第84話 過去の記憶・閑話(1)
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外が夕闇に染まり始めエドヴァルトはちらりと窓の外を眺める。
13年の月日が経とうとも、あの時の深紅の笑顔は昨日のことのように覚えていて。
一体なぜ、今この場に彼女がいないのだろうと、脳が理解することを拒絶する。
「嬢ちゃん達の世界では男を部屋に招くのは普通のことなのか?」
オーウェンが思い出したように笑った。
その言葉にはやや語弊があるのだけど、とも思ったがオーウェンが言わんとすることも、深紅が言わんとしたことも両方理解できるので、唯舞はうーんと言葉に悩む。
「招く、というか深紅さんは仲のいい友達を部屋に呼ぶっていう感覚だったと思うんですけど」
「…………俺ら男だぞ?」
「多人数だしそこまで意識してなかったんじゃないかなぁ。普通に男友達ですよね」
「男、友達」
「はい。意識してたらさすがに恥ずかしいので逆に呼ばないと思いますけど」
「…………そうか。だからお前は平然と俺を自分から部屋に入れたのか」
「えぇ? いつですか? この前は、違う……あ、ミーアさんとショッピングに行った時です? え、でも……あれってただ荷物を運んで下さっただけですよね?」
ふいにアヤセに言われて唯舞は記憶を辿る。
確かに一ヶ月ほど前にアヤセに買い物バッグを部屋の中まで運んでもらったことがあった。
だがその時は、相手は荷物を持っているのだからドアを開けてどうぞと入室を促しただけで、それは至って普通のことじゃないのかと首を傾げれば、男性陣が深く、深く、ため息をつく。
諭すようにカイリが唯舞の目を真っすぐに見つめてきた。
「あのねイブちゃん。この世界では異性を自ら部屋に招くということは相手に好意を伝えていると言っても過言ではないの」
「こうい?」
「好きってこと」
「……え? でも、荷物を運んでもらっただけ……」
「荷物でもなんでも。普通はドアの前で受け取って部屋には入れないのよ。部屋というのはプライベートな空間だから」
「…………え?」
何たることだろう。
あの時の唯舞に他意はなかったのだが、アヤセからすれば自分は彼に気があると思われていたのだろうか。なんとも衝撃で目玉が落っこちそうだ。
(は! そういえば……部屋に入る前に中佐が止まったのって)
思い起こせば一瞬、アヤセは唯舞の部屋に入るのを躊躇していたような気がする。
なんでもないと言いつつ必要以上に部屋には入らず、長居をしなかったのは――――
「えぇ……と?」
「………………」
唯舞が伺うようにアヤセを見れば分かってるとばかりに彼はため息をついた。
「お前にその気がない事くらい分かっている」
(((今のアヤセが言うと恐ろしくえげつない言葉)))
保護者達はアヤセを不憫に思いつつも、やはり深紅も唯舞も同郷の異界人だと納得し、苦笑いを浮かべる。
彼女達の言動は、時としてこちらの常識では測りえないミラクルを引き起こすのかもしれない。
ハッとしたように唯舞が真顔で呟いた。
「じゃあ一昔前の私の国にあった、大して知らない人にでも"ちょっと上がってお茶でも飲んでいきなさい"って人を招く文化は……こちらだと結構まずいんですね」
「何それ怖い」
「どこをどう考えたら知らねぇ奴を家に上げれるんだよ。危機感ってのはねぇのか異界には」
「ダメよイブちゃん、絶対に自分から招いたらダメ! 襲われても文句は言えないのよ?!」
「えぇぇぇ……この程度で襲われるなら、私達の国の人間、ほとんど襲われちゃうんですけど……」
本気で驚愕する唯舞に懇々と保護者達は注意するのだが、当の唯舞からすれば異世界カルチャーショックすぎて言葉が出てこない。
重い荷物を運ぶ時はどうするのだろう? と割と真剣に思ったら、入る側がお伺いを立てて許可を得てから入室する分には何も問題はないのだとカイリは教えてくれた。
あくまでも"自ら"誘い入れては駄目なのだと。
確か唯舞が軍の宿舎にやって来た初日に荷運びを手伝ってくれたリアムも、一番最初に「僕が部屋に入っても大丈夫ですか」と聞いてきたような気がする。
当時は特段何も思ってなかったが、そうか、あれはこの世界における正しい入室のお伺いだったのか。
日本の感覚で「いらっしゃーい! どうぞどうぞー」と意識せず部屋に招いたら好きと勘違いされる世界だなんて。
「…………異世界ってめんど……えぇと、大変……なんですね」
「……ダメだわこの子、本音が出てる」
「ミクも理解してねぇとは思ったけど、嬢ちゃんもかよ」
「何、人を招き入れる文化って。怖すぎるんだけど」
「…………はぁ」
三者三様ならぬ四者四様の反応を唯舞に返しながらも彼らは心に深く刻んだ。
深紅も唯舞も、異界人というものは自分達が思う以上にお人好しで、何よりも非常に危機感の薄い民族なのだと。
少しでも目を離したら異界常識で何をしでかすか分かったものじゃないという恐怖と共に、彼らは唯舞への過保護を強めることになるのだ。




