第132話 言ノ葉
しばらくの間、理力譲渡でくったりとした唯舞を宥めていたアヤセだったがふいに何も言わずその体を抱き上げる。
「ひゃ……!?」
「動くな。掴まってろ」
咄嗟にアヤセの首に手を回せば危なげなくソファまで運ばれた。
癒えたとはいえ、あれほどの拷問を受けていたとは思えない安定した足取りに戸惑う。
「……ここが、例の聖女の塔か」
クッションで背もたれまで作ってくれる気遣いが逆に落ち着かなかったが、改めて唯舞も部屋全体を見回した。
かつて歴代の聖女達が過ごしたであろう聖女の塔。
さすがに13年も時が経っているので、エドヴァルトに聞いていたような深紅仕様の可愛らしい部屋ではなかったが、白を基調とした落ち着いた室内にバスタブ付きのバスルームや独立したトイレなど、ここが敵地でなければずっと住み続けたいくらいには魅力的な牢獄だ。
ただ、過去に深紅の逃走を許したベランダは出入口のドアと同様に厳重な封印が施されていた。
ふいに唯舞の意識を向けるように、アヤセが唯舞の髪に触れる。
「少しは落ち着いたか?」
「はい。……でも中佐」
「名前」
「ぅ……いい、じゃないですか……間違ってはいないのに……」
「それは役職名だろう」
先ほど名前呼びになったのだと思い出したが、なんだか恥ずかしくて。
ほんの少しの抵抗を恨めしげな視線に込めた。
「理力譲渡も、抱き上げるのも……いきなり過ぎると思うんです…………アヤセさん」
付け足すように名前を呼んだのに、気を良くしたアヤセは赤くなった唯舞の頬を撫でる。
「先に言ったら、嫌だと言うだろう?」
「う……別に嫌というわけでは、ないですけど……」
その余裕が、居心地悪い。
キスも、抱き上げられるのも。相手がアヤセだからこそ恥ずかしいのに。
大体、性格はともかく、容姿だけは有り得ないくらいに整っているアヤセと両思いになったことさえ夢みたいなのだ。そして、その少々難ありな性格さえも最近は可愛いと思い始めている。
(うぅ……中佐が、私の恋人)
そう考えただけで顔が熱を帯び、茹でだこになってしまいそうだ。
撫でる手を止めたアヤセが、唯舞の意識を浮上させるように真剣な声色で声を掛ける。
「――唯舞、先ほどの力は太陽神のものだな? 何があった」
切り替えるアヤセに、唯舞も先ほど脳裏に聞こえた不思議なあの"声"を思い出す。
以前もどこかで聞いた、唯舞を導いた声。
――大丈夫、迎えが来るからね――
かつて見た夢が蘇りハッとする。
そうだ、あの時だ。
かつてザールムガンドで白服に拐われかけた時に見た、あの電車の夢。
向かい合う座席に座っていた3人の顔の見えない女性。
そして、唯舞の横に座って髪を撫でてくれた、黒髪の女の子。
腰まである長い髪に、切り揃えた前髪。
――黒曜石によく似た瞳。
あの時も彼女は、エドヴァルトが助けに来るからね、と教えてくれたのに。
そうだ、彼女こそが――
「……深紅、さん……?」
ぽつりと、唯舞が宙に問いかける。だがそれに応じる者はおらず、アヤセだけが反応した。
「ミク? ……逢沢深紅か」
「……はい。深紅さんに、教えてもらって"天照"……太陽神の力が使えたんです」
声が聞こえなかったアヤセには曖昧でも、唯舞にはあれが深紅だという自信があった。
今まで中途半端にしか組み上げられなかったピースが、じわじわと繋がる、そんな感覚。
「聖女は、光になって消える。理力は星の生命力で、星の生命力は太陽神の加護であり、異界人聖女の命。それなら……光と消えた聖女は、理力としてこの世界にまだ存在しているってことですよね……?」
「!」
湧き出る言葉を唯舞は止めることが出来なかった。
たどり着いた新たな仮説に、興奮したように熱がこもる。
「意識が……あるんです。理力の存在でもある高位精霊が人の言葉を話せるように、光になった聖女は……少なからず深紅さんは!」
「――人としての自我を保ったまま、理力として存在している」
繋がった結論にアヤセと視線が重なる。
深紅は、いる。
恐らく歴代聖女も、肉体は消えたとしてもいつか太陽の化身として――神となるためにこの世界にいるのだ。
そういうことか、と呟いてアヤセは立ち上がった。
「…………アヤセさん?」
「逢沢深紅を、ここに喚ぶ。――氷帝、聞こえるか」
首を傾げた唯舞に迷いなく答えたアヤセは自身の契約精霊の名を呼んだ。
意思を込めた声に薄氷色の瞳が光を浴びたように煌めく。
ここは氷結の彼女のテリトリーではないが、最高位の大精霊ともあれば理力が存在する限り、喚び場所を選ばないはずだ。
そしてアヤセの予想通り、一陣の粉雪と共に、舞うようにして真っ白い彼女は現れる。
『くふふ、待っていたよ人の子。私が必要になったかい?』
白豹の彼女は長い尻尾を揺らしながら、実に愉しそうに喉を鳴らした。




