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第15話 帰りたい


 シーツを握りしめて涙をこらえる唯舞(いぶ)の頭を、ミーアはゆっくりと撫でる。



 「いきなり知らない世界に引っ張られてきたのに、イブちゃんは泣き言ひとつ言わないってエド達も言ってた。でもイブちゃんは凄く聡い子だから、言っても何も変わらないって思ったのよね。魔法やら戦争やらワケわかんない世界をどうにか受け入れて、自分をなんとか納得させて……そうやってこの一カ月、頑張ってきたんでしょう?」

 「……ッ」


 

 唯舞の喉がぐっと詰まる。

 帰れないと言われてしまった以上、どうしたらいいのか唯舞には分からなかったのだ。

 もう二度と、家族にも友人にも、日本にも地球にも帰れないというのなら。

 考えても、ただただ、苦しいだけだったから。

 


 「――あのね、イブちゃん。言ってもいいのよ」


 

 ミーアの瞳は優しくて、まるで自分が小さな子供になったようにさえ感じる。

 

 

 「どうして私がって。どうして帰れないのって。友達に、家族に会いたいって……イブちゃんは言っていいの。言うだけの資格があるのよ」

 「……でも……!」

 

 

 一度溢れてしまった感情はとめどなく唯舞の頬にこぼれ落ちていった。

 

 ぎゅっと圧縮された肺が痛んで唯舞は眉を寄せる。

 そう言ったところで何も解決しないし、周りに迷惑をかけるだけだと、そうずっと思っていた。

 

 唯舞がこの世界に同意なく喚ばれたように、エドヴァルト達(彼ら)にだって唯舞の存在は、諸手をあげて歓迎できるものではなかったはずだから。

 そんな唯舞の言葉にミーアは屈託なく笑う。

 

 

 「いいのよ。私達はイブちゃんよりも状況が分かってるんだから。それにイブちゃんはいい子過ぎて、ちょっとおねーさんは心配なの。――……もう少し私達を困らせて? 私も、エド達も……それくらいは頼ってほしいわ」


 

 だから大丈夫よ、と言われて、唯舞はいよいよ震える声を堪えきれなくなった。

 ずっと胸の内に抱え込んできた思いが一気に溢れるように、脈絡もなく口からこぼれ落ちる。



 「仕事、帰り……だったんです……」

 「……うん」

 

 「残業して、もう深夜で、帰りの終電ギリギリで……でもなんとか間に合ったんですけど寝ちゃって……」

 「……そっか」

 

 「次の週には締め切りがあって、それが凄く大事な案件で。私も仕事を預かってたのに、他のメンバーにも何も言えなくて」

 「うん、それは気がかりだよね……」

 

 「次の日には友達と一緒に映画を見に行くつもりで……ッ」


 

 その何もかもがあの日、一瞬にして叶わなくなった。

 当たり前だと思っていた日常が、本当は全て当たり前じゃなくて、唯舞の中ではとても尊かったのだと失って初めて気付いてしまった。

 あの世界では大変なことも辛いことも悲しいこともあったけど、こういった時に脳裏に浮かぶのは全て優しい記憶ばかりだ。

 

 

 『唯舞、早くご飯食べちゃいなさい。今日は唯舞の好きな絹プリンを買ってきたの、お父さんとタケルが帰ってこないうちにふたりで食べちゃいましょ』

 

 『姉ちゃん聞いて聞いて! 俺の好きなやつがアニメ化するって!』


 『唯舞、お前、そろそろクリスマスだろ? 彼氏とか……なんだ母さん、セクハラって心外な! 俺は娘の心配をぉぉぉぉぉぉっとグーは駄目だとお父さん思うぞぉ! なぁ唯舞!』

 

 『唯舞ちゃーん、クリスマスの予定ってある? ないなら私と過ごそー! イルミみてどっかでご飯食べようよー!』


 『あー二人してずるいぞー! 先輩達もまぜなさーい! 美味しいお店知ってるからみんなで女子会と洒落こみましょー!』

 

 

 浮かんでくる家族や友人らの姿は誰も彼もみな笑顔だ。

 全てが全て……泣きたくなるほどに優しい記憶の面影に、今まで何度も堪えたはずの激情はあっけないほど抑えが効かなくなってしまう。



 「かえ……り……たい……帰りたいです……っ……元の生活に……家族のところに、帰りたい……!」

 「…………うん。そうだよね」


 

 もう、涙も嗚咽も気にできる状況ではなかった。

 今いるこの場所こそが現実で、やっぱり元の世界ではないのだと思ったら余計に涙は止まらない。

 両手で顔を覆って子供の様に泣きじゃくる唯舞を、ミーアはそれ以上は何も言わず、ただそばで見守る。


 ごめんね、の言葉の代わりに唯舞を撫でる手は、この世界で一番優しかった。

 


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