千の(つわもの)なり、わしならば尻尾を巻いて逃げておる」


「某でも逃げまする。最初から命を捨てて相打ちを狙われては、生き残りたいと願う者に勝ち目がございませぬ」


二人とも軽口を叩いている風を装っているが、これは紛れも無い彼らの本音であった。

己の身を省みない死兵を前にしては鍛え上げた技量も意味をなさない。どれ程の武の境地に至ろうとも、攻撃する際には隙が生じる。

攻撃を回避しようとするから反撃が当たらないのであって、一切避けずに受けて反撃されれば隙を突かれてしまう。


「今後に於いて死兵と戦うことが無いことを祈ろう。我らの目標は尾張の民達のような生活を越後に齎すことだ」


「然り。そうなれば越後でも旨い飯が食えるようになりましょう」


「旨い酒も、な」


先ほどまでの暗い雰囲気が一掃され、食い物の話となった途端に二人は饒舌になった。

旨い飯と酒、この二つさえ揃えば世はすべてこともなしと言わんばかりに二人の表情は子供のように輝いている。


「許されぬ願いとは理解しておりますが、ふとこのまま静子殿の下で人質生活を続けたいと思ってしまうのです」


「ほう! それほどならばわしも体験したいものよ。隠居する折には尾張に身を寄せるべきか……」


「静子殿が子育てする際に掲げておられた方針が、よく食べ、よく遊び、よく学び、よく眠るとのこと。本来はよく働き、という一節もあったのですが、静子殿の働きぶりを見るに、そこだけは見習わぬ方が良いとのことで外されました」


「民の口の端に上るほどだからな、静子殿の働きようは。後継ぎが出来る前には織田殿に直談判する者すらいたと聞き及んでおる」


「流石にあれに関しては織田殿に同情を禁じ得ませぬ。織田殿はむしろ率先して休むよう働きかけておられましたからな、本人は指摘される度に休もうとするのですが気が付けば働いているらしく……」


「己の為に粉骨砕身してくれる臣下は有難かろう。しかし、それが己の評判を落とす羽目になるとは織田殿も悩ましかったであろうな」


「四六殿が後継者となり、彼女も仕事量を抑えるようになってようやく落ち着いております。また静子殿の臣下が育ったのも大きいかと、彼女でなければ出来ない仕事というものを極力排するように皆が尽力しておりますな」


静子は信長に仕えて以来、仕事量が増えることはあっても減らしたことは指折り数えられる程度でしかない。それで居ながら自他ともに認める健康体を維持し、精力的に動き回っていたため誰も口を挟めなかった。

そして静子の為ならば己の命すら惜しまない足満ですら手を出せなかったことからも、静子の仕事中毒を制することが難しかったことが窺い知れる。

恐らく静子は情報中毒になっており、ゆっくりと休んで寛いでいると入ってくる情報量が制限され、普段との格差から仕事を求めてしまうのだろう。

結局は信長が行ったように、強制的に仕事を取り上げてしまい情報量が少ない状況に慣れさせることから始めない限り、元の木阿弥となってしまうのだ。


「彼女の行動原理は未だに判りませぬ。基本的には無欲な御仁なのですが、何故か妙なモノに興味を示されるのです。この前も京で何やら古めかしい紙束を見つけて喜んでおられました。少し拝見させて頂いたのですが、汚らしい襤褸(ぼろ)切れに乱雑に愚痴が書き連ねてあるだけでおよそ価値があるように思えず首を傾げました」


「わしも後継者の絶えた家の蔵から見つかった書物を譲ったら、大量の返礼品が届けられたぞ。どうにも静子殿は古い書物に価値を見出すようだが、わしにも手(すさ)びの日記に何の値打ちがあるのかは判らぬよ」


そう遠く隔たって居ない時代に暮らす彼らにとって、少し昔の先人が書いた日記やら落書きやらには何の価値も見いだせない。

しかし、遥か未来で生を受けた上に歴女である静子にとっては失伝してしまった当時の状況を知ることが出来る資料であるため、喉から手が出る程に欲しいものとなる。

失伝してしまった事を知っているからこそ一次史料を纏めて編纂し、後世に残そうと考えている静子の思惑は理解できないだろう。

この条件で言うならばみつおにも当てはまるのだが、彼は理系よりの人間であるため歴史にそれほど思い入れが無い。

因みに未来で過ごしたことのある足満にとっては、連綿と受け継がれた技術の重要性は理解するものの、勝者によって恣意的に編纂される歴史なんぞには興味すらなかった。


「彼女のお陰で図書館には膨大な蔵書があり、沢山の学びを得られる某としては有難いところではありまする。司書殿に見せて頂いた図書目録からすると、何故これを蒐集したのかと謎になる資料も多くございます」


「我々凡人にとっては無価値なものであっても、静子殿程の才人であれば違うものが見えておるやも知れぬ」


二人にとって静子の蒐集癖はおよそ理解できるものではなかったが、必ず対価を払って譲り受けているため咎めるものでもない。

彼らにとっては酔狂な行動として目に映るだけである。


「ここに至っては東国の者を唆して反織田の勢力を作り出すのは不可能であろう。毛利の許に身を寄せておられる、かのお方は一向にご理解されぬようだがな」


「我らは織田殿が描く未来が最良と判断して下った。そして他の者はいくさにて雌雄を決した。既に完膚なきまでに決着がついておりまする」


「うむ。天は織田殿に味方したのだ。我らは民が苦しまぬよう織田殿の治世を見守りつつ、より良い明日を子供たちに残すのが使命よ」


謙信は信長を盲信しているわけではない。人は誰しも突如として豹変する可能性を秘めているため、仮に彼が民を圧政で苦しめるような存在になれば、己の武を以て信長に異を唱えることを躊躇しない。

謙信が求めるのはいくさのない、民が安心して暮らせる世なのだ。

我欲を満たさんが為、民たちが犠牲となるような乱世を望んではいない。


「織田殿の治世が永久に続くとは思わぬ。万物は流転するゆえ、必ず終わりは訪れる。だが、少なくとも我らの目が黒いうちは、そのような暴挙を見逃さぬ」


「我らもただ平和を享受するだけではなく、変化に目を光らせねばなりませぬな」


謙信は景勝の言葉に頷くと、この話はもう終わりだと言わんばかりに豪快に湯呑を呷った。


「これほど盛大な宴席で茶しか呑めぬのは口惜しいが、明日の静子殿との会談に向けて鋭気を養わねばならぬな。少なくとも東国の未来は、彼女の双肩に懸かっていると言っても過言ではあるまい」


「案ずるより産むが易しということもございます。某はそれほど心配しておりませぬ」


景勝は謙信の言葉に笑みを浮かべながら答えた。


「お主らの姿を見た時は驚いたぞ。揃いも揃って旨いモノを食べ過ぎて、昔身に着けていた着物が入らぬとは、誰が想像できようか」


「お言葉を返すようですが、無駄な肉がついたわけではございませぬ。十分な食事と日々の鍛錬によって一回り体が大きくなっただけにございまする。酒量が増えた事については言い訳のしようがございませぬが……」


「羨ましい話よの。わしの許には毎月医者が通ってきて、酒について厳しく指導されているというのに」


「しかし、そのお陰で御実城(おみじょう)様の具合が良くなったと聞き及んでおりまする。静子殿によれば今の状態を維持できるなら、徐々に飲酒についても規制を緩めて良いと仰っておられました」


「何とも喜ばしい話だが油断は出来ぬ。毎月の診察の結果が思わしくなければ、即座に締め付けが厳しくなろう。以前、付き合いで深酒をした折には飲み食いの全てを管理されたゆえな」


謙信は以前、他国の国人との会談に於いて酒を酌み交わす必要があり、思いのほか話が盛り上がってしまい深酒に至ることがあった。

その後も定期的に会合を持つ度に飲酒していたところ、翌月の診断でたちどころに病状の悪化が発覚し、それに対する罰則は一日に取れる塩分量から水分量に至るまで完璧に管理された生活を送る羽目になった。

飲食全てに於いて医師が連れてきた助手に監視され、周囲の者も巻き込んで一切の自由が封じられた生活は流石の謙信とて骨身に染みた。それ以来謙信は、定められた酒量を守っている。


「家臣は終始わしに付き従う監視の者に暗殺を心配しておったようだが、静子殿より派遣された医者にかからねば数年で命を落としていたであろうと諭され態度を変えおった」


「疎ましく思われようとも御実城様のお身体を治そうと尽力して下さったのです。暗殺などせずとも放置すれば目的は達せていたことでしょう」


「彼らは疑念を掛けられても尚、職務に忠実であった。己の仕事に対する矜持は、我ら武士にも劣らぬだろう。疑った家臣が己を恥じる程にはの」


謙信がいくら煙たがっても強硬に彼に付き従い、一挙手一投足に注意を払う助手の姿に彼らを糾弾する声を上げるものが現れた。


「我らは静子様より直々に上杉様のお身体を治すよう命を受けておりまする。命を救わんとする我らが暗殺を企てるなど、静子様の意に背く行為は天地が逆さまになろうとも行いませぬ。それでも尚、ご納得されぬのであれば怪しい様子を見かけ次第斬り捨てて頂いて構いませぬ」


これに対し助手たちは言葉を荒げることすらなく、淡々と冷静に返した。

医師だけでなくその助手に至るまで、静子に対する忠誠心が行き届いている様を見て、疑いの目を向けた者は己の性根を恥じて謝罪する。

助手たちも貴人に付き纏いをする以上、暗殺の疑いを向けられることは重々承知しており、謝罪を受け容れそれ以上のもめ事に発展するようなことは無かった。

むしろ医師や助手たちが腹を割って話したことで、謙信の家臣たちは医師たちの職務に対する誠実さに惚れ込み交流を深めるようになる。

最初はぎこちない関係であったが、数か月も経てばすっかり打ち解け、中には個人的な友誼を結ぶに至るものすら現れた。


「恐らく静子殿とて予想していなかっただろうが、あの者達の尽力があったからこそ、家臣達も彼らが心底心酔する静子殿を信用できたのだ」


謙信の言葉に景勝は笑みを浮かべて頷いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 結構長い作品にも関わらず、毎回面白く拝読しています。 [気になる点] 天下泰平も大分ハッキリ見えて来たようですが、日常のエピソードが多くここらでなにか突拍子もないエピソードがほしいところ…
[一言] 静子30ですよね… 子育て云々兎も角、恋愛なく仕事オンリーなのは可哀想かと
[一言] 休めって口を酸っぱくなる程言ってるし、なんなら強制的に休ませようとしてるくらいなのに、民衆から静子を馬車馬の様に働かせてるって思われてるノッブ可哀想ww
感想一覧
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