第91話 過去の記憶・閑話
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(大佐のお母さんも、聖女だったの……?)
詰め込まれるような情報の波に溺れてしまいそうだった。
ハッとしたようにアヤセが顔を上げ、目の前のオーウェンを見る。
「そうか、だから唯舞で八人目だったんだな? 聖女は、異界人聖女だけとは限らない。異界人聖女が唯舞で五人目ならば、あとの三人は……」
アヤセの言葉に応じるように、エドヴァルトの視線が唯舞に向く。
下がり気味の眉が混乱を現すようで、最初に会った時と比べて本当に表情が豊かになったなぁ、と、どこか保護者目線で微笑みが零れた。
そう、きっとそれでいいのだ。
彼女は深紅の代わりなどではなく、エドヴァルトが庇護すべき女の子なのだから。
「……初代聖女は当時の皇弟に嫁ぎ子を成した。その結果、聖女の素質を持つ人間がリドミンゲル皇族にも生まれるようになったんだよ。でも、その事実に気付いたのは幼い皇族聖女が二人も亡くなったあと。情報が少なかったとはいえ、初代聖女から数えれば40年近く時間があったのに、ほんと無能だよね」
吐き捨てるように深く息をついたエドヴァルトは一度ため息で怒りを逃してから話を続けた。
彼の話によれば、亡くなった二人の皇族聖女というのはあまりにも幼く、幼い頃から病弱だったために当時は誰一人として彼女達が聖女だったとは気付けなかったそうだ。
聖女だったと判明したのは、彼女達が初代聖女同様に髪の毛一本、爪の一欠片さえも残らずに光となって消えたからである。
そうして聖女の理は少しずつ明るみになっていった。
第一に、異界召喚が可能になるのは星が揃う13年に一度で、星が揃わない年には初代聖女の血を継ぐ皇族内に適合者がいるということ。
第二に、聖女には理力を増幅したり回復したりする特性があり、それが大地に吸収されることで豊穣をもたらし、国力増加・国家繁栄に繋がるということ。
第三に、聖女は理力そのものは保有せず、自身の生命力で加護を展開しているということ。
そして、その加護に聖女自身の生死は関係なく、一定期間続くということ。
第四に、生命力を失った聖女の身体は、光となってこの世から消え去るということ。
「理力の増幅と回復……」
ぽつりと呟くアヤセにはどちらも身に覚えがあった。
ひとつはレヂ公国でリドミンゲルの精鋭部隊に襲撃された時だ。
あの時のアヤセの理力は明らかに通常時よりも威力が跳ね上がっており、精密さが増していた。
そしてもうひとつが使い魔達。
本来なら定期的な理力補充が必要な存在にも関わらず、唯舞の中にいるだけで常に理力が回復していると言ってた彼らの発言を考えれば、この二つは間違いなく唯舞の加護によってもたらされたものだろう。
「だけどね、今回みたいに大地と繋がってしまうと危ないんだよ」
よしよしと無事を確認するようにエドヴァルトが唯舞の頭を撫でる。
今日の彼がいつも以上に唯舞に触れてくるのは、無意識のうちに彼女が生きていることを確かめたいからなのかもしれない。
「大地と繋がる……ですか?」
「そう。今回唯舞ちゃんが倒れたのは大地と繋がって生命力を奪われたから。おかげでこの周辺地域はしばらくは豊かになるだろうけど、まぁ唯舞ちゃんが定住する訳じゃないし一過性のものだろうね」
「……だが、今まで大地と繋がることなんてなかったはずだ。何故、今回……」
アヤセの問いにエドヴァルトは緩く首を振る。
「俺にも正確なことは分からない。けど、唯舞ちゃんの様子を見るにあの木が原因だったのかもね」
「…………"桜"の、木」
「……うん、そっか。唯舞ちゃんのところではそう呼んでるんだね。深紅が描いた封本の表紙のあの木と同じなんでしょ?」
「…………はい」
そうか、この世界では"桜"さえも伝わらないのか。そう思ったらぽつんと、急にみんなから取り残されたような寂しさを覚えた。
(今までも伝わらない言葉はあったけど、どれも全部、日本に関わる言葉ばかりだった……)
今まで不思議に思う程度だったことが、ここにきて違和感に変わる。思い出すように唯舞は今までの違和感を辿った。
『異界人は真実を見る力を持ってんじゃねぇの?』
『太陽の精霊みたい』
『異界に住むと言われる生まれつき理力を持っているという異界人――私達だったってわけ』
『豊穣の聖女様、なんて呼ばれてね』
伝わらなかったのは、桜、富士山、日の丸、日本、という言葉。
そして、聖女の役割は、理力の増幅と回復、そして豊穣。
きっと、違和感のピースはあちこちに散らばっていたのだ。
(……待って。私は最初、この世界をどう思ったんだっけ……?)
あの日。この異世界に転移してきた、あの日の夜。
ここは、八百万の神々の国・日本で生きてきた自分にとっては理解し難い世界だと、確かにそう思ったはずだ。
その直感こそがこの世界の根幹へと繋がっていくのだが、この時の唯舞はまだ、その全てを断片的な欠片でしか理解することが出来なかった。




