第65話 異文化交流(2)
"おにぎり"という究極の日本人魂で心と胃袋を満たした唯舞の表情は、誰がどう見ても清々しく明るかった。
いつもは真っすぐ引かれた口元も僅かに口角が上がり、上気した頬は薄桃色で血色良く、紫色の瞳は光が差したようにキラキラと輝いて思わずそれを見た保護者達は苦笑してしまう。
唯舞がこの世界に来て約二カ月。
今まで彼女がこの世界への不平不満を言ってきたことはない。
こちらから問うまでは元の世界へ帰りたいとも、不本意に置かれた自分の状況に対しても一切何も言わなかった彼女だったが、やはり心のどこかで強く我慢していた部分があったのだ。
たった一つの、食べ物で変わってしまうくらいには。
どこか心苦しさを感じたカイリはそっと唯舞の手を握った。
「?」
「人が多いからはぐれたら大変よ。一緒に行きましょう?」
きゅっと握られた右手に、唯舞は一拍置いてから微笑んだ。手を繋いで歩く二人は遠目から見たら仲の良い姉妹に見えることだろう。
そんな唯舞とカイリの数歩後ろを歩くアヤセも、珍しく不機嫌そうに眉を顰めるだけだった。
ざわざわとした通りではこの距離でも唯舞に声が届くことはないとエドヴァルトがアヤセに不満をぶつける。
「……ねぇアヤちゃん、なんでいつもカイリはいいの? ちょっと俺にだけあたりが強くない?」
「なんのことだ」
「あれだよ、エド。アヤ坊はお前に甘えてんだって。6も年上なんだから兄貴らしく甘やかしてやれよ」
「なにそれ。じゃあ俺、めっちゃいいお兄さんする」
「しなくていい。むしろするな」
はしゃぐ唯舞には届いていなかったが、カイリの耳にはそのやりとりが聞こえたようで、ふふと口元に笑みが浮かぶ。
このやりとりは士官学校時代から何一つ変わっていない、一種のアルプトラオムお馴染みのやり取りだった。
保護者を名乗る彼らは六歳年下のアヤセをまるで本当の弟のようにずっと可愛がってきたのだ。
生来理力量が多く強かったアヤセは、士官学校入学当初から孤高の存在であり、それまでの人生が負けなしだったせいかどこか自分の実力を過信している節があった。
それ故に周囲を見下しがちだったアヤセを一番最初に完膚なきまで叩きのめしたのが、他でもないカイリだったのである。
当時のアヤセは士官候補生一学年の13歳でカイリは最終学年の19歳だったのだが、そこに一切の遠慮も配慮も考慮も存在していなかった。
自分よりも圧倒的に理力が少なく、それでいて体つきも他の人間より何倍も劣っていたカイリが炎と氷という真逆の属性に関わらずアヤセからの攻撃を全て打ち砕き、ただただその狂気に満ちた愉しげな顔で自分を圧し折りにくる姿は13歳のアヤセにとっては畏怖でしかない。
完全に地面に伏したアヤセを緩やかに見下ろして、戦闘は理力だけではないのよ、と折れたアヤセの腕を踏みつけながら諭してきたカイリの艶やかな微笑みを、アヤセは今でも左腕の激痛と共に覚えている。
ちなみにその後すぐに治療されたのだが、治癒の理力をもってしても内蔵に受けた衝撃までは癒せず、そのまま強制入院となったのは大変懐かしい思い出だ。
お陰でアヤセは自身の理力がいかに多くとも万能ではなく、それ以上に理力関係なく化け物がいることを身をもって知ることが出来たのだから今となっては死なない程度に鼻っ柱を折られて良かったのかもしれない。
その美しい見た目から実力を軽んじられることが多いカイリだったが、戦闘スキルに関してはエドヴァルトの折り紙付きであり、なによりアルプトラオム一の体育会系はカイリだったりする。
だからアヤセは今だにカイリに対して強く言えないところがあり、唯舞の手をさらう彼に何も言えない現状に至っていた。
「ま、カイリが嬢ちゃんをどうこうすることはないだろ。護衛にはちょうどいいんじゃないか?」
肩を抱くように寄ってきたオーウェンを嫌そうにアヤセが振り払えば、唯舞はまた新しい屋台を見つけたのか目を輝かせている。
これまたアヤセ達ザールムガンド人には馴染みのない商品だが、唯舞にとってはきっと故郷を懐かしむものなのだろうと思えば、今まで何も言わず我慢させていた分、時間が許す限りは好きにさせてやりたいと誰が言う訳でもなく彼らは唯舞のそばに寄った。
「……ところで唯舞ちゃん、今度のそれは何?」
きらきらの瞳の唯舞の目線の先にあるのは、楕円形の器に盛りつけられた黄色いナニカにピクルスに似たナニカに魚を焼いたものに野菜などの数種類のおかず。
ナニカが多すぎるのは、ここが他国であり、普段なら通り過ぎてしまうような地元民向けのマーケットだからだ。
だが、唯舞の食いつきはおにぎりの時と一緒で、あまりにも嬉しそうに笑うものだからきゅんとしたカイリに思わず抱きしめられる。
だがさすがにそれは許容範囲外だったのか、アヤセに引き剥がされるというお馴染みのパターンを繰り広げて店のお姉さんには笑われてしまった。




