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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正二年 東国征伐
146/246

千五百七十五年 九月中旬

通常一両日で終了する秋の味覚祭りだが、今回は異例の長期間開催と相成った。

信長が捻り出した同盟関係にある各家との親睦会を兼ねるという大義名分のもと、秋をテーマとした贅を凝らした料理が連日連夜供される宴となっていた。

当初見積もっていた食材では当然足りるはずもなく、静子は調理場を五郎と助手の四郎に任せ、献立を考えつつ食材の調達を指示したり、来客の応対をしたりと目が回るような忙しさを感じていた。

しかし、突発的に空前の規模となった宴に対して、酒も料理も欠くことなく提供し続ける能力があるという、尾張の底力を見せつけられた他国の国人たちは、その豊かさに戦慄すら感じていた。


「やっと終わった……」


流石に尾張滞在が一週間近くに及ぶと、安土を預かる堀から信長へと帰還の催促が度々届くようになった。

最初は一読しただけで無視していた信長だが、文面に悲壮さが滲むようになると重い腰を上げざるを得なくなった。

信長の帰還を皮切りに秋の味覚祭りはお開きとなり、同道してきた前久と謙信も連れ立ってそれぞれの領国へと戻っていく。

当初の主賓であった家康も、突然予定外の迷惑をかけた罪滅ぼしにと、静子が持たせた山のような土産と共に三河へと帰っていった。

唯一人、信忠のみは帰着地が美濃と近場であり、静子の子となった四六と器との接見を希望したため居残っていた。

公式の会見にすると関係者が増えるため、静子邸の奥まった一室を用いて当事者だけが集められる。


「其の方らが静子の子か。そう畏まるな、母は違えど共に父上の子、我らは兄弟となるのだ」


信忠は四六と器に笑いかけ、鷹揚に頷いて見せた。


「お言葉を返すようですが、最早我らは静子様を親と仰いでおりまする。家臣の子女としてお取り計らい下さい」


四六の(いら)えを受け、信忠はやや面食らってしまう。年齢に見合わぬしっかりとした受け答え、更に血縁に甘えることなく、政治的立ち位置を弁えた発言内容。

果たして自分が同じ年の頃に、このような受け答えが出来たであろうか? 信忠はこの一言から、四六が子供でいることを許されなかったという背景を感じ取っていた。

しかし、これは信忠が見たかったものではなかった。体裁を取り繕った処世術ではなく、本来の人となりを知りたいと考え、一計を案じる。


「そう肩肘を張らずとも良い。静子の態度を見よ、主家の嫡子に対する敬意なぞ何処吹く風よ」


信忠は笑いながら手にした扇子で静子を指し示す。

四六がそちらへと顔を向けると、静子は眠たげな様子を隠そうともせず、口元を袖で隠して大あくびをしているところだった。


「畏まった態度を嫌がったのは誰だったかな? 私は別に余所行きの態度でも構わないんだけど?」


子の面前での失態は、流石の静子も恥ずかしかったのか、少しうらめしげに信忠へと目線を投げかけた。


思い返せば信忠が初陣に臨んだ際、静子は家臣として(へりくだ)った態度を示した。

それまで家族同然に付き合ってきた静子が、急によそよそしくなったように感じ、元に戻すよう命じたのは外ならぬ信忠であった。

それ以降も公式の場以外では、静子は以前と同様の態度を取り続け、信忠もそれを心地よく思っていたため、悪く言えば慣れ合いに似た関係が続いていた。

公私の分別はついているのだし、非公式の接見であると宣言もしたこともあり、信忠は自分が折れることにした。


「いや、静子は今のままが良い。戯言(ざれごと)を申したな。四六らは学校へ通わせておるのか?」


「うーん、もうすぐ農閑期だし、時期としては良いんだけどね。もう少し身辺が落ち着いてからの方が良いかなと思っているんだ」


静子の考えとしては、四六と器の両名が安心して生活できる期間として1年程度を見込んでいた。その後、本人達が希望すれば学校へ通わせるつもりであった。

勿論、それよりも早く希望するのであれば、通わせることに否やはない。


「俺の直感が告げておる、四六は早く学校へ通わすべきだ。学友を得て、良い刺激を受ければ、こ奴は傑物になるやもしれぬ」


「過分なお言葉、痛み入ります」


「世辞ではない。其の方らの境遇は聞き及んでおる。しかしな、世の中は静子のような人間ばかりではない。はっきりと申せば、上っ面で物事を判断する愚物の方が多い。そこで静子の学校よ、あれはいずれ日ノ本の最高学府と呼ばれるようにもなろう。そこを修了したと言うのは、其の方らの肩書に箔を付けることになる」


「箔、でございますか?」


四六の言葉に信忠は頷く。静子が開設した学校は、身分に拠らず門戸を開いている。

平民もいれば、貴族や武家の子女なども在籍し、彼らを区別するのはその習熟度合だけである。

単位制を導入しているため、それぞれが目指す進路に応じた教育が施されるが、一般教養等の共通分野に関しては男女の区別なく、同じ教室で机を並べて学ぶこととなっている。

現実問題として高等教育を必要とする女性の進路が限られているため、希望者自身が少ないものの、望めば女性であっても男性と同等の教育を受けることが出来た。

最低限の教育だけに限っても、読み書き算盤をはじめ、地理や歴史に道徳など、生活する上で実用的な知識を修めることが出来る。

尤も如何に豊かな尾張といえど、労働力となる年齢に達した子女を遊ばせておけるほど余裕のある親ばかりではなく、平民の子はどうしても最低限の教育だけに留まる傾向にあった。


二人の会話に口を挟まず聞き役に徹していた静子は、最初の挨拶以来、器が口を開いていないことに気が付いた。

器へと視線を向けると、信忠と四六の会話を理解できていないのか、退屈そうにしている。

万が一にも信忠の前で船でも漕ぎ始めると大事になるので、静子は二人の会話へ割り込むことにした。


「二人で話をするのなら、私と器はお先に失礼しようかと思うのだけど?」


「む、そう言えば子供には酷な時間か。元より健やかに過ごしているかを知りたかっただけゆえ、器は構わぬ。先に休ませるが良い。しかし、静子はならぬ」


「四六にご執心のようだから、私が残るのは構わないけど、先に用事を済ませちゃおう」


そう言うと静子は手を叩いて、隣室に控えていた彩を呼び、器を寝所へ連れていくよう頼んだ。

信忠は、彩に手を引かれて退室して行く器の姿を見送りながら、器の自意識が希薄なことが気に掛かった。

どうにも浮世離れしているというか、生気が感じられないと言うか、少なくとも四六とは別の意味で子供らしくないと感じていた。

しかし、静子が焦っている様子がないため、特に何を言う訳でもなく口を噤むことにした。


「さて、四六よ。静子の学校を修了したのち、俺に仕えぬか?」


信忠は明日の天気を語るような気楽さで、四六の一生を左右する勧誘を行った。

予想外の重大事と、頭から断られると思ってもいない信忠の態度に、四六は二の句が継げないでいた。


「父上の子のままであったなら、後継の地位を巡って争う立場となるため、このような勧誘は出来ぬ。しかし、静子の子となった今ならば、兄弟で手を取り合うことが出来る。俺には腹の内を探らなくとも良い腹心が必要だ、そして四六、其方(そなた)は自ら静子の子であると言い放った。たとえそれが本心ではないとしても、なかなか口に出来る事ではない。俺は其方の覚悟と、才覚を買っておる」


「し……しかし、私は未だ何も為しておりません」


「それゆえ学業を修めるのだ。父上の覇道の先は、戦乱の絶えた泰平の世となろう、いくさしか出来ぬ輩では十年と経たずに無用の存在となり果てる。今すぐとは言わぬ、未来を見据えて学業を修めてみせよ」


「は……ははっ! 奇妙様のご期待と、母の顔に泥を塗らぬよう、一層奮起いたします」


四六は信忠の言葉に感銘を受けたのか、深々と頭を下げて彼の提案を受け入れた。その様子を信忠は満足げに見守る。


「随分と思い切った登用だね」


「他ならぬ静子、貴様自身が示してみせたではないか? 出自が百姓であろうが、牢人であろうが、才を見出し正しく導いてやれば、一廉の人物となり得るとな」


有能であれば出自を問わないという考えから、更に一歩推し進め、在野に埋もれた才能の発掘と育成を視野に入れた時代を先取りしすぎた感のある思想を語る信忠に、静子が茶々を入れたのだが、予想外の反撃を喰らってしまった。


「正しく人の才を見抜く目と、それを使いこなす主人としての才覚も試されるが、それは追々証明できるであろう。戦乱の世を生きぬく事も大事だが、その後を見据えた準備も同じぐらい重要だ。有能な者は決して手放すことなく、手の内に囲い込むのが上策。みすみす手放して、後に敵対されては悔やみきれぬ」


「(うーん、予想以上に視野が広がっちゃったな。思想が隔絶しすぎて孤立しないと良いのだけれど……)ふーん、色々と考えているんだね」


近い将来だけではなく、信長に拠る日ノ本統一後をも見据えた布石を既に打ち始めた信忠を見て、静子は危うさを感じずにはいられなかった。

実父である信長も他者の共感を得られない言動をとるため、作らなくても良い敵を作っている節がある。

このままでは信忠も同じ道を歩みかねないと言う、尖った才を持つが故の危険性を孕んでいた。

今一度周囲と歩調を合わせたり、他者に理解を求めたりすることの重要性を理解させるためにも、信忠には敗北を学んでもらわねばならない。


(昔から利発な子ではあったけど、ここに来て一気に花開いた感じだね。史実でも上様ほど突き抜けてはいないものの、いくさも政治も満遍なく才能を示したと言われていたんだっけ。元々才能が有ったところに、私が入れ知恵をしたことで大きく花開いたってことかな? だとするなら、過去の行いが巡り巡って今の私を苦しめているのは、なかなか厳しい皮肉だね)


東国征伐で信忠に敗北を学ばせるという、信長の目論見は、外ならぬ信忠自身の才覚によって失敗する公算が高くなっていた。

元より先が読みにくい東国征伐に、更なる不安要素が増えたことで、結果は蓋を開けてみるまで判らない状態へと突き進む。


「俺だって、いつまでも父上や静子の背を追っていた(わらし)ではない。先人に学び、追い付き追い越せるよう努力もするさ」


静子の心配をよそに、信忠は晴れやかな表情をしていた。







間もなく十月になろうかと言う矢先、(くすぶ)り続けていた織田と本願寺とを揺るがす事件が起きた。

本願寺の中核を担う人物の一人、下間(しもつま)頼廉(らいれん)が安土入りしたのを最後に消息を絶った。

信長のお膝元たる安土ということもあり、本願寺側は信長が頼廉を暗殺したのではと疑った。

掛けられた嫌疑に対して信長は、暗殺するつもりなら自分に嫌疑の掛かる安土ではなく、頼廉が本願寺に居る時を狙う。

そもそも頼廉を暗殺してでも除かねばならない存在だと思っていないと言い放った。

自分がその気ならば、本願寺の本拠地ででも頼廉を暗殺出来ると言い放ったことで、逆説的に暗殺の容疑を否認してみせたのだ。

これにはさしもの本願寺もほとほと困り果て、これ以上追及することが出来なくなった。


そして、頼廉という本願寺存続を願う穏健派の筆頭を失ったことで、織田との徹底抗戦を唱える教如をはじめとした強硬派が本願寺の主流派に躍り出た。

暫く続いた融和に飽いた教如達強硬派は、織田家との緊張を高めるよう舵を切った。

信長は互いに妥協点を探るためにも話し合いが必要だと、顕如宛に親書を送り続けたが、その(ことごと)くを教如が握りつぶしてしまった。


ことここに至っても本願寺法主である顕如は、自らの意向を示そうとはせず、ただ黙して成り行きを見守っていた。

相応に横車を押している自覚はあるのか、教如は顕如が自身を咎めないことに眉をひそめたが、沈黙は容認の証拠と都合よく解釈し、すぐに意識の外へと追いやった。

精力的に行動し、強硬に反発する教如の姿勢とは対照的に、信長は何処までも理性的であった。

頼廉暗殺説を否定すると同時に、領内に動員をかけて頼廉の捜索を命じ、この件に関しては頼廉捜索を願い出る本願寺信者にも便宜を図るよう申し付けた。


信長を誅戮(ちゅうりく)すべしと声高に唱える教如であったが、それに対する本願寺内部の反応は芳しくなかった。

第一に法主の顕如が未だに意向を示していない。第二に頼廉が信長の手によって亡き者にされたという確たる証拠がないため、敵対を躊躇する者が多かった。

幾ら教如が顕如の実子とはいえ、現法主の意向が定かではない状態で、彼の命に従うのは(はばか)られた。

頼廉が消息を絶ったのは事実だが、未だ死体や持ち物が見つかったという報せはない。よしんば頼廉が死んでいたとして、それが織田の手に拠るものだという証拠もない。

何せ安土は信長の動向を探るため、間者の坩堝(るつぼ)と呼んでも過言ではない状況となっている。

織田と本願寺とを争わせるため、他勢力が頼廉を攫ったという可能性も捨てきれなかった。

そうした背景もあって、いくら教如が戦意を煽ろうとも、笛吹けど踊らずという状態が続いていた。


「先に痺れを切らすのは教如だと思うよ。でも、それは今じゃない。如何に教如が軽率でも、流石にこの状況で強硬策を取ったら、身内に消されかねない」


本願寺の様子を探らせていた間者が持ち帰った情報をもとに、静子は軍議の場で開口一番宣言した。

皆も定期的に催される軍議によって情勢を把握しているのか、静子の意見に反論する者は誰もいなかった。

いくさ場での嗅覚という本能寄りの能力で状況を把握する長可ですら、当然だと言わんばかりに頷いている。


「法主である顕如が沈黙を保っている理由が不明なのと、頼廉の失踪がどう転ぶかは判らないけど、いくさになるとしたら東国征伐後になるんじゃないかな?」


「任せろ! 本願寺なんぞ、いつでもぶっ飛ばしてやる!」


いくさになる可能性に言及しただけで、長可が握った拳を手のひらに叩きつけて戦意を滲ませる。


「いや、だから先に東国征伐が待っているってば」


「東国って……武田は既に落ち目だし、北条は孤立してるじゃないか……」


東国征伐と聞いた長可は露骨に眉を(ひそ)める。武田にかつての勢いはなく、依然として軍備増強に励んでいるようだが、国盗りに動ける程の余裕は見受けられない。

長らく武田と国境(くにざかい)での小競り合いを続けてきた徳川家だが、三方ヶ原の合戦以降はそうした小競り合いすらも絶えていた。


「『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』という諺があるように、追い詰められた者は予想外の反撃をすることがあるよ?」


「それはそれで楽しみだが、そんな火事場の馬鹿力が長続きするとは思えねえ」


「いくさを心待ちにするのは構わぬが、本来の目的を忘れるでないぞ?」


主目的が戦うことになってしまっている長可を才蔵が(たしな)める。流石に脱線しすぎたと悟ったのか、抗弁することなく長可は引き下がった。


「不確定要素が多いから、そうそう楽ないくさにはならないよ。未だに旗幟を示さない北条の行動次第では、越後に巣くう親北条派と、武田家の勢力も加えた大規模反抗もあり得るんだから」


「そうさせない為に、上杉が居るのでは?」


「仮に東国征伐で武田と戦端を開いた場合、上様は上杉にも参陣を要請すると思うの。本願寺と言う不安要素を抱える以上、早期決着は他に優先されるからね」


「なるほど。越後の龍が家を空ければ、その隙に北条の手勢を引き入れて蜂起するか……」


東国の雄であった武田が凋落し、東国三大勢力の上杉、武田、北条の力関係は、上杉が一歩抜きんでた形になっている。

しかし、その差は武田と北条が手を組めばひっくり返る程度の差でしかなかった。


「仮に最悪の場合、つまり武田、上杉、北条の連合軍とことを構えることになった場合、その時点で東国征伐は失敗していると思うの。その時は、奇妙様を織田領へと逃がすことを最優先しないとね」


「纏めて返り討ちにしてやれば良いんじゃないのか?」


「出来る出来ないは別にして、武田と北条だけならその理屈で構わないけど、上杉が絡むと政治的な問題が発生するのよ。反旗を翻したからと言って、申し開きの場も与えずに皆殺しにすれば、共に戦ってくれた上杉軍との間に確執を生むことになる。そうした余計な不和の種は、なるべく抱え込まないようにしたいんだ」


「ふーん。まあ、勝敗は兵家の常。大損害になる前に撤退するのは良いけど、だからって攻撃されて反撃しない手はないよな?」


静子の言葉に長可が不穏な笑みを浮かべつつ質問を投げる。周囲は長可が言わんとするところを理解しているのか、彼を止めようとするものはいなかった。

全員の視線が自分に集中していることを理解した静子は、一つ咳払いをすると言葉を発した。


「上杉に関しては上様のご意向次第だけど、それ以外については降りかかる火の粉は払うしかないよね」


「そうこなくちゃな!」


事実上の容認宣言を受け、長可は満足げに頷いた。殿(しんがり)は最も損害が大きくなるというのに、むしろ戦意が高揚する長可の姿を見て、周囲の者たちは苦笑していた。


「さて、おおよその方針は固まったし、急ぎ我々が何かをしなければならないこともない。奇妙様は相変わらず兵糧の買い入れをしているし、東国征伐の号令は近いと思う。それまでは各自、鋭気を養って下さい」


必要な情報は共有できたと考えた静子は、この言葉を以て軍議を終えた。







頼廉失踪を機に緊張を帯びた織田家と本願寺との関係は、再び膠着状態に陥っていた。

束の間の平穏に終わりを告げたのは、誰しもが予想だにしなかった地から届けられた一報だった。

徳川領にあって、甲斐、相模の動向をいち早く察知しうる要衝の地、高天神城へと武田軍が攻め込んだのだ。

幸いにして落城を免れてはいるものの、守備側二千に対して武田軍は万を超える軍勢で包囲していた。

徳川とて武田がいくさの準備をしているのは把握していたが、とても大軍を他国へと派兵する余裕はないという油断があった。

既に事態は徳川一国を超え、織田家の安全をも脅かす状況となった。家康は信長へ救援を求め、信長はこれに応じて信忠を大将に据えた東国征伐軍を遣わせた。


誰もが予想し得ない事態であったにも関わらず、準備万端の用意が整っていた東国征伐軍は信長の命を受けて、即日尾張を発つと瞬く間に高天神城を包囲する武田軍の部隊に襲いかかった。

敵は包囲の内にあると考えていた武田軍は、予想外の急襲を受けたことに算を乱し、包囲を解いて味方の陣へと退却していった。

鎧袖一触に武田軍を蹴散らした東国征伐軍は、部隊の一部を城内へと送り込み、それ以外は城外にて陣を敷いた。

疾風迅雷の如く駆けつけた織田軍に遅れて、徳川軍が合流すると、大将である信忠の陣にて軍議が開かれることとなった。


「我らの窮地にこれ程までに早く駆けつけて頂き、かたじけない。物見からの報告によると、武田軍の後方に北条の旗指が見えたとのこと、奴らが手を結んだとなれば一筋縄では行きませぬ」


「死に体であった武田が起死回生の一打を打てたのも、北条の支援あってのことでしょう。奴らもここで領地を切り取れねば、遠からず破滅が待っていることは理解しているはず。決して侮って良い相手ではありませぬ」


歴戦の古強者である家康に対し、信忠は実戦経験も乏しく、歳も一回り以上も離れている。

緒戦で成果を上げたことも手伝って、信忠は父と肩を並べる国人を相手に堂々たる受け答えをしてみせた。

緒戦は脚の速い部隊だけを先行させ、敵軍の背後を急襲することで勝利をもぎ取った。しかし、ここからは城を挟んで両軍が向かい合う野戦が舞台となる。

今も続々と兵站部隊などの脚が遅い部隊が合流してきている。敵軍が包囲する中、城内へと送りこめた部隊は少ない。

どのように軍を編成し、城内の部隊とどのように連携して戦うかが課題となる。


(先陣は徳川、その後に続くよう織田軍が攻め込む、か)


軍議の結果、最初に武田軍へ切り込むのは徳川軍。それに続く形で織田軍が追随することとなった。織田軍は援軍であり、あくまでも東海の国人は徳川であるという自負もあるのだろう。

信忠としても徳川の面子を潰すわけにもいかず、家康の案を了承した。


「さて軍議の結果、徳川軍が先陣を務め、我々は遊撃隊としての役割を担う事となりました」


「よし! 先鋒は俺に任せろ!」


遊撃という言葉を聞いた長可が、真っ先に名乗りを上げた。他の部隊と歩調を合わせる必要がなく、ある程度独自の裁量で動ける遊撃部隊は長可の好みに合致していた。

慶次は遊撃部隊として奇襲するよりも、真正面からの力比べを好み、才蔵は静子を護衛する任のため本陣に残る。

遊撃部隊には機動力が求められるため、間者を含め軍の殆どを歩兵が占める真田昌幸もまた残留となる。

尚、足満と高虎に関しては本願寺に対する備えとして、尾張に残っているため、不参加であった。


「反対意見もないようだし、武田攻めの先鋒隊は勝蔵君にお願いするね」


「横っ面を思い切り殴りつけてやろう!」


「……程々にね。あんまり深入りすると囲まれるし、何より遊撃隊が本隊よりも戦果を上げるのは問題だからね」


いくさで手柄を立てるのは良いことだが、この場に限れば主役は徳川軍となる。

ここを奪い返した後、敵軍を追撃する場になれば、新たに活躍の場が与えられるのだから、今無理をする必要性は薄い。


「流石に遊撃隊で敵陣特攻なんてやらないさ。徳川軍だけを見ている間抜けの目を覚まさせてやるだけだ」


「そこを理解しているなら問題ないよ。あまりくどくど言っても始まらないから、後は各自の判断に任せます」


政治が絡んだいくさは面倒だと静子は独り()ちた。

軍議の場で得た情報では、北条軍が混じっているのは確実だが、彼らに呼応して上杉家中の親北条派がどのように動くか予想できない。

信忠に敗北を学ばせるという目的からすれば、武田と北条の二正面作戦までは許容できる。戦局を判断するには上杉の動向がカギを握る。


上杉家内の動向は、謙信が越後に在留しているため、全く読めない状態になっていた。

何かと暗躍している北条の支援次第では、謙信すらを排することが出来ると考えているのか?

それとも武田、北条連合軍だけで徳川を制することができると踏んでいたのか?

それぞれの勢力の思惑が交差するこの場で、どのような歴史が紡がれるのか、それは最早誰にも予測することが出来なくなっていた。


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