《小話》ほんのちょっとの好奇心
「浴衣っていったらさ? アレやりたくならない?」
唐突にそんなことを口にした深紅に、唯舞は首を傾げる。
「……アレ?」
「そう、あのよくテレビとかコントで見る"あーれー"ってやつ!」
「あぁ、帯回しかぁ……」
館内着のシンプルな帯をつまみながら笑う深紅に、思い出したように唯舞が何度か頷いた。
深紅が言ってるのは時代劇で見るような、悪代官が女性の着物の帯に手をかけ、「よいではないか、よいではないか」という一種のお馴染みのやりとりだ。
「でもこの帯の長さだと、一、二周で終わっちゃいそうだよね」
「え、あ、確かに! えー……じゃあ、あの帯って結構長いのかなー……?」
「うん。少なからず、この帯ではあまり楽しめなさそう」
「…………なに、その"あーれー"って」
唯舞と深紅の会話を傍らで聞いていたエドヴァルトが、今度はどんな異文化カルチャーショックが飛び出すのかと若干恐る恐る尋ねる。
異界人が二人も揃うと、その衝撃は計り知れないのだ。
そんなエドヴァルトに嬉々として深紅が説明をし始めた。
「えっと、悪者のおっさんがね? 若いお姉さんにやらしいことをする時の定番?」
「なんでそんなのをやりたがってるの?!」
「えー? だって定番だから」
「なんの定番?!」
エドヴァルトのツッコミにぶーぶーと不満を漏らす深紅を眺めながら、唯舞は真剣な顔で考え込む。
「……せめて帯は二本分かなぁ……コントだと結構自発的に回ってるけど……」
「待て。なんでお前までそんなに真剣に考え出すんだ」
「うーん、考えてみたら帯回しって意外と奥が深いみたいで……」
「考えなくていい。必要ない」
アヤセまでげんなりとした表情になり、唯舞は不思議そうにきょとんと見上げた。
二泊三日のアインセル旅行の最終夜。
昨日の花火大会ではいろいろなことがあったが、それさえも名残惜しむように最後の夜をのんびりと寛いでいた四人の間に放り込まれた何気ない会話に、アヤセとエドヴァルトはどうしようもない胸騒ぎを感じる。
異界人でもある唯舞と深紅は、時としてアヤセ達の想像を遥かに超えた珍思考を爆発させるのだ。
「なんで止めるのさー?! 定番なのにっ!」
「いやだって聞いた限りどうみてもアウトでしょ?! 女の子が襲われてるんでしょ?!」
「"ぐふふ~よいではないか、よいではないか~"」
「よくないー! 深紅は唯舞ちゃんを襲わないの!」
唯舞の帯に手を伸ばしながらニヤニヤとした顔の深紅をエドヴァルトが取り押さえ、アヤセがさりげなく唯舞を引き寄せれば、なぜか唯舞まで不満を露わにした。
「ダメですよ、アヤセさん。この後は"あぁお許しください、お代官様……っあーれー"って回るまでが形式美です」
「いらん、そんな日本文化はとっとと忘れろ」
「むー! エドもアヤセさんもつまんなーい!」
「いやだって、その帯解いちゃったら唯舞ちゃんがマズいでしょ?!」
「…………あ」
帯を解いた"先"を想定してなかったのか、唯舞と深紅が一拍分止まり――そして深紅が神妙な顔で頷く。
「そっか、エドとアヤセさんが邪魔か……」
「なんで?!」
「エドヴァルトは分かるが、俺まで邪険にするな」
「だって解いた帯はそのまま拘束プレイに使うからアヤセさんがいるとちょっと……」
「「…………は?」」
思わぬ深紅の爆弾発言に男性陣が石化する中、さして気にした様子もなく唯舞は人差し指を顎に当てて小首を傾げた。
「うーん。でも時代劇だとそのあと大体助けが入るから、拘束するのはむしろ今時のドラマじゃない?」
「あ、そっかー。それによく考えたらこの浴衣の帯、固いし、手首に結ぶのは無理かぁ」
「それは確かに。長いし、結ぶのにもたつきそう。でもまぁ、ドラマだし……って、アヤセさんも大佐もどうしたんです?」
椅子に座ったまま深く項垂れる二人に唯舞が声をかける。
しばらくののちに大きなため息をついたエドヴァルトがそのまま立ち上がると、一気に深紅を抱き上げた。
「うわっ! な、なに?!」
「……アヤちゃん、明日の朝はゆっくりでいいよね?」
「あぁ、朝食の予約は9時に変更しておく」
「了解。んじゃ、アヤちゃんも唯舞ちゃんもおやすみ」
「は?! え、ちょ……エ……!」
唯舞と深紅が言葉を挟む暇を与えず、あっという間に部屋からエドヴァルトと深紅が瞬時移動で消え、残された部屋には不穏な空気だけが漂う。
「えぇ……と?」
「さて、と。日本文化大好きなお前のことだ、試したいんだろう? その帯回しとやらを」
「! 違います違いますっそれはネタ的な意味で……ってちょっとアヤセさん、帯はダメ!」
ぐぐっと全力の攻防戦が始まるが、一般人と軍人では分が悪すぎて、アヤセの手が唯舞の帯にかかるのは時間の問題だった。
「あ……っ」
「どうやら、お前が回る気がないと難しいみたいだな?」
「も、もうっ!」
帯を解かれ、中途半端に体を回され、ふらついた体を抱き止められる。
はだけそうになる浴衣を押さえながら唯舞が抗議の声を上げた。
これはあくまでも、創作だというのに!
「さて、次は拘束するんだったか?」
「違います――!」
そんな唯舞の全力の否定は、愉しげに口角を上げるアヤセには届かない。
固くて結びづらいはずの帯を解けないよう器用に手首に結び始めたアヤセに唯舞は全力で抵抗したが、結局、なすすべもなくベッドに運ばれていった――
翌日。
待望の朝食バイキングのテーブルでは、まだ昨夜の羞恥の余韻に震える唯舞と深紅が、八つ当たりするように全力で納豆や卵かけごはんを混ぜまくる姿があったとかなかったとか。
異世界で日本文化を語るには、それ相応の覚悟が必要らしい。