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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正三年 哀惜の刻

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千五百七十六年 九月上旬

「先ずは状況を整理しようか。このガラスペンを売った商人は最初からこれを並べていたのかな?」


「いいえ。今浜土産として小ぶりなガラス製品を売っておりました。私が実家の者への土産を見繕っている際に、金払いが良いと見たのか、特別にこんなものがあると見せられました……」


「大っぴらに売っていた訳じゃなさそうだね。その商人はガラスペンを複数持っていた?」


「いえ、一点物なので他にはないと……」


「うーん。商人の(げん)を信じるならば、持ち出せた試作品は一つのみ。でも他の人にも同じことを言っていないとは限らない。ここは一つ秀長殿に骨を折って貰うとするかな? それぐらいの貸しはあったよね」


そう言って静子は筆を取ると文を(したた)める。内容は今浜の新しい名産品として開発しているガラスペンの試作品が領外に持ち出されている。

それを静子が見つけて取り戻してあるが、外にも漏洩(ろうえい)している可能性があるため、工房及び関係者を秘密裏に洗って欲しいというものだ。

静子が手に入れたガラスペンには製造番号が刻まれておらず、恐らく何かしら問題があって失敗作と判断された試作品であろうという事も書き添えておく。


「あ、そうだ。貴女はその商人の人相を覚えているかな?」


「そういえば、鼻筋に大きな黒子(ほくろ)があったのと、手の甲に火傷(やけど)の跡がありました」


「お、結構特徴的だね。じゃあ、覚えている限りで人相を描いて貰えるかな? それも添えて秀長殿にお任せしよう」


静子は紙とガラスペン、墨壺を年嵩(としかさ)の方の少女に返し、人相書きを作らせる。

それを待つ間に更に思案を重ねる。現時点では幾つ穴が開いているか判らない鍋に対して、一ヶ所の穴を塞ごうとしているに過ぎない。

秀長に依頼することで穴の総数を割り出し、外には漏れていないという事を確認する必要がある。更に万が一に他にも持ち出されてしまっていた場合の策も必要となるだろう。

つまり高級な芸術品としての路線は捨て、実用一点張りの方向性で利益を生む道筋を見せてやらねばなるまい。


「お、もう出来たの? 早いね」


「ほう! 見事なものだな。何処か陰のある小悪党といった感じか」


静子の隣で人相書きを(のぞ)き込んでいた足満が少女を褒めた。現代に於いても犯人捜しに際して似顔絵が作られるように、案外写実的な写真よりも特徴を強調した似顔絵の方が対象を見つけ易い場合がある。

静子は足満の反応と、少女の作画の早さ及び応用力の高さを目にして、一計を思いついた。静子は少女から取り上げた本の(ページ)(めく)りながら少女に訊ねる。


「この本は左開きで文字は横書きという普通にはない様式で書いてあるけれど、これは一般の書物が右開きで縦書きなのに対して真逆にすることで秘密が露見しにくくしたってことなのかな?」


「は、はい。仰る通りです。文字の大きさを揃え、極力四角く(まと)まるように書くことで縦書きに読むと意味が通らないようにと考えました」


「貴女のご実家は何をしてらっしゃるのかな?」


「は……はい。こちらで呉服の商家を営んでおります。ですが、何卒(なにとぞ)家族への連座はご容赦下さいませ……」


「え!? あ、違う違う。そうじゃなくて、貴女の才能を埋もれさせるにはあまりにも惜しい、これを仕事にしてみないかな? と思って」


「は……はあ……」


「勿論このままの様式じゃ斬新過ぎて読み手がつかないから、文字は縦書きにして貰った上で絵巻物のような形にして貰いたいんだけど、できるかな?」


絵巻物とは日本の絵画型式の一つであり、奈良時代に最初の絵巻物とされる『絵因果経(えいんがきょう)』が作られている。

横長の紙に情景や物語を連続して描写し、絵及びその説明となる詞書(ことばがき)が交互に現れるものもある。

絵巻物型式であれば少女の小説の形式に比較的近く、公家たちにとっては親しみやすい。

そう、静子は義父である近衛前久(さきひさ)が発行している『京便り』の紙面の一部に4コマ漫画のように載せようと画策したのだ。

勿論今思いついたことであり、事前に根回しをする必要はあるが、最低限の教養を備えた公家の読み物として新しい娯楽の提供は彼も望むところだろう。


「このまま書き続けても良いのですか?」


「筆記具はガラスペンでは無く筆になるし、内容についても穏当なものにして貰うけれど、紀行文という形式はそのままで良いよ。勿論お仕事だから、相応のお給金を払うし、貴女のご実家にそのことを了承して貰えるようお願いに行くつもり」


「そ、そんな! 畏れ多いことでございます。ご領主様に望まれて否やはございませんし、私もやりとうございます」


「貴女には京の公家向けに作られている書に対して、原稿を提供して貰います。その際に本名だと都合が悪いので、筆名を考えておいてもらえるかな?」


「は、はい!?」


唐突に就職先を斡旋(あっせん)され、あれよあれよという間に話を詰められていく。少女たちは身を寄せ合って、激流のように押し寄せてくる情報を噛み砕くのに精一杯だった。


「このガラスペン、羽柴様は上様に献上すれば箔がついて売れると踏んでいるようだけれど、多分その思惑は外れることになると思うの」


戦国時代に於いて貴人が自ら字を書くと言う事は稀である。私的な物はともかく、公的な文書ともなれば右筆(ゆうひつ)と呼ばれる代筆専門の人間が筆を取っている。

更に道具としては画期的ではあるが、美術品として見た場合筆の形をとることが足枷となってどうしても地味な印象が拭えない。

同じくガラス製品の切子(きりこ)と呼ばれるガラス容器に比べれば華やかさで劣ってしまうのだ。


一方で実用品としてガラスペンは有望だ。一本でそれなりの厚みの書籍を一冊書き上げられるだけの耐久性に加え、筆文字よりもずっと細い文字を高い密度で書き込むことができる。

実用品であれば、持ち手部分を木製などにして、先端のみを付け替え方式にすることで継続的な需要を見込むことも可能だ。

更には『京便り』のガリ切りには、鉄筆(てっぴつ)と呼ばれる金属製のペンが用いられている。ガリ切り前の原稿をガラスペンにすることで、ガリ切りの労力を少なくすることも出来るだろう。

開明的であり先見性のある前久ならば、ガラスペンの有用性を見過ごすことなどあり得ない。何と言っても前久肝煎(きもい)りの事業だけに、彼を取りこめれば大口顧客となることは間違いない。


「まあ、世に絶対はないから、高級品としてのガラスペンが売れることもあるかもしれない。杞憂(きゆう)で済めば良いけれど、上手くいかなかった時の備えはあるに越した事はないよね?」


秀吉にとって虎の子となるガラスペンだが、重要なのは利益が出る事なのだ。

既にガラスペンが世に出回ってしまい、上様に献上できなくなったとしても、十分な利益が見込めるとなれば多少の瑕疵(かし)(欠点のこと)には目を(つむ)るだろう。


「貴女の筆名が売れれば、文具を筆からガラスペンに切り替えて、紙面と作品を通じてガラスペンを売り込む事も出来るしね。多くの人の目に止まれば、それだけ欲しがる人の数も多くなる。『京便り』に広告を出稿している商人たちにとっても、気になる存在になるんじゃないかな?」


静子の策はマーケティング分野ではブランディングと呼ばれる手法である。

著名な作家が愛用している品だとマスメディアで宣伝すれば、顧客はあの作家が使っている物ならばハズレはないはずと認知する。

そして実際に筆記用具としてのガラスペンは優秀だ。その信用がさらに彼女達の知名度を向上させ、更に信用が生まれるという好循環が始まる。

彼女達の知名度が高まれば、『京便り』の連載以外にも彼女達の作品を買い求める人が現れるだろう。そうなれば彼女が本来得意とする作品も受け入れられ易くなる。

いつの世も人の興味は他人の色恋沙汰や醜聞に集中するものなのだから。


「彩ちゃん、彼女に部屋と当面の活動費を渡して貰える?」


「はっ、承知しました」


「話は以上よ。もう一人の貴女は、私が良いと言うまで口を(つぐ)んで貰えるかな?」


完全に巻き込まれた形となった少女は、静子の言葉にがくがくと首を縦に振るしかなかった。

静子は小姓を呼びつけると、認めた密書を渡して秀長へと早馬で届けるよう申し付けた。

秀長の調査結果や対処を待たずに、静子は二の矢を(つが)えて状況を進めていくことを選択した。

ガラスペンを流出させた犯人はほんの出来心からだったのかも知れないが、その結果として秀吉の政策だけに留まらず、一人の少女の運命を歪めてしまうに至った。

願わくは彼女の行く末が明るいものであって欲しいと願う静子であった。







「……そう言えば足満おじさんが手掛けている商品、物凄い売れ行きだって報告が上がっているんだけど?」


「ああ、焼き鳥だな。折角ビールを作ったんだ、焼き鳥ぐらいあっても罰は当たるまい?」


静子から話を振られた足満が鷹揚(おうよう)(うなず)いた。かねてより足満とみつおはビール製造を手掛けているが、事業規模が大きくなるにつれて更なる拡販を目指すべくテコ入れを行った。

夏の暑い時期に川の水で冷やされたビールと枝豆は庶民を夢中にさせた。しかし、秋口に差し掛かり涼しくなってくるとガツンとパンチの効いたツマミが欲しくなる。

そこで足満とみつおの飲兵衛(のんべえ)二人が考案したキラーコンテンツが焼き鳥であった。ここ尾張では養鶏が盛んになっており、採卵を終えた老鶏の肉は非常に安価で手に入る。

その肉を砂糖と醤油、味醂と酒という尾張の名産品を使ったタレを塗って焼き上げた焼き鳥は、主に労働者たちの福音となった。

一日の仕事を終えた労働者に対し、醤油の焦げる香ばしい匂いと脂の(したた)る焼き鳥は効果覿面(てきめん)であった。


「道路整備や用水整備の人足をメインターゲットとして絞り込んだんだね。確かに彼らは日払いだから現金を持っているし、肉体労働に従事しているからお腹も空いているもんね」


「汗を流した後に飲むビールは格別だ。そこに安くて旨いツマミがあるならば、飲まない訳にはいくまい?」


経済活性化に欠かせないものがインフラである。史実に於いて第二次世界大戦後の日本が『列島改造論』という一大土木工事プロジェクトによって再生したように、道路に代表されるインフラは人・物・金が集まり需要と供給の好循環を生み出す。

土木用重機が実用化され始めてはいるものの、未だに土木工事の主役は人間や家畜であり、その規模に応じて多くの人員が必要となる。

機械と異なり彼らは燃料を消費しない代わりに飯を食う。道具も消耗するし、衣類も住居も必要となる。

つまり労働者たちは静子にとって被雇用者であると同時に、顧客にもなり得る。彼らに多少多くの給金を支払ったところで、その分尾張で飲み食いして貰えれば金は回り続ける。


足満とみつおは自身が飲兵衛であるため、顧客の欲するところを的確に掴んで焼き鳥のラインナップを充実させた。

軟骨と肉を叩いてミンチ状にし、串に巻き付けて焼いた『つくね』。鶏の尻尾付近にある非常に脂の乗った部位『ぼんじり』、その場で捌くからこそ提供できる鶏の心臓こと『ハツ』に砂嚢(さのう)である『砂肝』。

他にも肝臓である『レバー串』や、何と言っても外せないのがモモ肉とネギを交互に刺した『ネギマ』だろう。

労働者たちはその充実した商品のバリエーションと、何だか(つう)っぽい品書きに魅せられ、連日通い詰めることになる。

初めは一軒だけの焼き鳥屋台だったのだが、今では幾つもの屋台が軒を連ねて、焼き鳥通りが出来上がる程になっていた。


濁酒(どぶろく)はともかく清酒は高いからな。奴らの懐具合に収まるようビールを安くし、薄利多売を狙ったのだが焼き鳥が想像以上に当たったな」


今では仕事上がりの労働者がビールと焼き鳥を口にする光景が、秋の風物詩として認識されるようにすらなっている。

ビールは陶製の容器で提供しており、焼き鳥は木皿の上に竹串に刺さった状態で出されるため、ゴミが少ないというのも利点だ。


「お陰で用水整備が捗っているよ。まだまだ支流水路を広げないといけないから、人々が気持ちよく働ける環境を整えてあげるのは重要だね」


理想的な相乗効果だと静子は思った。道路や水路を整備することで雇用が生まれる。雇用が生まれれば、彼らが飲み食いする為の食料需要が増え、現地の農作物や畜産物が売れて民も潤う。

為政者側は回収した資金で更なる工事を計画し、尾張全土へとインフラが張り巡らされる流れが生み出されつつあった。

道路が整備されれば人・物が動き、水路が整備されれば彼らの腹を満たすために田畑が開墾される。織田領内の他領から出稼ぎ労働者も集まってきており、経済成長は右肩上がりに伸びていた。

しかし、多くの金が集まると言う事は負の側面も持つ。開墾された田畑は逐次検地が為され、記録されることになっているが、これを誤魔化そうとする代官が現れる。

本人からしてみればちょっとした小遣い稼ぎのつもりかも知れないが、これを見逃せば真面目に税を納めている民たちに示しがつかない。


「そう言えば勝蔵。税収を誤魔化していると言う噂のあった代官を調べに行ったんじゃなかったか?」


話し込む静子と足満を前に、手持無沙汰にしていた長可に慶次が話しかけた。


「ああ、内偵していた奴が裏を取ったからな。ちょっと説得(・・)をしてきた」


長可と慶次の会話を耳にした静子が問い掛けてくる。


「あ、そうだ勝蔵君! 君の部隊が提出してきた報告書に気になるところがあるんだけれど、どんな説得をしたのかな? 新式銃は判るんだけれど、野砲の持ち出しとその砲弾は何に使ったの?」


静子から追及された長可は、露骨に視線を外して沈黙する。それだけでどんな説得をしたのかが察せられた。


「一応上様がお認めになっているから(うるさ)く言わないけれど、力押ししか出来ないと思われるから程々にね」


「お、おう。上様から一罰百戒になるから派手にやってこいとお達しがあってな」


最初は代官本人だけを()らしめるつもりだったのだが、税を誤魔化して私腹を肥やすという事は信長に噛みつくに等しいのだと天下万民に知らしめる必要が出てきた。

そこで長可は武装した部下を率いて代官の屋敷に出向き、代官及びその家族と使用人を拘束した上で屋外に連れ出すと、彼らの見ている前で空き家となった屋敷を砲で()()微塵(みじん)に吹き飛ばしたのだ。

文字通り命以外の全てを失った代官に対する仕打ちは、信長の目論見(もくろみ)通り綱紀を引き締める結果となった。


「参考までに聞くんだが、静子ならば説得に応じない輩にはどう対処する?」


「私? 説得に応じないなら時間を掛けるだけ無駄だよね? それならその人に渡るお金を差し押さえちゃうね。不正に得た利益を返せば良いってもんじゃないからね、しっかりと罪は償って貰うよ」


「兵糧攻めかよ……」


長可の爆砕と比べれば穏当に見えるかもしれないが、静子の手段は経済活動の輪から代官だけを締め出し、社会から完全に孤立させるという凄惨なものとなる。

領主から睨まれている凶状持ちと取引をしたがる商人など居るはずもない為、自分とその家族が生きる為に必要となる(かて)の全てを自分の手で作るしかないのだ。

『働かざる者食うべからず』を体現する静子の答えに長可は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。







ヴィットマンとバルティの墓所となった神体山(しんたいさん)大神山(おおかみやま)と命名され、山頂に建立する予定の(やしろ)(ふもと)で造られ始めた。

山全体が禁足地となっているため、プレハブ建築のように部品単位で造った後で仮組し、最終的に分解して山頂まで運び石積みをした上で据え付けるという手筈となっている。

名立たる宮大工が(のみ)(かんな)を振るい、華美ではないが厳かな社が日々組み上がっていく。かんかんという槌の音を聞きながらも静子は書類仕事に追われていた。


当初の計画より大幅に規模が縮小されたとは言え、愛知用水という国家事業の第一段階の成果を信長に直接報告する必要があるためだ。

幹線水路に水が供給されたのを皮切りに新しい田畑の申請が相次いで提出され、どの程度の生産量を見込めるのかが概算でしか求められないと言う状況になっていた。

そこで先月末までの申請を元に予想石高(こくだか)を算出されたものが報告書として静子の許へと上がってきているのだ。

静子は事務方と協議しながら報告書を纏めると、書類を携えて安土へと向かうこととなる。

安土入りを果たした静子は別邸に体を落ち着け、二日後に控えた信長との謁見を前に休息を取っていた。


静子が慌ただしく各所に挨拶回りをしている間にも二日が経ち、ついに信長との謁見の日となった。

安土城へ登城すると、信長の側近である(ほり)に案内されて謁見の間では無く、直接茶室へと通された。


「上様におかれましてはご機嫌麗しく――」


「前口上は要らぬ。久しいと言う程でもないか? 少しは落ち着いたようじゃな。早速じゃが美濃と尾張とを結ぶ用水の成果を聞かせよ」


静子の発言を遮った信長は身を乗り出し、静子との距離を詰める。静子も畳の上に資料を広げ、膝を突き合わせる距離で報告を始めた。


「先月末までの申請を取りまとめた結果が以上となります。現状の生産力は穀倉地帯のそれと比べると大きく劣りますが、支線水路が拡充されるにつれて伸びる余地はあり、開発特区として税率を低く設定しているため移住者も増えることが見込まれます」


静子は信長へ一時間に亘って報告を行った。現状では人口の少ない知多半島だが、開発が進めば多くの人口を養う事の出来る土地へと生まれ変わる事が期待される。

極端な表現だが不毛の土地と見做されていた知多半島が穀倉地帯へと変われば、尾張は今以上に大きく発展する事だろう。

そして信長は知多半島を単なる穀倉地帯で終わらせるつもりはなかった。

十分な人口を養えるだけの食料生産力を確保出来次第、知多半島を工業地帯及び重商政策の拠点とする構想を持っていた。

静子と足満が齎した工業化の波は、信長の力を飛躍的に伸ばす事に成功している。

製鉄に紡績、機械工作に土木建築とその応用範囲は広く、しかも人力では到底成し得ない成果を上げていた。

知多半島の工業化構想は伊勢湾に面しているため外洋へ出やすいという天然の港湾を擁する立地と、用水によって工業にも不可欠となる大量の水を供給可能となったことで躍進する。


「数年後が楽しみじゃ」


そう呟いた信長の脳裏には工場が立ち並び、造船所や大型ドックを備えた港湾とそこに浮かぶ外洋船の姿が見えているようだった。

かなり話が過熱したため信長は手ずから茶を立てると静子へ差し出し、それぞれに一服した後に改めて話を切り出す。


「さて、貴様は来たる東国征伐で北条をどう攻める?」


開口一番、信長は余人が耳にすれば正気を疑うような発言を投下した。

それまで東国征伐と言えば、まずは武田を片付けない事には話にならず、北条攻めなどはまだまだ先の話と考えられていた。

しかし、信長は北条を攻める事を確定事項であるように話し、また静子もそれを当然のことと受け止めている。

更には信長が己の意見を述べる前に他者の意見を求めるという事が珍しい。もしもこの場に堀や明智光秀が同席していたのならば、信長の影武者を疑う程の事態だった。


「小田原城は堅牢な要塞です。一息に攻め落とすには難しいため、支城を一つずつ攻略した上で丸裸にするのが定石かと」


「ほう。回りくどいが堅実じゃ。しかし、いくら支城を落としたところで小田原城だけでも相当の籠城に耐えおるぞ?」


「それは織り込み済みです。我が軍の砲を以てすれば、既に籠城と言う戦術は意味を為しません。どれ程堅固な石垣を築こうとも数発も撃ちこめば瓦礫になるのですから。しかし、最初から砲を前面に押し立てて攻めれば、北条は城を捨てて海へと逃亡する可能性があります。故に遠回りになろうとも支城を潰し、逃亡出来ない状態へ追い込んだ後に一気に攻めるが上策かと」


「確かにな。今までは武田や上杉を以てしても、小田原城へ籠った北条を攻めきれたためしはない」


「勿論、武田や上杉が攻めた折には前当主の北条氏康(うじやす)が指揮を取っており、現当主である氏政(うじまさ)とは采配に差異があるかもしれません。しかし、かの武田すらをも退けた実績のある戦法を踏襲しない可能性は低いと考えます」


小田原城は広大な敷地面積を誇り、内部に城下町をはじめ内部で暮らす人々の食糧を供給する耕作地までをも囲い込み、その周囲を空堀と土塁で隔てる総構(そうがま)えと呼ばれる構造を取っている。

西洋や大陸などでは良く見かけるタイプの所謂(いわゆる)城郭(じょうかく)都市だが、日本では周囲を海という天然の防壁で守られており異民族の襲撃を数える程しか受けなかったこともあり、城郭都市のような莫大なコストを掛ける重武装都市は発展しなかった。

つまり異民族による襲撃は領民・領地を含めた地域全体の制圧・支配が目的であるため領民を守るためには城壁が不可欠であるのに対し、同一民族同士の争いは主に政争による内戦となる。このため標的は必然的に政敵のみに絞られ、領民は征服者の統治下に組み込まれはするものの命までは奪われないことが多かった。

しかし、鎌倉や石山本願寺、小田原城などは群雄割拠する戦乱の時代を反映してか、周囲に防壁を張り巡らせた城郭都市を形成している。その結果として長期間の籠城に耐え得る設計となっており、遠征という時間制限のある中では武田も上杉も攻めきれなかった。

既に織田方の大砲の威力は身を以て知っているであろう北条軍だが、平野部で対人に向けて使用したため防壁が用を為さない程の威力があるとは思っていない可能性が高い。


「籠城と言う戦法は援軍が来る宛てがあり内外から挟み撃ちにする、もしくは攻め手側の継戦能力限界を待つことによって勝利を得ます。我が軍も例にもれず東国征伐では遠征となるため、最初から野戦を捨てて籠城する可能性すらあります。対する我が軍は進軍経路上に存在する支城を奪い物資運搬の中継拠点とし、また並行して海路でも補給線を確立します」


「中々に面白いな。正確な砲撃を支援するためにも例の物が活躍しそうじゃ。しかし、この程度ならばわしも既に立案しておる」


そう言いながら信長は懐から戦略の素案を出して見せる。細かい数値などには落とし込まれていないが、北条を籠城させて攻め落とすという大筋は一致していた。


「それではより確実に籠城を選ばせるべく、支城を落とした際に敗残兵をわざと小田原城方面へと逃がしましょう。敵軍に追われている領民を見捨てるという戦法を北条は取れないでしょうから」


「領民を守るための総構えゆえ、追い立てられる領民が居れば受け入れざるを得ないか。即席としては良く出来ておる、まずは合格といったところか」


一体何に合格したのか皆目見当がつかない静子だったが、信長が機嫌よく笑っている処を見る限り彼の期待には応えられたのだと判断した。

しかし、何の気まぐれでこのような試験を課したのかが判らない。そんな疑問が表情に出ていたのか、信長は苦笑しつつも内心を明かして見せる。


「この処、我らは局所的な敗北はあれど、大局的には常に勝利しておる。それ故か過去の栄光にしがみついて守りに入る家臣が多くてな、譜代・新参に拘わらずそれぞれに与えた任に対する試験を課しておるのよ」


「上様のご様子を見る限り、合格を頂けた臣はそれほど多くはないのでしょうね」


「ふっ。貴様を含めてすら片手に満たぬわ。わしらは常に『今』を生き、より良い『明日』を勝ち取るための道を模索し続けねばならぬ。人は過去では生きてゆけぬのだからな」


「確かに私はこのところ目立った武功を挙げておりませぬゆえ、ご家中から資質を疑われるのも無理はありませんね」


「貴様は武功こそ挙げてはおらぬが、誰よりも領地を富ませておる。それがひいては我が領の全てを豊かにしているという事が見えぬ輩が多いのよ。世継ぎを得た途端に楽隠居を決め込んでいると陰口を叩いておる者すらいるようじゃ」


「楽隠居が許されるのならば、それこそ本望なのですけれど」


「ならぬ。以前にも申し付けたはずじゃ。貴様がわしの許を離れるのはその命が潰える時のみじゃと」


信長とて静子が本気で隠居を考えているなどと思っていない。

ヴィットマンとバルティという苦楽を共にした家族との別れで弱みは見せたものの、その時ですら業務を引き継いだ上で休暇を願いでていた。

何よりも静子は現在の立場を捨てることが出来ない。彼女の本質とも言うべき(ごう)なのだろう。一度(ひとたび)身内として取り込めば、それらを容易には見捨てられないのだ。


「それに貴様がおらぬと、この世がつまらぬ」


「そのように仰っていただけるのは光栄ですが、上様もゆめゆめ身辺にご留意なさってください。天下人の座は目前ですが、物事はことが成る直前にこそ身近(・・)に落とし穴があるものです」


「ふむ。まさか貴様がわしを裏切るというのか?」


「御冗談を。私に王の才はございません。そもそも天下に対して覇を唱えるには、大切なものを抱えすぎておりますゆえ」


「くくくっ、判っておる。裏切りを目論む者は、疑われるような素振りを見せぬものよ。だがわしは見てみたいのだ。貴様が天下人となれば、どのような世の中を作るのかをな。無論、わしとて貴様以上に愉快な世を作り上げて見せるがな」


「冗談でもそのような事を仰らないでください。天下人となるに相応しい人物は上様をおいておられませぬ」


「しかし、この世に絶対はありえぬ。もしも、わしが道半ばにして倒れれば貴様はなんとする?」


何処か遠くを見るようにして訊ねる信長に対し、静子は間髪を置かずに答えた。


「まずはそのような事が起こらぬよう全力を尽くします。それでも尚、力及ばなかった折には必ずや裏切り者の首を墓前に供えてご覧に入れましょう」


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 史実、明智光秀謀反まで後6年、天正10年1582年6月2日どうなるんだろうと、ワクワクするけど、史実通りに明智光秀を謀反人にするのか?回避するのか?は、かなり気になるね。 現実で明智…
2022/12/21 17:28 退会済み
管理
[一言] 硬筆の方が早く書けますしね。だからこそ夏目漱石(だったはず)が筆からの切り替えを言ったんですし。
[一言] 二か所ほど長可が可成に。
感想一覧
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