第122話 因縁
空が白みだしてエドヴァルトは少し瞳を細める。
出動命令が出たのは昨夜だ。出ずっぱり、というわけではないが、いつものようにすぐに兵舎に戻ることはできず、珍しく戦場で一夜を過ごす羽目になった。
「……唯舞ちゃんの加護がない割には、強いんだよね」
深紅の加護が切れ、唯舞も手元にいない状況下なのにリドミンゲル皇国はエドヴァルトを戦場に引きずり出すほどの猛攻を見せる。しかもカイリ達によれば先月まではとても大人しかったというから、唯舞の所在を知って攻めてきた可能性が非常に高かった。
(……アヤちゃんがいるから、大丈夫だとは思うけど)
自分がそうだったように、余程のことがない限りあのアヤセが唯舞を手放すことはないだろう。
「――エドヴァルト」
ふと、馴染みのある気配と足音を後方から感じて振り向いたエドヴァルトは、その光景に目を見張った。
「……唯舞、ちゃん……?」
珍しく転移してこないと思ったら、後方の隊列から歩いてきたアヤセが唯舞を抱き上げている。
くったりとアヤセに身を預ける唯舞を見て、エドヴァルトの背に冷えた予感が伝い、急いで唯舞の元に駆け寄った。
「兵舎に戻ってから様子がおかしかったから連れてきたんだが、フライングバイクを降りたらもう立てなくなった。俺の理力は流し続けてる、が……」
「嘘でしょ?! 唯舞ちゃん?!」
唯舞の顔色にかつての深紅の姿が重なる。
僅かに開いた口元からの浅い呼吸。意識はあるが、ひどく億劫そうに瞼が揺れた。
「…………たい、さ……」
"えど……"
弱々しい声色があまりにも似ていてエドヴァルトの喉がひゅっと鳴る。
今彼らがいるのは、国境まであと数百メートルに迫る戦闘区のど真ん中だ。退却許可も下りてない状況では、少なからずエドヴァルトかアヤセのどちらかは戦場に立たねばならない。
だが、それよりも。それよりも。
「なんで……? 朝までは普通だったんでしょ……?!」
「以前、似たようなことがレヂ公国でもあったんだ。だが、その時は理力を流せばすぐに体調も戻った」
「レヂ公国? ――……ちょっと待って。年の終わりの時もアインセルで繋がったよね? 大小の違いはあれど……行ってないリドミンゲル以外の全大陸で、唯舞ちゃんは、この状態ってこと……?」
「!」
ハッとした。言われてみればそうだ。
レヂ公国、アインセル連邦、そして今いるザールムガンド帝国。
このイエットワーにある四大陸中、三大陸で唯舞は何かしらの形で生命の揺らぎを訴えた。
……酷く嫌な予感がする。
レヂ公国から考えてみれば、唯舞は始めから導かれるようにどこか深みに落ちているのではないか?
「――――そう。今となっては、聖女がリドミンゲルに留まっていなくても特段問題はない」
「……!」
懐かしい声だった。
忘れたことも、忘れられたこともない。
唯舞を抱くアヤセの手に力が籠もり、二人を背に庇うようにエドヴァルトが振り返れば、そこには一人の男が立っていた。
あれから13年……あれから13年だ。
母のことをいれれば、25年。
エドヴァルトがあからさまな威嚇を表情に乗せて、目の前にいる初老の男を睨みつけた。
「相変わらず、お変わりないようで。…………伯父上」
ここは戦場である。そして今、彼がいるのはザールムガンド側。
本来のエドヴァルトと同じ、黒髪に琥珀色の瞳を持つ彼は、深紅を喪った日と同じように……まるで最初からそこにいたかのように供もつけずにたった一人で立っていた。
昔から変わることのない、色を失った瞳で。
そんな男の瞳がエドヴァルトを捉える。
「子供の成長とは早いものだな……それだけの年月が過ぎたということか」
スッ、と流れるように視線が唯舞に向き、その瞳から隠すようアヤセが唯舞の頭を胸元に押しつける。
髪の毛一本、爪の一欠片さえ――世界にくれてやるものなど何もない。
威圧するアヤセの視線に、全てを察した男は静かに瞼を閉じた。
「……そうだな。お前達の抱く気持ちも理解できる。だが、それでは今まで星に還った聖女達が全て無駄になるのだ。お前の母も、お前が懸想したあの娘もな」
「!?」
一瞬で沸騰するかと思うほどに全身が怒りで粟立った。
駄目だ。幾ら月日を重ねようとも、全てが世界を崩壊から救う手立てなのだとしても。
彼を前に、エドヴァルトが冷静になることなど出来やしない。
深紅を喪ったあの日を、エドヴァルトは忘れることなど出来やしないのだ。
怒りを無理矢理抑えつけたエドヴァルトの声は小さく震えていた。
「……三度目はない…………唯舞ちゃんは渡さない……! せっかく戦場に出てきたんだからとっとと死んでくれ伯父上。可愛い甥の、最初で最後の頼みだ……!」
その言葉を皮切りに、エドヴァルトは13年前のあの日よりも遥かに強い理力を全身に纏わせ、電光石火の速さでその場から踏み出した。




