第123話 愛の墓場
目の前に迫るエドヴァルトに、ファインツはただ手を伸ばした。
13年前よりもエドヴァルトの理力は遥かに強くなっている。
(完全に己のものにしたか。同調するには……いや、この子が最初に理力の譲渡を受けてからもう30年は経つのか。――月日も、過ぎれば存外早いものだな)
攻撃を受け止めるよう指先で理力を展開する。
ファインツはエドヴァルトとは違い、複数の魔法陣は使わない。だが、たった1つに展開された魔法陣にはあり得ないほどに凝縮された理力が込められていた。
同じ雷の理力同士が激しく衝突し、閃光と爆風が半径数百メートルを襲う。
エドヴァルトが動いたのと同時にアヤセも周囲に理力を張り、即座に後方部隊に対しても理力展開の指示を出した。
間に合ったかどうかは定かではないが、前方に立つアヤセの障壁もあるのである程度の被害は減らせただろう。
――黒髪琥珀眼など、エドヴァルトを除けば現リドミンゲル皇国皇帝ファインツ・リドミンゲルしかいないのだ。
(何なんだあの男。すでに人の域の理力を超えている。……本当に人間か?)
今までアヤセは、自身とエドヴァルト以上に理力が多い人間を見たことがなかった。
リアムに化け物と言われるのは揶揄ではなく、彼らは本当に理力保持量が多いのだ。
しかし、海ほどの理力を持つと言われたエドヴァルトやアヤセでも、恐らくはきっと、目の前の男には届かない。
13年前もエドヴァルトらの前に単騎で現れ、エドヴァルトとカイリが二人がかりでも足止めしか敵わなかった存在は、まるで大気中の酸素全てを集めたような膨大な理力を抱えこんでいるにも関わらず、顔色ひとつ揺らがなかった。
「……たった一人で、国軍超えの理力保持者か。どうりで単騎出陣できるわけだ」
小さく声を洩らし唯舞に視線を落とせば、僅かに意識はあるがいつ途切れてもおかしくはない状況だった。
抱きしめる手に力を込めれば、触れた太ももと手首からゆるゆるとアヤセの理力が唯舞に流れていく。
流れる量としては微弱だが、不調を訴えてからすでに30分以上。
あまりいい状況だとも思えなかった。
「……最終段階に入ったと言いましたよね、伯父上。それは太陽の化身のことでしょう?」
土煙が舞う中でエドヴァルトの冷めた声が届く。
そうだ、ファインツなら知っているはずなのだ。自分達が立てた仮説が正しいのかどうかを。
距離をとったエドヴァルトは認識阻害のかかったサングラスを地面に投げ捨てた。
感情に作用したのか、青い瞳がゆらゆらと琥珀色に変わるのを見てファインツが無感情に答える。
「お前も辿り着いたか、この世界の真実に」
「えぇ唯舞ちゃんの命を懸けるはめにはなりましたが、貴方がかつて言っていた言葉の答えには辿り着きましたよ。……この世界は太陽神の加護から離れ、消えようとしている世界……太陽神の代わりに存在していた太陽の化身さえも消えてしまった終末世界であると。そしてそれを阻止するためには、太陽神の恩恵を受けた彼女達異界人聖女が、太陽の化身にならねばならないと。――己の命と引き換えに」
ファインツはただ静かにエドヴァルトの言葉を聞いていた。
そうだ。この世界は滅びに瀕している。
喪われるのは、まだ存命の聖女を含めた、八人の聖女の命だけだ――
『ファインツ様って本当に不愛想~。でも、今時はそれをミステリアス、って言うんだって。知ってた?』
ファインツの脳裏に37年前の記憶が蘇り、かすかな生気が瞳に宿った。
感情が薄いファインツに臆せずそう話しかけて笑ったのは、妹キーラの1つ前の異界人聖女だ。
(――時は満ちた。……お前が女神となる世界を、私は護ろう)
エドヴァルトのように、異界人聖女を強く愛し喪ったファインツにはどうしても止められなかった。
かつて、妹は言った。
自分は皇族だから民の為に命を懸けるのはいいのだと。だが、異界から召喚してまで、聖女のような人間を出してはならないのだと。
『そんなことおねえさまは望んでいない! おねえさまなら……お兄様が愛したケイコおねえさまならそんなこと望まない……!』
姉と慕ったケイコを喪い、ファインツの決意を知った実妹にそう訴えられても、ファインツは止められなかった。
神から見捨てられたこんな世界でも。
ファインツが守らなければ一体なんの為に彼女は死んだのだ、と。
いずれ彼女が女神となるこの世界を。
悪夢にも似た彼女の記憶と残滓を。
ただひたすらに守ることこそが、ファインツが最愛の存在――ハヤシ ケイコを喪った今、唯一自分を保つ方法だった。
誰に責められようとも、彼女を守れず喪ったファインツに、もはや恐れるものなどありはしない。
例え次の聖女が実の妹だったとしても、ファインツはもう、迷うことなく言ったのだ。
『彼女の世界の為に死んでくれ』と。




