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第88話 過去の記憶・潜入捜査(7)


 *


 深紅(みく)の柔らかな頬に触れ、覗き込むようにエドヴァルトは視線を合わせる。

 カイリやオーウェンとは違い、異世界から来た深紅はエドヴァルトが皇位継承権を持つリドミンゲル皇族なのだとは気付かない。

 吸い込まれるように輝く黒曜石の瞳はただ真っすぐにエドヴァルトを見上げ、呪われた金目(ひとみ)を見てもなんとも思わないのか首を傾げている。

 

 それはつまり、彼女の前でならリドミンゲル皇国の皇位継承者ではなく、一軍人のただのエドヴァルトでいられるということ。

 ……長年、金目の呪縛に囚われてきたエドヴァルトにとっては心からの救いだった。

 


 「ねぇ深紅。俺達と一緒にザールムガンドに逃げよう?」



 再度エドヴァルトが深紅に問いかければ深紅はまだ少し複雑そうな顔をする。

 それはそうだ。

 彼女は()()以外の世界を知らないのだ。



 「勿論、今すぐってワケじゃない。準備もいるし、俺達の任務もあるから。だけど、その間に考えててほしい。深紅が失った生命力の回復方法も……元の世界に戻る方法も、探すから。…………だから」

 


 ぐっとエドヴァルトの眉が歪んで、その手が深紅の両肩を掴む。

 本当は、本当は元の世界に帰したくなんてない。そもそも現時点では帰れるかも分からないのだ。

 

 だけれど、深紅を無理やり連れてきたのはリドミンゲル(こちら側)で。

 深紅に帰りたいという思いがあるのならば、それを受け入れなければならない。

 震えを我慢するように……深紅に許しを乞うようにエドヴァルトは頭を垂れた。


 

 「ごめん。すぐに助けてやれなくて。……キツい思いさせて、本当にごめん」

 「エド……」



 泣いていないのが不思議なほどに、エドヴァルトの声は震えていた。

 だから深紅は何も言わずに両手を伸ばし、自分より大きな体を抱きしめる。頭を抱きかかえて、何度も落ち着かせるようにエドヴァルトの髪を撫でて、穏やかに大丈夫だよと微笑む。


 

 「大丈夫。だいじょーぶだよ、エド。エドが謝んなくていいんだよ。全部不可抗力だもん。……それにさ? ヤなことばっかじゃないよ。ここに来ていいこともあったんだから」



 ぎゅっとエドヴァルトの頭を胸元で抱きしめて、深紅は本当に幸せそうに笑った。



 「エドに会えた。カイリにも、オーウェンにも。ほら、それだけで最高にラッキーだよ」



 ね、とカイリとオーウェンにも深紅は笑う。

 だがそこで、は! っと何かを思い出したのか、深紅はエドヴァルトをかなり乱暴に胸元から引き剥がした。



 「どうせ胸ないからぁぁぁぁぁ!」

 「は?! 待っていきなり何の話?!」



 涙も吹っ飛ぶ深紅の怒りに強引に距離を取られたエドヴァルトは目を白黒させる。

 当の深紅は胸元を両手でガードしながらぐっと悔しそうにエドヴァルトを睨みつけた。



 「アレでしょ! 男子っておっぱい大きい女の子が好きじゃん!」

 「待ってほんと意味わかんない! なんで胸の話?!」

 「慰められるなら胸の大きいおねーさんがいいでしょって話!」

 「ごめんまじで意味わかんない! え、なんで俺が急に怒られてるの?!」

 「鍛えてんだからエドのほうがどうせ胸あるんでしょ――! なくてごめんねばぁぁぁぁぁぁか!」

 「なにそれ今年一番理不尽なんだけど! え?! なんでカイリとオーウェン爆笑してんの?! 何とか言ってよ!」


 「ふ、ふふふ……無理よそんなの……っ!」

 「ぷははは! 悪ぃエド、俺らにはどうしようも出来ねぇわ。そんな、そんな……ぐ……っはははははは!」

 


 深紅によって、先ほどまでの張りつめた雰囲気はあっという間に霧散していった。


 18歳というお年頃の深紅は、恨めし気な目線でエドヴァルトと巻き込まれたオーウェンの胸筋に散々喧嘩をふっかけ、体調が良くなかったことも相まって文句タラタラのままに()()()()()()()()のカイリに抱きつく形でベッドまで運ばれる羽目となる。



 「女の価値は胸じゃないぃぃぃ!」

 「えぇそうね、勿論分かってるわ。ミクはそのままで十分魅力的で可愛らしいわよ」

 「ふぇぇぇん、カイリが優しいぃぃ結婚しよぉぉぉ――!」

 「ねぇ深紅! それは絶対おかしいから!」

 「ぐはははは!」

 「だからオーウェン! お前、笑ってばっかいないでマジで止めて! あとカイリはむやみやたらに深紅を口説かない!」

 「どーせエドもおっぱい大きい子のほうがいいんだあぁぁぁ!」

 「ねぇお願いだから話聞いて?! 俺そんなこと一言も言ってないんだけどなんでそんな事になってるの?!」

 「だはははははは!」

 「オ――ウェ――――ン!」



 エドヴァルトの絶叫が部屋中に轟く。

 

 当たり前のように続くと思っていた日常。

 この場にいる誰もが上手くいくと、深紅一人を連れて逃げる事なら出来ると、この時は全員が全員、思っていた。

 

 だからこそ、気付かなかった。

 自国の繁栄を担う聖女を無下にはしないだろうという過信と共に、彼らの未来は、この時からゆっくりと音を立て、静かに足元から崩れ落ちていくのだ。


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