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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正六年 織田政権
234/246

千五百七十九年 四月中旬

時は少し(さかのぼ)り、九鬼水軍と毛利・村上水軍との海戦が勃発する数日前、羽柴秀吉は焦っていた。


「西国征伐に於ける武功は、鳥取城を無血開城したことで皆に一歩先んじておる。しかし、先だって日向守(ひゅうがのかみ)(明智光秀のこと)が寡兵で上月城を攻め落としたことで差が縮まってしもうた」


秀吉の言葉通り、光秀は上月城での戦いに於いて大砲部隊を用いて見事な戦果を挙げてみせた。

無血開城によって設備及び兵員までをも確保できた秀吉の方が戦功としては一歩上をゆくものの、近隣の城と連携する上で要となる上月城を僅かな期間で攻略して見せたことが高く評価されている。

秀吉の焦りの根幹には、秀吉軍と光秀軍との性質の差によるところがあった。

秀吉自身は信長に仕える以前、今川氏の配下であった松下加兵衛に仕えて頭角を現していたように、農民の子(足軽の子であったとする等、諸説ある)として生を受けたため学は無いものの頭の回転が速かった。

所謂(いわゆる)地頭が良いため物覚えも良く、心の機微を察する能力が高いためか人の懐に入り込む術に長けていた。

本人の高い能力とは裏腹に彼の出自が長く続いた武家の系譜ではないため、譜代からの家臣と言うものが居らず、脇を固める家臣団という点に於いて光秀に大きな差を付けられている。

この傾向は彼の軍に於いても顕著であり、兵数こそ多いものの学の無い者が多く、高度な軍事行動など望むべくもないのだ。


両兵衛(りょうべえ)(竹中半兵衛と黒田官兵衛の二人を指す呼称)を得たことで、戦略的な作戦を練ることは出来るようになったものの、その作戦を遂行できるだけの下士官が圧倒的に不足している」


こうした秀吉の悩みとは対照的に、光秀の軍には武家の身内で十分な教育を受けた兵が揃っており、静子から借り受けた全く新しい兵器や装備に対してもいち早く順応することが出来た。

反面、こうした質の高い兵士というのは得難いものであり、秀吉軍のような大軍を擁することが出来ず少数精鋭となってしまうことが光秀の悩みでもあった。


「無いものねだりをしていても仕方がない。わしは今あるもので都合を付け、毛利の居城たる吉田(よしだ)郡山(こおりやま)城を攻め落とさねばならんのだ!」


そうした背景から秀吉は、本格的な毛利攻めを行うべく大軍と評するに相応しい部隊を編成しつつあった。

そんな折に毛利方と九鬼水軍との海戦勃発の報が彼の許へと届けられる。

計算高い秀吉は早速頭の中で算盤(そろばん)を弾き始めた。九鬼水軍は信長肝煎りで整備されており、従来の船舶とは隔絶した性能を持っていることから負けることはまずあるまい。

毛利の目が海に向いている間に陸地に対して大胆な攻勢を掛け、あわよくば前哨基地の確保が出来ればと秀吉は動き始めた。


「静子様より西国征伐に関するある程度の裁量を頂いておりますゆえ、羽柴様の軍事行動に対する物資の追加支給を検討いたします」


秀吉は毛利が海戦で手一杯の間に、少しでも自軍に有利な戦況を作り出すべく兵站を担う静子軍所属の真田昌幸へ使者を送った。

別件で藤堂高虎が不在であるため、即座に電信を用いて静子の意向を確認することが出来ないものの、昌幸は秀吉の要望と作戦概要が記された文書を受け取る。

許可を得て中身を検め、ざっと目を通したところ、以下の事が判明した。

秀吉は吉田郡山城を攻めるにあたり、鳥取城から中国山地を越えて南下し安芸(あき)国を目指す。

高く険しい中国山地(全行程70キロメートル程度)を越えるため、その前後及び途中の一定距離もしくは水を補給できる地点ごとに中間拠点を設けて山越えを支援する。

安芸国に入れば三次(みよし)郡へ集結して前哨基地を構築し、吉田郡山城を臨む足掛かりとする。

全軍を三部隊に分け、必要最低限の武装のみをした先遣隊が、現地の杣人(そまびと)(木こり等の山へ日常的に立ち入る人)等を案内人として雇って山越えのルートを確保する。

次いで本隊が先遣隊分の補給物資を持って入山し、本隊は先遣隊が作り上げた中間拠点で合流し物資を渡したら待機する。

補給を受けた先遣隊は再度先行して次の中間拠点を構築し、待機している本隊は補給部隊の合流を待って本隊の補給及び先遣隊分の補給物資を抱えて再度出発する。

こうしてシャクトリムシのように徐々に徐々に補給を受けつつ越山する。

実に秀吉らしい電撃的な作戦であった。整備された街道を避けて山に紛れて大軍を運用し、一気に敵本拠地の目前に前線基地を建ててしまおうというものだ。

敵方に秀吉の動きが察知されていなければ充分に実現可能な作戦であり、リスクに対するリターンも申し分ない。

早速昌幸は、現時点で動員できる兵站部隊と京から日本海経由で鳥取城に至る補給路の様子及び、既に備蓄されている物資の目録を調査させる。


「正式な返答は追って行うが、第一報として恐らく問題なく支給できるとお伝え頂きたい」


昌幸はそう言って秀吉の使者へ渡す文を(したた)める。

冬季の軍を動かせない間に相当数の物資が鳥取城から最寄りの港湾に集積されており、それらの扱いについては昌幸が静子から一任されていた。

その物資を流用すれば当面の行軍に際して問題なく秀吉軍を支援でき、また減った分の補填を京へと依頼し、逐次補給を行う計画を立てる。

継続して支援出来る体制を構築しつつ、不測の事態へと備えるだけの人員を確保できるかが今後のカギとなるだろう。

昌幸からの返答を受け取った使者は礼を告げて鳥取城へと戻るべく早馬を飛ばした。

秀吉の使者を見送った昌幸は再び作戦概要書に目を落とす。

高低差の激しい山中を相当距離に亘って行軍することから、補給の失敗は容易に死を招く。

また最後尾にあたる補給部隊に対して兵站部隊が補給を実施する必要があり、補給線はどんどん延伸していくことになる。

当然ながら山中に荷駄が通れるような整備された道などあるわけもなく、物資は人力で運ぶ他ないとなればその補給の全てを兵站部隊で担うことは難しい。

そうすると兵站部隊は最後尾の中間拠点まで物資を運ぶことに専念し、それ以降の拠点間の物資運搬は補給部隊が所謂ピストン輸送で賄うしかない。

こうした輸送計画を綿密に詰めた後、秀吉に対して本隊の人員を補給部隊に割いて人員を増やすよう働き掛けるなどの工夫も必要となるだろう。

兵站部隊にとっても秀吉軍にとっても負担の大きい軍事行動となるが、それでもやる価値があると昌幸は見ていた。

流石にことがここまで大きくなってしまっては静子に対して報告と相談をする必要があり、昌幸の裁量を超えてくる。

昌幸は高虎の帰還を待って尾張の静子に対して状況報告及び、兵站部隊を動かす許可及び兵站部隊自体の増員を申し入れることにした。


「そうですか、難所の山越えを強行し毛利の喉元に刃を突きつける作戦ですね。噂に名高い両兵衛も計画立案に加わっているなら成算は高いのでしょうね」


定時連絡の際に昌幸から報告を受けた静子は難しい表情を浮かべていた。

静子が元居た時代には、鳥取と島根の県境から広島県三次市に向けて松江自動車道が通っている。

今回計画に挙がっている山越えルートは、ほぼその松江自動車道に近いものとなるだろう。

一つ異なっているのは、松江自動車道は平成時代の技術で以て山に16ものトンネルを開通させ、自動車が走行できる道路を敷設したということだ。

戦国時代に於いて幾つもの山を掘り抜いて道を通すなど夢のまた夢であるため、相当な難事となることが予想できる。

現時点では対毛利の戦況は織田方優位で推移しているため、ここまで無理をして山越えを行う必要があるのだろうかと静子は考えた。

何故か戦功で優位に立っているはずの秀吉が、功を焦っているのが気にかかる静子としては即座に決断をすることが出来なかった。

春とは言え深山幽谷に於いては残雪も懸念されるため、静子は最終的な判断を信長に委ねることとした。


「ふむ、貴様の見立てでは山越えをせずに山脈を迂回して光秀と合流した後に、決戦に挑んだ方が損耗は少ないと踏んだのだな?」


「はい、無理を押してまで山越えをしたところで毛利の降伏が半年早くなる程度かと……」


「よい、わしが許す! 猿めの野心も()んでやらねばなるまい。あの二人は互いに競わせた方が良い結果を出すのでな」


「は、はあ……(あて馬にされる明智様はどう思われるかな?)」


信長の鶴の一声によってこの計画は承認され、静子はその計画実現に向けて兵站軍を活用して支援を行うこととなった。

西国攻めの戦功争いは秀吉が一歩先んじているというのが皆の認識であり、更なる戦功を求める秀吉の貪欲さが良い方に転がれば良いと静子は願うのだった。







九鬼水軍と毛利・村上水軍との海戦の結果は、西国の国人たちに激震を齎した。

海戦に於いて負けなしと誉れ高き村上水軍と毛利の水軍が手を取り合った連合軍に対し、圧倒的な強さを見せつけて九鬼水軍が勝利したという事実が余人に大きな衝撃を与える。

中でも九鬼水軍の旗艦たる鉄甲船『日輪丸』の威容が喧伝され、その特異な黒鉄の装甲を纏った大型船であることからいつしか『黒船』と巷間で(ささや)かれるようになった。

完全に制海権を失ってしまった毛利方はすっかり萎縮してしまい、これ以降目だった軍事行動を起こさず亀のように城に籠ってしまっている。

毛利としてはこの一戦が勝てるいくさだと踏んでいた。何せ幾たびもの苦境を覆してきた静子は東国から動けず、九鬼水軍だけならば容易に圧倒できるだけの船を調達したという自負もあった。

しかし蓋を開けてみれば言い訳のしようがない程の完敗であり、僅かに残った船舶では船団を形成するどころか港を守ることすら覚束ない。


「長宗我部殿による四国統一がなされた今、毛利はかつてない苦境に立たされておる」


「毛利の家臣共もかつてない状況に揺れ動いておろう、今こそダメ押しの一手をくれてやらねばなるまい!」


秀吉は鳥取城に配下の将を集めて軍議を行っていた。議題は先の海戦の結果を受けて、山越え攻略の是非についてだ。

更なる手柄を立てたい秀吉は乗り気だが、どう急いだところで三月(みつき)は掛かろうという大作戦であるため、その頃には毛利も立ち直っているのではないかと言う意見が交わされていた。


「瀬戸内での航行を制限された以上、毛利共は満足な補給を行えますまい。急ぎ山越えを行えば、奴らがあてにしておるであろう今年の収穫が満足に出来なくなるというもの」


「然り! 逆に我々が秋までに周囲を制圧できれば、この収穫が我々の物となるゆえ毛利の痛手は計り知れまい」


竹中半兵衛の言葉に黒田官兵衛が早期戦力展開の利点を述べる。


「なるほど、そこまで見越しての作戦ならば野火が枯れた草むらを焼き尽くすが如く毛利の領地を蚕食できよう」


秀吉の弟である秀長は両兵衛の言葉に賛意を示した。

主君たる秀吉が旗を振り、秀吉軍の中でも大きな派閥を形成している秀長が賛同したとなれば、意見の統一は決まったようなものとなる。


「もはや毛利など恐るるに足りぬ。しかし『急いては事を仕損じる』とも言う、我らはかつて播磨で手痛い裏切りにあっておる。故に石橋を叩いて渡る慎重さを持ちつつ、可能な限り早く準備を推し進めねばなるまい」


秀吉軍は信長が抱える方面軍の一つに数えられる。東国征伐を終えて西国征伐にシフトしている今、西国攻めに参加している各軍は静子の兵站軍による全面的なバックアップを受けていた。

十分な糧食及び軍備などを与えられつつも、秀吉軍の進行速度が遅いのには理由があった。

かつて秀吉は勢いに任せて侵略を急ぐあまり、足場固めを疎かにしてしまい播磨の国人であった別所長治の裏切りを許してしまうという大失態を犯している。

この件に関しては信長より直々に叱責をされており、同じ失敗を重ねてしまえば秀吉の立身出世の道は途絶えてしまうだろう。

かつての反省を活かした山陰の攻略は順調であり、進行速度はやや遅いとされるものの支配地域の安堵が行われており、新たに獲得した領土から利益を上げられるように支援も惜しまない。

こうした成果は逐一信長にも報告されており、その姿勢が評価されているため信長をして督戦するような真似はしていなかった。


武庫(むこ)山(現在の六甲山)を含む地域に静子殿が酒職人を派遣して下さいましたが、どうやら酒造りに適した土地だとのこと。まだ見込みの段階ですが、恐らくこの地域で有数の良い酒を仕込めるとのことです」


「それは重畳、酒は多ければ多いほど良い。尾張の清酒が如何に天下に名を響かせようとも、やはり西国まで運べば舶来物にも匹敵する値となってしまう。そこに我らが安く旨い酒を提供できるとなれば、皆が挙って求めるというものよ」


西国征伐に赴く前、今浜(現在の長浜)を拠点としていた秀吉は、近畿圏に於いて尾張の清酒が高く評価され珍重されているのを知っていた。

しかし如何に高品質であろうとも、長距離輸送による品質劣化や輸送費が上乗せされることによる価格高騰を招き、およそ一般庶民が手を出せるような値段ではなくなってしまっているのが現状だ。

一部の富裕層にはその高値ゆえに尾張の清酒を飲めることがステータスとなっており、己の権勢を示す目安として求められているという実態がある。

要するに高級路線でブランディングされており、数が出ない代わりに一本当たりの利幅が大きい商品となっていた。

そこに秀吉は活路があると考える。この時代の人の営みにとって酒は切っても切り離せない存在であり、庶民をはじめ武家は勿論、公家や仏家に至るまで酒の需要は引きを切らない。

現時点では尾張の清酒は京近縁と尾張一帯にしか出回っておらず、西国で醸造に成功すれば市場を独占することすら可能となるだろう。

ただでさえ大所帯である秀吉軍にとって、西国の酒需要を一手に担うことは必須であった。


「明智めには負けておられぬ! 畿内に於ける奴の名声はとどまるところを知らぬ、奴の一声で市場が動くとさえ言われておる」


京を含む畿内に於いて光秀の影響力は年々大きくなっていた。大坂は朝廷より近衛家が統治を委任されているため例外となるが、それ以外の場所に於いて光秀の影響力は無視することが出来ない。

秀吉としてはライバルたる光秀の影響力を少しでも削ぎたいところなのだが、家柄に優れ学があり、弁も立つ光秀相手では交渉ごとなどでは歯が立たない。

幸いにして優位な戦功争いを決定づけるためにも、秀吉としては毛利を討ち取ったという手柄が是が非でも欲しいのだ。

最低でも秀吉の手によって西国征伐は成功したと言われるぐらいでなければならないと考えていた。


「夏までに山越えを成し、冬が訪れる前には毛利を攻め落とさん! しかし、その為に無理をして失敗を招いては本末転倒。慎重かつ大胆に攻めねばならぬ。ここが勝負所よ! 皆の一層の奮起を期待しておる」


「はっ!!」


秀吉の言葉に秀長を含む全家臣が力強く返事をした。







周囲が慌ただしくなるなか、対照的に静子は暇を持て余していた。理由はもはや恒例行事となりつつある信長からの休暇命令によるものだ。

静子の哀しい習性として、周囲が慌ただしく働いていると何か手伝おうとしてどんどん己の仕事を増やしてしまうというものがある。

今回の西国征伐に於いても、その兵站軍の差配に手腕を発揮していたのだが、信長からの朱印状が届けられて強制的に休まされているのである。

かねてより課題となっている権限移譲と、静子が居なくとも仕事が回る体制づくりを実現するための一歩という大義名分を掲げられ、静子としては忸怩(じくじ)たるものを抱えながらの休暇となっていた。

しかも、今回の休暇に至っては外出制限まで掛けられてしまったのだ。


「こっそり視察に赴いたのがバレたかな?」


前回の強制休暇の折に、静子は一計を案じて物見遊山と称して各地の視察に赴いており、視察にかこつけてあれこれと口出しやら手だしやらしていたことが報告されてしまった。

今回の休暇では外出する際には計画書を求められ、信長の承認を得なければならないと定められてしまっている。

信長に対する静子の忠誠については、後継者たる信忠を除けばただ一人帯刀をしたまま信長の間近に座することが許されているといえばその信用の程が知れよう。

しかし、休暇を取るという一事に於いては彼女の信用など無いに等しい。ただのんびりと縁側で座って休息するということが難しい。

田畑や果樹園は取り上げられて久しいため、静子は己の屋敷内に小さな家庭菜園を設けて、日頃料理で使うこまごまとした野菜などを育てている始末だ。


「手慰みに正倉院(しょうそういん)の宝物目録でも作ろうかと考えたけれど、それは仕事だと言われちゃったよ。まあ年単位で少しずつ記録させて貰えることになったから、休暇明けからはコツコツとやっていくつもりだけれど」


最早静子のライフワークとなった芸事保護の任は、長年に亘って文化財の管理・保護を推進し続けた結果広く認知されるに至った。

その成果として本来勅使(ちょくし)(帝の使い)の立ち会いを必要とする正倉院の扉の開封さえ、事前に必要な申請をしさえすれば許されるという特権を得ている。

この特権を活かして静子が最初に取り組もうとしたのが正倉院宝物の目録作成であった。

現在正倉院の管理を任されている東大寺からは、いきなり全ての宝物を放出するのは人員的にも難しいと難色を示された。

静子としても是が非でも今すぐやらねばならない性質のものではないため、先方の提案を受け入れて毎年決まった点数を表に出して記録するということに決まる。

そこで静子が提案を受け入れる代わりに願い出たのが、最初の開封時に正倉院文書(しょうそういんもんじょ)を公開して欲しいというものだった。

正倉院文書とは正倉院にて保管されてきた文書群であり、一万数千点にも及ぶ文書には東大寺の運営に関する史料の他、戸籍や計帳等に関する日本古代史を知る上で欠かすことの出来ない一次史料である。

この膨大な資料を写真に収め、それを元に複製をつくって資料として纏めるのだ。興味が無い人からすれば焚きつけにも出来ないような紙きれなのだが、静子からすれば趣味と実益を兼ねたライフワークなのであった。


「……また何かあったの?」


初回開封時に複製させた平安時代末期に書かれたとされている、とある公家の日記に注釈を入れつつ編纂作業に没頭していると、静子は不意に人の気配を感じた。

そこから間者たちが緊急の報告をする必要が生じたことを察して、静子は日記に目線を落としたまま声を掛けた。


「四六様のご学友が不正に手を染めました。四六様の名を(かた)り金を集めているという裏付けが取れました」


「そう……では後は四六の判断次第ですね」


近頃四六の友人の一人が何やら不審な動きをしているという報告が上がっていた。

そこで静子は間者を使ってその友人を見張らせていたのだが、まんまと馬脚を露したという訳だ。

その友人は堺でなり上がった商家の子息であり、実家からの援助を受けつつ尾張で最新の学問に取り組んでいたのだが、折悪く実家の商売が傾いた。

元々少々強引な手法で成り上がったため、周囲の商人達から快く思われておらず、(たちま)二進(にっち)三進(さっち)もゆかなくなってしまう。

実家の窮状を耳にした息子は、尾張での学生生活は最早これまでと見切りを付け、行き掛けの駄賃とばかりに金を得ようと悪の道へと踏み出した。

四六の友人であるという立場を活かし、四六の名を騙って新たな事業への投資を呼びかけたのだという。

そして遂に間者は実際に投資金が彼の手に渡ったところを押さえ、その証文すらも手に入れているそうだ。


「為政者たるもの、たとえ親友が相手であろうとも悪を為した者には相応しい罰を与えなければならない。四六の名を騙って詐欺を働いたのならば、最早死罪は免れない。国人足らんとするならば、情を排して断罪できなければ為政者となる資格がない」


「……」


「情で法を曲げたが為に腐敗し、崩壊した国は枚挙に暇がない。公私の分別が出来ぬ者は、人の上に立ってはならない。私の後を継ぐのであれば、この試練乗り越えて貰わねば困ります。ゆえに四六に情報を流し、様子見をします。引き続き監視をお願いします」


「御意」


返事とともに間者の気配が空気にとけこむように消えた。暫く日記を読んでいた静子だが、ふいに顔を上げると小さく息を吐いた。


「もう少ししたら本格的に世代交代ですね。さて四六、貴方は大人になれますか、それとも童のままですか」


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― 新着の感想 ―
[一言] 史実の秀吉ら羽柴家は、段取りの天才である秀吉&秀長による「兵站構築力」が他の家臣団より高かったために、小身から躍進して方面軍司令官にまで出世した。 本作では静子が兵站をシステム化しているの…
[一言] …ま、まだ、ギリギリ20代だから…(震え声)
[一言] 静子には結婚して欲しいなぁー。 たぶん作者さんも諦めてるだろうし、東国の開発で忙しいから話的に書く余裕ないかもしれないけど。。。 もう、本多さんでいいやん。 結婚して欲しいなぁーーーーーーー…
感想一覧
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