第97話 語り継ぎしもの
部屋の空気が変わった。そう誰もが感じた時。
「……どうした」
腕の中の様子に変化を感じたアヤセが声を掛け、顔を覆うように垂れた髪をさらりと耳にかけてやれば思案げな表情の唯舞がいる。
エドヴァルトと深紅が歩んだ短い夏の軌跡はあまりにも壮絶だ。
でも、どうしてそこまで……どうしてそこまでしてこの世界は、リドミンゲル皇国は聖女を召喚して星に還し続けているのだろう。
理力が枯渇しているのは分かる。理力とは星の生命力だから、失われたら大地から緑が消え、砂漠化が進み、人の住み場も消えていく。
だがしかし、今はかつての過ちからリドミンゲル皇国の理力消費は必要最低限になっており、ザールムガンド帝国内で使われている理力も正当な精霊契約によるものになっているはずだ。
レヂ公国やアインセル連邦に至ってはまだ緑豊かな大地が残っており、つまり今の状態を維持さえすればこれ以上の理力の枯渇は起こらないはずなのに。
それなのにリドミンゲル皇国は変わることなく聖女を召喚し続けている。
かつてリドミンゲル皇国・皇帝ファインツはエドヴァルトにこう言った。
お前はこの世界を何一つも知らないのだと。
この世界が何故生まれて、これからどうなるのかも。真実も、聖女の本当の役目さえも何一つ知らないのだと。
(きっと、問題は理力不足だけじゃないんだ……)
ふいにアヤセの胸元から視線を上げた唯舞の目に一枚の絵が飛び込んできた。
壁に飾られているのはなんてことのない、部屋の色調に合わせた墨の濃淡だけで描かれた十三匹の動物達の絵だ。
だが、それを見た唯舞はぎょっとする。
どうして今の今までこの絵の存在に気付かなかったのだろう。
そこに描かれているのは、ただの動物じゃない。
そこに描かれていたのは――
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥……そして一番大きく描かれているのが猫というまるで十三支のような絵だった。
「唯舞」
再度アヤセが唯舞の名を呼び、思えば偶然なのだろうか、彼から貰った二匹の使い魔達も猫の姿をとっていると気が付く。
「あ、の……あれは……あの絵は、なんですか……?」
唯舞の問いに全員の目が壁に掛けてある絵に向かえば、あぁとカイリが何となしに口にした。
「あれは十三精ね。形どる精霊達の中で最高位のものはあの姿をしているの」
「最高位の……精霊、なんですね……あ、じゃあもしかして、ノアとブランが猫なのは中佐の趣味ってわけじゃなくて、契約してる精霊が猫だから……とかですか?」
「何故俺の趣味なんだ。使い魔は一番理力が馴染みやすい主精霊の形を真似ているだけで俺は関係ない。性格だって、面倒なことに主精霊に近いから俺の言うこともろくに聞きやしない」
「……………………なるほど。どうりで中佐が創ってくれた割には可愛い……」
「なんだ? 言いたいことがあるなら言ってみろ」
「いえなんでもないです。創って下さってありがとうございます」
これ以上口を開いたらアヤセの機嫌が急降下してしまいそうで唯舞はそそくさと会話を終えた。
最近は唯舞に引っ付く使い魔に対してまでアヤセがあまりいい顔をしないので、怯えた二匹は部屋以外ではあまり姿を見せてくれない。仕事中の癒しが激減である。
その分、部屋では一緒に寝たり、お風呂に入ったりと常時顕現してるのだが、この辺りはアヤセには言わないほうが使い魔たちの身の為だろう。
そんな、日本においては十二支の中には入っていない猫が十三精として存在するこの世界。
”今はそう使わない古称ですが、歴史的にはとても有名なので”
ふいに以前自分がレヂ公国で大公アーサーに口にした言葉が蘇り、アヤセ達が聞き取れなかった言葉の違和感の正体に唯舞はようやく気が付いた。
桜は古今和歌集に詠まれるほど古くから愛されてきた花で、富士山信仰の始まりは神が宿る山として万葉集にも記述されていたはずだ。
倭の国という名が太陽が昇る国と改められて日本となったのもの天武天皇の時代で、日の丸だって遣唐使や遣隋使の時代にはもう象徴としての原型があったはず。
そう……アヤセ達に伝わらなかった言葉というものは、全て1300年以上の年月が経っている古代から受け継いだものばかりなのだ。
そしてそれを辿っていけば、日本の古い歴史の中に、さらに古くから語り継がれ、この世界に繋がるものがある。
思わず唯舞の目が見開かれた。
「――"日本"神話だ」




