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第125話 夢、時々



 『……ド。エドヴァルト? ……どうしたの?』


 

 意識の果てに母の声がする。

 草の匂い。柔らかな日差し。視線も低く、大地が近かった。

 そういえば、それが春というものよと母から教えてもらったばかりだ。

 これが、貴方が生まれた春なのよ――と。



 『ねぇ母上。どうしてぼくには父上がいないの?』


 

 3つになったばかりのエドヴァルトが小さな手でぎゅっと母の手を握れば、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ母キーラは困ったように微笑んだ。

 


 『あなたのお父様はね、このリドミンゲルじゃなくてアインセル、という別の国の人だったの。楽器の演奏が上手で、お母様はお父様の弾く音色がとっても大好きだったわ』

 『だいすきだったのに、はなれちゃったの?』

 『……そうね。お母様が皇族(おひめさま)じゃなかったら、お父様ともずっと一緒にいられたかもしれないわね』


 

 よしよしとキーラはエドヴァルトの黒髪を撫でてから立ち上がり、再度手を引いて歩き出した。

 今日はエドヴァルトの理力(リイス)()()の日なのだ。遅れればまた、兄のネチネチとした小言を聞くはめになってしまう。

 

 

 『でもそうね。それはきっと……お兄様も同じなのよね』

 『? ……おじうえ?』



 首を傾げるエドヴァルトに、キーラは少しだけ哀しそうに見つめて握ってくる小さな手をそっと握り返す。

 

 エドヴァルトの父親は、アインセル連邦の若き楽士だった。

 年の初め(ヤーレスエンデ)の祝祭で初めて出会い、音楽を通じて距離を近め、やがてそれが恋となり愛へと変わったのが春の終わった夏の前。

 

 だが、それは決して許されることではなかった。どんなに愛しても、二人の身分は皇女と楽士。

 ――未婚の皇女が、そんな平民との子を孕むなどあってはならなかった。

 

 事が発覚した際に楽士はその場で処刑されそうになったが、キーラの兄である皇帝ファインツにより国外追放処分となり、そのまま二人は永久に引き離されたという。

 そして幸か不幸か、キーラが産んだ子は黒髪に琥珀色の瞳をもつ……正当なリドミンゲル皇国の皇位継承者だった。

 

 

 『あなたは将来、どんな子を好きになるのかしら?』

 


 どんなに愛しても届かない。

 そんな呪いがリドミンゲル皇族にはかかっているのではないかと疑いたくなるほどに、自分達の願いはいつだって叶わなかった。

 だからせめて大切な息子だけは、幸せな未来があるのだと信じたかった。

 そんなキーラの言葉に、まだ幼いエドヴァルトは当然のように答える。

 

 

 『ぼくは母上がすきだよ?』

 『ふふ、ありがとう。今はまだお母様を一番好きでいてくれると嬉しい。でも、いつか……いつかお母様よりも好きな子が出来たら……その時は絶対に手を離しては駄目よ』



 そう笑った母の足がふと止まる。目的地でもある大聖堂はもう目の前だ。

 次期皇帝でもあるエドヴァルトは、これから数年の時をかけて民から徴収した理力(リイス)を受け取り、自身の理力(リイス)として同調させていかねばならない。

 

 このリドミンゲル皇国では理力(リイス)消費を最低限に保つための政策の一つとして、理力(リイス)譲受というものがあった。

 生まれたばかりの赤ん坊の理力(リイス)を測定し、基準に満たない者はその場で保有する理力(リイス)全てを徴収するのだ。

 

 徴収された理力(リイス)は、高水準の――主に軍属や皇族の人間に譲渡され、リドミンゲル皇国では選ばれた者だけが理力(リイス)を持つ国となっていく。

 その最たる存在が皇帝の座に就くファインツやエドヴァルトで、彼らの常識を逸したような理力(リイス)保有量はそうやって()()()()いったのだ。

 

 

『ねぇエド。お父様がいないのは、寂しい?』

 

 

 足の止まった母を見上げれば、そんなことを尋ねられた。

 生まれた時から父も、同年代の友人もいなかったエドヴァルトにとってはよく分からなかったが、なんとなく母が哀しい顔をしていたのでふるふると首を振る。



 『ううん。だってぼくにはルイスがいるもん』



 そう言って自分達の数歩後ろを歩く凶悪顔の侍従長を振り返れば、珍しく彼は面白そうに笑った。

 凶悪顔がもっと凶悪になるからやめたほうがいいのにと母は言うが、エドヴァルトにとっては日常のことだ。


 

 『おや、エドヴァルト様が私をそのように思って下さっているとは』

 『うふふ、この子のおしめを取り替えて世話してきた甲斐があったわね、ルイス』

 『左様ですなぁ姫様。このルイス、姫様のおねしょの世話から致しておりますので積年の思い余って感無量でございます』

 『ちょっと! 息子の前で昔の話はしないでっ!』

 『これはこれは失礼いたしました。私にとって姫様は、いつまで経っても小さい姫様のままですので』

 『もう! ほんとにいい性格してるんだからっ! エド、行くわよ!』


 

 そう言って拗ねたように歩き出すキーラの足取りは少し早くて、明るかった。

 だからエドヴァルトにとってのこの小さな世界は、母と侍従長ルイスで春のように満たされていたのだ。


 母が星に還り、ルイスに抱えられこの国を去る、あの日が来るまでは。

 


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