第135話 触れられないこの世界で
唯舞達の前に現れた深紅は、氷帝とは違い半透明の姿だった。
それを不思議に思った唯舞が尋ねる。
「あれ? 深紅さんは、透けてる?」
『そーなの! ねぇあれってどうやるの?! みんな、普通に出来るのに私だけ全然出来ないんだけど! てゆーか、ふたりして血だらけじゃん。……大丈夫?』
唯舞達の惨状に気遣わしげな視線を向けた深紅だが、傷が癒えてることには安心したようだ。
実体化できないことを不満げに漏らす深紅はいかにも天真爛漫な女子高生で、浮かんだ涙も思わず笑みに変わる。
エドヴァルトが愛したのはまさしくこんな彼女だったのだろう。
「……ちなみにノアとブランって、どうやって実体化してるの?」
唯舞が自身の使い魔に声を掛けるが、返事はない。
なんてことはない、あまりにも唯舞にまとわりつく使い魔達に対し、アヤセが護衛以外での無言待機命令を出しているからだ。
ジッと彼らが返事を出来ない原因に向かって抗議するよう視線を向ければ、アヤセが渋々許可を出す。
ポン、という軽い音と共に二匹の白黒の使い魔が宙に現れた。
『『イブ!』』
飛びつくようにやってきた二匹の子猫を受け止めれば、ふわふわした小さな綿毛達は今日も変わらずお日様の匂いがする。
唯舞は頬にすり寄せるように二匹を抱きしめ、それを見て深紅がふわりと唯舞のそばまで舞い降りた。
『えー可愛い~。でも待って……その子達、理力よね? そんな小さくても実体化できるの? え、もしかして本当に私がポンコツすぎる……?』
ショックを隠せない声色の深紅に唯舞は思わず笑いを漏らす。
使い魔達に、どうやって実体化をしているの? と聞いてもきょとんと愛らしく首を傾げるだけだし、アヤセに聞いてみても「そんなの理力を込めればいいだろう」と深紅が望んだ答えには辿りつかない。
『えぇー? 私自体が理力なのにこれ以上どうしろっていうのよぉ……』
座り込んで、床に"の"の字を書きながら深紅が拗ねた。
そんな深紅を慰めようと肩に伸ばした唯舞の手がスッとすり抜けて、やっぱり実体化しないと触れられないのかときゅっとこぶしを握る。
「……お前に聞きたいことがある」
アヤセが座り込む深紅に声を掛ければ、深紅がむっとした顔でアヤセを睨んだ。
「私にはお前じゃなくて、逢沢深紅っていう名前があるんだけど」
「……なら、深紅。聞きたいことがある」
「なに?」
「唯舞が太陽の化身になる以外に、この世界を保つ方法は本当にないのか?」
アヤセの言葉に、しばらく黙っていた深紅がうんと膝を伸ばして立ち上がり、その拍子に紺のブレザーのスカートがひらりと揺れた。
学生だった深紅にとってはこの服装が一番馴染みがあったのかもしれない。
『そうだね。今は……ムカつくけどリドミンゲルが星の消滅猶予を伸ばしてる状態。唯舞……あ、呼び捨てしていい? 私のことも呼び捨てでいいから。どっかの誰かさんは、許可する前に呼び捨てにしたけど』
「……」
「も、もう中佐ってば。……うん、いいよ。じゃあ私も深紅ちゃんって呼ぶね」
じろりと深紅がアヤセを見たが、当のアヤセは涼しい顔だ。
慌てたように唯舞が間に入るが、それをアヤセが名前を呼んで止めた。
「なんですか?」
「名前」
「~~もう! 今はいいじゃないですかっ」
役職呼びが気に食わなかったらしい。大体、今までずっと役職で呼んでいたのだからいきなり変えろというほうが無茶というものだ。
それを見て、深紅が面倒そうに表情を歪めた。
『うーわ。なんか執着えぐ~、唯舞、大丈夫? この人の顔に騙されてない?』
「だ、大丈夫。なんかごめんね」
「――俺より、エドヴァルトのほうがよっぽどお前に執着してるだろうが」
ふいに飛び出したエドヴァルトの名前に、ぴたりと深紅が固まる。
数秒の沈黙。
それから少し泣きそうな顔で深紅はそっと視線を落とした。
『……バカだよねぇ。エドは』
「会いには、行かなかったの? 例え理力の姿でも、きっと大佐は深紅ちゃんを……」
唯舞の言葉に、深紅はふるふると首を振る。
その瞳は涙を堪えているようにも、無理やり自戒しているようにも見えた。
『会ったら……また、悲しませちゃうから。私がこの世界の女神になったら、もう、理力としても会えないから』
「それは、どういうことだ」
少し厳しさのこもったアヤセの声に、深紅は苦笑いを浮かべる。
アヤセなりに唯舞を大事にしての問いだとわかるから、今はそれがほんの少しだけ羨ましい。
『今、私が自我を保ててるのは、まだ私が化身としては新しいから。他の聖女は……たまに意識が戻ることはあるけど、同化してほとんど意識がない』
「同化……って女神としてってこと?」
『そう。少しずつ自我が消えていって、眠るように他の聖女と同化してひとつになっていくの。唯舞が化身に昇華してしまったら、神としての最後の神格が上がって……私達個人の意識はなくなっちゃうんだって』
そう言って深紅は、切なく、苦しそうに微笑んだ。




