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第45話 ”唯舞”


 居心地の悪さを隠すようにアヤセは口元を手の平で隠して、先ほどの戦闘を思い出す。



 (名前なんて呼んだか……? いや、呼ん……だな)



 リドミンゲル皇国の精鋭らに唯舞(いぶ)が囲まれた時に確かに咄嗟に名前を呼んだ記憶がある。

 記憶力のいい自分を褒めたいのか恨みたいのか、あの時、間違いなく自分は彼女のことを唯舞と名指しで呼んだのだ。

 

 とはいえ、唯舞本人から名前を知っていたのかと驚かれてしまうとさすがのアヤセでも複雑な気分になってしまう。

 しかも割と本気で名前を呼ばれなくても平気と言われてしまうと少々やりきれなさまで感じてしまった。



 (エドヴァルトやリアムは……そうか、最初から普通に名前を呼んでいたか)



 考えてみれば彼らは出会った時から名前を呼び、ごく自然に唯舞に接していた。

 

 だが、その普通という感覚がアヤセにはどうにもよく分からない。

 確かに過去には恋人らしきものは何人かいた。だが、その誰もがアヤセ自身が望んだものではなく、ただ執拗に求められ、仕方なく応じた儚い関係だ。

 勝手に夢を見て、勝手に幻滅して、勝手に去っていく。

 今までアヤセの周囲にいる女といったら、ほとんどがそうだったのに。


 それなのに唯舞だけは……唯舞だけは最初から違っていた。

 彼女はアヤセに対し、一切何も期待していないのだ。――名前を呼ぶ、という小さなことでさえ。

 それは、ほんの少し、アヤセの心に小さな棘を刺す。

 

 

 「そういえば大佐もですが、中佐も私の名前を発音できるんですね」

 「……?」



 発音、と言われてアヤセはどういう事だと眉を寄せた。

 唯舞という名の発音は他にないだろうと言外に返せば、彼女は少しだけ困ったように眉を下げる。


 

 「いえ、あの。基本的に今まで私の名前を正確に発音してくれたのは大佐だけだったんです。こっちの方には唯舞の名の発音が難しいのかなって思っていました。……えぇと、かなり大げさにいうと唯舞じゃなくてイーブって聞こえるんです。私の世界でいうところの外国での呼び方に近いです」

 「…………そうなのか?」


 

 あまり意識していなかったが、そう言われてみればリアムやミーアはそんなふうに呼んでいた気がする。

 とは言ってもアヤセからしたら感覚に近い問題なのだが、唯舞本人がそう言っているのならきっとそうなのだろう。

 

 だから……と言葉を続けた唯舞が、珍しく少し顔を赤らめて、はにかんだように笑った。



 「中佐も、唯舞って呼んで下さって嬉しかったです。ありがとうございます」

 「…………っそう、か……」



 唯舞の顔を直視できなくて思わずアヤセは顔を背ける。

 胸騒ぎのようなざわめきがなんとも不快で、それを散らすように少し大げさに息をついた。


 唯舞自身が何も変わっていないのは明白だ。

 その証拠に先ほど照れたように自分に微笑んでいた彼女は、また、過去の異界人が残したという例のスマートフォンに目を向けているのだから。

 相も変わらずアヤセにはさほどの興味も寄せずに、二匹の使い魔だけを愛でながら。



 (……面白くない)

 


 元々の薄紫の髪は身を潜め、深紫(こきむらさき)に染め変えた唯舞の姿をもう一度眺めて、アヤセは目を細めた。

 よく分からないが、すこぶる面白くなかった。

 彼女が自分に対して何一つ期待していないということが。

 

 目の前にいて確かにその姿を映しているというのに、彼女の意識はいつも自分に向いていないと思うと何だかとてつもなく不愉快だ。

 


 「……唯舞」

 「はい?」



 名前を呼べば確かに彼女の意識は自分に向く。

 だが、アヤセに名を呼ばれた唯舞本人は普段と変わった様子なく、ただ真っすぐ見上げてくるだけだ。

 


 「…………そろそろアーサー様が戻ってくる。事後報告をしたら、恐らく今夜はこの城に泊ればいいと言われるだろうが……城とホテル、お前ならどちらがいい?」

 「是非ホテルでお願いします」



 真顔のまま食い気味に答える唯舞にアヤセは笑いを嚙み殺した。

 贅沢は怖いと苦情を言ってきた唯舞のことだからきっとそう言うだろうと予想はついていたから。

 

 不快だった気分がほんの少しだけ晴れたようで、アヤセは分かった、と答えると少々満足げな様子で静かに瞳を閉じた。


 

 

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