第131話 血だらけの抱擁
腕の中の唯舞が遠慮がちに身じろぐ。出来るだけ怪我に触れないよう動く様子に、アヤセはようやく自身の惨状を思い出してそっと体を離した。
「……悪い。服が汚れたな」
「っ! いえ、服は……いいんです! ……でも……っ」
血の付いた唯舞のシャツを見てアヤセがそう謝ると、唯舞が大きく首を振る。
再度、泣き出してしまいそうなその表情に、アヤセは宥めるよう唯舞の頬にそっと手を伸ばした。
「大丈夫だ。見た目ほど酷くない」
「どう見ても酷いですよ! こんなの……拷、問じゃないですか……」
「手加減はされてるし、治療もされてる。俺だってそれなりに訓練は受けてるし、奴らだって本職の人間だ。折られた骨も一応くっ付いて……ってそんな顔するな」
「しますよ……! 治療されてこの状態ってなんですかっ! もっと酷かったって事じゃないですか……っ」
唯舞の目には、治っているような怪我は1つも見当たらない。
辛うじて血が止まっている箇所はあれども、少し触れただけで服に血が付くほど真新しい傷ばかりだ。
特に胸元を斜めに走る裂傷と、焼け焦げた焼き印の痕はあまりにも痛々しくて、これも全て、聖女という役割のせいでアヤセを巻き込んだ結果なのだと思ったらぎゅっと胸が軋んだ。
「泣くな」
「……ごめ……なさい……」
痛いのも苦しいのも全てアヤセなのに、優しくされてしまうとせり上がるような涙が止められない。
消え入りそうな声で謝れば、再度唯舞の髪をかき抱くよう強めに抱き寄せられた。
(癒しの力が、今使えればいいのに……っ)
アヤセの腕の中で唯舞は歯がゆさに願うように目を閉じる。
だが、豊穣と癒しを持つとされる天照大神の力を、唯舞はどう扱えばいいのか分からないのだ。
――願って――
「……?」
唐突に脳裏に響いた声に、唯舞は思わずアヤセの胸元から顔を離した。
この部屋にいるのは唯舞とアヤセの二人だけだ。
「……どうした?」
「ねが、う……?」
――強い願いは、強い言葉は……言霊になるから――
案じるアヤセにではなく、謎の声に対して繰り返せば不思議な声は再度唯舞に応えた。
どうやら唯舞にしか聞こえないその声は、一度どこかで聞いたことがあるのだが、どうしても思い出せない。
それでも不思議とその声を疑う気持ちにはなれなくて、導かれるように唯舞はアヤセの手を取った。
「……唯舞?」
「そっか。"言霊"なら……」
訝しげなアヤセの傷だらけになった手を両手で包み込む。
本当にうまくいくか分からない。それでも不安を押し殺し、目を閉じて、心を落ち着かせて祈るように、明確な意思を持って唯舞は言葉を発した。
『――お願い、癒して』
その瞬間、まばゆい光が二人の周囲一帯を駆け抜ける。
以前アインセル連邦で天照大神の名を呼んだ時よりも数倍は強い光がアヤセの体を、まるで花びらが風に飛ばされるような勢いでさらっていく。
「……っ……!」
光はあっという間に前回と同じく粒子だけを残して消えた。だが、今回はそれだけではない。
反射的に目を閉じた唯舞がそっと瞼を開ければ、目の前には血に汚れてボロボロになった服はそのままに、蝕む傷だけが全て消えたいつものアヤセの姿がある。
「! ……唯舞、体は?!」
ハッとしたアヤセが唯舞の両肩を掴んだが、驚いたように固まる唯舞に生命の揺らぎは感じない。
もしかしたら同じ生命力を使うにしても、力を分け与える時と強制的に奪われた時では、唯舞の体にかかる負荷がまるで違うのかもしれないと気付いた。
そんな動揺を見せるアヤセとは裏腹に、唯舞は傷のなくなったアヤセの頬に手を添えて、泣きそうな顔で微笑む。
「……治せて、良かった……」
その時の表情があまりにも儚くて……アヤセはぐっと眉を寄せてから引き寄せるように唯舞に口づけた。
先ほどアヤセに対して使った力は唯舞の生命力を消費しているはずだ。別れてから半日以上も経っていて、その間の唯舞の生命力がどれだけ失われたか分からない。
「んっ、ぅ……!」四
一番効率のいい、理力の譲渡。それが口づけなのだとエドヴァルトに教えられたのは四ヶ月前。
本来は緊急時に限られるものらしいが、唯舞と恋人関係になった今は、このやり方のほうが自然だった。
わずかに開いた唇から己の理力を流し込めば、唯舞の肩が驚いたようにびくりと跳ねる。
えも知れぬ感覚に強張る唯舞の体を抱きしめて、馴染ませるようにゆっくりと理力を流して唇を離せば、乱れた呼吸と頬を染めた唯舞の潤んだ瞳に、ここが敵陣営だということを忘れて思わずぞくりとした。
(あぁ、確かに緊急用だな。――エドヴァルトにさせなくて正解だ)
こんな唯舞の姿を他人に見せられるわけがない。
まだ受け取った理力を持て余すように呼吸を乱す唯舞を見て、アヤセは静かにそう決意した。




