血のたぎり
「行ってこい、可成」
食事の場で信長は森可成にそう告げた。突然の事に森可成は考えが追いつかず、盃を片手に惚けた顔を見せる。しかし、すぐに信長の言葉の意味を理解した。
「は、いえ……某は……」
理解したが森可成は困惑した。今さら身を引いた老人が、のこのこ出て行く場ではない、と彼は思っていた。
だが内心は未練たらたらだという事を信長は見抜いていた。だからこそ、信長は告げる。
「アレで貴様が納得するはずなかろう。決着をつけてこい」
言った後、信長は盃を傾ける。反対に森可成は盃を手にしたまま口を閉ざす。
二人がやり取りしている会話は、森可成に武田戦へ付いていけ、という内容だ。森可成は肩の負傷で前線から身を引き、以降は信長の政務を補佐する役目に徹していた。
しかし心の奥底では常に燻っていた。長可を訓練しているときに森可成はその事に気付いたが、無理矢理心の底に封じ込めた。
「わしは華々しく散れなど言わぬ。貴様が考え、どうしたいかだけ答えよ。周りが何を言っても気にするな。わしが黙らせる」
「お館様……」
森可成は一度礼をした後、盃を飲み干した。一気に流し込まれた強い酒精が喉を焼き、森可成は全身が熱くなる感覚を覚えた。だが彼はそれを無視して、再度信長に頭を下げた。
「不肖、森三左衛門可成。諦めが悪うございます。それゆえ、血のたぎりに従いとうございます」
今までの懊悩する態度が嘘のように、森可成は一片の迷いすら見せず宣言した。
武田戦と言えば生きて戻れる目の方が少ない。死んでしまえば信長の補佐をする事は叶わなくなる。
信長の命令ではなく、自身の我を通すために、主君の政務を滞らせるかもしれないのだ。森可成にとっては考えに考えた上での結論だった。
「報告をまっておるぞ」
だが信長は気にするな、と言わんばかりに軽く答えた。森可成は信長の返答を聞き、さらに深く頭を下げた。
これより修羅となり申す。そう宣言して森可成は席を外した。残った信長は盃の酒を一口含む。
「……武田戦が終われば、これより世は鉄砲が主体になる。武勇を誇れるのも、これが最後やも知れぬ」
既に世は鉄砲が主戦力になりつつあった。どれだけ鉄砲を所有するかによって、いくさの勝敗が決まる、と言っても過言ではなかった。
それゆえ根来衆や雑賀衆がもてはやされていた。だが、静子の作戦が成功すれば織田の鉄砲衆が日ノ本一に輝く。
もはや本願寺や上杉すら恐るるに足らず、となる。どれだけ武名高い名将であろうと、無名の兵士が放つ一発の銃弾で命を落とす。
個人の武勇がもてはやされる時代は終わる。これからは集団戦法が基本となり、武将は戦闘能力ではなく、指揮能力や用兵能力を問われることとなる。
「しかし、可成にも困ったものじゃ。行きたいのなら直に言えば良いというのに……まったく世話の焼ける」
そう言いかけた信長だが、ふとある事を思い出して薄く笑う。
「いや……今まで散々に世話を焼いて貰ったのはわしか。ならば、これは可成の忠勤に対する恩返しとなろう」
自分で酒を盃に注ぐ。ゆらゆらと揺れる酒の水面を、信長はじっと見つめる。
「可成、存分に暴れてこい。貴様を引き留める阿呆がいたら、わしがそやつの首をはねてやる」
語りながら信長は盃を天高く掲げ、そして言い終えると同時に盃の酒を飲み干した。