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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正元年 畿内の社会基盤整備
137/246

千五百七十四年 九月下旬

「くっくっく。当代随一と名高い曜変天目が、全て我が手中に収まった」


信長は上機嫌で呟いた。曜変天目茶碗は、鉄質黒釉を用いて特徴的な天目形に焼き上げられた天目茶碗の中でも最高峰のものとされる。

南宋時代の一時期に、建窯でごく少数だけ焼かれたという曜変天目茶碗。作者も不明であり、二度と焼かれることもなく、窯元である中国には陶片しか残されていない。

完全な形を保っている物は、全て海を隔てた日本にしか存在しないなど、色々と不可解な点を持つが、器の中に星空を見出す雄大な造形は、当時の権力者を夢中にさせた。

茶器に興味を持たない静子ですら、見る角度によって色合いが変わる神秘的な輝きに魅せられた。


君台観左右(くんだいかんそう)帳記(ちょうき)の記述通りですね」


足利将軍家が蒐集した宝物の台帳である「君台観左右帳記」には、それぞれの宝物が格付けされ、その姿形や来歴から実際に取引された際の価格に至るまでが記載されていた。

曜変天目茶碗を集めるに当たり、偽物を掴まされないためにも君台観左右帳記の内容を頭に叩き込んだ静子は、現物を前にして記述が的確であったことを実感していた。


「ふむ……津田(堺の豪商、津田宗及のこと)の曜変は他と比べて地味だな。それでも他の茶器にはない輝きを放っておる」


「しかし、強欲な商人が良く手放しましたね。茶器には詳しくないですが、曜変を所有しているというだけで、その財力や権勢を担保してくれる、商人なら誰もが喉から手が出るほど欲しい逸品だとか」


「その財や権勢も命あっての物種よ。流石は名うての豪商よな、時流を読み(たが)わぬ」


信長は暗に脅して奪ったと(うそぶ)いてみせた。それでいて、口に出すときには相手を褒めて見せるのだから始末が悪い。

恐らくは方々でも、津田が文物保護の為に進んで供出したと話し、先見の明がある懐の深い人物だと褒めそやしているのだろう。

自分の財力を担保する名物を奪われたとは言え、天下人に最も近いと目される信長の覚えが目出度いとなれば、それが代わりの信用を生み出してくれる。

自分の立場を正確に理解し、それを利用して器用に立ち回る、政治家としても一流の才覚を見せる信長は流石としか言いようがなかった。

更に言えば、これらは信長が私利私欲の為に集めている訳ではない。朝廷から任された文物保護の名目を掲げ、静子が預かっているという形をとっている。

空手形とは言え、いずれ返却される可能性もない訳ではないため、一縷(いちる)の望みを抱きつつ沈黙を保つ他なかった。

既に静子の許には散逸した芸術品や、数多くの書物が集まってきており、それらを集約して国文学や国史の編纂すらも手掛けていた。

名物を強奪するための名目としては、有名になり過ぎており、面と向かって否を突き付けられる者など居はしないと思われた。


「……察しました」


「ほう? 貴様にも『腹芸のいろは』を手ほどきする時が来たか」


「真意を隠して伝えられる、上様のご命令を何年も遂行してきた賜物です」


「はっはっは、貴様も言うようになったな。それも静子ならば裏を察してくれると(たの)んでのことよ」


からからと信長が笑う。口では殊勝な事を言ってみせるが、従来のやり方を変えるつもりがないというのがありありと窺えた。

当の信長は、並んだ曜変天目茶碗を見比べ、手に取って(たなごころ)で遊ばせるなど、終始上機嫌であった。


「ふむ、存分に堪能したわ。だが、価値のある物は、世に出なければ意味がない」


「上様は、曜変天目茶碗を政治に用いられるおつもりですか?」


信長の言葉が意味するところを察し、静子が問いを投げ掛ける。当意即妙の対応を見せる静子を満足気に見やると、信長は扇子を広げて自身を扇いでみせた。


「そうは言っておらぬ。しかし、一所(ひとところ)に全ての曜変天目茶碗が揃っておれば、大火や盗難で全てが遺失してしまうやもしれぬ。信用の出来る配下に、分散して管理させればより安全となろう、違うか?」


「私が目録を作り、現物は各地で分散して保管しているという体で、下賜されるおつもりだという事は理解しました」


「察しが良すぎるのも詰まらんな」


「お褒めに(あずか)り恐悦です。価値あるものは使ってこそ、死蔵しては意味がないという上様の方針は判りましたが、流石に即座にというのは外聞が悪いかと」


「今すぐにとは言わぬ。東国征伐が成った暁には、それ相応の褒美が必要となろう。それまでは貴様が管理し、貴様が執心しておる『写真』とやらで『君台観左右帳記』を超える資料を作ってみせよ」


信長は現物だけに留まらず、それらの姿をありのままに記録するという写真の有用性や、その利用価値をも正確に見抜いていた。

開発が難航しており、高価な様々な試薬を湯水のように使う写真という金食い虫を(いと)うのではなく、より推し進めよと背中を押した。


「はっ、必ずやご期待にお応えしてお見せ致します」


「そう気負わずとも良い。写しとは言え、当代随一の美術品を手中に出来るとあらば、金に糸目を付けぬ好事家は少なくない」


静子の覚悟を信長は豪快に笑い飛ばした。続いて小姓を呼び寄せると、曜変天目茶碗を片付けさせる。


「近頃は物事が上手く進む、否、進み過ぎておる」


曜変天目茶碗に変わって、何の変哲もない湯呑で緑茶を楽しみつつ信長が呟いた。多少の目論見違いはあれど、大筋では信長の計画は順調に推移していた。

加賀一向宗の領土についても着実に切り取っており、雪の積もる冬までには全体の三分の二ほどを奪える計算だった。尤も維持を考えるなら、三分の二という数字は多すぎるのだが、相手が立ち直る前に可能な限り切り取るのは定石であった。


「以前にも伝えたが、近く本拠を安土へと移す。新年の仮御殿落成を以て、移り住む予定じゃ。貴様には尾張を任せる、尾張以東へ睨みをきかせよ」


「奇妙様が東国征伐を成されれば、そもそも睨む相手が居なくなりませんか?」


「目が届かぬところに叛意の萌芽あり。いつの世にも不心得者は絶えぬもの、大きくなる前に貴様が刈り取るのだ」


「承りました」


「首魁たる本願寺が潰えれば、寺社どもは烏合の衆となろう。元来、統治者の無法に対抗するというのが、武装の建前だったのだ。統治者が武力ではなく、万人が守るべき法で縛る以上、奴らが武装する正当性はなくなる。武力を持つから争いをしたくなるのだ、非武装同士では勝負が読めぬゆえ、下手な動きも出来なくなろう」


確定した未来を話すように淡々と言い終えると、信長は茶で喉を潤した。一息入れると言葉を続ける。


「残るは朝廷に巣くう、うらなり共よ。織田の台頭を良しとせぬ公家共が、既得権益を奪われまいと暗躍しておる。それが故かはわからぬが、近頃は『織田はいずれ、高転びに転ぶ』という評を耳にする。驕り高ぶったわしが、足元を掬われると言いたいのであろう」


この『高転びに転ぶ』という言は、毛利家の外交役を務めた僧侶、安国寺恵瓊(えけい)が山県越前守井上春忠に宛てたとされる書内の有名な言葉(予言とも言われている)である。

他者の心情を顧みず、苛烈な(まつりごと)を為す信長では天下は取れない。早晩に信長の天下は終わり、秀吉の世が来ると予見していたという。

恵瓊の思惑がどうであれ、史実にて信長は光秀の裏切りに合い、本能寺で横死している。彼が予見した通り、秀吉がその跡を継いで天下人となり、恵瓊は素早く取り入って毛利家の安泰を勝ち取るという成果を上げた。

本来ならば秘されるべき恵瓊の言葉が、朝廷内で流布(るふ)されている状況というのは、信長を良く思わない勢力が工作していると考えるのが自然だ。


「そうですね。上様は合理性を求める余り、心情を軽視するきらいがあります。他にも考え方が先鋭的過ぎて、他者との共感を育み辛いのに、言葉足らずから己の胸の(うち)を明らかにされませんし、あと我儘が多い気がします」


「本人を前にして、よくぞ申したものよ!」


「されど、天下人の器と言えるのは上様を措いて適任者は居りませぬ。自らが先頭に立って変革を推し進め、またその責を負う覚悟を持つ国人など、上様以外には居られません。しかし、上様の治世は長くはないでしょう。上様は良くも悪くも変革者、民衆は泰平を望み、変革を嫌いますゆえ」


「ふっ、わしの器には日ノ本は狭い。世が泰平とならば、奇妙に跡を託して、世界に出るのも一興」


「いたっ!」


信長は笑いながら、静子の頭を軽く小突いた。軽くとは言え、武人の一撃に静子は一瞬視界が暗くなった。


「それに、わしの我儘など可愛いものよ」


「え!? でもアレが食べたい、コレが欲しいって発作的に……いえ、何でもありません」


語る程に険しくなる信長の視線を受け、静子の言葉は尻すぼみに小さくなった。信長も色々と無茶を言った自覚はあるようで、小さく息を吐いた。


「己が欲するところを通せずして、何が権力者か。さて、そろそろ昼餉時よな、飯の支度を整えよ。心得ているとは思うが、飯は尾張米の新米だ。味噌汁には豆腐と油揚げが望ましい。菜は、そうよな、先日はダチョウを食したゆえ、此度は尾張九斤黄(コーチン)が良かろう。食後の甘味は、季節の果物を所望する」


信長は開き直ったのか、清々しいまでに我儘な要求を出してきた。無自覚な我儘も厄介だが、開き直られると尚始末に負えないと、己の失言を悔いる静子であった。







九月も下旬を迎え、尾張・美濃では年貢の徴収が一段落した。今年も予測数値から大きく外れない程度の収穫量を確保でき、冬を越せない餓死者が出る可能性は低い。

納税の義務を果たしたことで、民たちは神社に赴き、無事収穫を迎えられたことを神々に感謝し、来年の豊作を祈念する。

尾張・美濃では稲作以外の産業も盛んであるため、屠畜などで命を奪った動物たちを供養する慰霊祭も営まれる。家畜や家禽は言うに及ばず、養蚕や養蜂による昆虫や、魚介類などについても一緒に祀る。

現代に於いても、農業学校などでは実習で犠牲となる動物たちを祀る供養塔が存在し、毎年慰霊祭が行われている。


「今年も順調だね。病害や虫害は、拡大前に対処してるから、損害は許容範囲内に収まってる」


例年の収穫実績から弾き出した予測数値と、彩達が纏め上げたばかりの税収の実績とを見比べ、静子は予実の精度を軽く計算する。

多少のずれは発生するものの、何らかの対処が必要となる程の誤差は発生していない。しかし、静子の蔵に収まっているだけでは、収穫物に商品価値が発生しない。

無論、そのようなことは民が考える事ではなく、曲がりなりにも為政者たる静子が為すべき仕事である。石高上では五万石となっているが、それは米に限った話であり、多種多様な産物を統合すれば百万石にも迫ろうかという収益となっていた。

港街の整備以来、東国経済の玄関口となっている尾張では、収穫期以外にも常に税収があるというのが大きい。


「尾張米をどう扱ったものかな?」


手にした帳面上の一ヶ所に、筆で下線を引きながら静子はため息を吐いた。尾張米と言えば、帝の御用米として名を馳せ、天下一品の誉れ高い米となっている。

口に出来ること自体がステータスシンボルであり、贈答用や祝い事の席には欠かせぬものとなっていた。しかし、名前の通り尾張でしか栽培されず、流通量が限られていることが希少価値を産んでいた。

庶民からすれば一膳ですら目を剥くような値段となる尾張米が、静子の蔵には山と保管されていた。今年の収量が多かったのも一因だが、最大の原因は作付け量を増やしたことにある。

信長の方針により、尾張米は静子の村を中心とした、ごく限られた範囲でしか生産されていなかった。しかし、尾張米の需要は信長の予想をはるかに上回った。

その結果、尾張米は食料としてではなく、投機的価値を持つ商品として商人たちが買い占め、値を釣り上げたり、死蔵されたりするようになった。


苦心して作り上げた尾張の名産品を金儲けの道具にされては業腹だと、信長は限定していた供給量を増やすことした。

しかし、品種改良を施された尾張米は、通常の品種よりも多くの施肥を必要とし、従来の品種に比べて背丈が低いため、水位管理にも気を配る必要がある。

作れと言われて、すぐに作れるほど簡単なものではないと信長は考えた。そこで必要と見込まれる流通量の倍程度を作付けさせ、静子の村人たちに指導にあたらせた。

そして村人たちは信長の期待に見事応えてみせた。半分を見込んだ収穫量は、蓋を開ければ八割以上の収量となり、尾張米がダブつくという珍妙な現象が発生してしまった。

信長としては投機的商品として価値を崩したいだけであり、尾張米の価格が暴落するという事態は望ましくない。少量ずつ長期的に供給し続ける量を確保する作戦が裏目に出た形となった。

尾張米を持て余した信長は、余った尾張米の処理の一切を静子に一任した。一任したと言えば聞こえは良いが、市場に出すことが適わない品であるため、用途は限られる。


「……ひとまず家中にばら撒くかな? 身内で消費する分には、市場価値に影響するとは思えないしね」


悩んだ末に、静子は自身の家臣や、織田家譜代の臣を中心に尾張米を贈ることに決めた。それでも尚、余るようであれば加工して別の商品とすれば良い。

普段、政治的な贈答に関しては最低限で済ませている静子が、大々的に尾張米を振りまけば野心ありと見做されかねない。そこで、静子は『豊作のお裾分け』という体をとり、各所へと贈る方針を立てた。


「本当ならお酒の方が使い勝手は良いんだけど……残らない気がするなあ。どう思う? 聞き耳を立てている呑兵衛さんたち」


静子が帳面から視線を上げないまま声を掛ける、すると襖の影から数名が顔を覗かせた。慶次と才蔵がばつの悪い表情を浮かべつつ、部屋に入ってくる。


「おかしいな、気配は消したはずだったが……」


「毎年同じやり取りをしているからだよ。心配しなくても慶次さん達が呑む分量は確保してあるよ。悩ましいのは、私の名義になっているお酒の処理だね」


酒造事業の元締めである静子には、税として酒の現物が納付される。酒粕や甘酒などは使いようもあるのだが、樽酒となると禁酒令もあって、静子では調理以外では一切消費することが出来ない。ゆえに静子の蔵には、数年の熟成を経た清酒が眠っていたりする。


「上様はそれほどお酒を召されないし、かと言って近衛様には既にかなりの量を回してるから、これ以上は価値の暴落を招いちゃう。他の人に贈ると、また政治的な意味を勘繰られるし……そろそろ置き場所も問題なんだよね」


思案しつつ、静子は机の上で指を弾ませる。祝いの席で皆に振る舞ったり、多忙を極める黒鍬衆へ差し入れたりもしているが、それでも減るよりも増える量が上回っていた。

尾張米や尾張の清酒と言えば、上流階級の間で折々の進物として重宝される程の地位を勝ち得ていた。京に於いて希少であることに意味があるため、地方とは言え大量に放出しては具合が悪い。


「難しく考える必要はないんじゃないか? 静っちが『こうしたい』と思ったことをすれば良いのさ。政治的に問題があるようなら、保護者が出張ってくるさ」


「……そうだねえ。今のところ無難なのは、加賀攻めの陣へ差し入れかな。陣中見舞いって形なら、消費するあてには困らないし」


「では、柴田殿へ早馬を仕立てましょう」


「あ、打診は上様経由でしてあるの。上様も消費する分には構わぬと仰っていたし、柴田様からも『お心遣い、痛み入る』って返事を頂いているから、後は規模の調整をしている段階。ただ、明智様だけ陣が離れて、孤立しておられるから、輸送する際に護衛の数を考える必要があるかなって思ってね」


「ああ、そう言えば加賀一向宗が柴田軍と戦端を開いた時に、越前側から背後を奇襲したんだっけ? 初手で大きな戦果を攫ったけれど、その後は連携が取れずに孤立気味って話だな」


慶次の言葉に静子は首肯する。当初、光秀は柴田軍や羽柴軍が加賀一向宗を追い立てるまで、国境付近を固めて静観を決め込んでいた。

開戦後も動く気配のない様子を見た、加賀一向宗の首脳部は、明智軍は退路封鎖の部隊と断じて戦力を前線に集中させた。後方への注意が疎かになった機を逃さず、突如として明智軍の伏兵部隊が急襲を掛けた。

この光秀の用兵は、柴田達にも伝えておらず、完全な不意打ちとして機能し、あわや二曲(ふとげ)城を陥落寸前まで追い込んだ。

とは言え、明智軍も本隊ではなく、遊撃隊であるため数で劣る。攻め落とすのが無理だと判断すると、即座に防衛設備の破壊へと方針転換し、櫓や武器庫に火を掛け、城門を閉じられないよう工作すると、鮮やかに引き上げてみせた。

この一連の動きのお陰で、柴田軍は一気に深くまで攻め入り、二曲城に籠る加賀一向宗は、堀と廓を恃みに絶望的な籠城を強いられていた。

奇しくも光秀の奇襲により、加賀一向宗は打って出る方針から籠城へと舵を切った。柴田軍としても深追いを避け、鳥越(とりごえ)城との連携を断つよう動いており、膠着状態に陥っていた。

しかし、この一連の攻防によって、加賀一向宗の主力部隊は大きく数を減らしており、光秀の戦功は誰もが認めざるを得なくなった。


「一応挟撃の形になっているけれど、明智様の部隊は数が少ない。おまけに、柴田様や羽柴様を囮に、抜け駆けした形になっているから、とても応援は望めない。かといって兵を下げる訳にもいかないから、難しい判断を迫られるね」


「それを承知で抜け駆けしたのだろう。私見だが、いくさってのは何をやっても勝てば良いってもんじゃないと思うがな」


「同感だ。明智殿のやり様では、何時(いつ)出し抜かれるかと不安になり、とても隣や背後を任せられない。自分達だけは見捨てられぬと、無根拠に思い込めるほど能天気にはなれぬ」


(予想していたけれど、やっぱり明智様の評判は悪いなあ……)


頭が切れすぎるが故に、独断専行に陥り易く、皮肉屋という訳ではないのだが、どうにも空気を読まない発言が目立つ。抜きん出た能力故に重用されているが、協調性に欠けると思わざるを得ない。

背景を理解しているとはいえ、静子では光秀をどうこうすることは出来ないし、する気もない。


「まあ、私たちが口出しするようなことじゃないし、深入りしないようにしましょう。さて、明智様の処へは、誰が赴くべきかな?」


「俺が行こう」


差し当たっては、最も危険が予想される光秀の陣へ荷を運ぶ隊の護衛役を思案していると、お世辞にも仕事熱心とは言えない慶次が手を挙げた。


「……輸送部隊を護衛するだけだよ?」


「そこは、理解しているさ。大将が嫌われ者でも、末端の兵たちは命を張っているんだ、その漢気に報いてやろうって言う馬鹿が居ても良いだろう?」


「んー、そう言う馬鹿は嫌いじゃないかな。では、明智様への輸送部隊の護衛を、慶次さんにお願いします」


「任せろ」


傾奇者の流儀を好む静子は、慶次の意見を尊重することにした。


「馬廻衆の仕事は……いや、言うまい。そういう奴だな、貴様は」


光秀の部隊が孤立しているからこそ、敢えて激励に向かう。上の思惑はどうであれ、現場の兵たちは命懸けで踏みとどまっているのだ。部隊の数が少なく、手薄だということは敵からの襲撃を受けやすい事も意味する。

逆境の中、応援に駆け付け、あわよくば敵に一泡吹かせてやれれば痛快というものだろう。そんな傾奇者のどうしようもない(さが)を感じ取った才蔵は、黙って見送ることにした。


「流石に柴田様の陣へは私自身が赴かないと駄目かな。部下に危険を押し付けて、本人は後方に引っ込んでいるってのは外聞が悪いよね」


「静子様でなければ出来ぬ仕事ではありますまい。無用の危険を避けるのは上に立つ者の義務でございます。某が名代をお務めいたしましょう」


「うーん、そうかなあ?」


特に急ぐ用事があるわけでもないのなら、自身が出向いた方が良いのでは? と思っていると、小姓が足満の帰還を告げた。

すぐにこちらへ通すよう、小姓に命じると才蔵へと向き直った。

静子が僅かに視線を外した間に、いつの間にやら慶次が室内から消えていた。危険の伴う任務の前に、景気づけとして花街にでも行ったのだろう。

示し合わせた訳でもないのに、静子と才蔵は互いに肩を(すく)めて苦笑した。やがて廊下から足音と共に、やや着ぶくれた出で立ちの足満が入ってきた。


「まずは、お役目ご苦労様でした。帰還早々で申し訳ないんだけれど、取り急ぎ概要だけでも口頭で報告お願いします」


「インフラ整備に関しては、自然が相手ゆえ多少前後もしようが、後は時間の問題だろう。問題は上杉家のお家騒動よ、静子の読み通り不穏な事態になっておる。今は不識庵が睨みを利かせておるが、景虎(北条氏康の実子)陣営がきな臭い動きをみせていた。不識庵が長く越後を空けるような事になれば、武装蜂起もあり得る」


「ふむふむ。となると、織田家が東国征伐に注力している時が危ないかな? 上様なら敢えて蜂起を誘って潰すかも……うーん、一度相談をした方が良さそうだね」


反織田の旗頭であった武田家を失った今、本願寺にとっての頼みの綱は、東国の雄である北条を措いて他にない。この頃になると、顕如が各方面に送る文面も弱含みとなり、かつての檄を飛ばす勢いは鳴りを潜めていた。

万が一、北条までもが織田家に降れば、本願寺の命運は尽きてしまう。顕如としては下手(したて)に出てでも、北条を囲い込む必要があった。


「……面倒な話だね。逆を返せば、北条を除けば東国は平定したことになるのかな」


「そうなるだろう。それよりも、少し耳に入れておかねばならぬ話が出来た。報告に寄った岐阜で、織田殿より文を預かっている」


そう言うと足満は、懐より封が施された文を取り出した。静子が内容を(あらた)めると、信長の大和行きに同行するようにと、日程と順路が記されていた。

文面から見て、一度京で合流してから大和へ向かうということが読み取れた。しかし、今の時期に信長が大和へ向かう狙いが判らない。

特に意味もなく文を()めつ(すが)めつしていた静子だが、ふとあることに思い至った。


「筒井と松永との確執の件かな?」


筒井とは『大和四家』に数えられた筒井氏を指し、当代は筒井(つつい) 順慶(じゅんけい)が立っていた。この順慶と松永久秀には少なからず因縁が存在する。

順慶はかつて松永によって居城の筒井城を追われ、暫し雌伏の時を過ごした。その後、三好三人衆と結託した順慶は、松永久秀から筒井城を奪還したという経緯を持っていた。

端的に言えば、互いに殺し合った二人が、共に織田を主君と仰ぐようになったのだ。そう易々とは手を取り合える仲では無かった。

一方の松永久秀は信長に臣従すると、彼の命に従って多聞山城(たもんやまじょう)を明け渡していた。多聞山城には光秀や柴田などが当番制で入ることになり、大和の民に織田家の勢力下となった事を知らしめていた。

とは言え、松永は居城を奪われたまま大人しくしているような人物ではない。少しでも織田に綻びが見えれば、その喉笛に噛みつくべく虎視眈々(こしたんたん)と機会を窺っていた。

こうして、互いの思惑が絡み合った結果、未だに大和にはきな臭い戦乱の気配が漂っているのであった。


「織田殿の狙いは、大和の権力者から民草に至るまで、支配者は織田であると示すつもりであろう。ふむ……松永については、わしから話をつけてやれそうだな」


「え? 足満おじさん、松永久秀と交流があったの?」


「うむ。わしは、あ奴に『とても世話になった(・・・・・・・・・)』し、こちらも何かと『世話をしてやった(・・・・・・・・)』仲だ。一方(ひとかた)ならぬ交誼を結んでいると言っても過言ではなかろう」


実に楽し気な笑みすら浮かべて足満が頷いた。(およ)そ社交的とは言い難い足満が、それほど懇意にしているとは信じがたい静子であったが、あて推量で交友関係に口を挟むわけにもいかず、疑問を飲み込んだ。


「それじゃあ、上様が大和へ着かれた折に、挨拶に参じるように手配をお願いできるかな? 筒井氏は上様に母親を人質に出しているぐらいだから、言われるまでもなく来るだろうけど……念のため文を出しておこう」


信長が一軍を率いて大和入りし、同時に当地の有力者たちが(こぞ)って挨拶に赴くという構図は、将兵や民草にも判り易く支配構造をアピールする機会となるだろう。


「それじゃあ、慶次さんと勝蔵君は加賀へ、与吉君は引き続き安土に残留。となると、私は才蔵さんが柴田様の陣から戻り次第、上様に同行することになるかな?」


「大和へならば、わしも同行しよう。他ならぬ松永が絡んでおるのだ。わしが直接出向いて、少し奴と『話し合い』をする必要があるだろう」


「そうだね。上様の前で筒井側と揉められても困るから、その辺りは交友のある足満おじさんにお任せするよ」


「居城も失い、弱り目の松永にとっては悪い話ではなかろう。知己にも等しいわしが仲裁に入るのだ、よもや『無下にされる』ことはあるまい」


松永からすれば弱り目に祟り目という災難でしかないのだが、実に上機嫌に話す足満の言葉を疑うものはその場にいなかった。


「上様が大和滞在中に問題を起こしたら大事(おおごと)になるからね。筒井側も大人しくせざるを得ないし、松永側は足満おじさんが抑えてくれるんでしょ? 上様の前でひと悶着起こそうものなら、どんな処罰が下されるか判らないからね」


松永は信長が欲してやまない茶釜である古天明(こてんみょう)平蜘蛛(ひらぐも)(以降、平蜘蛛と呼ぶ)を所有していた。松永は信長に臣従する際に、名物『九十九髪(つくもかみ)茄子(なす)』を献上したが、平蜘蛛に関しては幾度所望されようとも、決して譲ろうとはしなかった。

こうした経緯もあって、平蜘蛛を差し出せば喧嘩両成敗となっても松永側には手心が加えられる可能性が高い。筒井側としては先に手を出せば必敗の状況となり、松永さえ抑えられれば大きな問題は起こらないと予想できた。


「いつかは平蜘蛛も名物調査の一環で預かることになるだろうけど、今の時期は抑止力になるから手を出さない方が良いかな」


「ほう……そう言えば、静子は東山御物も蒐集していたのだったな」


「別に金銭的価値があるから欲しい訳じゃないんだけどね。私達の時代に遺失したとされるものを後世に残せるなら、私がこの時代に生きた意味があるのかなって」


「そう気負う必要もあるまい。まあ、松永についてはわしに任せてくれ。悪いようにはせん」


「うん、お願いするね。こっちは大和行きの計画を練るよ」


「任された。(奴がどの様な顔をするかが見物だな)」


松永が足満からの手紙を受け取って、どのような表情を浮かべるかを想像するだけで、薄っすらと笑みが込み上げてくる足満であった。







信長の大和行きが着々と進む中、石山本願寺では内紛の兆しが見えつつあった。

原因は幾つもあるが、大きなものとしては信長が新たに(ひら)いた街道の存在があった。伊勢を経由して、尾張と堺を陸路で結ぶ整備された街道は、中小規模の商人たちの交易を盛んにした。

伊勢を支配下に置いた信長は、尾張で培った海産物の養殖技術を伊勢にも持ち込ませた。養殖が軌道に乗るのに先んじて、加工施設が稼働を始め、干しアワビや干しナマコが比較的安価で流通するようになった。

干しアワビや干しナマコは、隣国(みん)に於いて乾貨(ガンフォ)と呼ばれ、干し椎茸と並んで人気が高い商品だ。重量当たりの利益率が高い商品として知られながらも、従来は商船を擁する大商人でなければ(あきな)う事が出来ない憧れの商材でもあった。

しかし、信長が拓いた街道ならば、大店(おおだな)と呼べないような小さな商人たちにも一攫千金(いっかくせんきん)のチャンスが与えられた。

その結果、さながらゴールドラッシュに沸き立つアメリカ西部のような盛況が、伊勢を中心として繰り広げられることとなった。

一攫千金を夢見て、野心を抱いた商人たちが全国から集まり、商品を仕入れて全国へと散っていく。大商人たちは従来通り、海運での海外貿易を行い、それ以外の商人たちは陸路で国内の流通を担って自然と棲み分けが出来た。

人が集まるところには需要が生まれ、それを商機として市が立つ。市を目当てに更なる人々が集まり、周辺の一帯にはかつてない程の金が落ちることとなった。


こうしてお膳立てを整えた信長は、この巨大な権益構造の一部を石山本願寺に(くみ)する勢力、それも根来(ねごろ)衆や雑賀(さいか)衆(太田党)に分け与えた。

敵を利するだけの行為だけに、最初は罠を疑った根来衆や雑賀衆たちだったが、かつてない勢いで膨れ上がる財貨に我慢が出来なくなった。

雑賀衆は元々商人集団としての側面も持っており、商人たちが交易の安全を担保するために武装した結果、傭兵集団になったという説もある。

そして彼らは商人として培った縁故により、西は九州から東は北関東までをもカバーする伝手を持っていた。命懸けのいくさに出ずとも、(あきな)いで金が得られるとなれば、商人に立ち返る者も当然出てくる。


この一連の流れにこそ、信長の埋伏の毒が込められていた。

雑賀衆は意思決定を、各勢力の代表たちによる合議制に委ねていた。雑賀党と太田党の二大派閥こそあるものの、他にも有力な勢力が群雄割拠し、勢力の代表を輪番制で務めていたと言われている。

今までは傭兵稼業に特化することで大きな利益を出していたため、一応の最大多数の最大幸福を追求することが出来ていた。しかし、ここにきて勢力内部のパワーバランスが大きく揺らいでしまった。


「織田に(くみ)する腰抜け共に制裁を!」


「何処から流れてこようと金は金よ! この商機を逃さず力を蓄えることが先決ぞ!」


「織田の走狗に成り下がったか、雑賀衆の面汚しめ!」


「武器が無ければいくさは出来ぬ! そして武器を揃えるには金が要る。理想や誇りでは、腹は膨れぬ!」


彼らは己の財貨を守るために武装した。しかし、信長は彼が定めた商取引の約束事を守る限り、敵方に与していようとも商人を庇護(ひご)してくれる。

こうして命懸けの割に儲けの少ない傭兵稼業を捨てて、安定した生活を求める派閥と、あくまでも自主独立を貫き、権力者に依存しない生活を続ける派閥に分かれて争いが始まった。


「やられたな」


信長が仕掛けた雑賀衆切り崩しの策に気が付いた雑賀孫一だったが、既に遅きに失していた。最早合議を開こうとも、会議が紛糾するだけで何一つ決定することが出来なくなっていた。

こうなってしまえば寄り合い所帯の脆さが露呈してしまう。それぞれの派閥が、自分達に属する集団を纏めて勝手に行動するようになってしまった。


「立て直しは厳しいか」


険しい表情の孫一に対して、下間(しもつま)頼廉(らいれん)が疑問を口にする。


「本願寺内部でも僧兵の逃亡が相次いでいると聞き及んでいます。時期を同じくして、雑賀衆の内部崩壊。これを偶然と決めつけるには、(いささ)か状況が揃い過ぎておりまする」


頼廉だけではない。彼の傍に僧形の男が座していた。男の名は恵瓊、信長の失墜を予言した毛利家の外交僧、その人であった。

三人は焚き火を囲んで向かい合っていた。それぞれに重要な地位を担う人間が、屋内ですらない場所で語り合うという、ある種奇妙な状況が生まれていた。

頼廉の属する石山本願寺は織田と和睦しており、孫一が率いる雑賀衆の一派も表面上は織田に服従している。直接刃を交えてはいないが、恵瓊の仕える毛利にとって織田は潜在的な敵である。

彼らが一堂に会すること自体が危険な行為であり、幾人もの商人たちで賑わう野外で世間話を装い、秘密の会合を持っていた。


「織田に一枚上をいかれましたな」


「武力で上回っておきながら、搦め手まで用いるとは、合議制の弱点を突かれたわ」


「刃を交えるだけがいくさではないという事でしょう。金を矢として、欲を撃ち抜くいくさもあるのだと思い知らされました。武辺者という噂は当てになりませぬな」


恵瓊が漏らした呟きに、頼廉は腕を組んで黙考する。会話を主導していた彼が黙ったことで、場を静寂が支配する。時折聞こえる虫の音と、焚き火が爆ぜる音だけが響く。

頼廉は己の腕を指で叩きながら、目まぐるしく考えを巡らせていた。これから信長が取る行動を予測出来ねば、石山本願寺の挽回は絶望的となる。

熟考の末に頼廉は一つの仮説を思いついた。


「もしや、織田は自身を囮にしたのか!?」


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