先日助けていただいた――ミミズです!
..。..。.コロコロ
「クッソ暑いなぁ!」
午前九時、就活も先日内定をもらって卒論も大枠ができた大学生にしては早い時間に起きてしまった。
それもこれも太陽が送ってくる殺意の波動が原因だ。なんだこの暑さは。
就職したら冷房を利かせた部屋でぐっすり眠る生活を手に入れてやる。暑くて、暑くて、ろくに眠れやしない。
イライラしても仕方がないので顔でも洗おうと蛇口を捻ればぬるま湯を通り越して熱湯が出てくる始末。水道管くらい保冷材で覆っておけよ、気が利かねぇな。
「……ふぅ」
大きく息を吐き出してイライラを洗面台に投げ捨てる。
ぬるま湯になった水道水で顔を洗い、リビングに戻った。
「実験は午後からか」
今から家を出ても大学で二時間は持て余すことになる。研究室は冷房が効いているとはいえ、機材の使用許可の問題もあって実験に早くから取り組むこともできない。
まぁ、卒論を書いて時間を潰すこともできるんだが、炎天下を汗水たらして内定を勝ち取った学生としてはもう少しのんびりしたい。
冷凍庫から取り出した氷を口に放り込み、どうしたものかと思案する。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
反射的に視線を向ける。大学の友人が訪ねてきたのかと一瞬思ったが、みんなまだ就活中だ。この時間にここらをほっつき歩いているとは思えない。
そっとドアスコープを覗くとすらりとした長身の美女が立っていた。
「……暑すぎて幻覚が見えてきたか」
いよいよ不味いな。仕方がないから大学に行こう。暇になっても熱中症で死ぬよりはずっとましだ。
せめて、スマホを研究室に持ち込めればいいんだけどな。あ、図書館って手もあったか。行く機会がないから存在ごと忘れていた。
軽い鞄を片手で雑につかんだ時、再びチャイムが鳴った。
どうやら幻覚ではなかったらしい。
玄関ドアを見て少し迷う。
このドアの向こうにびっくりするような美女が立っている。目は細く切れ長でしかし鼻筋が通っている。血色のいい赤みがかった肌に鮮やかな唇も印象的な――スキンヘッドの美女だ。
いや、なぜスキンヘッドなのか。ポリシー? なにかの病気? 触れていい奴? 普段はウイッグをかぶっているけど今日に限って忘れてきたとか? 忘れるのかな? わっかんねぇや。
しかも知り合いどころか顔を見た覚えもない。なんかもう、いろいろと怖すぎる。どぎつく暑い夏だがホラー展開にはまだ朝早いって。
「もし、もし、ご在宅でしょうか?」
うっわ、声が綺麗。やや低めなハスキーボイスだけどめっちゃ色っぽい。
訊ねているけど在宅は確信しているような、そんな声だ。
いい加減、部屋に熱がこもって暑さも限界。仕方なくドアを開けた。
「はいはい、なんですか? これから大学に行くところなんで手短にお願いします」
あまり関わり合いにならない方が良さそうなので少し突き放す物言いで応じる。部屋に滑り込まれないように素早く外に出て後ろ手にドアを閉めた。鍵をかけたいが、この美女に背を向ける勇気が出ない。
俺を見るとスキンヘッド美女はパッと表情を明るくした。
「突然訪ねてしまい、申し訳ありません。居てもたっても居られず……」
「あぁ、なんか分からないけど、手短に、ね?」
念を押すと、スキンヘッド美女は上品な仕草で口に手を当て、小さく笑う。
「申し訳ありません。では、手短に。先日、あなた様に助けていただきました――ミミズでございます」
「……おっけー」
意味が分からないけど手短に終わる気配がねぇよ、これ。
あ、スキンヘッドなのはミミズだから? ミミズは毛がないもんな。謎が一つ手短に解決したわ。
よし、この調子で次の謎を解いてみようか。
いや違う。そもそもミミズを助けた覚えがねぇんだわ。
眩しい太陽光が美女の頭で反射してくるので立ち位置をずらしつつ、質問する。
「助けた心当たりがないので部屋を間違えてますよ」
「いいえ、私をお救いくださったのは間違いなくあなた様です」
ミミズ変化美女がアパート前の道路をたおやかな指で示す。
「あちらで干からび息も絶え絶えであった私は、駆けゆくあなた様の落とした汗の一粒に救われました」
「不可抗力ですね」
誰かを助けたことを不可抗力なんて言葉で片づける日が来るとは思わなかったわ。
というか、俺は汗をまき散らしながら走ってたの? キモっ。就活中は制汗剤を必ずつけて出てたんだけどな。
「それもこれも暑いのが悪い。太陽がもう少しおとなしくしてくれれば」
八つ当たりしても仕方がないが、今も何食わぬ顔して輝いていやがるのが普通に腹立つわけで。
太陽に負けじと輝く美女が腰を折って輝く頭を向けてくる。眩しっ。
「ぜひとも恩返しをと、はせ参じた次第です。どうぞ何なりとご要望をお申し付けください」
「そんなこと言われても」
鶴なら羽毛で機織りできるだろうけどミミズに毛はない。カメなら竜宮城だろうけどミミズは皮膚呼吸だから溺れ死ぬ。
なんならできるの君。しかもいまだに助けた実感が湧かないんだけど。
なんてことを、真摯にキラキラした顔と頭を向けてくるミミズ美女に言えるはずもない。
スマホが振動した気がして、時間稼ぎにちょうどいいとポケットから引っ張り出す。
ゼミの教授から連絡が来ていた。なんだ。卒論を急かすには気が早すぎると思うんだが。
「……おいおい、マジか」
ゼミ教授からのメールには、きたる文化祭で行われる恒例イベントの一つ、女装コンテストに出てくれと書かれていた。
勘弁してくれ。この内定を引っ提げて彼女を作るために邁進するという使命があるんだ。こんなお笑いコンテストに出てる暇なんてねぇんだよ。
どうやら各学部から一人は出す決まりらしい。唯一内定が出ている気楽な身の上だからって貧乏くじを押し付けてきたな。
それにこんなコンテストがいまだに残っている理由に心当たりがある。先に就活を潜り抜けた裏切者を笑いものにするためだ。きっとそうだ。
悪しき伝統には抵抗させてもらう。断固拒否だ。
「……外部参加あり?」
嫌なら代わりの生贄を用意しろというのか。逃げ道を残すとは卑怯な。
「あの、いかがなさいましたか?」
あ、この美女を忘れていた。……美女?
「なぁ、ミミズって確か、雌雄同体じゃなかったか?」
「はい……。恥ずかしながら誇らしきものがついております」
気恥ずかしいのかそっと顔を背ける美女。いや美男。もういいや。美人。
ついているならお得じゃないか。話が早い。
「君にしかできないことがある。一緒に大学に来てくれ」
少し時間があるしウイッグを買っていかないとな。




