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第128話 おちた太陽


 ばしゃりと雪解けのように冷えた大量の水がアヤセの顔面に浴びせられる。

 髪の毛から伝う水滴が無遠慮に肌に張り付き、意識のない状態からの目覚めは最悪だった。

 いや、気分が悪いと感じるのは部屋全体から漂う鉄くさい臭いのせいかもしれない。

 


 「起きられましたか? アヤセ・シュバイツ中佐」



 どんよりと濁る陰鬱な空気。この独特な澱みはどの国の()()()も同じようだ。

 ジャリ……と手首に引きつるような痛みと共に鎖が擦れ、薄暗い室内に鮮明に響く。

 両手両足共に理力(リイス)封じの鎖で繋がれ、ご丁寧にも首にまで理力(リイス)封じの首輪とは……用心この上ない。

 

 アヤセが緩やかに顔を上げれば、以前レヂ公国で襲撃してきたリドミンゲルの精鋭部隊のいで立ちによく似たフード姿の男が三人ほど立っていた。

 ただ、純白だった精鋭部隊の衣とは違い、目の前の男達は黒地に金糸をあしらった布で目元以外の全てを隠している。

 つまりは、()()()()()()()ようにするためだろう。


 

 「……唯舞(いぶ)はどこだ」



 どれだけ意識を失っていたかは分からないが、手元から唯舞が消えている。

 ここがリドミンゲル皇国だというなら自分のような扱いは受けないだろうが、深紅(みく)のように強制的に星に繋がれでもしたら唯舞の命が危ないというのに。

 だがしかし、言葉と同時に激しい衝撃が頭に走り、一瞬意識がぐらついた。


 

 「安易に聖女様の名を呼ぶなど! 身の程を知れ!」

 「…………」


 

 男が手にした短めの司教杖(バルクス)で思い切り殴打されたのだとすぐに分かった。

 血が出た感覚はないが、ずきりとした鈍痛が襲う。

 


 「聖女様はこの星の礎となる存在。我々、ただの人如きがその名を呼ぶなどあってはならない!」

 「は……あいつを勝手に聖女に作り上げているのはお前達だろう」

 「黙れっ!」



 再度司教杖(バルクス)で殴られて痛みがさらに重なる。

 男が杖を持つ手を横に差し出せば後ろに控えていた男が入れ替えるように鞭を手渡した。

 別の男はひとり背を向け、煌々と燃える真っ赤に焼けた鉄の印を何度か炉の中で確認している。



 (…………唯舞)



 痛むこめかみに、アヤセはただ唯舞を想った。

 

 あの状態の唯舞を長くは放っておけない。

 早くそばに行かねばならないのに、理力(リイス)封じをされた今のアヤセは、もはやただの一軍人だ。

 

 空気を裂く音と共に胸に走る鋭い痛みに、アヤセはただ、ぐっと眉を顰めた。




 * 



 

 「…………」



 体が泥のように重い。瞼1つを動かすのも億劫なほどだ。

 見知らぬ寝台に寝かされているのに気付いた唯舞は、わずかに首を動かし室内を見た。

 



 「……っ!」

 


 寝台から少し離れた応接ソファーに一人の男が座っているのに気付く。

 その姿を見て、反射的に重い体を持ち上げようとしたが上半身を支えるだけで精一杯だった。



 「……起きたか」



 エドヴァルトと同じ琥珀色の瞳が唯舞を捉えるが、慣れ親しんだ色だというのに感情の読めない瞳はどこまでも仄暗い。



 「……中佐は、どこですか」



 睨むように唯舞は皇帝ファインツに視線を向けた。

 朝からずっと一緒にいたはずのアヤセの姿も、温もりも、匂いの何ひとつもが消えている。

 動揺を平静さで隠そうとする唯舞をファインツはただ静かに見つめてからゆっくりと立ち上がった。



 「しばらくは動けまい。食事は後から運ばせる。ここにいる間は、望むものは可能な限り手配しよう」

 「なら、今すぐ中佐を返してください……!」



 恐らくここはリドミンゲル皇国だ。もしかしたら話に聞いていた聖女の塔、というやつかもしれない。

 窓から見える空は薄橙色に染まりかけており、すでに外は陽が傾こうとしている時間と気付いた唯舞は、朧げな意識でアヤセも転移に巻き込まれたのだと拳を握った。


 

 (中佐……)


 

 聖女でもある唯舞はある程度の保証を受けるだろうが、アヤセは敵国の軍人であり、リドミンゲル皇国からしたら最も忌むべき相手のはずだ。そんな彼が敵国のど真ん中で、まともな扱いを受けるわけがないことぐらい唯舞にだって容易に考え付いた。

 

 

 「……シュバイツ中佐は今、()()()()()()を受けているはずだ。聖女の望みとあれば手配しよう」

 「特別、室……?」



 敵国でもてなされることなどあるのだろうかと唯舞が訝しげに声を漏らす。

 軍服に身を包んではいるが、今までの聖女同様、彼女も本当にただの普通の女なのだろう。

 唯舞がファインツの言葉の意味を理解することはなく、それを見たファインツは何も言わず、逃走防止の封だけ厳重に施してから部屋を後にした。

 

 聖女は――戻った。

 半年という遅れはあったが、ファインツの抱えてきた37年の月日を考えれば大した時間ではない。

 

 互いが想い合う気持ちも、求め合う気持ちもよく理解できる。

 かつての自分やエドヴァルトもそうだったのだから。


 

 「……異界人は、我々イエットワーの民からすればやはり呪いなのだな」



 求めても、求めても。

 決して手に入れらぬ尊き太陽。

 その最後のひと欠片が、今、ファインツの手元にあるのだ。


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