考察『本能寺の変』
戦国時代に於いて歴史の転換点となった出来事と言えば、『本能寺の変』であろう。
天下統一に王手を掛けていた信長を、家臣である明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である。
「敵は本能寺にあり!」のセリフと共に知名度の高い事象ながら、その背景には多くの謎が残されている。
『光秀の三日天下』という言葉があるように、謀反に成功した光秀が『備中大返し』によって駆けつけた秀吉に討たれたことで謀反に至った動機なども不明のままだ。
謎多き本能寺の変だが、作中時点において起こり得るのか考察してみよう。
まず本能寺の変が起こるためには三つの条件を満たさなければならない。
一つ目は、織田家の当主たる信長と、その後継者である信忠を一度に襲撃できる状況にあること。
二つ目は、彼らを護衛する兵力が少ないこと。最後の三つ目は、彼らを援護できる兵力が付近にいないことだ。
一つ目については語るまでもないだろう。
信長もしくは信忠のどちらかが生き残ってしまえば、たちどころに織田家総力を上げての敵討が始まる。
信長と信忠の双方が一度に失われた場合のみ、織田家にとって継承の空白期間が生じて下剋上の機会となる。
ここで現状を振り返ると、信長は近江の安土に本拠を構え、他方の信忠は岐阜を治めている。
この二人が一堂に会する機会は稀であり、大抵の場合は護衛の為に大軍が控えた状態での会合となるのだ。
次に二つ目の条件である護衛の兵力が少ない状況はどうだろう?
史実に於ける本能寺の変では、信長が二百程度、信忠が一千程度の兵を率いてアウェーである京に滞在していたとされる。
そこに京をホームとする光秀が一万三千もの兵を率いて襲撃を掛けたのだから、勝ち筋など残されていなかっただろう。
翻って本作では、公家の重鎮たる近衛前久が京を掌握しており、また彼を護衛するための常備軍が駐留している。
更には京の治安を担う京治安維持警ら隊自体が静子の手により創設されており、いざとなればそれらを動員することすら可能となる。
これらの兵力を合わせれば余裕で万を数える大軍となり、襲撃者が数的優位に立つことは難しい。
更に京の静子邸には、研究中の連発銃である機関銃が試験配備されている。
これは単純な戦争の数的優位性を示した『ランチェスターの第一法則』を超える兵器であり、一人の兵士が百人の敵兵を倒し得る革命的な装備だ。
つまりは織田家に対して謀反を企てるに際して、京を舞台に選ぶのは最悪に近いと言える。
別の地域ならば可能かと言えば、それもまた難しい。
信長が普段滞在している安土城は、信長の御座所が故に大軍が常駐しており、生半可な兵力ではそもそも太刀打ちできない。
東国については静子主導の下、原則いくさを禁じた上で戸籍整備が進められているため、大規模な動員を掛けた途端に露見する仕組みが構築されつつある。
残るは織田家の勢力下にない扮装地帯であるが、そもそも戦死の可能性がある前線に信長と信忠が揃って向かうことはあり得ない。
奇跡的な偶然により、信長・信忠ともに少数の護衛のみを伴って前線に出て来ていたとしても、第三の条件をクリアすることが難しい。
前述の状況が発生したとして、その前線には必ず静子軍によって派遣された兵站部隊が随伴しており、戦闘を継続できる支援が提供され続ける。
つまり最前線に貴人が居る状況でかつ、兵数が少ないという憂慮すべき事態は早々に解決が図られるのだ。
偏った兵数分布はたちどころに適正数に編成し直すよう動員が掛かるため、援軍が来ない孤立した状態になることがない。
そもそもが軍事行動に関する兵装や糧食に関する計画の時点でチェックが入り、お家断絶という状況が発生しうるような無謀な計画ははねられてしまう。
以上のことから現時点に於いて『本能寺の変』または同程度の影響力を持った事件は起こしようがない。
何せ二人の安全性を担保しているのは、静子または彼女の軍によるところが大きく、その指揮権を握っている静子はといえば二人以上の引き籠り状態だからだ。
前線から遠く離れた尾張という領土に、堅牢な要塞都市を構えて動かないのが静子という存在だ。
金や権力は当然ながら色ごとに対しても欲を見せない静子は調略が不可能であり、信長と信忠を討とうと欲するならば、まずは静子を尾張から引っ張り出さねばならない。
これらの無理難題全てを満たす起死回生の一手を打てる存在がいるとするならば、それは因果を無視して結果を手繰り寄せる神仏に類する何かに他ならないだろう。




