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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
天正元年 畿内の社会基盤整備
131/246

千五百七十四年 一月下旬

織田軍による軍事支援を断る。その申し出の意図を静子は考えた。


「こちらから願い出ておきながら、何を虫の良い話をと、お考えかと存じます。なれど、このままでは長宗我部(ちょうそかべ)が四国の覇者である意味がございませぬ。織田様が偶然声を掛けたのが長宗我部であり、そこに必然性はなく、誰でも良かったとなり申す」


池の表情には苦渋が浮かんでいた。事実その通りであり、四国を治めるに足る器量があれば、信長は長宗我部に固執しないだろう。


「無論、長宗我部でなくてはならぬと思い上がる程、現実が見えない訳ではござりませぬ。なれど四国を統治するにあたり、侮られたままでは支障がございます」


静子が推測するまでも無く、池自身が理由を語った。なるほど、尤もな話だと静子は思う。

現状、九鬼水軍の活躍ばかりが取り沙汰され、長宗我部の存在感を示せていない。このまま推移すれば、織田軍が長宗我部に四国を統一させた(・・・・・・・・)と、誰もが思うことだろう。


「お考えは得心がゆきました。それならば、直接上様に奏上されるが筋かと存じます。三好の一件でご立腹ではありますが、然るべき道理があるならば、きっとお聞き入れ下さるでしょう」


「え……ええ。それは重々承知しておりますが……その……」


信長への奏上を促すと、池は途端に歯切れが悪くなった。

彼の態度を見て、静子には思うところがあった。勝ち筋が見えてから、自分達にも活躍の場が欲しいと申し出るのは確かに虫の良い話である。

最終的には四国の安寧に繋がり、織田にも利があることながら、この提案をすることは信長の逆鱗に触れうると危惧しているのだ。

下手に信長の神経を逆なでして、長宗我部諸共に滅ぼしてしまえとなれば目も当てられない。

そこで信長自身が一目も二目も置く、静子に間に立って執り成して欲しいと願い出ているのだと、静子は察した。


(上様は感情的にはなるけれど、感情のままに決定を下すことは稀なのに……まあ、この辺の機微は付き合いが無いと判らないよね)


それに九鬼水軍にとっての実戦経験は、十分に積めたと静子は判断した。

一気に引き上げて逆転されても堪らないから、段階的に引き上げ、本来の目的で運用を始めても良い頃合いだとも思った。

しかし、方針を転換するに十分な理由がない。何よりも未だ三好は健在であり、信長の意向を果たせていないことがネックとなる。


「ふーむ。上様を説得するとなれば、それなりの根拠が必要となります。5年……いえ、3年で三好を滅ぼせますか?」


「3年! いえ……これが出来ぬようでは、遠からず織田様も我らをお見限りになりましょう。必ずや滅ぼしてご覧に入れます」


「(これが絶対条件って訳じゃないけど、先方にはそれぐらいの心積もりでいて貰う方が良いよね)わかりました。そう言うことならば、私から上様へ執り成しましょう。暫し時間を貰いますが、構いませんね?」


「はい。この件については明智様のご支援もございます。即座に決断して頂こうなどとは、毛頭考えておりませぬ」


池が漏らした言葉から、静子は誰が絵を描いているのかを理解した。元より長宗我部は光秀の影響下にあった。しかし、今回の一件によって勢力図は大きく塗り替えられた。

この申し出を契機に再び光秀の影響力は強くなる。織田にも良し、長宗我部にも良し、静子にとっても益がある。当然光秀の利は言うに及ばない。

流石は智将と名高い明智光秀。上手く利害を調整してみせるものだと、静子は感心さえしていた。


(乗り気に見えたのが誤解を招いたのかな? 四国が統一されるなら、誰が治めても私は構わないんだけど)


静子としては四国の土地に、巨大な果樹栽培地帯(ベルト)を見出していた。

四国は中央を東西に四国山脈が横たわり、そこを境に北部と南部では大きく気候が異なる。古くから干害に陥りやすく、水耕栽培をするには向いていないが、日当たりの良い山地に排水の良い土壌を好む果樹を植樹し、日ノ本の需要を賄う計画を立てていた。

静子としては史実通り、愛媛県でミカンなどの柑橘類を栽培し、香川県ではオリーブを育て、平野部では米ほど水を必要としない、小麦を育てるつもりで色々と手配していたのだ。

珍しく静子が支配地に色気を出したため、光秀としても警戒をしてしまったという背景が存在した。


光秀は、この話を取り持つことで長宗我部への影響力を確保し、静子に他意が無い事も確認できる。

静子としても光秀が手綱を握ってくれるなら、準備が無駄にならずに済むため望む処と言えた。

それぞれに異なる未来を見据えつつも、利害が一致したため、円満に話が纏まった。


全員の合意が得られたところで、池は静子、光秀双方に深々と頭を下げて退出した。光秀が中座しないところを見ると、まだ用があるのだと察して静子は内心うんざりしていた。

強引に中座しても良かったのだが、次に向かう先が秀吉であるため、痛くもない腹を探られるのも堪らないと我慢することにした。


「厄介なお話を持ち込み、申し訳ありません。とは言え、静子殿にしか出来ぬことゆえ、何卒お願い申し上げまする。処で話は変わりますが、珠はご迷惑になっておりませんでしょうか?」


「珠ちゃんですか? この頃は仕事も覚えて、手が掛からなくなり、元気に仕事をしていると聞いております」


「それは重畳。珠から届く文には、やれ珍しい動物を見ただの、美しい彩色が為された玻璃(はり)を見ただのと……お勤めを果たしているのか(はなは)だ不安な内容ばかりで……」


静子の返答に光秀は胸を撫で下ろす。珠から届いた文では近況すら分からず不安を覚え、こうして訊ねるに及んだと静子は察した。


(武将とは言っても人の親。やっぱり我が子のことは気になるのね)


世間では織田家の出世頭と名高い光秀も、我が子のこととなれば親の表情を見せる。体面もあるのだろうが、意外に情に厚い人柄なのだと静子は思った。

その後、珠の近況について静子の知りうる範囲で二、三話をすると、光秀は安心して席を立った。

気が付けばかなりの時間が経過しており、静子は秀吉から先触れ不要と聞いていたため、その足で彼の許へと向かった。

しかし、折り悪く近江から緊急の連絡が届き、秀吉は竹中半兵衛を伴って岐阜を発ったとのことだった。会見は延期かなと静子は思ったが、名代として残っていた秀長と会う事になった。


「まずは、お呼び立てしておきながら席を外す無作法をお詫び致します。改めまして今浜(いまはま)長浜(ながはま)の旧名。秀吉が移り住んだ後、長浜とした)での築城にご助力賜り、兄上に代わってお礼申し上げまする」


秀長は静子に対して謝意を伝えると共に、深々と頭を下げて感謝を示した。釣られて静子も頭を下げる。


「いえ、順調のようで安心致しました」


「工房街の普請を地元民に任せて頂いたことを、兄上は殊の外喜んでおり申した。今年の冬は飢える民が居なくなると」


「土地勘のある地元の(かた)を雇う方が、合理的ですから」


秀長から丁重に礼を述べられ、静子は少し面食らった。

普請とは、(あまね)()うと言う文字通り、社会基盤を地域住民で造り、維持していくことを指す。


ここで静子が行ったのは長浜の地に、一大ガラス工房地帯を造り上げる事であった。

尾張で始まったガラス製品作りだが、次第に尾張では手狭となって来ていた。職人も増え、規模を拡大したいのだが、静子の領地は周囲を農地に囲まれ、用地の確保が難しい。

元々は実験的に小規模で始まった産業だが、技術が確立した今となっては採算性の高い優れた産業に成長していた。

往々にして製造業と言うのは生活様式が特異なため、居住区からは隔離し、集中させた方が効率も良い。静子はどこかに広大な土地を確保できないものかと、思いあぐねていたところ、手を挙げたのが秀吉であった。

秀吉は、新たな所領の主要な街道沿いの一等地を確保し、ガラス工房の誘致を願い出た。


今浜の地は交通の要衝であり、都である京にもほど近く、奢侈(しゃし)品(贅沢品)と見做されるガラス製品の生産地とするには好立地であると言えた。


「尾張切子(きりこ)の酒杯は帝もご愛用の品とのこと、いずれは今浜の地から贈られることになると思えば、感慨もひとしおですな」


「それはどうでしょう? 帝への献上品は、品評会で最上と評された物です。私の職人たちも、そう易々とはその栄誉を譲らないと思いますよ?」


普段強く主張しない静子が、珍しく自負を滲ませた。自身の進退を賭けて育んだ産業だけに、思い入れも強いのだろう。


「しかし、それほどの産業を今浜の地に移して宜しいのですか?」


「尾張の工房が一番と思ってはいますが、ガラス産業が広まること自体は大歓迎ですよ」


「ははは、ご謙遜を。富を身内で独占してしまうのが人の常。広く民草に富を分け与える者は少ない。そうすることが巡り巡って自分に帰ってくると理解していてもなお、難しい。さて、あまり長話も出来ませぬ。兄上より託された言葉をお伝え致します」


「は、はい」


「今浜はガラスと絹の生産地として開発を進める。しかし、どちらも必需品ではないため、先行きの見通しに不安がある。そこで、これだけは今浜にしかないというものが欲しい。と仰せです」


「なるほど」


秀吉の相談とは『長浜に特産品を造りたい』であった。確かに長浜を含む近江は、平安時代の記録にも残るほど上質な絹糸や、絹織物の産地として知られていた。

しかし、今となってはそれも過去の栄光に過ぎない。近江が産出する絹製品が上質であっても生産量が振るわず、度重なる戦乱によって技術者や職人を失っていた。

一口に特産品と言っても即座に作れるものではない。当面は米の生産量を増やすことに注力し、特産品を生み出す土台を作り上げねばならない。しかし、長浜での稲作には一つの課題が存在した。

後世の話になるが、近江の地では水害が多発した。姉川や高時川が氾濫したり、これは南部での話になるが田上(たなかみ)山が原因で瀬田川が氾濫したりもした。

良質の木材を提供し続けた田上山も、江戸期には『田上の禿(はげ)』として全国的に名高い禿山地帯となった。

一度(ひとたび)雨が降れば、大量の土砂が瀬田川に流れ込み、下流域の集落が移転する程の被害を出した。

明治期になると本格的な治水工事が政府主導で行われ、その時に出来たのが有名な『オランダ堰堤(えんてい)』である。


「近江は水害が多く、それゆえ治水工事を優先する必要があります。治水となれば、いくつか技術を提供できるかと」


「おお! それは心強い。表立っては申しませぬが、如何に都に近くとも収入が安定している尾張・美濃地方に領地をと願う家臣もおりまする。水害に対策出来るとなると、近江の水利は素晴らしい魅力となりましょう」


この時代の日ノ本に於いて、経済の中心地は尾張である。物流の面では堺に一歩譲るとは言え、いずれ日ノ本の玄関口を担う可能性は十分にあった。

そこから遠く離れた近江の地であり、領民は織田家一党に良い感情を持っていない。それを考慮すれば、秀吉の家臣たちがもろ手を挙げて歓迎しないのも納得できる。

秀吉が相談を持ち掛けたのも、長浜の将来性を示さねば家臣がついてこないと判断したからだろう。


「詳細については、兄上が落ち着き次第、本人が静子様を訪ねますのでその折にお願い致します。まずは前向きにご検討頂けるとの回答のみを頂戴いたします」


「承知しました」


これを以て秀長との会談は終了した。秀長は秀吉から託された用件を伝えた上で、静子の協力を取り付けることができ、上機嫌で帰途に就いた。


(治水と言えば、領主の器量が問われる分野。何の見返りも無く提供すると言ってのけるとは……彼女の権勢はそれほどに及んでいるのでしょうか? 彼女は、米こそが力であり、金や権力の根源にあるという考えを持っていないのかもしれませんね)


同じく信長という主君を抱くとは言え、静子と秀吉の関係は現代風にたとえるなら、グループ会社内の競合他社である。

全グループを挙げて取り組んでいる主力商品『米』に関する技術を分け与えるということは、自らのアドバンテージを捨てることに他ならない。

それにも関わらず、静子は技術供与を了承した。彼女は言わば『米本位制度』から脱却し、遥か遠い未来を見据えているように思えた。


(彼女の思惑がどうであれ、兄上が今浜へと移れば、これまでのような付き合いは望むべくもない。今は将来に繋がる布石を打てたことで満足し、これが後々兄上に利益を齎すことを期待しましょう)


焦る必要はない。不用意に静子との距離を縮めれば、それは周囲の警戒を掻き立てる。

秀長は機が熟していないのを理解しているからこそ、次に繋がる一手を打てただけで引き下がった。


(無理に近づこうとすれば、こちらも手の内を晒すことになります。彼女が取るに足らないと考えているものですら、我らには珠玉(しゅぎょく)の意味を持つ。静かに、ゆっくりと掠め取る。ふむ……悪くありませんね)


こうした工作もなかなかに面白い。そう考えた秀長は、無意識に声に出して笑っていた。警護の兵たちが首を傾げるが、彼がそれに答えることは無かった。







静子が信長に、長宗我部の件を報告しようと謁見を申し込んだところ、予想よりも早く承諾の返事が届いた。嫌な予感を覚えつつも、静子は信長との謁見に臨んだ。


(こよみ)、ですか」


「うむ。これまでの暦を廃し、新しい暦を制定する。新たに広める暦には、貴様が今まで用いてきた暦を使おうと思っておる」


暦を制定するという事は、度量衡の統一と並ぶ天下人の仕事である。日本では古くから太陰暦が使用され、明治六年に太陽暦へと変わるまで、実に様々な暦が使用されていた。


「一年を365日と3刻(6時間)に定め、12ヶ月を以て一年とし、奇数月を31日、偶数月を30日とする。2月を(うるう)年の調整月とし、平年(へいねん)は29日。閏年(うるうどし)では30日として扱うとした暦でしょうか?」


「そうじゃ。一日を24時間とし、一時間を60の分に分け、更に一分を60の秒とするだったか? 随分とややこしいと思うたが、貴様が毎年報告してくる年間の温度傾向や作付けと収量の資料を見て、その有用性を理解した」


太陰暦とは月の運行を強く意識した暦であり、日付と月の見かけの形が一致する。従って月さえ出ていれば、その日が何日であるか暦が無くても求められる。

しかし、太陰暦では実際の季節と日付がどんどんずれて行ってしまい、日付と連動した季節ごとの現象を期待する近代農法とは相性が悪い。

そこで静子はグレゴリオ暦を基準に、独自の暦として整理した。平年を365日とする関係上、単純に奇数月を31日、偶数月を30日としていたのでは一年が366日となってしまう。

そこで現代の暦法と同様に、2月を29日とし、400年に97回の閏年を設ける方式を採用した。

何故、2月を一日減らしたかについては、先人が2月と定め、それが通用している以上、なんらかの意味があると考えたからだ。


「農業にとって都合が良いので使っておりますが、アレを正式の物として良いのでしょうか?」


あくまでも農業をする上で、毎年同じ日付頃に同じ作業をすることを意識付けるために導入したものだった。それを信長は日本全土で使用する基本の暦として制定すると言っていた。

実際に歴史の選別に耐えたグレゴリオ暦ではなく、独自に手を入れているため不安になるのも当然だった。


「何も問題なかろう。農業は国の礎よ。日付と季節が一致すれば、閏月などと言う煩わしいものも必要ない。無論、急激な変革は混乱を齎すゆえ、暫くは旧来の暦と併用することになろうがな」


既に信長の中では決定事項となっていた。こうなると静子が何を言おうと、今以上の利を示さない限り、彼は前言を覆さない。

静子は翻意を促すことを諦めると、使用していて不具合が見つかれば適宜修正する方針へと切り替えることにした。


「さて、わしの用事は済んだ。貴様の用件はなんだ?」


「はい。四国統一に目処が付きましたゆえ、九鬼水軍を長宗我部から離し、海上封鎖の任務に就かせたいと具申致します」


「ほう……その狙いは何処にある?」


信長の視線が鋭くなった。静子と池との会話を知らずとも、光秀や長宗我部の思惑は察している。その上で、静子が何を言うのか見定めようとしているのが理解出来た。


「国人にも寺社勢力にも属さぬ鉄砲傭兵集団・雑賀(さいが)衆への対策に用います。雑賀衆の多くは小勢力の集団ですが、雑賀孫市が率いる雑賀党、太田定久(おおたさだひさ)が率いる太田党の二大在地領主の勢力は無視できません。彼らに対して飴と鞭による離間工作を仕掛けようと思います。太田党には調略を含めた飴を与え、雑賀党に対しては海上封鎖と言う鞭を振るいます」


「そのような搦め手を講じずとも、一気に攻め滅ぼすと言う手も取れよう。それをせぬ理由はなんだ?」


「現状の軍事力を考えれば、その策も取り得ますが、得策とは言えません。あの地域には雑賀衆の他にも高野山、粉河寺(こかわでら)衆、熊野三山、根来寺(ねごろじ)衆の五勢力が互いに睨み合っております。こういった地域に突出した新勢力が発生すると、彼らは外敵を排除するため手を結び、織田家とて無視できない巨大勢力を形成するでしょう。ただでさえ、地の利もない上に厄介な雑賀衆を相手にするのです。他の勢力まで参戦してきては、(いたずら)に兵力を消耗致します。雑賀衆のみを狙い撃ち、各個撃破を図るのが得策と言えます」


「ふむ」


「本願寺に(くみ)する雑賀衆とは言え、中でも明確に織田家に敵対姿勢を示す雑賀党には海上封鎖を行い、彼らの資金源たる海運や貿易を阻みます。一方、根来寺衆に近い太田党には、彼らを通じて利益を与え優遇します。同勢力内で明確に均衡が崩れれば、内部抗争へと発展する可能性は高いと考えます」


「その為に九鬼水軍を使いたいと申すのか?」


「雑賀党とて海運や貿易を手掛ける以上、独自の水軍を擁しています。彼らと戦って勝利を掴み、尚且つ長期間に亘って海上封鎖を実行するとなると九鬼水軍以外には為しえません。長宗我部も水軍を持っておりますが、現状そこまでの練度は期待できません」


「時期は」


「近いうちに本願寺は我らとの和睦を破り、攻撃を仕掛けてくるでしょう。彼らの戦力を支えるのは毛利水軍、村上水軍、そして雑賀の水軍。これらが海上から人員と物資を輸送して支援を図るでしょう。しかし、既に九鬼水軍が布陣していたらどうなると思われますか?」


「ふ、ふははははっ!」


突如として信長が哄笑(こうしょう)する。突然のことに静子は戸惑うが、彼女の困惑など意にも介さず信長はひとしきり笑うと、彼女に声を掛けた。


「静子。貴様はいくさの本質を押さえておる」


「え? いえ、お褒めにあずかり光栄です」


「いくさとは、直接刃や矢を交わすことのみにあらず。事前にどれだけの備えをしているか、それこそがいくさの根幹よ。家臣共は多くの兵を抱えれば良いと思い違いをしておるが、いくさを好まぬ貴様が一番本質を捉えているとは皮肉よの」


そう語った信長は、笑みを浮かべつつ顎を撫でた。


「良かろう。九鬼水軍は貴様の思うようにせよ。長宗我部の思惑通りになるのも業腹だが、次なるいくさで優位を得ることの方が重要よ」


「は、ははっ」


信長の決定を耳にし、静子は胸を撫で下ろしつつ頭を下げた。これで長宗我部の面子を保ちつつ、織田家にとって価値のある一手を、敵に先んじて打つことが出来る。

長期間、遠方の四国で戦闘行為を続けた九鬼水軍には十分に慰労する必要がある。装備の補給や改修も含めて、十分な報酬と休息を与え、次なる作戦に備えて貰うことにした。


(予想以上にすんなり受け入れて貰えたなあ。長浜の特産品を考える時間が得られるね。うーん……長浜の特産品については、(みん)から技術を継承した『ちりめん』織りが良いよね。確か『浜ちりめん』って呼ばれていたし……うん。それが良い)


史実での『ちりめん』織りは、天正年間に渡来した明の職工が日本に伝えたとされている。

泉州堺に端を発した『ちりめん』織りは、その生産地を堺から京へ、京から丹後へと移していく。後に『浜ちりめん』と呼ばれる長浜での生産は、中村林助と乾庄九郎の二人が丹後から技術を学び、また丹後より職人を派遣して貰い、技術を定着させた。

これは江戸時代中期のことであり、現時点では堺ですら広まっていない可能性が高かった。


「朝廷より仰せつかった芸事の守護に、同僚の家臣達からの相談を受け、自身の領地も管理せねばならぬ。貴様はいつも大忙しだな」


「上様が日ノ本を統一なされた暁には、ゆっくりとお休みを頂戴いたします。それに私などには勿体ないほどの、優秀な家臣が支えてくれております」


「確かに、貴様の家臣は優秀よな。信のおける家臣とは得難いもの。努々(ゆめゆめ)粗略(そりゃく)には扱わぬことだ」


「ははっ」


「貴様の為に、わしに直談判さえしてみせた玄朗などは、わしの手駒に欲しいほどよ。貴様を妄信せぬところが実に良い」


頭を下げる静子に、信長は笑いながら玄朗の名を挙げた。名字を得た玄朗の(いみな)静興(しずおき)。彼の諱を定めるには紆余曲折があった。


玄朗が諱を決めるにあたり、彼は主君である静子より一字を賜ることを願い出た。静子はこれを快く了承し、『静』の一字を与えた。

しかし、玄朗の立てた戦功は目覚ましく、信長より直々に『長』の一文字を賜る栄誉に(あずか)った。慣例からすれば、静子の主君にあたる信長の一文字を優先する。


このように主君、あるいは高貴な身分の人から名前の内、一文字を与えられることを偏諱(へんき)と呼ぶ。

通常、偏諱では通字(とおりじ)とは異なる文字を与えられるが、稀に通字を与えられることもあった。

通字とは、その家で代々に亘って用いられる文字を指し、信長で言えば『信』の文字となる。信長の父である信秀から信長へ、信長からは信忠へと代々引き継がれている。

偏諱のならいに従えば、複数の人間から名前を与えられることは無い。これは諱が、偏諱と通字で構成されているためである。

玄朗の場合、信長から頂いた『長』を上に据え、下に『信』や『静』、『子』などの主君の名を避けた通字を当てるのが相応しい。

しかし、玄朗としてはどうしても静子の偏諱を名乗りたかった。苦悩した末に玄朗が下した判断は、信長の偏諱をお返しすることであった。


「某が今の身分を得られたのも、全ては静子様のお引き立てあってのこと。その静子様に対して偏諱を願い出ていながら、上様より名を賜ったからと乗り換えるような真似は出来ませぬ。某如きが上様よりの賜りものをお返しするのは、万死に値する非礼と存じておりまする。されど、この玄朗、一命を懸けてお願い致します。静子様の偏諱を名乗ることをお許し下され。どうしてもならぬと(おお)せなら、この首を上様に差し上げまする」


基本的に下賜されたものを突き返すというのは非常に失礼な行為となる。白装束に身を包み、信長に願い出た玄朗に対し、織田家の家臣達は散々に罵った。

しかし、万座の中で恥をかかされた本人の信長が呵々(かか)と大笑した。


「人は身分を得る程に、初心を忘れていく。しかし、この玄朗はどうじゃ! 一門の頭領となってなお、静子への恩義を忘れておらぬ。わしと静子へ筋を通すため、不興を買い、死を賜るのを覚悟で願い出る。その潔さ、まことに天晴(あっぱれ)!」


この一言を以て沙汰が下された。信長が良いとした以上、周囲は異を唱えることは出来ない。

これによって信長からの偏諱は無かったこととなり、玄朗は静興という諱を名乗ることとなった。


「皆の忠義に値する主君であるよう心がけます」


伏したまま返答したため信長も静子本人も気付かなかったが、静子は誇らしげな表情を浮かべていた。







帰宅した静子は大急ぎで暦を文書へと落とし込みにかかった。信長が案を採用するということは、ひいては世間に公表できる草案を出せという意味だと静子は察した。

信長自身は明言していないが、静子に命じた以上、成果には相応の報酬が支払われる。地味な仕事だが、信長の治世を支える土台となるため、決して疎かには出来ない。


「暦は、昔策定したときの下書きがあったよね」


そう言いながら静子は自分の行李(こうり)(竹や籐などで編んだ葛籠(つづらかご))をひっくり返した。彼女の下書きを元にした草案は以下の通りとなる。


第壱章 暦法

第壱条 季節が一巡する日数を1年と定める。日が上り、沈んだ後、再び上るまでを一日とする。

    これにより、一年を365日と定める。但し、365日では僅かに季節と暦にずれが生じるため、閏年を設けてこれを調整する。

第弐条 閏年とは1年を366日とする年と定める。尚、365日の年を平年とする。

第参条 閏年となる年は、以下の規則で求められるものとする。

第参条ー第壱項 年数が4で割り切れる年は閏年とする。

第参条ー第弐項 年数が100で割り切れる年は平年とする。

第参条ー第参項 第弐項のうち、400で割り切れる年は閏年とする。

第肆条 1年を12分した一区切りを月と定め、1月から12月までとする。

第伍条 奇数月を31日とし、偶数月を30日と定める。

第伍条ー第壱項 2月を閏年の調整月とし、平年は29日、閏年は30日と定める。

第伍条ー第弐項 3月から5月までを春、6月から8月を夏、9月から11月を秋とし、12月から翌年2月までを冬とする。

第陸条 旧暦法の使用を、新暦法施行後10年間は認めるものとする。10年経過後は、如何なる文書も新暦法以外の使用を禁ずる。


「あ! 紀年法(きねんぽう)についても定めないとね。うーん……やっぱり皇紀(こうき)が馴染みやすいかな」


暦法の草案を纏めるにあたって、起点となる時点を定めていなかったことに静子は気付いた。

グレゴリオ暦を元にしているため、西暦が相応しいのだが、西洋の聖人の誕生日では受け入れにくい。

そこで静子は天皇制と紐づいた皇紀を利用することにした。

皇紀とは、正式名称を神武天皇(じんむてんのう)即位紀元(そくいきげん)と呼び、日本書紀を参考に日本が制定した紀年法となる。


「暦法とは別に紀年法も制定しないとね。時刻法もいるかな」


別の紙を用意して、静子は紀年法と時刻法の条文を書き込む。彼女の案は以下の通りとなる。


第弐章 紀年法

第壱条 初代天子、神武天皇ご即位を以て紀元とする。

第弐条 即位年は最古の正史、『日本紀(にほんぎ)』より求める。

第参条 第壱、第弐条より、本年を皇紀二千二百三十四年とする。


第参章 時刻法

第壱条 時刻の単位は『時』『分』『秒』と定める。1日は24時間とし、1時間を60分、1分を60秒と定める。

第弐条 0時を正子(しょうし)、12時を正午(しょうご)と定める。

第参条 正子及び正午は、別途定める子午線(しごせん)を天道様が通過する時刻とする。

第肆条 時刻を十二支で数えることを、時刻法施行後10年間は認める。但し、10年経過後は如何なる文書も、時刻法以外の使用を禁ずる。


「ふー、こんなものかな」


静子は条文を書き終えると、床に大の字になった。誤解の余地がない文章でルールを定めるのは予想以上に疲れた。

自然を相手に無心に体を動かしている方が、性に合っているとさえ思う。しかし、日ノ本が平和になれば、こうした事務処理はもっと増えることだろう。


「これの清書をお願いね」


静子は書類を近侍に託す。信長へ提出するには草案を元に、正式な書類へと書き起こす作業が必要となるが、それは静子の役割ではない。

本来であれば右筆(ゆうひつ)と呼ばれる文官が担うのだが、静子邸では書類を担当する文官の誰かが清書し、筆頭文官が確認する運びとなる。

それを静子が最終確認し、問題ないと判断されれば信長へと提出される。

面倒な手順を経るが、信長も今や多くの決裁を行う身。信長に提出する書類は、彼がそのまま使える状態に仕上げるのが望ましい。


「面倒だけれど、差し戻されれば、余計な手間もかかるしね」


自分を労るように静子は肩をもむ。

数日後、静子の草案を元に正式な書類が、信長の許に届けられた。







暦法全般の正式な書類が出来上がる前、静子は日々届けられる文に目を通していた。

冬は降雪により主要な街道以外が通行不能となり、人々の往来が激減する。このため、静子の在宅を見越した文が届けられることが多い。

最初に目にした文の差出人は上杉謙信であった。内容を一言で要約するなら『禁酒令により体調が良くなった』である。


「痒みも治まったんだ。アルコール依存症の離脱期は脱したと見て良いかな」


アルコール依存の状態から酒量の減量もしくは断酒した際に生じる、一連の症状を指して離脱症状と呼ぶ。(注:アルコールのみとは限らない)

離脱症状は人によって異なるものの、初期は手や全身の震え、発汗や集中力の低下、幻覚や幻聴などが出る事もある。これらを早期離脱症状と呼ぶ。

対する後期離脱症状は、飲酒をやめてから2〜3日後に現れる。幻視や見当識障害、異常興奮や発熱、発汗、震えなどの症状を発する。

これらの離脱症状は強い不快感を伴い、これから逃れるために酒を飲み続けるという悪循環に陥りやすい。


謙信は手足の浮腫(むく)みの他に、全身の痒みも訴えていたが、それらが治まったということは、離脱期を抜けきったと言えるだろう。

文に書かれた近況には『近頃は食事が美味く感じる』と記されていた。

彼の健康については今後も注視が必要だが、静子のように永久禁酒令を言い渡すほどに深刻な状況では無さそうだと彼女は思った。


善哉(よきかな)、善哉。謙信の後継者争いは顕在化していないけど、その内上杉景虎陣営に動きがありそうだよね」


家督争いは暫く待って欲しい。そうは思うが、北条家が滅びに瀕した際、彼らがどのような行動をとるかは未知数だ。

しかし、それを抑え込むのが家長である謙信の役目だ。その為にも彼には健康を維持して貰わねばならない。不摂生をした期間が長いため、長寿は期待できない。

それでも享年49ではなく、70まで引き伸ばせれば、十分歴史は変わり得る。

反対派にも少しずつ利を与え、懐柔と取り込みを行えば、他者の土地を奪わずとも自国を富ませる方向へと舵を切る可能性があった。


(ふーむ。未だ謙信が健在で、暫くはこちらの指示に従ってくれるという状況は有難い。雪解け頃からインフラ整備も開始される見込みだし……ただ日本海側では雪の降る期間が長いから、もうしばらく時間がかかりそうよね)


現代のような除雪用重機は存在しない。仮に除雪できたとしても、雪を捨てる土地も確保できない。雪を運ぶためにも、整備されたインフラが必要となる。

現段階で機械化された除雪機など望むべくもない。燃料の確保や、寒冷地での動作試験などクリアすべき課題も多い。

いずれは開発したいと考えてはいるが、他に優先すべき案件を抱えているため目処が立たない。


「まあ、細かい話は私がするよりも、実際に監督する足満おじさんが適任でしょう。往々にして言葉が足りないけれど……」


謙信の文を片付けると、静子は次の手紙を手に取った。差出人の名前が前久だったので、何かあったのかと思い、内容を真剣に吟味する。

しかし、読み進むにつれて静子の眉間に皺が刻まれる。


「公家の調略をするから、食材やら何やらを送ってくれ、というのは分かる。けれど、最後の……何で猫を送って欲しいの? 娘に開耶サクヤ(前久が飼っているターキッシュアンゴラの名前。木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)から命名)を取られがち? そこまでは面倒見切れないよ……」


最近、ターキッシュアンゴラが妻と娘に懐いてしまい、相手をしてくれなくて寂しいから新しい猫を送ってくれ、と文には(みやび)な筆致で切々と綴られていた。


「まさか、史実で島津義弘に送った文と同様の文を頂けるとは。歴史的に貴重かな?」


史実では、島津義弘が前久に猫を贈り、その返礼に「猫は夫人に取られて、自分の手元にいない。娘も切望しているが知らぬ。まずは自分の分が欲しい」との文を送ったという逸話が存在する。

暗に娘の分もねだる前久の愉快な一面を窺わせる文書だが、頼まれる側は堪ったものではない。


「そうそう都合良く子猫を確保なんて出来る訳ないよね……」


繁殖期に入ったばかりの現状ではまず無理だろうし、仮に子猫が手配できても前久に懐くかは猫次第となる。理想を言えば、前久と子猫を引き合わせ、彼が見初めた子猫を譲るのであれば間違いがない。

とはいえ前久は既に関白の地位にあり、おいそれと呼びつける事など出来ようはずもない。また、下手なものを送っては織田家の面目にも関わる。前久自身が心得ていても、周囲が同じように捉えるとは限らない。


「うん。次だ次」


考えることを放棄した静子は、次の文を手に取った。


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2023/01/20 22:48 退会済み
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