第134話 初めての、再会
「――太陽の化身が消えたのは、戦争による大量理力消失が原因か?」
確認するようにアヤセが氷帝に問えば、彼女は静かに瞳を閉じることでそうだと答える。
始まりはありふれた小さな諍い。でもそれは次第に規模を広げ、数多の国を巻き込み、世界を揺るがす大きな災禍となった。
人の欲は世界を傷付け、残された理力を削っていく。
『太陽の化身は……愛する"天照"から零れたこの世界を守る為だけに生まれた、そんな存在だ。あの"天照"の化身とは思えぬほどに、優しすぎる女神だったがな』
皮肉めいた笑みを浮かべながらも、氷帝は懐かしむように目を細めて遠き日に思いを馳せる。
天照大神の元から離れてどれ程の時を女神と生きてきたか……。
例え人の営みが変わっても、残された加護でもある理力は女神と共に、赤子のようなこの世界を真綿で包み、見守ってきたというのに。
『失うのは一瞬だ。あれほど年月をかけた世界でも、"天照"の加護が枯渇すれば世界から豊穣と生命が失われる。化身はあくまでも代理の存在。本来、加護を生み出せるのは"天照"のような神だけなのだ』
「……ならばやはり、聖女を太陽の化身にして複数人集めることで新たな神を作り上げようとしているのか。だが、何故太陽の化身ほどの強い存在が消滅する?」
最高位の精霊よりもさらに高位な存在である太陽の化身がそう簡単に消滅するとは思えなかった。神の代理、と言われるほどの力を持っていたのなら戦争で奪われるのはあまりにも脆すぎる。
そんなアヤセの問いに、氷帝は諦めにも似た小さなため息を零した。
『優しすぎたのだよ、化身は。加護が……理力が"高天原"を希いながらも消滅していくさまが耐えられなかった。だから自らを溶かし、膨大な理力で世界を覆った。だがそれは、諸刃の剣だ。かの者がいなければ……もうこの世は保てない』
突発的でそこまでは考えていなかったのだろうなぁと氷帝は苦笑する。だが、それも全て過ぎたこと。
この世界の破滅は、新たな神でも生まれなければ防げない。
『さて、昔話はここまでだ。――人の子よ、お前は何を望んでこの私を喚んだ?』
氷帝の言葉にアヤセは迷うことなく答える。
「先代聖女の逢沢深紅を。彼女をいつでも喚べるようにしてもらいたい。いるのだろう? お前と同じように自我を持って、理力として」
アヤセの言葉に氷帝はゆるりと視線を向ける。最高位の大精霊でもあり、理力でもある彼女にとっては瞬きよりも簡単なことだ。
『ふむ。だがしかし、その程度の願いでよいのか? その首についている理力封じを消しここから逃げることも、この国を滅ぼすことさえも可能だというのに』
氷帝の言葉に、アヤセの首についた黒い首輪の正体が理力封じだと知った唯舞が不安そうに瞳を揺らせば、くしゃりと頭を撫でられる。
「どうせエドヴァルト達が勝手に助けに来る。それにこの国を滅ぼしたところで、世界の状況が変わらないなら意味はない。唯舞を太陽の化身にしようとする世界は気に食わないが……」
髪を撫でていた手がするりと唯舞の唇へと指を落とし、その腹でそっと触れた。
「せっかく手に入れたものを手放す気はない。化身となった逢沢深紅ならば、また別の糸口を知ってる可能性もあるだろう。……そして、なにより」
アヤセの目は、唯舞を通して他の誰かを見ているようだった。少し切なげなその表情に、唯舞まで苦しくなる。
「どんな形であれ、エドヴァルトは彼女に逢いたがっている」
「……っ」
深紅を想うエドヴァルトを、唯舞もアヤセもずっと見てきた。どんなに飄々としていても、彼の中にある闇は深紅でしか埋められない。彼女を求め、今も尚彷徨っている彼の心を救えるのは、例え人でなくなったとしても深紅しかいないのだ。
そんなアヤセに氷帝は鷹揚に頷いた。
『いいだろう。それならば引き続きこの部屋の監視も防いでやろうかね……どうにも時折見られている。彼奴らには悟られぬほうがよかろう?』
「助かる」
唯舞の手に一度擦り寄った氷帝はくるりと踵を返し、一度だけ唯舞とアヤセを振り返った。
長い時を生きてきた彼女には、まるで初めて二本足で立った赤子のように思える二人が愛おしくてたまらない。
『太陽に愛された子らよ。いずれは滅びる世界だ。お前たちの選択を、我々は見守ろう――』
そう言って、来た時と同じように粉雪が彼女を包む。
それと同時に少し強い風が吹き、氷帝の姿がかき消えると同時に長い黒髪がふわりと舞った。
10代の幼さを残した顔。ゆっくりと開かれる、黒曜石の瞳。
写真と何一つ変わらない姿で現れた彼女に、堪えきれず唯舞の顔が歪む。
『……ふふ、こうして会うのは初めてかな。でも今さら自己紹介はいらないよね?』
少し悪戯っぽく笑う彼女が眩しくて、涙をこらえるように笑みを作った唯舞も無理矢理微笑んだ。
「うん、深紅さん。改めて、初めまして。……水原唯舞です」
久しぶり名乗る日本名が、痛いほど愛おしいなんて――




