千五百七十五年 五月中旬
静子は京に着くと、一先ず自らの京屋敷へと身を落ち着ける。訪問の先触れを出し、真っ先に京都所司代を務める村井 貞勝と約束を取り付けた。
村井は古くから信長に仕える行政官であり、織田家と朝廷との橋渡しを担い、禁裏の修復事業や二条城の造営、公文書調査から係争の調停など、彼が果たしてきた役割は決して小さいものとは言えない。
京における行政全般を取り仕切り、信長の名代とも言える信任篤い村井を指して、ルイス・フロイスは『都(京都)の総督』と称した。
村井が『都の総督』ならば、静子は言わば『尾張の総督』であり、互いの任地が決定的に離れていたため、今まで直接交流を深める機会に恵まれなかった。
今年は幸いにして静子が京へと足を運ぶため、急遽ではあったが会談を持つことが可能となった。
「此の度は急な申し出にも関わらず、お時間を割いて頂き感謝しております」
「何を仰います。静子殿と言えば、上様が尾張をお任せになる程のお方。お噂はかねがね伺っておりまする」
「ははは、お耳に入っているのが良い噂ならば構わないのですが、若輩者ゆえ不手際も多く、お聞き苦しい話などもあったのではないでしょうか?」
下手をすると祖父と孫程にも歳が離れた静子を相手に、村井は下にも置かないもてなしで遇し、柔らかい物腰で応対していた。
それに静子が京に滞在することは、村井にとってもメリットがあった。静子が率いてきた軍は、静子が京に滞在中、交替で休暇が与えられる。
とは言え、緊急の召集に即応できねばならないため、遠く離れることなく、京のあちこちで無聊を慰めることになる。
休暇中とは言え、精鋭の軍属であるため物腰からして一般人とは異なる。必然的に悪人は鳴りを潜め、京の治安は引き締められることになる。
また静子軍は羽振りが良い事でも有名であり、末端の兵にまで比較的金が行き渡っており、財布の紐が緩い。
兵たちは珍しい京の土産を買ったり、京の街並みや見世物などを冷やかしたりして金を落とし、時ならぬ好景気に街は沸いていた。
「さて、早速鴨川(賀茂川)普請へ黒鍬衆を派遣していただき、ありがたく存じます」
「いえいえ、鴨川の安堵は京の重用事。お力添えとなったのなら幸いです」
鴨川は過去に何度も氾濫を起こした暴れ川である。
そもそも川自体に急な勾配が付いており、自然と流速が上がることに加え、水源地である北山の樹木が伐採され保水力が落ちた事が原因とされる。
平安末期に於いて、絶大な権勢をふるった白河法皇でさえも、思い通りにならないものとして『加茂河の水』を挙げたほど、時の支配者をして手を焼かされていた。
余談だが現在では鴨川は賀茂川との字を当てることがある。読みは同じだが表記が異なる理由は、上賀茂神社と下鴨神社に起因する。
それぞれの神社が、己の支配域を流れる川を神社名に因んで賀茂川、鴨川と呼んだため、現在の加茂大橋より上流を賀茂川、下流を鴨川と呼び分け、総称を鴨川と表記している。
村井の語った普請とは、川底の掘り下げと堤防の構築、老朽化の進んだ五条大橋と四条大橋に加え、史実に於いて江戸時代に公儀橋に指定された三条大橋の改修を指す。
帝のおわす御所から遠いとは言え、戦略的価値を有する橋の工事を任されるということは、信長の権力もさることながら、それを現実の計画へと落とし込める村井の調整力の高さを示していた。
橋を整備し、交通の便を良くすることは防衛力の低下を招くが、元来京は攻めるに易く、守るに難い土地である。
京まで軍勢が攻め込んできた時点で詰みであり、信長は最初から京での防衛戦を考えていなかった。
その後も村井との会見は終始和やかに進行した。互いの近況を語り、それぞれの情報を交換し、時に信長を主君と抱くが故の苦労に対する愚痴を零し合う。
性別も年齢をも超えた重臣同士の会談は、双方にとって有意義な時間となったが、共に多忙な身であるため、僅か一刻ばかりでお開きとなった。
「お名残惜しゅうございます」
「こちらこそ、名高き静子殿と交誼を結べたことを嬉しく思います。されど、今は刻苦精励を以て上様の日ノ本統一を支える時。天下統一が成った暁には、お互いの身辺も落ち着いておりましょう」
「その折には是非、尾張へお立ち寄り下さい。今度は私が精一杯おもてなし致しましょう」
「名にし負う尾張の風物、心より楽しみにしております」
静子の暇乞いを以て、村井との会談は終わった。村井は下げていた頭を起こし、静子達が見えなくなったのを確認して、ようやく肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
「人の噂とは当てにならんな。武田を下した剛の者と聞き、どのような鬼女が現れるかと思えば、気品すら感じさせる手弱女ぶりよ」
「実に惜しい御仁でございます。女子でさえなければ、天下を窺える器であったことでしょう」
村井の補佐を務める長男、貞成が父の言葉を継いだ。息子の的外れな意見を、村井はからからと笑い飛ばす。
「静子殿には天下を獲るだとか、歴史に名を残すだのという俗人が抱く野心は無かろうよ。彼女が持つのは故事に曰く『王佐の才』、上様と共にあってこそ輝くのだろう。唯一つ難点を挙げるならば……」
貞成は父の言葉に喉を鳴らし、次の一言を待った。
「余りにも歳の差があり過ぎ、また彼女は才を持ちすぎた。静子殿と接していると、孫のように成長を見守りたくなる」
多忙を極める村井へは、静子が出向く形を取ったが、多くの人々は静子の京屋敷を訪れた。
公家に限らず武家の人間や、仏家ですらも静子との誼を求め、目通りを願って列を為した。
天下に王手を掛ける信長の懐刀であり、穏やかな人格者と名高い静子に取り入りたいと考える人間は多い。
そんな人々の織り成す欲望と駆け引きに辟易としながら、しかし表面上は分け隔てなく終始にこやかに対応していた。
静子は次に、自分の後見人であり義理の父にあたる前久へと先触れを遣わせた。折り悪く前久は急用の為、堺へと出向いており都合がつかなかった。
静子が堺まで足を伸ばすこともできたのだが、前久の家宰がそれには及ばないと遠慮したため、会談が実現することはなかった。
代わりに静子直筆の文と、各種手土産を家宰に託し、近衛の屋敷を後にした。後に静子とのすれ違いを知らされた前久は、静子との用件については判断する前に、早馬を仕立ててでも自分の意見を仰ぐようにと家宰を窘めた。
「うーん。濃姫様ですら嫌がる理由が判ったかも……なんと言うか毒気に中てられるね」
少しばかり憔悴した面持ちで、静子は文机に突っ伏した。『魚心あれば水心』と故事にはあるが、下心を隠そうともしない賄賂の応酬は、想像以上に静子の精神をささくれさせた。
静子の手が精神安定を求めて想像上のヴィットマンを触ろうとしたところへ、小姓の足音が近づいてくる。慌てて居住まいを正し、小姓の呼びかけに応じた。
「静子様、宗易様がお目通りをお求めです。如何致しましょうか?」
「おや? 珍しいお方からのお誘いですね、お会いしますので、そのように伝えて下さい」
「はっ」
利休が会見を求める理由が思い当たらず、静子は首を傾げつつも、実りの無い腹の探り合いよりはと思い、彼との会談を了承した。
「此度はお忙しい処、お時間を取って頂き、有難く存じます」
「どうぞ、お気になさらず。こちらも欲得づくの面会に食傷しておりましたので。お連れの方は、初めて見る方ですね?」
互いに口上を述べた後、静子は利休の連れに話を向けた。外見からは30代後半の男性であり、職人のような芸術家肌の人物に見える。
利休が素性の怪しい人間を連れてくるとは思えないが、問い質さない訳にはいかなかった。
静子にとって初見の人物であると言及した途端、背後に控える才蔵や小姓たちは一瞬で前に飛び出せる姿勢へと移行している。
「失礼しました。遅ればせながらご紹介させて頂きます。こちらは私の友人で、名を長谷川 信春と申します」
利休の紹介を受け、男が頭を下げる。静子は男の名前に心当たりがあった。
長谷川信春、後に等伯と号する彼は、長谷川派と呼ばれる派閥を構成する絵師だ。
史実では安土桃山時代から江戸時代初期に掛けて、当時画壇のトップであった狩野派を脅かす程の存在となる長谷川派を興す人物だが、この時は未だ雌伏の時を過ごしており、知る人ぞ知る程度の知名度であった。
才蔵たち護衛の警戒は緩むことが無かったが、静子は現代で得た歴史の知識から、この時期の彼は利休や日蓮宗の僧侶、日通と交流を得ていたことを思い出した。
「長谷川……なるほど。それでは貴方が日堯上人の肖像画を描いた方ですね」
静子が長谷川の名を聞いただけで、素性を察した上に作品の一つを口にしたことに驚きを隠せない二人。利休は勿論、作品を言い当てられた信春自身が露骨に狼狽える。
「私はこれでも芸事保護を任されております。将来有望と目される方の情報は、多少なりとも私の耳に届くようになっております」
「はっ! お褒めに与り光栄です」
我に返った信春は頭を下げた。未だ在野に埋もれている己に目を付けていてくれた静子に、彼はその腕の広さに驚愕しつつも嬉しさを隠せなかった。
静子としては後の業績を知っているがための知識であるため、先見の明でも何でもなく、少し申し訳ない気分になっていた。
「彼を私に紹介すると言うことは、何か狙いがあってのことでしょう?」
朝廷より芸事保護を任されている静子の許には、信長が執心している茶器は勿論、様々な美術・芸術品が集まってくる。
また、寺院などが秘蔵している品についても、特別に閲覧を許される権限を付託されていた。
この時期の信春は伝手を頼って様々な美術品に触れ、襖や衝立に描かれた障壁画と呼ばれる障子絵に影響を受けたとされる。
それらに刺激を受け、知識や技術を吸収して独自の画風へと昇華させるに至ったのだ。
信春の才能を認めた利休が、最も多くの美術品を管理する静子に彼を紹介し、少しでも多くの作品に触れる機会を作ってやりたいと思うのは自然な流れであった。
「はい、こちらの男は素晴らしい才を持っておりますが、それが開花するには今暫し修養を積む必要があるとみております。つきましては、当代一級の作品群を管理される静子様の所蔵物を開陳していただけまいかと思い、大変厚かましい願いではございますが連れて参りました」
「ふむ」
素性は利休が保証すれば問題ないが、だからと言って何の利益も無しに彼だけを優遇するのは、流石に外聞が悪いと静子は考えた。
彼に美術品閲覧の許可を与えるのは簡単だが、その事実が知れ渡れば利休以外にも、静子の知己を通して同等の許可を求める人々が殺到するのは目に見えている。
静子自身は信春が大成するのを知っているが、現時点の信春は無名の存在であり、彼だけを優遇するに相応しいと万人に認めさせる根拠を示させる必要があった。
「宗易殿のご紹介ですし、その人品や腕前は確かなのでしょう。しかし、彼だけを優遇する根拠とするには弱い。彼が今後の美術界を、ひいては画壇を牽引するであろう第一人者たると、優遇するに相応しい実績を示して頂きたい」
そう言うと静子は小姓に指図し、とある屏風を運び込ませた。屏風は左右で異なったモチーフが描かれており、左側の屏風の二面を使って松が、右側の屏風の二面には檜の姿が描かれていた。
これは四曲一双と呼ばれる作風であり、その鮮やかな色彩や、躍動感あふれる精緻な筆致は、素人目にも一廉の人物の手に拠るものだと理解できた。
因みに屏風は1つの面を扇と呼び、一つながりとなった扇の数で二曲、四曲、六曲と偶数で増えていく。そして左右一組となる作品を双、単独で成立する屏風は隻と数えられた。
「これは狩野殿(狩野 永徳)が私にと、献上された屏風です。当代随一と名高い狩野殿を超えよとは申しませんが、これを見て私が貴方を優遇するに相応しいと思えるだけの作品を描いて頂きたい。それを以て許可を与えるか判断したいと思います」
狩野の屏風に魅入っている信春に、静子は決然と宣言した。
「今すぐにこれを超える才を示せと言う訳ではありません。現時点で画壇の頂点に立つ人物の作品に対して、自分なりの表現で作品を作ってみてください。明確な期限は切りません。必要ならば人や物、金も支援いたしましょう。代わりに必ずや、自分なりの回答となる作品を提出して頂きます。して、返答や如何に?」
静子の提案に対して信春は即答できなかった。望み得る最高の支援をする代わりに、逃げを許さぬ条件だと彼は気付いたからだ。
人手さえあれば、金さえあれば、時間さえあればもっと良い物が作れたという言い訳を許さず、その時点での最善を尽くした作品で、当代随一の才能と競い合えという厳しい問いだ。
「暫し、時間を頂戴しとう存じます」
及ばずとも良いが、その時点で最高の才を示し、劣っているのを認めよという厳しい問いに、信春はようようそれだけの言葉を絞り出した。
返答を保留された形の静子だが、彼女は気にした風でもなく、答えが出たら利休を通じて伝えるようにとだけ告げた。
信春の用件が終わると、利休は彼と共に場を辞した。利休は信春と静子とを引き合わせるためだけに訪問しており、自身はこれといって用事を持たなかった。
「少し厳しい注文を付け過ぎたかな? でも、明らかに特別扱いするには、それに相応しいと言える実績が必要。誰にでも気軽に見せる開架方式じゃない以上、資質を示して貰わないと収拾がつかなくなるからね」
唐の作品や古今東西の一級品を目に出来るかもと期待を抱いていたところへ、厳しい課題を突き付けられたのだ。その落差たるや想像するだに恐ろしい。
「さて、お次はオルガンティノ殿か。この処、男装をしていなかったから、なんとも窮屈だね」
侍女にサラシで胸を締め上げられながら、男装を纏う静子がぼやいた。
そろそろ正体を明かしても良いのではと思わないでもないのだが、信長から許可が下りない以上は男装を続けるしかなかった。
一方信長と言えば、最初の一件以来同席することがないため、静子に男装させていることを失念していた。
窮屈な恰好に耐えつつ休憩していると、会談の準備が整ったと小姓が告げた。一つ気合を入れると肩を回し、静子は謁見の間へと歩を進める。
「ご無沙汰しております、閣下のご活躍は遠く離れた故郷でも度々噂となっております。こうして直接お目通りが叶い、お元気な姿を拝見し心よりお慶び申し上げます」
「これはご丁寧に。流石はオルガンティノ殿と言った処でしょうか、我が国の文化にも長じておられるご様子。そちらはお変わりありませんか?」
謁見者を代表してオルガンティノが口上を述べ、それに静子が応じる。今回謁見に訪れたのはオルガンティノ、フロイス、ロレンソの三名となる。
修道士たちはそれぞれ布教に勤しんでいるのか、ここのところ姿を見せることはない。
「前の任地(インド西海岸のゴア州)で暑さには慣れたつもりだったのですが、こちらの暑さは一味違いますな。こうしてお会いする前には行水が欠かせませぬ」
「京は盆地であるため、湿気がこもりますから、どうしても暑さ寒さが厳しくなりましょう。夕暮れともなれば、多少は涼しい風が吹くのですが」
オルガンティノはすぐに用件を切り出さない。まず挨拶から入って近況を語り合い、会話を弾ませ相手と共感を得ることで会話の糸口をつかむ。
必然的にオルガンティノが話題を提供することが多くなるが、彼の話術は非常に優れていた。
実体験に裏打ちされた豊富な話題に、言葉の抑揚や間の取り方は言うに及ばず、己の失敗談すらもユーモアを交えて笑い話にしてしまう。
「箸というのは面白い道具です。当初はあんな棒切れで食事が出来るものかと思いましたが、一度習熟してしまえばあれほど万能な道具もありません。手掴みで麺を口に運ぶ故郷の人々にも教えてあげたいぐらいです」
「習得に少し時間を要しますが、慣れれば小豆と大豆を皿から選り分けるといったことも可能となるそうです」
「なんと! 丸い豆を滑らずに掴めるようになれば、挑戦してみたいと思います。そうそう、豆を掴む話で思い出したのですが、以前伺った真珠の件、少しお話しても宜しいでしょうか?」
オルガンティノが世間話の延長から、実に自然に本題へと話を誘導する。オルガンティノが訪問を申し入れてきた時点で、静子としてはおおよその事情を掴んでいる。
静子が領土で養殖している真珠の件について、何らかの進展があったのだろうと当たりを付けていた。
「ええ、構いません。そのご様子では、双方にとって良いお話と思って良さそうですかな?」
「勿論です。まずは前任地であるゴアと、我らの故郷の王侯貴族たちに情報を流したところ、概ね好感触を得ることができました」
オルガンティノの言葉に静子は頷いて次を促す。
大きく時代を先取りした養殖真珠が受け入れられるか否かは、神ならぬ静子としては祈る他なかったのだが、オルガンティノの言に依れば好評だったようだ。
しかし静子は、話がそれだけでは終わらないだろうとも予感していた。
「しかし、難点が無いわけでもありません。一番問題となったのは、その色合いです。我らの常識では真珠とは銀に近い色味を呈するのですが、閣下にご用意頂いた真珠は純白に近い色を示しております」
「……ふむ、色合いですか。なるほど……」
当時欧州に流通していた天然真珠は銀色、対して養殖のアコヤ貝産真珠は白色となる。これは真珠質を分泌する母貝の種類に起因している。
当時の世界は銀を貴ぶ風潮にあったため、静子は白色よりも銀色の方がヨーロッパ人の好みに合致すると考えた。
「色合いを銀に近づけるのは困難です。別種の真珠として売り込んでは頂けませんか?」
「そうなりますと、相手が譲歩した形となりますので、閣下の希望される値段より幾ばくか値下げを求められるかと思います。これを呑んで頂けるのであれば、交渉の余地があるかと」
オルガンティノは終始にこやかに善意で交渉しているように話を進める。静子はそれを受けて、流石は宣教師だと舌を巻いていた。
色の好みというのは確かに一つの要因なのだろう。しかし、実際のところは瑕疵(欠点)を指摘することで、少しでも安く仕入れたいと言うのが本音であろう。
彼らの手に掛かれば、色の好み程度は何とでも出来るのだろうが、それを材料に価格交渉を迫る。好々爺然としながらも、中々に強かな策略家であった。
しかし、オルガンティノを指して腹黒いとは思わない。この程度の腹芸が出来なければ、母国と言う後ろ盾がない敵地で侵略行為に近しい宗教の布教など出来ようはずもない。
「(ならばプランBを採用する時!)当然でしょうね。売り手としては少しでも高く買い取って頂きたいが、買い手がつかないのでは商品となりません。値下げも必然でしょう」
「ご賢察、恐れ入ります」
「それらを考慮した上で、こちらは二つの方案を提案しましょう。一つは買取価格を下げての通常の取引、もう一つは価格を据え置いた状態での独占販売契約を結びます」
「詳しくお話を聞かせて頂けますか?」
静子の言葉を受けて、オルガンティノが纏う雰囲気が変わった。
表情は変わらないが、警戒しつつも大きな利益を掴めるかも知れないという野心が、彼をして滲み出てしまうのだろう。
掴みは得られた。静子は心中でガッツポーズをとっていた。頭巾を被っているため、表情は読まれないが、それでも言葉に感情が乗らないよう慎重に会話を進める。
「通常の取引については、特にお話することはありません。独占販売契約について解説いたします。まず買い取り価格ですが、以前こちらが提示した価格での提供となります。代わりに原則として提供できる真珠の全量を貴方がたのみに販売致します。売れ行きが振るわず在庫を持て余す可能性を含みますが、貴方がたが我が国から産出される真珠取り扱いの唯一の窓口となれるのです。その立場が生み出す優位性は、商売に明るいオルガンティノ殿ならばご理解頂けるかと」
二つの案を提示してはいるが、オルガンティノならば独占契約を選択するとの確信があった。
その背景には近頃、プロテスタント系の商人が東洋に進出し、活発に活動を始めているとカトリック系の商人から聞いていたというものがある。
未だ東南アジア以東の諸国や、中国、日本の市場へは進出していないが、それも時間の問題だと言える。更にイエズス会派が交易を独占できる時間的猶予は残り少ない。
プロテスタント側の商人が東洋へと歩を進めたという事は、彼らが独自の航路を確立したことを意味する。
数年も経てば、イギリスやオランダというプロテスタント国家が、極東日本まで進出し商圏拡張を巡ってカトリック国家と覇を争うことになるのは容易に想像できる。
「……大変興味深いお話ですが、少々私の裁量を上回ります。一度話を持ち帰り、改めてお伺いするという流れでも宜しいでしょうか?」
目の前に吊るされた餌に飛びつくかと思われたが、オルガンティノは冷静に判断を保留した。
静子としては騙し討ちにするつもりもなく、商売相手をイエズス会に限らねばならない理由もない。
そこまで織り込み済みのプランBであり、全て想定内の事象に収まっていた。
「勿論構いません。こちらも我が国の真珠が脚光を浴びると思い、少々前のめりになり過ぎておりました。ご存分にご検討いただき、その上で良いお返事が頂ける事を願っております」
「とんでものうございます。閣下のご意向を国許に伝え、必ずや良い返答を勝ち取って参ります」
「オルガンティノ殿が請け負って頂けるとあらば、これ以上頼もしいこともありますまい」
オルガンティノの言葉に、静子は頭を下げて礼を述べた。
真珠については仮押さえということで折り合いがついた。
当面、静子は真珠を他所に流さない代わりに、オルガンティノたちは輸出用に準備されていた真珠箱二つの全てを買い取った。
この仮押さえが本契約へと進むか、それとも破談となるかは、今後のオルガンティノたちの活躍次第ではあるが、静子としては十中八九本契約に至るであろうと考えていた。
「いやはや、疲れた疲れた……」
自室に戻って男装から解き放たれた静子は、全身を伸ばしつつ独り言を漏らす。
凝り固まった肩を解しながら、会談の最中にロレンソとフロイス両名が殆ど喋らなかったことを思い出していた。
真珠の件も、それ以外についても話を主導するのはオルガンティノであり、意見を求められた時以外は二人が口を開くことは無かった。
(恐らく、窓口担当はオルガンティノに一本化されるんだね。そして、二人はスムーズに引継ぎが出来るよう、サポートに徹しているのかな?)
静子とイエズス会との縁を紡いだのは、フロイスとロレンソだ。その二人がどういった経緯で静子との交渉役から離れ、オルガンティノに後を託したのかは判らない。
悩んでいても答えが出そうにないため、静子は心の片隅に留めおくことにした。
「さて、そろそろ一度尾張に戻り、その後徳川家へ挨拶に向かわないとね」
家康へのご機嫌窺いは、信忠からの命を受け、彼の名代として務めることになる。
表向きは信長より尾張と美濃を任され、正式に尾張奉行並びに美濃奉行に就任したことを同盟国でもあり、隣国でもある三河国及び遠江国に周知がてら挨拶に向かうこととなっている。
奉行というと大岡越前や遠山金四郎を思い浮かべる方も多いだろうが、あれらは江戸時代以降の町奉行であり、ここで言う奉行とは朝廷から任命される公的役職ではなく、あくまで織田領国内のみで通用する役職となる。
奉行の主な役目は尾張及び美濃の守護に就く信忠の補佐となり、実務を実行する事務長官のような役目を担う。
しかし、当の信忠は尾張と美濃の配下達の手綱を握ることで手一杯になっており、とても外交にまで気を回しているような余裕はない。
そう考えれば、一連の予定について手筈を整えたのは信長であり、彼が家康に伝えんとしたメッセージは明確であった。
(いよいよ、東国征伐が始まるのかな)
静子の徳川領行きは、東国を治める各国人に対して、旗幟を鮮明にする機会を明確に示すメッセージだ。即ち、服従するか、さもなくば死だ。
安土城築城の動きに隠されて見えにくいが、静子軍の中核を担う兵站軍が活発に動いている。
そう遠からず、早ければ夏の終わりにも東国征伐が始まるだろう。そう静子は睨んでいた。
(きちんとお役目を果たさないと)
京より戻った静子は尾張に数日留まり準備を整え、再び家康の待つ遠江を目指して旅立った。
三河国に入ると案内人を務める夏目 吉信と合流した。
史実では三方ヶ原の戦いで家康を逃がすために身代わりとなって命を落とした人物だが、今も生き永らえていることに静子は奇妙な感慨を覚えていた。
案内人が必要となる理由は、三河や遠江は街道整備が十分でなく、地元の人間でなければ道中に難儀する可能性があるためであった。
流石に案内役を任された夏目の先導は確かであり、何の問題もなく静子達一向は家康の居城である浜松城へと到着した。
「遠路はるばる、ようこそお越し下さいました」
「徳川様も御壮健なようで、何よりです」
謁見の場にて家康と言葉を交わす。ふと視界の隅で、忠勝が目立ち過ぎない程度に小さく手を振っており、気付いた半蔵と康政から肘鉄を貰っていた。
(どうして、こんな時まで漫才をやるんだろう?)
場を和ませるための寸劇にしても、こっそりと周囲の目を気にしながら行うことではないと思いつつ、静子は家康に意識を戻す。
信長から明確なメッセージや文書を預かっていない以上、東国征伐の話題など出ようはずもない。尾張・美濃奉行就任の挨拶を終えれば、終始世間話の延長上の話題が飛び交う。
静子としては挨拶に訪れただけであり、元より長居するつもりもないため、会談後数日の逗留を経て尾張へと帰国することとなった。
帰りの案内人は忠勝が務めることになったのだが、半蔵と康政が裏から手を回したのか、静子の周辺警備を担当したのは忠勝の叔父である本多 忠真であった。