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第82話 過去の記憶・潜入調査(3)


 見上げれば塔の最上階から明かりが漏れている。

 北東向きのそこには、小さめのバルコニーの手すりに両腕を預け、気だるげに空を見上げて歌う一人の少女がいた。

 長い黒髪が夏のぬるい夜風に揺れて、歌声と共に空に舞う。

 間違いなく彼女があのお披露目式典で見た"聖女"だと一目で分かった。


 

 「――歌、上手だね」

 「エド!」

 


 少女が歌い終わった後にエドヴァルトがバルコニーの下から声を掛ければ咎めるようにオーウェンが肩を掴む。

 ここは敵の本拠地ど真ん中だ。辺りに人の気配はないが、彼女が聖女ならば人を呼ばれてしまう可能性もある。

 だが、エドヴァルトは気にした素振りもなく少女を見上げ、驚いたような彼女の黒曜石のような瞳がエドヴァルトを捉えた。思ったよりもずっと幼さが残る顔立ちに思わず拳に力が入る。

 


 「…………誰? 護衛騎士、じゃないよね」

 「うん、お披露目で君の歌を聴いて気になったからちょっと忍び込んじゃった」



 初めて話す彼女にエドヴァルトは笑う。

 無表情の中にも警戒を滲ませた彼女だったが、エドヴァルトのその言葉に表情を陰らせた。

 8月の夜風は先ほどと違い、凪いだように穏やかだ。



 「あぁそっか、昼間の式典……ごめんね、期待したような聖女じゃないと思うけど」

 「そう? 俺は聖女じゃなくて君自身に興味があったから」


 

 その言葉に目を丸くした少女が、くったりと力なく笑う。

 半ば投げやりのようなその表情には疲れと諦めが色濃く滲んでいたが、エドヴァルトは気付かないふりをして言葉を続けた。

 


 「俺は、エドヴァルト。こっちはカイリで、こっちがオーウェン。全員この国じゃなくて、別大陸のザールムガンドって国の人間なんだ」

 「……別、大陸」



 初めて知ったような顔で少女はオウム返しに言葉を呟く。

 それは当然の反応だった。

 少女がこの世界に喚ばれてもうすぐ半年。彼女は一度たりともこの皇都から出たことがないのだ。

 彼女に与えられた数少ない情報といえば"聖女"としての()()()の役割と、リドミンゲル皇国についての簡単な知識のみ。

 最初こそは周囲にちやほやされ"聖女"でいることが楽しかったが、与えられたのは豪華な生活と引き換えに不自由な毎日だった。


 友達を作る事も、一人で出歩くことも許されず、周囲からは聖女様と崇められる。

 ただこのリドミンゲルの聖女という肩書だけが何も分からない10代の少女の肩に重くのしかかっていた。



 「俺のことはエドって呼んでくれたら嬉しい。君の名前も聞いていい?」

 「………………名前? あたし、の……?」

 「うん。君の名前」

 

 

 茫然と名前……と口にする少女は、もう長い間、自分の名前を呼ばれたことがなかった。

 呼ばれるのはいつでも"聖女"としての自分で、一個人の自分ではなかったから。

 だからつい、名前を尋ねてくれた不法侵入者達にも気を許してしまったのかもしれない。

 

 少女は逡巡(しゅんじゅん)したが、やがて戸惑ったように小さく微笑んだ。



 「…………深紅(みく)。深紅だよ」

 「そっか、ミクちゃんね。よろしく」

 「ふふ、変なひとだなぁ」



 初めて深紅が年相応の笑顔を浮かべる。

 笑うと先ほどよりももっと幼くて、あどけなくて。その笑顔に彼女の心がまだ壊れきっていないことを感じたエドヴァルトも安堵したように笑った。

 

 その日からというもの、エドヴァルト達はほぼ毎夜のように皇城に忍び込むようになる。

 塔に至る回廊までは厳重な警備が敷かれているのだが、深紅のいる聖女の塔周囲には彼女への配慮か誰も配置されていない。

 深夜に護衛騎士による見回りはあるようだが、所詮はその程度なので一度潜り込んでしまえば深紅と会うのは実に容易だった。

 

 警備が配置されない代わりに、聖女には理力(リイス)が付与されたベルが渡されており、それを鳴らせば護衛騎士達が来てくれるようになっている。だから、本来ならばエドヴァルト達を見つけた時に深紅は迷わずベルを鳴らすべきだったのだ。

 

 しかし、それはできなかった。

 数カ月ぶりに、聖女ではなく、自分を見てくれる彼らと出会ってしまったから。

 そのわずかな時間を見つけた深紅が、それを手放すようなことなど到底できやしなかった。


 

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