第69話 異文化交流(6)
目にも留まらぬ速さでアヤセがロウの手を払い、唯舞を引き寄せる。
半ば、よろけるような形でアヤセの胸に抱き寄せられた唯舞がそろりと彼の顔をあおり見れば、今まで見たこともないくらいに睥睨するアヤセの瞳に冷や汗が流れた。
「……なにアンタ。彼女の恋人?」
「答える必要はない。恋人でも婚約者でも、探したいなら余所をあたれ。……唯舞、行くぞ」
「へ……?! え、えと……!?」
バチバチと両者間で見えない火花が激しく飛び散り、強く握りしめられた手首に若干痛みを覚えつつも唯舞は戸惑ったままにアヤセに引っ張られる。
ロウはそんな唯舞の背中に叫んだ。
「俺、一目惚れだけど本気だから!」
(えぇぇぇ……)
聞こえてきたロウの声にアヤセが忌々しげに舌打ちをした。
ギリッと握られた手首が痛くて、十分にロウから離れたことを確認してから唯舞はアヤセに訴える。
「中佐、痛いです……ッ!」
唯舞のその声にアヤセの足がぴたりと止まり、力が揺らいだ瞬間、引き抜くように手首を庇った唯舞はぐっとアヤセに厳しい視線を向けた。
「……なんで中佐がそんなに機嫌悪いんですか。そりゃ、さっきのは驚きましたけど、でも……」
「じゃあ、何か。お前はさっきの男の言葉を真に受ける気か」
「違いますっ! もう、何で私が言われたことに対して中佐がそんなに機嫌悪くなるんですか! ……あの人は、別に中佐が怒るようなことは言ってないです……!」
ロウを庇うように声を荒らげた唯舞に苛立ちが募る。
不機嫌なアヤセの視線にも負けず、唯舞もアヤセを睨み返した。
「私の立場は、分かってます! でもあの態度はロウさんに失礼で……!」
ロウ、と唯舞の声が出会ったばかりの男の名を呼ぶ。
アヤセでさえ一度も呼ばれたことのない名前を、あの男はいとも簡単に唯舞に呼ばれている。その現実にアヤセはギリッと奥歯を噛みしめた。
「――――待て、アヤ坊。ダメだ」
反射的に唯舞に伸ばしかけたアヤセの手がぐっと誰かに阻まれる。
「……大尉」
オーウェンはアヤセの腕を掴むと、静かな視線と口調で制した。
「何があったか知んねぇけど、今のお前は嬢ちゃんを傷つけるぞ。……ちょっと頭冷やしてこい」
「…………」
射殺さんとばかりに睨みつけてくるアヤセにもオーウェンは一切態度を崩さない。
ほんの数秒の時が流れて、アヤセは乱雑にオーウェンの手を振り払うと、苛立ちを隠すことなく唯舞達に背を向け立ち去ってしまった。
「……悪かったな、嬢ちゃん。怖かっただろ?」
「……ぁ……」
髪が崩れないよう頭を撫でてくるオーウェンの姿に、先程まで理不尽さに頭が染まっていた唯舞にいつもの冷静さが戻ってくる。
アヤセに掴まれた場所が無性に痛んだ気がして、ぎゅっと手首を包み込んだ。
「何があったか聞いていいか?」
優しいオーウェンの声にうっかり涙ぐみそうになりながらも唯舞はぽつりぽつりと説明する。
露天風呂から上がったらアヤセが待っていてくれて、その帰り道、偶然にもリッツェンに再会したのだと。
そしたら彼と一緒にいた息子から一目惚れだ、結婚してほしいと言われ、実際にはただの告白だったのだがプロポーズめいたことも言われたのだと。
それを聞いてオーウェンは天を仰ぎ見るよう頭を押さえた。
あのアヤセの尋常ではない不機嫌さはソレか。
「確かにいきなりでビックリしたんですけど……でもそれから中佐の機嫌が悪くなって……ここまで引っ張られて」
「あー……うん、ほんと悪かった。…………全く、慣れねぇことするから加減出来ねぇんだあの馬鹿は。アヤ坊に掴まれたのは、左手か?」
諦めた声で頭をかいたオーウェンは唯舞の庇うように握っている左手に目をやる。
唯舞がこくりと頷くと、手ぇ貸してくれるか? といつも通りにオーウェンが笑うから、唯舞もおずおずと手を彼に差し出した。
「……あぁ、ちと赤くなってんな。痛かったろ? 本当に悪かったな。……言い訳に聞こえるかもしれねぇけど、アイツも悪気はねぇんだ」
そういうとオーウェンは唯舞の左手首に理力を流す。
以前レヂ公国でアヤセにされたものとは違う冷たく清涼な理力の流れに、じんじんと痛んでいた痛みが消え、ほいと戻された手首は痛みはおろか、赤みさえも消えていた。
「俺が持っているのは大地の理力だからな。こう見えてアルプトラオムの回復役なんだ、何かあったら嬢ちゃんも頼ってくれていいぜ」
ニッと笑うオーウェンに、緊張の糸が切れたように唯舞にも小さな笑いがこぼれる。
なるほど、彼は筋肉で戦う回復役だったのか。
それはある意味一番最強なんじゃなかろうかと考えたら先程までの刺々しい気持ちは不思議と少しずつ薄れていく。
姿を消したアヤセの事だけは少々気になったが、オーウェンに付き添われるまま、唯舞はひとまず部屋に戻ることになった。




