第3話 知らないセカイ(1)
「えぇっと……イブさん、って呼んでいいですか?」
アヤセを追って慌ただしくエドヴァルトが出ていく。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり、遠慮がちに声をかけられた。
「あ……はい。大丈夫です。えっと……」
誰? とはさすがに聞けない。
だがそんな唯舞に対しても、彼は人懐っこい笑みを浮かべる。
「リアム・ラングレンです。リアムでいいですよ。こんな状況で名前なんて覚えられないですよねー」
「……リアム、さん」
なぞるように名前を復唱すれば、リアムは優しく笑い唯舞に手を差し出した。
「立てますか? あ、その格好じゃ寒いかな。大佐の上着はこのまま借りちゃいましょう」
「え? あ、えっと、じゃあもしかしてこっちのコート……」
「あぁ、そっちも大佐のですね。すごい……! 女の子に上着を貸すようなシチュエーションがあの大佐に回ってくるなんて……!」
サッと唯舞の手元にあった上着を手に取り、慣れた手つきで肩に掛けてくれるリアムはとても紳士的だ。……若干の上司への暴言はあるが。
「とりあえず落ち着いて話せる場所に移動しましょうか」
どうぞ、と慣れた手つきで唯舞を立たせたリアムは、敷かれてあったエドヴァルトのロングコートも拾い上げ、扉へと向かう。
唯舞も上着を落とさないよう握り、バッグを掴んで彼の後に続いた。
「まず、簡単に説明ってのが無理なんですけど……」
苦笑ぎみにリアムは重たげなドアを押し開ける。
外に出た途端、劈く雷鳴が耳を打った。
「でも」
反射的に唯舞の肩が跳ねあがる。
肌に感じる轟音と冷気。そして、おおよそ日本では見ることのない光景に愕然とした。
「この世界は、イブさんの住んでおられた世界とは異なる――別の世界なんです」
言葉を確認する前に唯舞の目に飛び込んできたのは、空一直線に奔る閃光だった。
それが天から地へと氷晶と共に降り注ぐ。それはまるで映画のワンシーンだ。
その時になって、唯舞は理解した。せざる得なかった。
「……別の、世界」
地球でも、ましてや東京でもない。
突然もたらされた衝撃の事実に唯舞はオウム返しに呟く。
混乱が顔に出ない唯舞は一見落ち着いて見えた。だが、実際は理解も感情も何ひとつ追いついていない。
それに気付かないリアムは、目の前の現象など日常だと言わんばかりに「こちらです」と案内を再開する。
ほんの少し歩けば目的地の兵舎についたらしく、中へと案内された。
外の喧騒とは対照的に静まりかえる室内。その静寂が、どこか息苦しくも思える。
「僕らはイブさんの世界を"異界"と呼び、そこから来た人を"異界人"と呼んでいます。……まぁ、こちらの世界に異界人を喚ぶには召喚をしなければいけないんですけど」
「……召、喚」
「はい。とは言っても召喚は他国が行っていることなので詳しいことは分からないんですけどね。その国では異界人は救国の聖女、なーんて呼ばれてるみたいです。今回はどうやら召喚失敗したんじゃないかって大佐が言ってました」
「……はぁ」
召喚だの聖女だの。ますます現実味のない話に相槌が曖昧になる。
リアム自身も慎重に言葉を選んでいるのは分かったが、あまりにも言葉馴染みがなさすぎた。
(これから、どうなるんだろう……)
途方に暮れそうなほどに困惑しているのに、感情を出しにくい自分がもどかしい。
そうして無表情の唯舞は、促されるまま革張りのソファに腰を下ろした。
「イブさんがいるここは、ザールムガンド帝国と呼ばれています。まぁ国境付近の戦場ですけどね」
「……戦、場」
もしや、さっき見た光景が戦闘だったのだろうか。
戦争なんて、現代日本から来た唯舞にとってはどこか非現実的なものなのに、いざそれを目の前で見てしまうと、背筋が寒くなる。
「そしてイブさんを召喚したのが、国境の先。うちと百年戦争をしてるリドミンゲル皇国です」
「え? 百年も、ですか……?」
「長いし、しつこいですよねぇお互いに。けど今は、特に理力不足が深刻ですから」
「……りい、す?」
聞き返す唯舞に、コーヒーを手に戻ってきたリアムが目を丸くした。
「あ、そっか。イブさんのいた世界には理力がないんですね。魔法、は分かりますか?」
「あ……はい、一応?」
テレビや映画の世界でなら……という注釈付きだが、それなら唯舞も知っている。
だがその様子を見て、唯舞は魔法とも縁馴染みのない世界からやってきたのだとリアムは悟った。
「この国には理力と呼ばれる魔法があって、精霊と契約することで使えるようになるんですよ」
「!」
そう言ってリアムはテーブルにコーヒーを置くと、指先に小さな水の球体を作り上げた。
まるで本物みたいにふわふわ浮いてる球体に、思わず表情筋の弱い唯舞の目も驚きに満ちる。
「これが理力。星からの借りる理の力で、理力といいます」
「……理力」
どうやら唯舞は、魔法のあるファンタジーな世界に来てしまったらしい。
――しかも、召喚した国とは敵対関係にある国に、だ。
『面倒だ。元居た場所に返してこい』
あのおっかなくて綺麗な男の言葉がよぎる。
どうしてそうなったかは分からない。だが確かに、唯舞だけではなく彼らも面倒なことに巻き込まれた……ということなのだろう。
(じゃあなんで、あの人は……)
ふと思い出したのは、サングラス越しに見えた彼の優しい琥珀色の瞳。
出会ったばかりの彼がなぜ謝ってきたのか、唯舞はよく分からなかった。




