千五百七十八年 十一月上旬
家紋とは個人や家族といった同じ氏族を示す紋章である。
家や一族の独自性を示す家名(屋号)に端を発しており、持ち物や建築物に刻むことでその帰属を明らかにする用途で用いられている。
そしてそのような家紋が刻まれた簪を髪に挿すということは、静子が織田家及び近衛家にとってかけがえのない人物であることを意味する
更には一門の当主自らが彼女の髪に挿し、また静子がそれを受け入れたことによって図らずもその絆の太さを周囲に示すことになる。
即ち、静子は猶子(血族外の養子)を超えた近衛家の重要人物であり、織田家直系の親族に匹敵すると公に宣言することとなった。
「それでは、参りましょう」
これほど重要な意味をもつ行為に静子が気付けなかったのは、『御馬揃え』出発直前であったこと及び静子が簪本体を目にしないように二人が髪に挿し込んだためだ。
信長は主君であり、前久は公私ともに世話を焼いてくれる義父である。そんな二人が褒美にと授けてくれたものを無下に扱うことなど静子にできようはずがない。
流石に髪型が乱れたのならば対応が必要だったのだろうが、周囲が何も言わないところを見るに問題がないのだろうと彼女は判断してしまった。
因みに周囲の者たちが何も口出ししなかったのは、簪があまりにも見事な逸品であったことと、それを戴く静子を誇らしく思ったためである。
御馬揃えの六番目に位置する静子隊は、進行役が出発の合図を出したのを見て馬を進める。
静子隊の先頭を務めるのは静子の馬廻衆が二人、傾奇者として知られる前田利益こと慶次と、可児吉長こと才蔵が露払いに立っている。
傾奇者の面目躍如といったド派手な意匠に身を包んだ慶次と対照的に、この時代の甲冑である当世具足とは一風変わった近代的な甲冑を纏う才蔵。
実に益荒男ぶりがする二人に続くのが艶やかな衣装を着こなしている静子であった。
沿道から間近で見ている者には、彼女が挿している簪の威容が目に飛び込んでくる。
何を差し置いても目を引くのは信長が彼女に与えた簪の飾り玉だ。レンズに使える程の透明度を誇るガラス球を半分に割り、金属に漆を塗る『金胎漆芸』の技法を用いて漆の鮮やかな色合いで織田家の家紋である『織田木瓜紋』があしらわれた金属板を挟み込んでいる。
家紋の外側は金箔が貼られており、金地に赤と黒で表現された家紋がレンズの効果で拡大されて浮かび上がるという至高の逸品だった。
一方の前久が与えた簪も、信長のそれとは別方向で優雅さを主張している。
彩をはじめとする静子の侍女の手によって磨き上げられた『烏の濡れ羽色』と称されるほどに見事な彼女の黒髪にあってなお、目を惹きつける艶やかな黒檀とその先端にあしらわれた桃色の瑪瑙と金によって作り出された桃の花。
桃の花からぶら下がるようにいくつも揺れているのは、高級な香木である白檀を羅漢彫りと呼ばれる技法で球形に彫刻された、近衛家の家紋である『近衛牡丹』だ。
信長の簪が皆の目を惹きつけてやまない『大衆の美』だとすると、前久のそれは見る人を選ぶが解る人には理解できる『洗練の美』であった。
事実として静子の姿を目にした豪商たちは、国宝級の簪を頭に戴いた静子の姿に息を飲み、彼女の庇護者からの思い入れに恐れ慄いた。
静子の装いに対する周囲の反応とは反対に、彼女は暇を持て余していた。沿道から届く大歓声に片手を振って応えながらも、馬の歩を進ませること以外にはすることがない。
そもそも御馬揃えは軍事パレードとしての側面が強いため、静子のように将ではなく兵たちならば調練具合を示す場になるのだが、将については個の武勇を示すことが求められる。
しかるに静子に関しては、兵站構築・維持や指揮、戦略面といった目に見えにくい功績で地位を得ている関係上、財力及び権力ぐらいしか強調すべきものがない。
女性の身でありながら大成した立身出世の象徴として同姓からは尊敬されるが、静子の勇名は聞き及べど姿を目にしたことが無い京の男達には想像以上に華奢かつ小柄で嫋やかな女性として映っていた。
必然的に静子に向けられる視線は羨望と値踏みが入り混じったものとなり、彼女としてはじつに居心地が悪かった。
この静子特有の問題点は早期から指摘されており、これに対する解決策として最新鋭の銃兵や砲兵を引き連れて重武装の軍隊で威を示すというものもあった。
しかし、それは武家と対立しがちな朝廷及び正親町天皇への威圧というメッセージになりかねないため見送られたという経緯がある。
(私も沿道から眺めたかったなあ……)
御馬揃えに参加することは大変な栄誉なのだが、歴女としての静子は沿道に配置されている撮影班と一緒になって歴史的イベントを観覧し、やれあの武将はどこそこの誰々であるとか、あの前立ては何を模しているのだとかの蘊蓄を周囲の人々に披露したいのが性分である。
静子が退屈を悟られないように愛想を振りまいていると、彼女を目の上のたん瘤とばかりに目の敵にしている堺の豪商たちは実に憎々しげに静子を睨めつけていた。
彼らは静子を目にし、見るからに覇気もなく袖から覗く手首も細くて簡単に手籠めに出来そうだと考えていると、彼女が頭に戴いた簪が警告を発する。
普段から高級品を扱うが故に解ってしまう、震えを覚えるほどの逸品が放つ威圧感と庇護者の家紋が示す武と権威の頂点という証。
さんざんに煮え湯を飲まされてきた静子に対して意趣返しをすることすら難しいという現実が、歯ぎしりという形をとって外部に漏れていた。
こうして静子にとっては退屈な、静子を敵視する者にとっては胃がキリキリと痛むような御馬揃えが終わった。
平時であれば四半刻もあれば到着する距離を何時間も掛けて練り歩いた静子は、大過なく一仕事を終えたことに安堵して思わず自分の肩を揉む。
馬から降りて衣装を脱ごうとした際に、ふと信長と前久から賜った簪に思い至り、簪を外して貰おうと小姓に声をかけた。
「も、申し訳ございません! 恐れ多くてとても触れられませぬ!」
しかし、簪を目にした小姓は軒並み震えあがり、誰一人として近寄ることすら拒む有様だった。
自分に見えない位置に挿されたため、不用意に扱って壊すのも嫌だなと他者の手を借りようとしたのだが、この反応を見ていると一体何が己の頭に載っているのか空恐ろしくなってくる。
結局は小姓が彩を呼びにいき、胆の据わった彼女ですら若干慄きながら簪を髪から引き抜いた。
「これは……確かに迂闊に触るのも憚られますね」
彩は信長と前久の気の入れ様を察して呆れてしまう。同時に小姓たちが怯んだ理由をも理解した。
いずれもが天下人と五摂家筆頭の面子と威信を掛けて作らせた逸品であり、艶やかな表面に己の指紋を付けることすら恐ろしい。
万が一にも己の不注意で破損せしめた場合に、一族郎党の命を以てしても贖えないであろうことは明白だった。
しかし、最初期から静子と関わりを持ち、彼女の無茶に付き合っている彩は怯まなかった。
それでも超が付くほどの高級品ゆえ、簪を持つ手が震えてしまうのは仕方がないだろう。
「こちらになります」
「ありがとう。え!? えーと、私はこれを髪に挿して馬に乗っていたのかな?」
彩から袱紗に包まれた簪を載せた小盆を受け取った静子は、恐る恐る指で転がして家紋が拡大されて見える様を眺める。
また前久から賜った簪は、家紋を立体的に彫り込まれた香木が芳香を放ってくる。素人目にも恐ろしく高級品だということがありありと窺える逸品を前に静子は腰が引けていた。
「残念ながら、静子様はこの簪を最初から最後まで挿しておいででした」
「そ、そう。コレを付けて……ね……」
幾ら現実逃避をしていても、過去は変えられない。静子はがっくりと肩を落とした。
確かに自分を睨むような視線で見てくる人がいるなあとは感じていたのだ。
静子の東国管領就任は、既に世間に広く知れ渡っている。堺に拠点を構える豪商たちは、静子が関東という僻地に赴任すると思って快哉を上げた。
邪魔者が居ない隙をついて、彼女の経済圏を蚕食してやろうと企む。
しかし、蓋を開けて見れば静子は依然として尾張に居座り、神戸と尾張の双方から堺を圧迫してくる始末。
短絡的に静子排除に動けば、武の頂点たる信長と権威の頂点たる前久が全力を以て報復してやると宣言されているようなものだ。
まだ当分の間、重圧に耐え続ける苦渋の時が続くと知り、彼らの雌伏は継続することとなった。
「朝廷としても、私を取り込みたいんだろうね。四季折々のご挨拶はしているんだから、余計な政争に巻き込まないで欲しいなあ……」
「仕方ありません。静子様がお持ちになっている経済力及び影響力は、朝廷が喉から手が出る程に欲しているものです。追い詰められた者ほど、一攫千金を夢見て、欲望の炎に身を投じるのです」
「旗色が悪いときは堅実に生きる方が良いと思うんだけれど、お公家様は違うのかな?」
「苦境という闇の中で過ごす者には、静子様という灯が身を焦がすほどに眩しく見えるのでしょうね」
会話しながらも静子の脱衣を手伝っていた彩は、国宝級の簪を厳重に梱包した上で静子の衣装が納められている行李にしまう。
すっかり平服に戻った静子の髪を梳りながら、彩は彼女の問いに対する答えを呟いた。
「そうそう、今回のお衣装凄く良かったよ。色々な人からお褒めの言葉も賜った。皆には色々と苦労を掛けたから、これが終わったらご褒美に期待していてね」
「お褒め頂きありがたく存じます。その前に、この後控えている会談にもご尽力願います」
「そうか……会談しなきゃ駄目だったね……」
彩の言葉に静子はがっくりと肩を落とした。
静子への会談申し込みが多いのには理由があった。東国管領という役職も一因ではあるが、一番の理由は静子が邸宅から滅多に出てこない為である。
稀に外出したとしても、その殆どが公務によるものであるため、みっちりと予定が詰まっており会談を申し込む隙が無い。
そんな静子が御馬揃えの為に京に滞在し、準備から後片付けまでの長期滞留が決まっているのならば、会談や陳情の申し込みが後を絶たないのは自明の理である。
そして静子の京滞在が長期化した理由の一端は朝廷、それも上京に住まう者からの申し入れにあった。
御馬揃えは日ノ本中の有力者が一堂に会する催しであるため、不測の事態が起こる可能性は捨てきれない。
それ故に暴力装置としての軍ではなく、単独で会場設営から警備までを幅広くこなせる静子軍に治安維持の依頼が出されるに至った。
しかし、これに対する静子の返答は辞退だった。その理由は信長からの命令でもなく、義父である前久を介しての依頼でも無かった為である。
信長やその後継者たる信忠、または義父に当たる前久からの依頼に対しては、ややもすれば安請け合いをする印象を抱く静子であるが、彼ら以外の依頼に対しては朝廷からであろうとも慎重な姿勢を取る。
ましてや京の治安維持に関しては既に『京治安維持警ら隊(以降は警ら隊と略す)』が担当しており、信長の命もなく彼らの職分を侵すのは越権行為だと考えていたからだ。
稀に静子の兵が警ら隊と協力して活動するのは、あくまでも静子の身辺警護を行う傍ら互いに融通を利かせあっているからに過ぎない。
お互いにそれぞれの職分を侵さず、協力をし合ってきた経緯がある故の良好な関係を維持していた。
しかし、今回持ち込まれた朝廷からの依頼は、彼らの領分を土足で踏みにじるようなものだ。
こうした背景から一度は断った依頼だったのだが、朝廷としては万が一にも本格的な武力衝突が発生した際に対処出来ないと信長に泣きついた。
その結果、関係各所と角が立たないよう調整を図れるのは静子のみだとして、静子は京に一月以上にも亘って滞在することが決まっていた。
「私の予定が……会談で埋まってしまった」
小姓たちが持ってきた事務方作成の予定表を見て静子は愕然とする。
京の治安維持に於いて静子を必要とする仕事は、関係各所に対する調整が殆どであり、誰々と会う、誰々と会食するといったものを除けば最終決裁しかないというのが実情だ。
更には御馬揃えを見事成功に導いた功労者に対する褒美として、静子には信長から直々に一週間の特別休暇が与えられている。
その休暇が過ぎれば電車のダイヤグラムもかくやと言わんばかりに、分刻みのスケジュールが予定されており、彼女と会談を希望する者の多さが窺えた。
「退屈で死にそうだよ」
ワーカホリックの気質を持つ静子は、特別休暇二日目にして異常に遅く流れるように感じる時間を持て余していた。
こんなことになると判っていれば、未読で積んでしまっている書籍を持ってくるべきであったと後悔する。
本来ならば京の静子邸で、畑仕事でもしたかったのだが、それすらも家臣に取り上げられてしまっており、本格的にやることがない状況に陥った。
そこで静子は配下を方々に遣わして、近隣の目ぼしい書籍を購入してくるように命じる。
当然ながら書籍というのは高価なものなのだが、金満体質の静子は配下に大量の金子を持たせ、掛け払いではなくその場で買い付けてくるという豪快な手法を取った。
結局静子の家臣たちは堺にまで足を伸ばし、南蛮渡来の洋書やら前久の『京便り』に触発されて少部数ながらも手書きで刊行されている堺の業界紙、いくさで放出された仏家の経本などまで手広く買い付けた。
静子は休暇の残りをこうした書籍をリストアップし、分類しながら読み耽ることで過ごし、休み明け直後に予定されている光秀との会談を明日に控えた頃、静子の許を長可が訪れる。
「小山のようだな」
読み終えた書籍を積み上げながら、読書を続ける静子に長可は呆れながら声を掛けた。
興味本位から積みあがった書籍を手に取ってみるが、長可には何が面白いのやらさっぱり判らない。
静子が己の気が向くまま無差別に本を読むという乱読型なのを知っている長可は、興味が持てない書籍を山へと戻す。
「勝蔵君が訪ねてくるのは珍しいね。てっきり京の治安維持にかこつけて暴れていると思ってたよ」
「お前が尾張から呼び寄せた兵どものせいで、小悪党どもは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったわ。お陰様で俺まで退屈になってしまったじゃねえか」
「それはごめんね。んっ!」
区切りの良い所まで読み終えた静子は、一つ背伸びをすると書籍に栞を挟んで書見台に置いた。
「しかし、なんで銃兵だけでなく砲兵まで呼び寄せたんだ? 特に大軍を動員するような予定も無かっただろう? 御馬揃えを超える物々しい集団を見て、小物が震えあがっていたぞ」
静子は己の無聊を読書で慰める傍ら、尾張にいる静子軍の虎の子である新式銃及び大砲部隊を京に呼び寄せていた。
対外的には京の治安維持のためにと銘打ってはいるものの、本当の目的は信長の密命をこなすためであった。
「上様の命令を遂行するには、こうした派手さも必要らしいのよ」
「また上様の悪だくみに付き合っているのか?」
「ふふっ。それは否定できないかな。それでも私が何かした訳でもないのに、沈む船から鼠が逃げ出すみたいに出て行くのは酷いよね。お陰で京の民たちの間では、大規模な掃討戦が実行されるなんて噂で持ち切りだよ」
「……やっぱり噂を流しているのはお前か。逃げ出した連中もいつ追撃が掛かるか戦々恐々としているだろうよ」
静子軍の新式銃及び大砲の凄まじさは東国征伐からの帰還者によって広められ、民たちの間ではさながら御伽話のように語り継がれている。
噂が広まるにつれて面白おかしく誇張がなされ、今では新式銃部隊が銃口を並べて斉射すれば一瞬にして千の兵士の命を奪い、一度大砲が火を噴けば城ごと山を削り取るなどとまことしやかに囁かれる。
「私は一度も京に戦火を持ち込むなんて言ってないんだけどね」
「お前が兵を動かすだけで大事件なんだよ! お前の兵は多くの場合、あちらこちらに派遣されているが、お前が直卒した場合に限っては大抵敵側に壊滅的な大損害が出るんだよ」
「まあそうする必要がある時しか直卒なんてしないからね。でも、お互いの全存在を賭けて戦っているんだから、手加減するのは失礼でしょ?」
「最近の戦果には失礼も糞もないと思うがな、これは言っても詮無いことか。さて、お前が追い出した小悪党どもが一つ所に纏まっているらしいから、俺はそれを血祭りに上げるとしよう」
長可は静子にそう告げるとともに、拳を握って気合を入れると静子邸を後にした。残された静子は、小悪党たちが逃げたと報告にあった大江山の方向を仰ぎ見て、源頼光が成した酒呑童子退治を思い出していた。
後の報告によれば鬼退治どころか、長可自身が鬼と化して手当たり次第に悪党を殺して回るという地獄のような光景が繰り広げられたと告げられることとなる。
そうこうしている間にも、光秀との会談予定時刻が近づいていた。
しかし、静子には光秀が内々に相談したいことがあると告げた内容に心当たりがなかった。
光秀とは文を介して定期的にやり取りがあるが、直接会って取り決めを交わすような案件など思い至らない。
そこで光秀も信長から密命を受けており、それを遂行するために静子の協力が必要なのではないかと推測する。
(となると上様が私にお命じになった内容と関係があるのかな?)
思案している間にも刻限となり、光秀の到着を小姓が知らせてきた。既に会場は整えられており、静子は居住まいを正すと光秀と対面した。
儀礼的なやり取りを終えて一区切りつくと、静子は光秀の様子を窺った。
気苦労からか眉間に刻まれた皺が定着したような表情は変わらないものの、精悍な顔つきには若干の疲労が浮かんでいる。
気遣いの人ゆえに要らぬ苦労を背負い込んでいるのだろうと静子が考えていると、唐突に光秀が本題を切り出した。
「実は静子殿の砲兵部隊を私にお貸し願いたい。勿論、上様の許可は得ておりまする」
そう口にしながら光秀は懐から取り出した朱印状を、傍らに控える小姓を介して静子に渡す。静子はそれを受け取って中身を検めると、信長の直筆により光秀に砲兵部隊を貸し出すようにとの内容だった。
一見すると何の問題もない命令に思えるが、静子は若干引っかかるものがあった。
それは信長と静子の間にはホットラインが存在し、秘密裏に伝えようと思えば幾らでも事前に相談できたというものだ。
砲兵部隊は極めて運用が難しく、観測装置と砲撃部隊とで相互にフィードバックが無ければ砲撃精度が恐ろしく下がる。
しかし、出鱈目に運用したとしても戦況を一変させる可能性を秘めているだけに、その用兵については信長への報告が必須である。
それほど厳格な運用ルールが定められている砲兵部隊を、事前に静子に伝えることなく貸し出せというのは謎だった。
「承知しました。明智様、失礼を承知で申しますが砲兵部隊は極めて運用が難しい部隊です。戦果を挙げるには相応に訓練及び習熟が必要かと思いますが、そこはご了承下さい。先んじて砲兵部隊の面々をご紹介したいのですが、お時間は大丈夫でしょうか?」
「この後の予定は全て空けてあります。是非にお願いいたす」
こうして静子は光秀を伴い、砲兵部隊が待機している練兵場へと向かった。砲兵部隊の隊長と光秀とを面通しさせながら、静子は思案を続けていた。
砲兵部隊の早期展開を予想して大砲運搬用の荷車等も事前に準備されているのだが、如何せん重量物及び爆発物を運搬する必要性があるため砲兵部隊の足は遅い。
「明智様、ご覧のように砲兵部隊はどうしても移動に時間を要します。すぐに向かう必要がありますか?」
「元より無理なお願いをしておりますゆえ、時間には相当の余裕を見ております。そちらのご都合に合わせたいと思います」
光秀の応えを聞いた静子は、突然すべての点が頭の中で繋がるような閃きを覚えた。
信長から自分に託された密命、光秀に対する特別な優遇と虎の子である砲兵部隊を貸すという大盤振る舞い。
更には事前相談を伴わない不可解な信長の言動。ようやく得心がいった静子は、光秀の前でなければ盛大にため息を吐いていたことだろう。
(敵を欺くにはまず味方から。とは言え、私が気づかなかったらどうするつもりだったんだろう…… いや、その場合も考慮して上様は動いているのかも。京は我々の土俵じゃないってことだね)
尾張や安土ならばいざ知らず、ここ京に至っては十全に秘密を担保できない何かが存在するのだろうと静子は考えた。
光秀が真っ先に静子との会談を申し込んだのも、織田軍の中で光秀ならば即座に出陣できるほどに余裕があるのだ。
少しでも知恵が回るものならば、静子と光秀との会談を知れば真っ先にいくさの気配を感じとる。否、そう思わせられてしまう。
暫くは腹の探り合いに付き合う必要があるなと、静子はこの先の展開を思って憂えるのだった。




