第2話 約束の地へ(2)
海での賑やかな時間を終えた四人は、着付けの時間に間に合うよう余裕をもって旅館へと向かった。
アインセル連邦に着くなり海に直行したので、手荷物以外は荷物配送で旅館に運んでもらっている。
「わー! すごーい!」
部屋に入るなり深紅が歓声を上げた。
以前、唯舞がこの地に訪れた時に泊まった和洋室の部屋とよく似ているが、今回は少しだけ趣が違う。
「ねぇねぇ唯舞っ! 露天風呂が付いてる!」
「そうなの。前来た時に一回しか温泉に入れなかったから、アヤセさんにお願いして露天風呂付きの客室にしてもらっちゃった」
「やーだー最っ高! お風呂だ――!」
小さなツボ湯タイプの露天風呂を見てはしゃぐ恋人達に、シャワー文化のエドヴァルトとアヤセは予想通りとばかりに苦笑めいた笑いを漏らした。
湯に浸かるという行為は、彼女達のいた異界の地・日本ではごく一般的な文化で、特に温泉には並々ならぬ思いがあるらしい。
――そう……あの、星を救い、百年戦争を終わらせ、異界人聖女だった唯舞と深紅がこの世界に残ることを決めたあの日から、もう四ヶ月が経つ。
女神に忘れられたこの終末世界を救うために異界から召喚され、聖女として死ぬ運命に巻き込まれた唯舞と、一度命を落としたにも関わらず、新たな太陽の女神によってもう一度"人"としての生が与えられた深紅。
彼女らが祖国の神々の加護を星に捧げ失ったことで、かつては聞き取れなかった古き日本の言葉は言霊としての力を失い、ただの言語としてアヤセ達にも伝わるようになった。
多くの犠牲と、多くの選択の果てにアヤセとエドヴァルトの手に残ったのは、愛を返してくれる、ぬくもりのある最愛の存在だ。
「ねーねー唯舞。一緒に入ろー?」
「え? う、うん。別にいいけど、一緒に入るなら大浴場のほうがいいんじゃない? だってここ、部屋風呂だし……」
「えー? 駄目なの?」
「え……えぇっと……」
泳ぐような唯舞の視線がエドヴァルトに向く。首を傾げるエドヴァルトを見て、唯舞はこっそり深紅に囁いた。
「部屋……私とアヤセさん、深紅ちゃんと大佐の二部屋だから。私と深紅ちゃんが一緒に入ったら、多分、待ってる間大佐達が気まずいと思うよ?」
「えぇぇ? じゃあ女子と男子で部屋分ければよくない?」
「それだけはイヤ」
「断る」
ぐいっとエドヴァルトが深紅を、アヤセが唯舞を手元に引き寄せる。
自身の恋人にただならぬ執着心を持つ彼らが、ここにきて部屋を分ける選択肢を選ぶわけがない。
「だって、エドがいたら落ち着いて温泉に入れないっ!」
「入ればいいじゃん」
「ヤだよ! のんびりできないじゃんっ」
「のんびりすればいいじゃん」
「だからもー! ねぇ、唯舞も何とか言って!」
「うーん……アヤセさんも温泉に入ってみます? 無理にとはいいませんけど……」
「唯舞、大胆すぎるしっ!」
裏切られた! と言わんばかりに深紅が絶望的な目で唯舞を見つめてくる。
唯舞がアヤセと一緒に入浴するとなると、自動的に部屋を男女別に分ける選択肢がなくなってしまうのだ。
ちらりと深紅がエドヴァルトを見れば、特段変わらない彼の表情に何だか無性に腹が立って、八つ当たりのようにエドヴァルトを引っぱたいた深紅は唯舞の手を引いて踵を返す。
「いったいし! もう、なんなの深紅!」
「うっさい! 露天風呂に入れなかったら全部エドのせいなんだからぁ――! 着付け行ってくるっ」
「わわ、あっ……じゃ、じゃあ行ってきます……!」
半ば深紅に引きずられるよう唯舞も部屋を出ていき、一気に室内に静寂が訪れた。
「……お前も一緒に入ればいいんじゃないか?」
「…………そんなことを今の深紅が許すと思う?」
「別に知らない体でもないのにな」
「それでも恥ずかしがるのが深紅なの」
「凶暴だな」
「可愛いの」
そんないつも通りの軽口を言い合いながらもそれぞれの部屋で荷物を片付け、少し経ったのちに唯舞と深紅が向かった着付けサロンへと足を運ぶ。
しばらくソファで待っていれば、聞き慣れた声にアヤセとエドヴァルトがほぼ同時に顔を上げた。
「……あれ? 二人とも迎えに来てくれたんですか?」
「部屋で待っていてくれても良かったのにー」
浴衣姿で現れた恋人に思わず呆然とする。
鮮やかな布地に色とりどりの花が咲き乱れるそのいで立ち。
以前も館内着の浴衣を着た唯舞を見たことがあったが、今着ている浴衣はその時よりも何倍も華やかで、そして……艶やかだ。
「……アヤセさん?」
「エド? どうしたの? ぼーっとして」
自分達を見下ろしてくる愛らしい恋人に、男性陣は深くため息をついて項垂れた。
「…………ねぇ、深紅。部屋に戻っちゃダメ?」
「本当にその格好で外を歩くつもりか……?」
エドヴァルトとアヤセの問いに、唯舞も深紅もきょとんと首を傾げる。
「じゃあ二人は部屋で待ってる? 私と唯舞はお祭り行ってくるけど」
「それはダメッ!」
「また余計な虫が湧くだろう……!」
無自覚な恋人を持つと本当に大変だ。
そう思いながらソファから立ち上がったアヤセとエドヴァルトは、それぞれの恋人の手を取ると、護衛よろしく、虫一匹許さぬ鉄壁のガードを強めた。




