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第94話 過去の記憶・脱出(4)

 

 真夏のぬるく、まとわりつくような潮風が周囲に流れる。

 供もつけずに一人現れた皇帝ファインツは熱が消えた目でエドヴァルトを見つめ、その腕に抱かれた少女にも静かに目を向けた。



 「お前が連れ出さなければもう少しは()として生きられたものを」



 ギリッと奥歯が震え、睨みつける瞳に怒りが宿る。


 

 「生きられた? 一方的に深紅(みく)を殺そうとしておいてふざけるな! なんでそうまでして……!」

 「まだ子供のお前には分からないだろうな、エドヴァルト」



 遮るようにファインツは激高するエドヴァルトの言葉を制した。

 26も年の離れた伯父は、エドヴァルトが幼いころからいつも表情は薄くあまり言葉を交わした事さえない。

 皇帝の座に就いても結婚することなく、父親不在のエドヴァルトにとっては一番身近な親族であったが、それでもまだ、母の強面の侍従長のほうが近しい存在だったようにも思う。


 

 「お前はまだこの世界を何一つ知らない。この世界が何故生まれて、これからどうなるのかも。真実も、聖女の本当の役目さえも何一つ知らないのだ。……いい加減遊んでないで戻ってこいエドヴァルト。皇位を継げば、我らが行う聖女召喚が正しいのだと理解できるだろう」

 「正しい?! ふざけるな! 何の関わりもない異界人をこっちの事情に巻き込むのが正しいってのかよ?!」

 「正義の問題ではない。そこに住まう我ら指導者が為さねばならぬことだ」

 「意味分んねえ! 無関係の人間を一方的に喚びよせて殺すのが指導者のやることかよ?! どう見てもおかしいだろう?! 深紅達はなんの関係もない!」

 「そうだ。直接は何の関わりもない娘達だ。だからこそ、私はリドミンゲル皇帝として、万を救い、一を捨てる選択を選んだ」

 「なんだよそれ……人柱かよ……っ! 母上のこともそうやって見捨てたのかよ?!」

 「キーラ(あれ)は皇族だ。自分の命ひとつで何十万という民がこの先十数年、災害や飢饉に怯えずに済むならば命を差し出すのは当然だろう」

 「…………ッ!」



 怒りに目の前が真っ赤に染まった。

 話が通じないどころの話ではない、あまりにも全てにおいて齟齬がありすぎる。

 

 母は、キーラは死など受け入れていなかった。

 異界の住人だってリドミンゲルの民と同じくその世界で生きているのだと。

 親から授けられた名も呼ばれず、聞こえのいい言葉でこの地に縛り付け、ただ一時の豪奢な生活と引き換えにじわりじわりと生命力を奪われ殺されていく聖女達に一番心を痛めていたのは他でもない、召喚国皇女のキーラだったのだ。

 

 そんなキーラに、ファインツは言った。

 世界の為に死んでくれと。


 いつの日だったか、聖女の塔に幽閉されたキーラが自身の侍従長に漏らした言葉をエドヴァルトは扉の影から聞いてしまったことがある。

 お兄様は()()()()()のいない世界を守る事でしか、もう生きられないのだと。


 幼かったエドヴァルトには母のその言葉の意味がよく分からなかった。

 ファインツとキーラは二人兄妹で、姉なんていなかったはずなのに。

 ただ、それを口にしたキーラがあまりにも切なげで苦しそうだったから、一際明るい笑顔で母に接したのだけは憶えている。

 

 そしてそのキーラも、ある日訪れたエドヴァルトと侍従長の目の前で光の粒子となり、泡と消えてしまった。



 「…………エド。とりあえず今は引くわ、ミクを連れて行かなきゃ」



 戦闘態勢は崩さないままカイリが声をかけ、ハッとしたエドヴァルトが腕の中に視線を向けた。カイリの声に反応したのか、ぐったりとした深紅の瞼が僅かに揺れてエドヴァルトの瞳に美しい黒曜石が映る。


 

 「深紅!」

 

 

 わななく手がエドヴァルトに伸ばされ、それをぎゅっと握りしめれば安心したような微笑みに変わった。


 温もりはある。まだ大丈夫。

 深紅から失われたのは生命力だ。すなわち同じ生命力でもある理力(リイス)なら深紅の命を繋げるかもしれない。自分なら……無尽蔵に近いと言われた理力(リイス)を持つ自分ならそれが出来るかもしれない。

 

 切迫している状況なのに頭は人生で一番目まぐるしく動いていて、焼き切れてしまいそうだった。


 

 「…………えど」


 

 ふいに色の無くした唇が震える。

 滲むような目から涙が溢れて、それでも深紅はただ、凪いだように笑った。



 「…………すきだよ……えど……」

 


 それが、最期だった。

 ぱしゃんと水風船が割れるようなあっけなさでエドヴァルトの腕の中から深紅がかき消える。

 先ほど握った小さな手が光に変わり、取り残されたのは手にも掴めない淡い粒子だけ。

 

 深紅の体温は一瞬にして夏の夜に溶け、エドヴァルトの手元には欠片一つ残っていない。


 

 「――――――ッ!」



 絶望で目の前が染まった。

 それがもう赤なのか黒なのかも分からない。

 ただ、先ほどまで確かにあった深紅の命が、刹那よりも短い時の果てにこの世界に奪われてしまったのだということだけは、無情にも、誰よりもエドヴァルトは理解してしまった。



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