上月城の戦い
信長の許可を得て、静子から砲兵部隊を預かった光秀は早速行動を開始していた。
西国を攻略するにあたり、羽柴秀吉は山陰地方から回り込むように毛利氏が待つ安芸国(現在の広島県西部)を目指し、明智光秀は勢力下に納めた播磨国(兵庫県南部)を拠点に山陽地方から安芸国を狙うよう備前国(岡山県東南部)を攻略しようとしていた。
破竹の勢いで進軍してくる織田勢に対し、毛利方も手を拱いている訳もなく、播磨から追い出され備前まで退いた天神山城の城主、浦上宗景は自らが放棄した上月城を再建して播磨奪還を図る。
上月城は播磨国の西端に位置し、備前国と美作国との国境からほど近く戦略的に重要な位置にあると言えた。
播磨国を掌握しつつあった光秀は、この浦上の動きに呼応するべく砲兵部隊を差し向けることにする。
攻略目標となる上月城は標高190メートルほどの荒神山の尾根に寝そべるように築かれており、土塁や堀切で周囲を守る堅牢な山城だ。
山中に攻め入って攻略しようと思えば、敵側の土俵で戦うこととなり相応の犠牲を生じることとなるのは目に見えていた。
そこで光秀は先遣部隊を派遣して砲兵部隊を展開できる麓の平地を確保させる。
次いで自らも本体を率いて現地入りし、周辺の地形調査及び砲兵部隊の搬入経路を整えた。
強力な攻撃手段である砲兵部隊だが移動中は完全に無防備であり、万が一にも襲撃されて虎の子の大砲を奪われる訳にはいかないのだ。
「一度逃げた鼠がこそこそと舞い戻りおって」
光秀の傍に控えていた側近の一人が言葉を漏らす。
西国攻めに於いては攻略に手間取っているという印象を与えないよう、犠牲を極力少なくした上で圧勝することを信長から命じられている。
今回の攻略対象である上月城は、難攻不落という程ではないものの周辺の城から援助を受けやすい立地にあり、城攻めが長期化し易い要素が揃っていた。
「一度は放棄した城ですから、窮地に陥れば再び逃げ出すことでしょう。その後押しをするとともに、我が軍に対して籠城をするということの愚を心に刻み付けてやるのです」
「前の実弾演習にて大砲の威力は思い知ったでしょうに……それでも城に縋るとは愚かしい」
側近の言葉に光秀は笑みを返し、荒神山の麓手前の平野にて陣を張った。即席の物見櫓が幾つも建てられ、中でも本陣付近の最も高い櫓に、これも静子から借りだした測距儀を据える。
これに対して浦上側からは何の反応もないままであり、そうこうしている内に車列を成した砲兵部隊が到着した。
「観測兵、目標までの方角と距離はどうだ?」
「視界明瞭、方角西北西、距離880メートルです」
測距儀に取りついてデータを取得している観測兵が叫び返した。
他にも風向き及びその風速なども計測し、そのデータをもとに砲身の角度及び向きを調整していく。
観測気球までは流石に借りることが出来なかったため、座標による精密射撃は望めないものの、この時代としてはあり得ない精度の砲撃が期待できるだろう。
砲兵隊長から光秀に砲撃準備が整った旨の報告があり、光秀は一度晴天の空を見上げて頷いた。
「撃て!」
光秀の号令一下、砲兵たちの手による観測射撃が行われる。発射数は三発、上空は地表よりも北寄りの風が強いのか、目標地点よりも揃って北方にずれた位置に着弾した。
物見櫓から着弾地点が観測できたのは最も南側に狙いを付けた三発目のみであり、それを元にして再度大砲の調整が行われる。
「次弾装填完了、いつでも撃てます」
「よし、撃て!」
再び光秀の号令とともに今度は合計十門の大砲が一斉に火を噴いた。面で制圧するように放たれた十発の砲弾は、上月城の主郭の東側をごっそりと削り取る。
防衛設備である土塁も堀切すらも何の意味もなさず、元は斜面であったはずの場所に残るのは深々とえぐり取られた後の崖のみだ。
基部がえぐり取られたことで土砂崩れが誘発され、主郭への出入りを防ぐ城門までもが土砂とともに崩落してゆく。
地響きを立てながら城門が崩れ落ちる光景を、手にした双眼鏡で眺めていた光秀は言葉を放つ。
「城内に動きが見えます。砲撃は一旦中断し、銃兵を前へ! 砲撃部隊は次弾装填、目標は直前と同じです」
「はっ!」
初手からここまでの戦力差を見せられて尚、何故か浦上側の士気は挫けておらず、打って出ようとする動きがみられる。
このまま砲撃を続ければ完全に封殺することも可能なのだが、相手が城から出てくると言うのならそれを迎え撃とうと光秀は考えた。
(実際に死人が出ないと現実を直視できぬのか……山を崩すほどの砲撃が人に当たればどうなるか想像すら出来ぬと見える)
そんなことを考えながら待つこと半刻、主郭を放棄して二郭へと移った浦上軍が一斉に斜面を駆け下り始める。
この時光秀は気付いていなかったのだが、直前の砲撃によって主郭内部は基部から傾いてしまい、城内部にもかなりの被害が出たため移動すらままならなかった。
勝ち目がないと悟った城主の浦上は、いち早く撤退を決断すると決死隊を募り、浦上たちが撤退する間の時間を稼ぐという非情な命を下す。
こうして城主を逃がすための時間を稼ぐために死んで来いと言われた兵たちが、決死の表情で斜面を駆け下りているのを見た光秀が叫ぶ。
「銃兵及び弓兵は駆け下りてくる兵を制圧せよ! 砲兵、目標主郭の南斜面! 調整が終わり次第撃て!」
せめて一矢報いんと斜面をばらばらに駆け下りてくる敵兵に向かって、光秀軍の銃兵及び弓兵が一斉に射撃を開始した。
直線弾道の銃弾と、山なりの軌道で降ってくる矢が敵兵に襲い掛かる。斜面を駆け下りてくるという立体的な移動であるため、どちらの射撃もそれほど命中しなかった。
それでも敵兵の二割程度が地に伏せる。元より死を覚悟している兵士は、それでも勢いを失わずに駆け続ける。
しかし、耳を劈く轟音と共に大砲の一斉射が行われ、敵兵たちが駆けている斜面全体が爆発したように土砂とともに吹き飛んだ。
これが点でしか攻撃できない銃弾や弓矢と、面で攻撃が可能な砲弾との違いであった。
敵兵は一瞬にして地形と共に消え去ってしまう。
捜せば息のあるものもいようが、直上からの砲弾及びその爆発による衝撃、巻き上げられた土砂などに打ちのめされて動く者すらいない。
凄惨な光景を生み出した光秀だが、彼の目には一片の慈悲すら宿っていなかった。彼らが無惨に命を散らすことが、今後のいくさを有利に進める糧となる。
その冷徹な計算が光秀を非情にさせていた。
「二度と再利用など出来ぬよう破壊してしまいましょう」
その後、二郭に対しても砲撃が行われ、かつて上月城と呼ばれた構造物は完全に瓦解した。




