第79話 彼が知る真実(6)
思いのほか、エドヴァルトは落ち着いていた。むしろいつもよりもずっと穏やかな表情だ。
食事が冷めるといけないからとその場を軽く流した彼だったが、唯舞は言いようもない困惑からきゅっとこぶしを握る。
「イブちゃん」
眉を下げた唯舞を、カイリはどこまでも甘やかす。
唯舞にとっての彼は、どこまでいっても優しくて頼りになるお姉さんなのだ。
「カーイーリー! 冷気が凄いからあんまり唯舞ちゃんに絡まない! なんでいつも俺なの!」
「やだ、イブちゃん寒い? 膝掛けいる?」
「へ? いえ、寒くは……?」
「…………」
エドヴァルトのいう冷気とやらは感じないが、先ほどからずっとアヤセが不機嫌なのは肌から伝わってきた。
これでもたった三日間とはいえ、二人旅をした仲である。
「中佐」
「……なんだ」
「大佐をいじめちゃ駄目ですよ」
「何のことだ」
「だってさっきからずっと機嫌悪いじゃないですか。駄目です」
「…………」三
唯舞とアヤセの視線がじっと交わされ、無言の三秒。
先に視線を逸らしたのはアヤセだった。
(アヤちゃんが!)
(嬢ちゃんに!)
(折れたわね?!)
思わぬ展開に保護者組がぐっと身を乗り出しそうになる。
あのアヤセが……とにかくクソ生意気だったあのアヤセが譲歩という奇跡を覚える日が来るとは!
どうやら自分達の予想以上にアヤセにとって唯舞の存在は大きいようだ。
それなのに、どうしてそこまで想っていて恋心に発展しないんだろう。
そう考えながら、目の前で無表情を貫くアヤセを肴にして飲む酒は死ぬほど美味かった。
笑いが止まらない。後になったら全部黒歴史なのに。
「……一体なんなんだ、お前ら」
冷えたアヤセの声さえ今は微笑ましく思えて。
何でもないと笑ったエドヴァルト達にアヤセは不機嫌そうにしたが、いつものアルプトラオムに戻ったようで唯舞の言いようもなかった気持ちもやんわりとほぐれていく。
「冷めるぞ、唯舞」
一瞬だけ視線を向けてきたアヤセに、唯舞はくすくすと笑いながらも、はい、と返事を返した。
*
食事を済ませ食器類を下げてもらってから、エドヴァルトは先ほどまで自分が使っていたベッドに腰かける。
オーウェンとアヤセはラタンチェアに移動し、唯舞とカイリは座ったままだ。
「さて、と。――ねぇアヤちゃん」
エドヴァルトの顔が窓際のアヤセに向く。
「今から話すことは俺らと家族以外だと、リドミンゲルの一部の奴らとザールムガンド帝国の敬愛する皇帝陛下、そしてレヂ公国大公閣下しか知らない話。聞かない選択肢もあるし、むしろそのほうが平和的。……どうする?」
最後の確認だとエドヴァルトの瞳が言っている。
アヤセは一度、唯舞を視界に入れてから静かに目を閉じた。
「愚門だな。今更聞かないという選択肢はない」
「うーん、アヤちゃんならそう言うよねぇ……じゃあどこから話そうかな……」
そう言ってゆっくり彼が語りだしたのは今から13年前。
エドヴァルト、カイリ、オーウェンがまだ軍人としては新人だった頃のリドミンゲル皇国潜入捜査の話だった。
*
「おーい、ヴァル!こっちを頼むよー!」
「あいよー!」
まだ時刻は太陽が真上にある時間帯。
軽快な声はお昼時に混雑する酒場に響いた。
「はぁい、お待たせ~日替わりセット三つよ」
「おっイーリちゃんは今日も美人だな! こんな場末の酒場なんかもったいねーや!」
「あぁん? てめーなんて言った?! 俺の酒場で文句言うなら今すぐ出ていきやがれ!」
「冗談だっておやっさん! せっかくイーリちゃんが持ってきてくれた料理が冷めちまう」
黒地のドレスに白のエプロン姿に緑色の髪を高く結い上げたウエイトレスが、ぱちんとウィンクすれば店内中から雄たけびに近い歓声が上がる。
それをみて、ウェイターの青年がにやにやと笑った。
「さっすが、イーリ。今日も大人気じゃん」
「当り前よ。私を誰だと思ってるの、ヴァル。…………ウェンは?」
「厨房。俺らの賄い作ってくれてるって」
「あら、もうそんな時間なのね」
そう言って全身が愛らしい美少女・ウエイトレスのイーリ――カイリは結んでいた髪を解き、ふるふると頭を振った。
それを見た客席からまた歓声が上がり、カイリは妖艶に微笑む。
「ヴァル、イーリちゃん。こっちはもう閉店時間だからウェンと一緒に休憩に入りな! 特にイーリちゃんがいたらこいつらがいつまで経っても帰らねぇ!」
「ひでぇやおやっさん! だってもうすぐイーリちゃん達、故郷のレヂ公国に帰っちまうんだろ?! もっとイーリちゃんを補充しねぇと俺ら死んじまうよ!」
「お前らが死ぬ前にうちの店が潰れるわ! 日替わりセットで延々と居座りやがって! イーリちゃんに会いてぇならもっと注文しやがれってんだ!」
店主と客のやり取りは毎度の事。
そう、この時の彼らは三ヶ月という潜入期間をリドミンゲル皇国の小さな酒場で過ごしていたのだ。




