第9話 祭りと花火
「いい加減機嫌直してよ~」
そう言いながらエドヴァルトの裾を引っ張って見上げる。
相変わらず嫉妬に狂って不機嫌そうなエドヴァルトとアヤセのガルガル男子をなんとか宥めようと、唯舞も深紅も大奮闘中だ。
せっかく花火がゆっくり見られるよう有料観覧席を予約したというのにこれでは台無しである。
座敷仕立ての物見やぐらは地上から二、三メートルほど高く周囲の邪魔は入らないが、その分、アヤセとエドヴァルトの拗ねようは酷かった。
片足を立て、あぐらをかくアヤセ達の目は完全に据わっている。
「……深紅が他の男をカッコいいって言った」
「オーウェンにもいつも言ってるじゃんー」
「いや、そこはまず俺に言ってほしいんだけど?!」
「お前、ああいったのが好みなのか?」
「だからあれは一般的な意見で……! あぁ、もう……っ私が悪かったからそんなに拗ねないで下さい……!」
かなりご立腹の恋人を前に、困ったように眉を下げた唯舞はアヤセの頬を両手で掴んでそのままぐいっと引き寄せ口付けた。
思わずアヤセの目が点になり、それを見た深紅が、ぎゃ! っと指の隙間から覗けば、さすがのエドヴァルトも固まる。
そっと唇を離した唯舞がアヤセを見つめた。
「さっきはごめんなさい。でも、私が好きなのはアヤセさんですよ? ……それはアヤセさんが一番知ってるでしょう?」
毒気を抜かれたように呆然とするアヤセの頭をぎゅっと抱き込みながら、唯舞がもう一度ごめんなさいと口にすれば、場の雰囲気がするりするりと解けていく。
不意に、ぽつりとエドヴァルトが漏らした。
「……深紅、俺にもキス」
「! や、やだよ……恥ずかしい!」
いつものように食いつこうとした深紅だが、ぐっと耐えたように止まるとエドヴァルトの腕を引っ張ってやや突撃する勢いでその頬にキスをする。
「……! 深紅……?」
驚いたように見てくるエドヴァルトに深紅は全身を真っ赤にしたまま悔しげに目線をそらした。
「あ、あとは……部屋、に……戻ってから……っ」
「~~深紅っ! ほっんと好き!」
一気に機嫌が戻ったエドヴァルトが深紅を抱きしめ、そこでまた深紅がぎゃー! と騒ぎ出すのだが、空気はすっかり元通りだ。
唯舞がアヤセを抱きしめる手を緩めれば、見上げたアヤセに軽く口づけられる。
「……お前も、これ以上は部屋に戻ってからか?」
「……もう」
照れくささに苦笑いを乗せて唯舞が笑えば、アヤセも口元に弧を描いた。
「俺は今すぐ部屋に戻ってもいいぞ?」
「はいはい、俺も! ね、今すぐ帰ろ?! 深紅の気分が変わらないうちに!」
「いーやー! 花火見るの――!」
「私も花火は見たいです」
「花火なんて別にいつでも見れ……」
「見・た・い・で・す」
「…………」
唯舞がにっこりと強めに圧をかければ、さすがのアヤセも黙る。ついでのようにエドヴァルトも口を一文字にして黙った。
男子二人の様子に機嫌が直ったことを確認した唯舞は、そっとアヤセから離れて物見やぐらの手すり前までいく。
「深紅ちゃん深紅ちゃん、もうすぐ始まるよ」
唯舞が手招きして深紅を呼べば、パッと笑顔を浮かべた深紅がそばに寄ってきた。
そんな花火を待ち望む恋人達の後ろ姿に、アヤセ達はやれやれとため息に笑みを込めながら用意された酒に手を伸ばす。
――ひゅぅぅぅぅ……どぉぉぉぉぉん
「わぁぁぁ、キレ――」
「うん、綺麗……夏だねぇ……」
夜空に打ち上がる大輪の花に唯舞と深紅が歓声を上げる。
一気に打ち上がるのではなく、一つ一つ、腹の底に響きそうなほどの大音量で大きな花火が夜空を覆うさまはとても優美で、風情がある。
途中で変わり玉も打ち上がったりと、まるで日本にいるのではないかと錯覚しそうになって少しだけ郷愁に涙が滲んだ。だが、そんな唯舞の気配に気付いたのか、深紅が唯舞の手をぎゅっと握ってふわりと笑う。
「大丈夫だよ、唯舞。私もいるから」
「……深紅、ちゃん。うん……そうだね。ひとりじゃ、ないもんね」
「うん。私達はふたりぼっちだから、寂しくないよ」
肩を寄せるように花火を眺める二人に、アヤセ達は何も言えない。
どんなに愛を尽くしても、どんなに真綿にくるむよう守っても。
唯舞と深紅の奥底にある祖国・日本への望郷の想いと渇望は、同じ寂しさを知る彼女達でしか癒せないから。
――そんな中、急に花火大会会場の様子が変わった。
アヤセとエドヴァルトが即座に反応し、それぞれの最愛を引き寄せる。
「な、なに……?!」
急に引き寄せられた深紅が戸惑いの声を上げたが、見上げたエドヴァルトの目つきが真剣で何も言えなくなった。
異様な光景に気付いた唯舞が、恐る恐るアヤセの腕の中から呟く。
「……止ま、ってる……」
「……え?」
全てが、止まっていた。
夜空に浮かんだ花火も、歓声に沸く観客も、音も光も、何もかもが静止したように止まっている。
こんな人間離れした芸当が出来る存在など、唯舞達には一つしか思い当たらない。
―― ほう、人の身でわれの気配に気付くか。新しき女神の加護だな。
脳裏に直接語り掛けてくる声に導かれるよう顔を上げれば――
花火と青白い満月を背に、一人の青年の衣が風もない無音の世界で、ただ、緩やかに靡いていた。