第121話 帰還
翌日、朝一番に唯舞とアヤセは前線基地へ戻った。
フィアナ達には昨夜のうちにアヤセが事情を説明していたようで、手作りのサンドイッチを詰めたバスケットをアヤセに手渡したフィアナが唯舞を抱きしめ、いってらっしゃい、とまるで娘を送り出す母のように微笑む。
見送ってくれるフィアナとイアンに礼を告げ、歩くことなく瞬時移動で兵舎まで戻れば、行きがけにわざわざ村の入り口から歩いたのはアヤセなりの気分転換の気遣いだったのだと気付いた。
「あ、おかえりなさい」
「状況は?」
「大佐が夜通し戦場に出てました。今回は囮の可能性もあると……」
ちらりとリアムの視線が唯舞に向けば、当の唯舞はアヤセに肩を抱かれる形で体を支えられており、小さく呼吸を吐き出したところだった。
一瞬のこととはいえ、瞬時移動は遊園地のコーヒーカップを全力で回した時のような強い遠心力を感じる。
「大丈夫か」
「……は、ぃ……」
嘘だ。朝一の全力コーヒーカップは中々に辛かった。
思えば理力移動のほとんどが絶叫アトラクションなのだが、アヤセ達の三半規管は一体どうなっているのだろう。
「移動酔い、僕も酷かったから分かりますよ。気持ち悪いですよねぇ」
そう言ってそばに来たリアムは、唯舞の許可を得てからその手を取り、理力を流してくれる。
アヤセやカイリのような温かみのある理力とは違う、どちらかと言ったら清涼で冷たい理力がゆっくりと体内を巡って、先ほどまでの気持ち悪さは嘘のように遠のいた。
「……ありがとうございます、リアムさん」
「いえいえ~……中佐ー? 俺、別に敵じゃあないんでそんなに睨まないでくださーい。治療の一環でーす」
アヤセに一切顔を向けないままリアムは唯舞に向かってにっこりと笑い、そっと手を離す。
ビシビシと唯舞の隣から視線を感じるが、こういう時に目を合わせたら負けだ。
「……治療のたびに距離が近くないか」
「大尉と変わらないですって。大体、一番一緒にいる時間長いの僕ですし、似た者同士、気が合うってことでいいじゃないですか~」
「…………は?」
地を這うような低い声で睨まれ、思わずひえっとリアムが小さな悲鳴を上げる。
少し嗜めるような視線で唯舞がアヤセを見上げれば、ふいと視線を逸らされた。
最近では、アヤセやエドヴァルトさえも手懐け、今いるアルプトラオムの絶対的な補佐官となってきた唯舞のことをひっそりと、猛獣使い、なんて陰で呼ぶ軍人も増えてきたなんて、口が裂けても言えそうにない。
間違いなくアヤセに知られたらその日は氷晶が舞うだろう。
「に、似てるって言ったのは僕じゃなくてミーアさんですよぅ、文句はミーアさんに言ってくださいね?!」
唯舞に縋るようにリアムが唯舞の近くによれば尚更アヤセに睨まれる。本当にタチが悪い。
後方彼氏面も大概にして欲しいのだが、そんなこと言えば今日が自分の命日になってしまうのでリアムはぐっと堪えた。
「あぁそういえば昔、初めて軍服を取りに行った時にそんな事言われましたね。雰囲気が姉弟っぽいって」
「まぁ実際にイブさんのほうが一つ年上ですから、ミーアさんの姉弟って例えは合ってましたよねー……はーい中佐、朝からそんなに睨むと血圧上がりますよ~今から戦場に出るんですからそのオーラは戦場で出してきて下さーい」
「……お前、唯舞が来てから言うことが強くなったな」
「そりゃ頼もしい補佐官がいますからね! いつも操縦不能な大佐と中佐の面倒を見てもらって、僕にとってはイブさんは女神ですよ!」
「あ……あはは……」
どうしよう。何も知らないはずのリアムからの信仰心がすでに篤い気がする。
唯舞の聖女としての仮説は、現時点では不確定要素も多すぎて、唯舞とアヤセ、そしてエドヴァルト達保護者組しか知らない。
そんな状況下でリアムに女神と呼ばれた唯舞は思わず表情を引き攣らせた――その時だった。
「…………ッ!」
「……唯舞?」
以前もどこかで感じたことのある悪寒に、唯舞が体を震わせる。
ぞくりと得体のしれない何かが足先からまとわりつくようでどうにも気持ちが悪い。
いち早く唯舞の異変に気付いたアヤセが唯舞の額に手を当て理力を流せば、乱れた唯舞の呼吸が少しだけ戻った。
「……前にも、似たようなことがあったな」
「は、い……」
あれはレヂ公国で襲撃を受けた後の城内だ。だが、その時よりもなんだか嫌な気配は強まったように思う。
そんな唯舞を見て、アヤセは手にしたサンドイッチ入りのバスケットをリアムに手渡しながらも警戒を強めた。
「この状態の唯舞を置いてはいけない。エドヴァルトに直接渡してから交代する」
「了解です。中佐がいれば問題ないと思いますけど、イブさん、気を付けてくださいね」
リアムの言葉に、唯舞は少し気怠げに微笑んで頷いた。
だが、この日を境に――
唯舞はこの地から姿を消すことになるのだ。




