千五百七十四年 十月上旬
「囮?」
孫一が怪訝な声で問い返す。頼廉は孫一の問いに首肯すると、言葉を続ける。
「我らは常に織田の動向を窺っていた。微に入り細を穿って情報を集め、その場その場で最善と思える手を打ち続けていたのだ。しかるに現実はどうだ? 状況が好転するどころか、二進も三進もいかぬ立場へと追い詰められておる。つまり、織田は自身に耳目が集まっていることを承知で囮とし、派手に大きく動いて見せることで、本命の策を隠し果せたのではないか?」
「なるほど……我々は頭を追っていたつもりが、派手に飾り立てられた尻尾を掴まされていた訳ですな。しかし、何でも自分で決めたがり、大事なところを他人任せにしない織田が、本命の策を託せる相手などいるのでしょうか?」
「普通は居らぬが、奴だけは囲っておる。男ではないため、出世の野心がなく、絶対に裏切らぬ上に有能であり、細かく指示を出せずとも命令の裏にある大筋を読んで単独で策を転がせる人物。此度の雑賀の受難にも、必ず一枚噛んでいよう」
「……近衛の娘か」
手にした小枝をへし折って、中央の焚き火にくべながら孫一が苦々しげに呟いた。
三人が所属するそれぞれの勢力のうち、孫一が属する雑賀衆が被った損害は突出して多い。国人でもないのに天下に名の知れた鉄砲傭兵集団が、今や見る影もない烏合の衆に成り下がっていた。
更に雑賀衆の多くが商人へと立ち戻ったことは、流通を担う商人の口を通じて恐ろしい勢いで全国へと広まっていった。商人としては面白おかしい話題を提供し、取引相手の関心を買おうとするため、噂上の雑賀衆は壊滅した扱いとなっていた。
こうなると傭兵集団としての雑賀衆を欲するものはいなくなり、ますます商売へと傾倒するようになる。雑賀衆の個々の勢力が個別に潤うのと引き換えに、雑賀衆の評判は地に落ちた。
「織田の勢力ではなく、商人に情報を担わせたのも上手いやり口よ。商材を手に全国へと一斉に散る上に、全員の口に戸を立てるなど出来ようはずもない。徹底抗戦を唱えておった輩も、情勢が不利になるに連れて勢いを失っておる。戦意を保っておるのは、商才がない故に商売では食っていけぬ者ばかり」
「敵を褒めてどうする! 何か手を打たねば、先人の作り上げた雑賀衆が崩壊するのだぞ?」
「無理だな。棟梁の号令一下、皆が動く体制であったならまだしも、合議制であったが故に崩壊はさけられぬ。皆がそれぞれ別の地点を目指し始めたのだ、再び纏め上げるのは容易ではない」
孫一は冷酷なまでに状況を理解していた。個人的な事を言えば、手塩にかけて育て、共に戦ってきた雑賀衆を崩壊に導いた信長や静子が憎い。しかし、雑賀衆の生き残りを考えるのなら、個人的な感情は排さねばならない。
それぞれに違う方向へと進み始めた船団を捨て、自分と同じ方向を目指す船だけを束ねねばならない時が来ていた。かつての栄華を惜しんで、機を見誤れば全てを失う。
常人には不可能な損切りだが、孫一にはそれが出来た。自分の命と他人の命を天秤にかけ、他人が生き残る方が雑賀衆の為になると思えば、躊躇なく命を捨てられる。そんな非人間的な潔さが、孫一にはあった。
「それに織田に唆された連中に、構っておられぬ理由がある」
「その理由をお聞きしても?」
今まで聞き役に徹していた恵瓊が疑問を口にした。孫一は一度大きく息を吐ききると、恵瓊の問いに答える。
「連中も雑賀衆が憎くて袂を分かった訳ではない。商人へと立ち戻ることが雑賀衆の為になると信じて転んだのだ。自身の考えを信じておるが故に、皆を導こうと主流派になろうとするだろう。こうして抗戦派は少数派へと追いやられ、ぬるま湯の中で朽ちてゆく。我らが牙を失った時、織田に抗する術などないというのに……」
「しかし、ならばこそ皆に全てを打ち明け、再起を図るべきでは?」
「ここまで用意周到な策を弄する輩が、そのような猶予を与えるはずがない。必ず第二、第三の矢を打ち込み、互いに相争うように仕向けられよう。そうして皆が疲弊したところを織田が平らげる算段よ」
「なるほど……織田は労せず雑賀を下し、本願寺は毛利以外の寄る辺を失う。加賀一向宗はまんまと織田に口実を与え、最早風前の灯火。紀伊門徒も雑賀衆という支えを失えば、遠からず瓦解しましょう。本願寺が生き残るには、籠城をするしかないが、援軍のあてがない籠城など緩慢な自殺に過ぎぬ」
「今の状況は詰んでおる」
頼廉が苦渋に満ちた声を絞り出した。最早尋常の一手では盤面は覆らない。それこそ何かを代償に、一回の番手で二回指すような大番狂わせが必要となる。
しかし、このような状況にあって尚、頼廉の目は死んではいなかった。起死回生の一手を信じて勝機を待つ、窮鼠の表情を浮かべていた。
「だから申したのだ……。最初の包囲時に、どれ程大きな痛手を被ろうとも織田を滅ぼさねばならぬと……」
慙愧に堪えぬとばかりに頼廉の口から漏れた呟きに、二人は掛ける言葉を見いだせなかった。
「へっくち……誰かが噂をしているのかな? ま、それはそれとして……まーた厄介ごとだよ……」
信長より届けられた文を見た静子がぼやく。文の内容を要約すると「静子の茶室を使うから、準備万端整えて待つように」である。
岐阜城に設えられた信長謹製の茶室ではなく、わざわざ静子の邸宅にある茶室で茶会を開くとの内容だった。端的に言ってしまえば、静子邸にある茶室は質素である。
元々茶の湯に興味が薄い上に、史実で秀吉が作らせた黄金の茶室を知っている。絢爛豪華な茶室など気が休まらないとの理由から、贅を排した極力簡素な茶室に仕上がっていた。
茶室の広さは客層を考慮した、最低限の四畳半。所謂『小間』を採用した。余談だが四畳半以下の間取りを小間、四畳半以上を広間と呼ぶ。四畳半は『小間』にも『広間』にもなる。
基本的な設計は草庵茶室を参考にした。屋根には藁を葺き、壁も素っ気の無い土壁。窓も下地窓と呼ばれる、壁をそこだけ塗り残したような簡素な見た目だ。
内装も簡素極まりなく、中央部に半畳の炉畳を据え、周囲を風車の羽根のように取り囲む畳があるだけで、他にはこれまた簡素な床の間があるだけであった。
床の間には信長揮毫の『諸行無常』の掛け軸と、市場で買ってきた何の変哲もない陶器の花入れが置かれ、季節折々で目に付いた草花を生けてあった。
外観は小ぢんまりとしており、内装も簡素ではあるものの風合いがあった。千利休が完成させた草庵茶室の趣を匂わせる中々の茶室だと自負していたが、周囲からは『陰気臭い』『みすぼらしい』と散々な評価を頂いていた。
「運気が下がるとまで貶した茶室を使いたいって……誰かに変な入れ知恵でもされたかな?」
近頃の茶の湯において、良く話題に上るのが東山御物であった。茶室に東山御物があるだけで憧憬の的となるほどであり、多くの東山御物を所持していることで知られている静子の茶室は、さぞや見事な物であろうと囁かれていた。
現実には東山御物はおろか、信長本人の手による書以外には価値のあるものなど一切ないという、いっそ清々しい茶室であった。
「まあ、上様のことだから、何かに使えると踏んでのことだと思うけど……背景が判らない状態じゃ考えても無駄かな。そろそろ寝ようっと」
灯りを消した静子は布団に潜り込む。既にヴィットマンたちが周囲で丸くなっているため、布団の辺りは若干暑いほどであった。
時折、猫が布団の上に乗りにくるのだが、睡眠中に胸を圧迫されると夢見が悪いので、部屋の片隅に毛布を敷いた籠を置くようにしていた。
猫に代わりの寝床を提供したつもりだが、利用されている様子はなかった。
翌日、静子は茶室の準備を命じた後、一日の業務を午前中で片付けた。昼餉を取った後は、自室でヴィットマンたちとゆっくり寛いで過ごした。
特別何をするという訳ではない。気の置けない家族も同然の仲間と、ゆったりとした時間を共有する。静子ほどの立場となれば、こうした時間の使い方は贅沢となる。久々に訪れた休みを堪能していた。
「もう少ししたら寒くなるだろうけど、今は過ごし易い気候だね」
「ウォン」
静子の独り言にカイザーが一声吼えて応えた。彼女の言葉を理解しているのか、それとも単に偶然が重なっただけかは静子にも分らなかった。しかし、なんとなく合いの手を入れてくれたように思えた。
「ふう……遂に南蛮果実たちも私の手を離れたし、南蛮商人から買ったデーツはそもそも手が掛からないからなあ」
デーツとはナツメヤシの果実である。南蛮商人が保存食として持ち込んだものを、静子が興味を持って買い取ったのだ。
人類によるナツメヤシ栽培の歴史は古く、一節には紀元前六千年頃にはエジプトやメソポタミアで栽培されていたと考えられている。
日本ではそれほど馴染みがないため、単一品種のように思われているが、実際には四百種類以上もの品種があり、かつてナツメヤシを主食としていた地域では果実の成熟度合に応じて何種類もの呼び名が与えられたほど重要な食べ物であった。
乾燥帯に多く分布していることから判るように、乾燥や温度変化に強く、過酷な栽培環境にも耐えて良く成長する。日本の気候に於いては、湿気にさえ気をつければ0度を大きく下回らない限り枯れることは稀であり、温室を利用できる静子の環境では手入れの必要がなかった。
「しかし、ドライフルーツに加工された後でも発芽するとは……恐るべき生命力だね」
工業的な加熱処理を施されない天日干しだけに、発芽能力が無くなる温度まで達しなかったのではと静子は考えた。
最初は食べた後のデーツの種を調べるために水に浸けておいたのだが、一晩経って見ると1.5倍ほどにも膨らんでいたため、もしやと思い土に植えてみたところ発芽した。
流石に全ての種から発芽する訳ではなく、発芽率は1割にも満たなかったが静子はとても喜んだ。
成木になるまでは低温に気を付ける必要があるため、鉢に移し替えて栽培を継続している。問題はデーツが雌雄異株による結実性を持っていることにある。
この性質から雌雄の株が揃わないと、果実の収穫は期待できないのだが、花が咲くようにならなければ雌雄の判別が出来ないのだ。
静子は現代に於いて、ダイエット食品として紹介されていたデーツの記事を見ていたため、雌株は下向きに花が付き、雄株が上向きの花をつけるという事だけは覚えていた。
今は10本程度の苗を育てているが、それらが全てどちらかの株に偏らないことを祈るのみである。
「まあ、別に実が収穫できなくても良いんだけど、実が採れるなら『とんかつソース』を作れる可能性があるんだよねえ……。幸い南蛮商人たちはデーツが売り物になると思ってくれたようだし、今後も定期的に買い付けられるよね」
ナツメヤシは中東ではポピュラーな食品であり、生のデーツを食べた後の種をその辺に捨てておいても良く発芽する。しかし、前述の通り、雌雄を判別するのに年数が掛かるため、多くの人々は育てようとは思わない。
雄株が1本あれば、50本程度の雌株に受粉することが可能であり、優秀な雄株以外の価値が総じて低いため、後発にとって極めて不利な競争原理が働くためである。
これらの事から南蛮商人にとってデーツは保存食として以外では重要視されておらず、重量当たりの取引価格が高く設定している静子のところへと優先して回されることとなる。
静子はこれを利用して、今後も乾燥デーツから種子を回収して、栽培を続ける予定だ。
涼やかな午後の一時を満喫していた静子の耳に、敷かれた砂利を踏みしめて近寄ってくる足音が届いた。静子は手にした本を閉じると、立ち上がって警戒をしているヴィットマンたちの頭を撫でる。
「静子様、上様より早馬が着きました。『明日の昼過ぎに着く』とのことです」
「判りました。明日の早朝より茶室の掃除を行うよう、蕭に伝えてちょうだい」
「承知しました」
縁側に座る静子を立たせないよう、庭を回って報告にきた小姓へ命を伝える。静子は閉じた本を縁側に置き、立ち上がって全身を伸ばす。
名残惜しいが穏やかな時間は終わった。表情を引き締めると、静子は己の為すべきことへと取り掛かった。
翌日の午後。蕭たちが念入りに手入れを施した茶室にて、静子は信長の到着を待っていた。たった四畳半とは言え、十月の気候には少し寒々しい。
部屋の中央に設えられた炉に、炭を並べて五徳を置き、その上に茶釜を掛けた。こうすることで、部屋全体が温かくなり、外気に晒された客が室内で暖を取れるようになる。
静子の茶室では畳の一部を切り取って、床下に備え付けられた囲炉裏である炉檀に釜を据える方式を採用している。ちなみに釜が畳の上に置かれた炉に掛けられる様式を、風炉と呼ぶ。
現代には様々な作法や手順が伝わっていたが、招かれた折に恥をかかない最低限しか知らない静子は、もてなす側として部屋を暖めておこうと考えたのだ。
室内が十分に暖かくなった頃、外に控える小姓が信長の到着を告げた。案内するよう命じて、静子は信長の到着を待った。
やがて地面を踏みしめる足音が聞こえてきたため、耳をそばだてていると奇妙なことに気が付いた。
案内の小姓は途中で待機するため、足音は一人分になるはずだが、どう聞いても複数人の足音が聞こえるのだ。
誰だろうと訝っていると、信長に続いて見た事の無い人物が茶室へと入ってきた。
外見から察するに五十路付近、武人特有の他を圧するような気配がないため、静子は商人ではないかと考えた。公家である可能性も考えたが、それならば信長が相手に応じた飾りつけを命じないのが不自然だ。
公家に対して示威をするなら、多くの東山御物を所有する信長が使わない筈がない。信長に直接目通り出来る人物の顔は、静子も知悉しているため、初見の人物の出自が判らず眉を顰めることとなる。
「捨て置け」
静子の視線に気づいた信長が笑いながら命じた。信長が問題ないと断じた以上、静子としては異を唱える訳にもいかず、予定通り茶を点て始める。
(……やりづらい)
静子としては招待客側の作法ならばある程度心得ているが、亭主側の作法等知り様もなく、歴史もののドラマなどで見たシーンを思い出し、見様見真似で茶を点てる。
床の前にある貴人畳にどっかりと胡坐をかいて座る信長から離れて、客畳に正座する人物は、静子の一挙手一投足を見逃すまいと観察していた。
茶室を作りはしたものの、亭主側に座ることなど想定していない静子は、良く言えば我流で、悪く言えば稚拙な所作で茶を点てた。
亭主の動きを具に観察せんとする姿勢から、客人は茶人かも知れないと思ったが、それにしては静子の腕前を知る信長が何も言わないのが腑に落ちない。
この場合、静子の不手際は主人である信長の不明に繋がり、恥をかくのは信長となるのだ。信長の意図と、客人の思惑双方が判然とせず、静子は一抹の不安を抱いていた。
「……どうぞ」
本来の作法であれば、まず茶菓子を勧め、客が食べ終わったのを見計らって茶を出すのだが、各自が好きなタイミングで食べた方が良いと思った静子は、両方を一遍に提供した。
「ふむ、またしても新作か。見た目はともかく、味は良いな」
信長は無作法を気にしていないのか、まず茶菓子を平らげ、次いで薄茶に手を伸ばした。そしてまたもや静子が暴挙に出る。
別の茶碗で点てた茶を、またも茶菓子と共に客人へと勧めた。
余りにも型破りな振る舞いに度肝を抜かれた客人だが、頂戴しますと一礼し、信長に倣って茶菓子と薄茶を口にする。
僅かに目を見開き、次いで床の間に飾られた花入れへと目線をやった。
「なるほど……これは射干玉を模しておられるのですね。秋の夜長を思わせる艶めいた黒、茶菓子で季節を演出しつつ味わいも一級品。実に結構なお点前でした」
「は、はい。お褒めに与り恐縮です」
そのような意図を一切していなかった静子は、褒め殺し状態に困惑していた。
そんな静子の様子を楽しげに眺めながら、信長は客人の素性を明かした。
「良かったな、静子。どうやら宗易のお眼鏡に適ったようだぞ。世辞など言わぬ宗易が、手放しで褒めるなど珍しいこともあるものよ」
「宗……易……? あっ!」
目の前の人物が誰かを理解した静子は、思わず自分が知る名を言いかけ、慌てて言葉を飲み込んだ。
千宗易、現代では千利休の名で知られる、茶湯の天下三宗匠の一人であった。
信長が堺を直轄領とした折、今井 宗久、津田 宗及らとともに茶頭として雇われていた。
余談だが後世に伝わる利休の名を名乗っていた時期は短い。彼はその人生の殆どを法名である宗易として活動していた。
利休の名は1585年、秀吉が関白就任の返礼にと禁裏茶会を催そうと考えたことに端を発している。
その茶会の亭主を務める宗易の身分が町人であったため、彼が宮中へ参内出来るよう、正親町天皇が『利休』という居士号を宗易に与えたことにより、名実ともに天下一の茶人として名を馳せることとなる。
「宗易は華美を好まず、贅を凝らした茶室や東山御物などの名物が尊ばれる茶会に倦んでおった。ゆえに、わしが知る限り最もみすぼ……質素な茶室である、ここに連れてきたのだ」
「……それならば、前もって教えて頂ければ——」
「教えれば貴様は場を取り繕おうとするだろうが、ありのままの貴様を宗易に見せることが肝要なのだ」
後に茶聖とも呼ばれる茶道の大家を前にして、稚拙な点前を晒した静子の抗議を信長は一言で切って捨てた。
信長の言う通り、事前に知らされていれば、静子は持てる力を総動員してその場を取り繕ったであろう。
そうして取り繕われた、その場限りの茶会では意味がないと信長は考えたのだ。
「どうじゃ、宗易。近頃持て囃される流行とは真逆をゆくこの茶会、遠慮は要らぬ。思うところを申してみよ」
「……そうですね。茶の湯の作法としては型破りも甚だしく、一服の茶を如何に美味しく味わって貰うかという点では、茶菓子と抹茶を一遍に出してしまっては台無しです」
「は、はい。お恥ずかしい限りです」
信長をして一目置かざるを得ない宗易から見れば、静子の点前は児戯にも等しかった。しかし、それは作法に限った話であり、客を如何にもてなすかという本質は押さえており、評価すべきところも多かった。
「そう畏まられることはありません。あくまで当世の『茶の湯』の作法に照らした際の話です。私は茶室ともども、この茶会を素晴らしく思います」
「は、はあ……」
「例えば床の間の花入れ。名物という訳でもなく、ありふれた陶器にこれまたありふれた檜扇を生けてあるだけ。一見無造作に生けてあるように思えて、その実、葉と花と実という見頃の異なる秋の時間を見事に再現されている。そしてその秋の移ろいという雄大さに比べて、ややもすれば素っ気ない程の器。そこに不足の美、侘びがあるのでしょう」
「……恐れ入ります」
まるで意図していないところを大仰に褒められ、静子は黙してお茶を濁すことにした。
「実に良いものを見せて頂きました。貴女の茶室を見て、私は己の目指す先が見えた気がします」
そう言って宗易はずっと浮かべていた渋面を緩め、初めて笑みを浮かべた。
「私は近頃の茶の湯、とりわけ唐物の茶器を偏重する流れに不満を抱いておりました。されど、不満を唱えるだけで、新たな道を示せておりませなんだ。不平不満を口にするなら誰にでも出来ましょう、こんな茶の湯の方が良いと思いませぬかと、己が良いと信ずるものを示せずして他人の同意など得られるはずがございません」
二人のやり取りを黙って見守っていた信長は、薄く笑みを浮かべると一言問うた。
「どうじゃ、静子は面白かろう? 少しは刺激になったか?」
「はい、図らずして初心へ立ち返ることが出来ました。お陰で、己が求める茶の湯が間違っていなかったと確信できました」
「極限まで無駄を排し、虚飾を取り払う、枯れた幽玄の美とやらか」
「これ以上何も削れないというところまで削って、簡素の中に趣を見出すのです。号して『侘び茶』でしょうか」
「豪華絢爛を旨とする、我ら国人の茶の湯とは対照的よな。それもまた良し」
侘び茶という言葉が気に入ったのか、宗易は瞑目して何度も頷いていた。彼の頭の中では、侘び茶の方向性が形作られている。
やがて再び目を開き、宗易は居住まいを正すと静子に向き直った。
「静子様、一つお願いがございます」
「お願い、ですか?」
「不躾ながら、あの花入れを譲っては頂けぬでしょうか?」
宗易の言葉が意味するところを理解し、静子は花入れへと目をやった。これと言って目を惹くところのない、何の変哲もない陶製の花入れだ。
若い職人の習作なのか、市場で一つだけ売れ残っていたのを静子が買い求めたものであった。
ろくろすら使っていないのか、形も均一でなく歪んでおり、色合いも野暮ったい。
「今日という日を忘れぬよう、道に迷った際に初心へ立ち戻る標として、どうかご一考頂けませぬか? 私に差し出せる対価など静子様からすれば微々たるもの、されど何であれ差し出すつもりでおりまする」
「あ、いえ。そう大した価値のあるものではありません。お気に召したのであれば、どうぞお持ちください。対価は必要ありません」
「ありがたき幸せ。この御恩はいずれ」
まさか市場で十円(織田領内の新貨幣の単位、現代価格に換算すると数百円程度)で買い求めたものを欲しがる人がいるとは思わず、咄嗟に返答に窮してしまったのだった。
静子は屋外に声を掛け、人を呼んで花入れを包ませると、宗易に手渡した。
「私の目指す茶の湯が形になれば、真っ先に静子様をお招き致します」
「はい、楽しみにお待ちしております」
宗易は丁寧に暇を告げ、茶室を後にした。一方の信長は、退出するつもりがさらさらないのか、貴人畳に胡坐をかいたまま、菓子盆の中身を摘まんでいた。
対する宗易は侘び茶のことで頭が一杯なのか、信長が残っていることにも気を留めず、足早に立ち去って行った。
「……侘び茶か。どうにも辛気臭くて敵わぬな。派手であれば良いとは言わぬが、華が無ければ茶の味も鈍ろう」
宗易が立ち去り、暫し時を置いた頃。信長は静子が淹れた焙じ茶を湯呑で飲みながら、言葉を発した。
「上様の好まれる茶会とは対極に位置するものなのでしょう」
「……まあ良い。宗易が侘びに傾倒するならば、こちらとしても都合が良い」
「それはどういった……」
問いの言葉を発する中で、静子は理解に至った。宗易が目指す侘び茶は信長が好む『唐物数寄』と真逆の方向性を持つ。
名物(唐物の茶器)を必要としない宗易の考えが浸透すれば、それを自分が手に入れ易くなると考えているのだろう。何故か、信長は侘び茶が主流になれないと確信しているようだが、歴史を知る静子には一抹の不安が拭えないでいた。
「貴様が気にせずとも良い事だ。それよりも大和行きの支度は出来ておろうな?」
「は、はい」
「ならば良し。京で数日滞在し、その後大和へと向かう。しかと役目を果たしてみせよ」
信長はそれだけ告げると、静子の返答を待たずに茶室を後にした。
宗易との邂逅からこちら、静子は忙殺されていた。静子は予てより正親町天皇へ正倉院の宝物閲覧の許可を求める陳情を出していた。
それが原因となって朝廷では騒動が巻き起こっていたのだ。発端は織田家に取り入ろうと考えた公家が結託し、帝の意向を無視して静子の閲覧を許可してしまったことにある。
事後承諾として知らされた帝が立腹し、公家達の越権行為を責めたのだが、公家達は『織田殿の引き立てで、公家一同が一丸となって政務に取り組むべき時に、形式に拘って機を逃すのは愚か』と、帝への不満を日記に残す状態であった。
何故、公家と帝が争っているのかと言えば、今年が日照り続きで干ばつの被害が多かったためである。
尾張・美濃など信長直轄の穀倉地帯は、常に干ばつ対策を取っており、設備も充実していたがために影響は軽微であったが、他国に於いてはその限りではなかった。
繰り返し雨乞いの儀式が行われ、陰陽師を招いて占筮を執り行わせた。結果は稀に見る凶事となり、朝廷は上を下への大騒動となった。
現代人ならば「何を非科学的な」と一笑に付すところだが、この時代に於ける易占の信憑性は高く、各地で加持祈祷が盛んに行われることとなる。
そしてこれは大陸由来の考え方だが、天下が大きく乱れる時は、それを治める天子の不徳を、天が咎めているとする天人相関説が広く信じられていた。
それ故に大規模な干ばつが起きたとなれば、帝の不徳を天が咎めているとして、痛烈な天皇批判が相次ぎ、帝の命に従わない者も出てくるのである。
余談になるが、史実では信長が正親町天皇に譲位を迫ったという説がある(真逆に譲位を諫めたという説もある)。それが折しも禁中怪異や、大災害で天下が大いに乱れた年のことなのだ。
つまり信長は時の帝に無礼を働いた訳ではなく、天変地異や大災害を治めるためにも譲位してくださいと、当時の価値観としては当然のことを願い出ただけであった。
因みに正親町天皇は信長の譲位願いを退け、彼が本能寺の変にて横死する最後まで譲位を拒み続けた。
こうした騒動も相俟って、正式に正倉院への立ち入り許可が下りたのは、信長が京へと着いて数日後という有様だった。
勿論信長が座して待っている間、静子は養父である前久に働きかけ、朝廷内の調停を図って貰い、何とか今日という日を迎えたという状況であった。
面倒な話だと思った信長だが、下心有りとは言え自分に便宜を図ろうとしてくれたものを無下にする訳にもいかず、騒動の起因となった事を詫び、双方を労うにとどめた。
その後は何事もなく大和入りし、東大寺へと到着した。信長はそこで全軍に対して『無法の厳禁』を言い渡した。
この禁を破れば、破った本人は勿論のこと、隊の仲間や直属の上司に至るまで連座で責を問うという、厳しいものであった。
更には東大寺の境内に陣を敷くことも禁じ、境内外にて陣を敷く際にも火の扱いに至るまで細かく禁令を課した。
その上、信長の帰りを待つ間、ただ待機していれば良いとするのではなく、周辺の治安維持に最大限の協力をせよと申し付けた。
これらの指示を出し終えると、信長は最低限の供だけを連れて東大寺を訪った。
その際にも強権を振りかざす訳でもなく、形式通りの手順を踏み正倉院へ立ち入り、黄熟香(蘭奢待という名前を持つ)を閲覧したい旨を願い出た。
また、自身が宝物庫に踏み入るのではなく、蘭奢待のみを持ち出して貰い、大僧正立会の許、閲覧及び二か所を削り取るとした。
信長と言えば傍若無人の権化であり、神も仏も畏れぬ蛮人という先入観を持っていた東大寺の僧たちは、実際の信長を前にして、礼儀正しく堂々たる振る舞いに感心せざるを得なかった。
信長が大和入りした最大の目的は、大和を支配下に置いたことを示すためであり、それに異を唱えなかった東大寺や春日大社に対しては、終始礼儀正しく振舞った。
対して大和を治める為政者に関しては、再度自分の許へ赴いて支配下に収まることを宣言させた。信長の到着を知りつつも、挨拶が遅れている、もしくは音沙汰の無い者へは、小規模の軍を率いた使節を遣わせた。
また挨拶に赴いた者にも、事前に収集していた情報と本人が述べた情報を照らし合わせ、その差異を次々に指摘して見せた。
次いで隠し事をすれば為にならぬこと、領地運営に改善の兆しが見られぬ場合、その地位をはく奪する旨を伝えた。
反骨精神溢れる大和の豪族たちが、信長に絶対服従を誓うはずがないが、現状逆らっても勝ち目が見えない以上、為政者たちは信長の勘気を恐れて、我先にと参上することとなる。
真っ先に挨拶に赴いたのは、他ならぬ松永久秀であった。他の有力者たちは、信長が陣を敷いて以降に訪れたのに対し、松永は信長が京を出た頃から準備を整え、付近で待機しており、信長の到着を平伏して出迎えた。
「出迎え大儀であった。久しいな松永、変わり無きようだが、息災であったか?」
「は、勿体なきお言葉。領民ともども健やかに過ごしておりまする」
「城こそ召し上げたものの、腐らず忠勤すれば、いずれ日の目も見よう。さて、話は変わるが朝廷より任された芸事保護の一環で、名物の記録を取っているのは知っておろう? 其の方の持つ平蜘蛛も天下に名高き逸品と聞く、協力する気になればいつでも申せ、決して悪いようにはせぬ」
「は、ははっ!」
「ふむ、実に堅実に励んでおるようじゃ。唯一の懸念は筒井との仲か、くれぐれも軽挙妄動を慎むように、下がって良いぞ」
松永は地面に額が着くほどに平伏していた。信長は松永の気性を知るが故に、無理強いはしないものの、折に触れて平蜘蛛を差し出すよう暗に要求していた。
とは言え、平蜘蛛を差し出して、無事に返される保証はない。信長が名物狩りで召し上げた名物は数知れず、それが持ち主に返されたという話はとんと耳にしない。
面と向かって拒絶を口にすれば、朝敵として処罰されるのは確実であり、皮肉にも平蜘蛛の存在が松永の地位を守っているという側面もあった。
これは松永に限った話ではないが、朝敵となれば一族郎党皆殺しの根切りが待っている。松永個人としては平蜘蛛を手放したくなどない。
しかし、この時代に於いて個人の感情で、一族を破滅に追いやる選択など出来ようはずもなかった。松永としては最も効果的なタイミングで平蜘蛛を手放さねばならないという、難しいかじ取りを迫られることとなる。
「ひぃぃっ!!」
「人の顔を見るなり悲鳴を上げるとは、礼がなっておらぬのではないか?」
信長に拝謁したのち、その足で静子の許へも向かおうとした松永だったが、建物の角を曲がったその先で彼が最も会いたくなかった人物と直面した。
生気を感じさせぬ昏い視線を受け、松永は首筋に刃を押し当てられたような、生きた心地のしない状況にあった。
「静子へも挨拶に向かう気か?」
「……織田様の信任篤く、朝廷より芸事保護を任される御仁。叶うならばお目通りを願いたいと思うのは、同じ主君を仰ぐ臣下としては当然かと」
「ほほう、それは殊勝な心掛けよ。『所詮は世間知らずの小娘よ、如何様にも手玉に取れる』という言葉が聞こえた気がしたのだが、わしの気のせいだったのであろうな?」
足満の言葉に松永の表情が凍り付く。脂汗を垂らしながらも松永は必死に考えを巡らせる。先の言葉も決して大きな声で呟いていた訳ではない、すぐ隣に侍っていたところで聞き取れたかすら怪しい。
それだというにも関わらず、目の前の男は仔細に繰り返して見せた。本当にあの世から蘇り、悪鬼羅刹の力を得ているのではないかと、背筋が寒くなった。
「のう、松永。わしは、貴様が何か思い違いをしているのではないかと考えておるのだ。貴様が今も命を繋いでおられるのは、貴様の才覚によるものと思ってはおるまいな?」
「い、いえ……決してそのようなことは……」
「……まあ良い。人の心までは縛れぬもの。しかしな、松永。静子に、ひいては織田殿に弓引くときは心せよ。その時、貴様は本当の地獄を思い知ることになろう。簡単に死んで逃げられるなどと思うなよ? わしがそうしたように、何度でもあの世から引き戻し、殺してくれと懇願しても尚、責め続けてくれよう」
「ひ!? ひぃぃぃっ!!」
正に足満は地獄から黄泉返った悪鬼であった。尋常ではないと疑ってはいたが、遂に本性を現した。こいつの手に掛かれば、死して尚、安寧は得られぬという。
足満の言葉をそう受け取った松永は、顔面を蒼白に染め上げ、這うようにして一目散に駆けだしていった。冷ややかな目で松永の背を見送った足満は、踵を返すと静子の陣へと戻った。
松永にとっての不運は、既に静子へ面会の先触れを出してしまった事にあった。逃げ出した相手が待ち構える場所へ、のこのこと赴かねばならない。
更に悪運は重なり、何故か才蔵が外回りの警戒を受け持ったため、静子の陣内には足満の配下の兵が警護を固めていた。
「尾張の名君と名高き静子様にお目通りが叶い、大変喜ばしく思っておりまする。尾張と比べて鄙びた大和ではございますが、我ら地の者には土地鑑(その地域に対する地理や、建物の配置、生活習慣などが身についている様。『勘』は誤用)が御座います。何なりと御用を申し付け下さい」
松永は四方から投げ掛けられる、文字通り矢のような視線に耐えつつ、静子に失礼のないよう必要以上に遜った挨拶を述べた。
「私のような若輩者にお気遣い感謝致します。我ら大和には不案内ゆえ、お力をお借りするときもありましょう。その折にはよろしくお頼み申します」
「はっ! 微力ながら全力を尽くす所存でございます」
松永は、先ほどから激しく痛み始めた腹を手で押さえ、足を引きずるようにして静子の陣から遠ざかっていた。
噂に聞こえた静子との初の目通りであったが、内外に多くの敵を抱える松永は一目でその異質さに気が付いた。多くの兵を抱える程に、皆の思惑は千々に乱れ、一つの目標へと邁進することは難しい。
しかしながら、静子の陣を守っている兵たちは、皆一様に心から静子に心酔し、静子のためとあらば、その命を投げ出す覚悟が窺えた。
宗教的な狂信にも通じる気配を感じ取り、松永は足満と並んで静子が恐ろしくて堪らなくなった。
(天はわしを見放した……。己を殺し、只管に松永家存続だけを願おう)
かつて暗殺した主君は地獄より悪鬼となって蘇った。更にその悪鬼が守る女は、あろうことか国中の男を惑わす傾国の悪女であった。
野心を殺し、己を殺し、ただただ愚直に統治に励めば、松永家は見逃されるということが分かった事だけが収穫であった。
捨て鉢になって、織田が欲して止まぬ平蜘蛛もろともあの世に逃げ果せ、意趣返しをしてやろうかとも考えたが、足満の言葉によれば、それすら叶わぬことらしい。
松永は己の不運を嘆き、生まれてくる時代を間違ったと後悔した。
すっかり憔悴しきった松永の姿を目の当たりにした大和の豪族たちは、比較的穏当な統治をしていると評判の松永をしてあの責められよう、どのような仕打ちが待っているのかと戦々恐々として謁見に臨むことになる。
結果的に信長は、意図せずして労せず大和の有力者を屈服させることができ、その成果に大いに満足していた。
日を改めて再び訪れた東大寺では、大僧正の立会の許、蘭奢待を二か所削りとった。一つは自分の物とし、もう一つは正親町天皇へと贈ることとなる。
その折に信長は大僧正に朝廷より請け負った芸事保護の任を説明し、静子に便宜を図ってくれるよう願い出た。自分の名に懸けて無法はさせぬと誓い、静子の人柄についても朝廷直々に任を与えるほどであると請け負った。
政治的な判断を要する事だけに、その場での返答は求めず、信長は終始上機嫌で東大寺を後にした。続いて訪れた春日大社でも、同様の姿勢を貫き、静子に関する理解を求めることに腐心していた。