第158話 神の降臨(5)
ファインツがケイコと共に消え、聖堂にはまた静寂が戻った。
その場に残ったキーラだけが宙を見上げて二人の残した光の粒子に微笑む。
―― さて、ではそなたを女神とするかの。もう人には戻れぬが、よいのだな?
唯舞の時と同じく、天照大神は最後の選択をキーラに課す。
「……母上……」
エドヴァルトの少し困惑した声にもキーラは優しく笑った。
――エドヴァルトは、とても大きくなった。
27で儚くなった自分よりも成長した息子が、キーラは何よりも嬉しく、母として誇らしい。
息子の歩んできた人生は、決して平穏なものではなかったけれど。
それでも、自分と同じように、最愛の存在《深紅》と出会うことが出来た。
聖女の繭で深紅と接し、エドヴァルトが愛した子を存分に知る時間もあった。
だからそんな息子の未来を守るためにも、キーラは決意するのだ。
『私は皇族として、そして一人の母として……この世界の女神となる。その気持ちに変わりはありません』
キーラの決断と共に、黄金と緑葉の風が彼女を包み込んだ。天照大神の持つ、生命と豊穣の息吹だ。
その力が今、キーラに譲渡され、この世界に新たな太陽の女神が生まれようとしている。
唯舞は一歩足を踏み出してそのまま床に座り込んだ。
正座をしたまま背中をまっすぐ伸ばし、両手を合わせ、静かに目を瞑る。
それを見た深紅も、同じように正座をして手を合わせた。
神秘的にも見えるその様は、古代より受け継がれた神への祈りに他ならない。
「今まで私を守ってくれていた神々の加護を、どうか新たな女神と共にこの世界へ」
『傷だらけのこの世界に、どうか女神の加護が届きますように』
ずるりと何か大切なものが唯舞の中から抜け落ちる感覚がした。
ぽっかりとした空虚感に心細くなるが、それこそが唯舞が持っていた神々の加護だったのだと知る。
唯舞から抜けた加護は黄金の光となり、キーラの元に向かった。
『……ありがとう』
光を受けとったキーラは唯舞に微笑み、それを愛おしそうに胸に抱く。
最後の聖女の加護を得たことで、キーラは太陽の化身から、このイエットワーの太陽の女神へと生まれ変わるのだ。
それを見届けて、天照大神は唯舞と深紅に視線を落とす。
―― さて、そなたらの願いは聞き届けた。あとはこの世界の理と生きるがよい。小さき子らに、この世界の加護があらんことを。
そう言い残すと、ぼんやりとしていた天照大神の輪郭は次第に淡い光に変わって力強く弾け去る。
その閃光にも似た眩さに目を覆った数秒後には、もう、天照大神の姿は欠片も残っていなかった。
―― ……唯舞ちゃん。
春風の匂いがする。光と緑の風を纏い、この世界の新たな女神となったキーラがふわりと唯舞の前に降臨していた。
―― いきなりでごめんなさい。貴女に、お願いがあるの。
「お願い、ですか……?」
唯舞の問いかけに、キーラはそっとエドヴァルトと深紅に視線を向ける。
今だに深紅は理力のままだ。このままだと、女神として一緒に連れていってしまう。
―― 息子に……エドヴァルトに贈り物をしたいの。でも、そのためには唯舞ちゃんの髪が必要で。
「……髪ですか?」
唯舞は己の長い薄紫色の髪に触れた。それを見て、キーラは申し訳なさそうに微笑む。
―― えぇ。異界では、髪には神が宿るのでしょう? ……理力を定着させるには、異界人の唯舞ちゃんの髪が一番適してるの。
「……! 構いませんっ使って下さい!」
キーラの言葉にハッとした唯舞は自分の髪をぎゅっと握った。
――その瞬間。
手の中の髪の感触は失われ、腰まであったはずの唯舞の長い髪は、まるで切り揃えられたように肩口よりも短くなっている。
ありがとう、とキーラが唯舞に微笑んだ。
そのまま身を返した新たな女神は、色々なことに動揺を隠せない最愛の息子の頬をそっと愛おしげに撫でる。
―― 今まで、何もしてあげられなくてごめんなさい。でも今日は、貴方のお誕生日だから、どうかプレゼントさせてね。 ……お誕生日おめでとう、エドヴァルト。――バルトに……お父様によく似て素敵に育ったわ。……ずっと愛してる。どうか幸せにね。
「! 待って母上……!」
エドヴァルトの制止虚しく、微笑むキーラの姿が揺らいで、眩しい光が周囲一帯を包みこむ。
これは、キーラが母として残せる最後の贈り物だ。
天照大神の閃光と同じ強い光が凝縮したあと、キーラの代わりに、エドヴァルトの腕の中には小さな温もりがあった。
「……? え、ど……?」
「深紅……!」
体温も、匂いも。13年前と全て同じだ。
戸惑う瞳ごと、エドヴァルトは肉体を取り戻した深紅をかき抱くように強く求めれば、パシパシと抗議するよう背中を叩かれた。
「も、もう、痛い! 苦しいってば馬鹿エド! 大人になったんでしょ?!」
「は……はは、出会った時からずっと年上ではあったんだけどなぁ……でも、深紅の前だとダメみたい。――ねぇ、年上は、いや……?」
そう呟くよう深紅に尋ねたエドヴァルトは、泣きそうな顔で微笑んだ。




