第116話 甘さ控えの恋
唯舞とアヤセがゴルゼ村にやってきたのは昼食を済ませた昼過ぎ。
村人たちに絡まれながらもアヤセの実家に向かう途中で母フィアナに見つかり、実家強制帰宅となったアヤセは、帰ったら帰ったで家の手伝いをさせられ、機嫌が戻る事はなかった。
挙句の果てに、キッチン前を通りがかった時に聞こえてきた唯舞とフィアナの会話で「フィアナさんって綺麗ですよね」という唯舞の言葉に反応したのが駄目だった。
「騙されるなよ、唯舞。そう見えても50……ッ!」
アヤセの頭上に思い切り氷塊が落とされ脳天が揺れる。
落ちてきた氷塊はそのまますぐにキラキラと輝く理力になって霧散したが、氷の塊という物理的ダメージを与えてきたフィアナ本人は凄味のある笑顔で息子を振り返った。
「あらぁ? 何か言ったかしらぁ? ア・ヤ・セ」
「……っふふ……! だ、ダメですよ中佐……勝手に女性の年齢を言っちゃ……っ」
堪えきれないと唯舞が笑いを漏らす。
頭を押さえ、不機嫌そうにこちらを見てくる姿さえ面白くて。耐えようとしたけど、肩が震えて駄目だった。
いかにあのアヤセでも、実の母の前では形無しなのだと思うと、どうしようもなく可愛らしい。
あからさまな不機嫌を隠すことなく立ち去ったアヤセに、唯舞はしばらく笑いを止めることができずにいた。
それからしばらくたった16時のおやつ時のことだ。
フィアナから声がかかり、用意された紅茶と一緒に並べられているチーズケーキにわずかにアヤセの機嫌が改善される。
「はーい、今日のティータイムはあーちゃんの好きなチーズケーキ~」
「……別に嫌いじゃないだけだ」
「もう、嘘ばっかり! 甘い物は好きじゃないくせにチーズケーキだけは昔から食べてくれたじゃない!」
「何年前の記憶だ」
「そうね、一番最初に食べてくれたのは二歳の時かしら? うふふ、その時の話をイブちゃんにしてもいいの?」
「…………今すぐ帰りたい」
「おかえりアヤセ。全くお前は全然帰ってこないんだから少しは心配する母さんの気持ちも考えなさい」
目の前のアヤセはいつもとは違い、なんだか微笑ましい。この家に来てからというもの、予想外のアヤセの姿ばかり見ている気がして唯舞はまた小さく笑った。
「……楽しそうだな、唯舞」
「ふふふ、はい。とっても」
唯舞の返事にアヤセは疲れたようにため息をつき、紅茶に手を伸ばす。
「はいはい、あーちゃん! 紅茶はいいからチーズケーキ食べてみて、食べてみて!」
ぐっと皿をつき出され、アヤセが嫌そうな顔をした。
だが、ここでそれを拒否すれば今度は無理矢理口の中に突っ込まれるのは分かりきっているから、とりあえず皿を受け取ってからため息を零す。
「いつものチーズケーキとは違うね」
「うふふ、さすがはパパ。今日はスフレチーズケーキなの」
「へぇ、美味しそうだ」
両親の会話を左右で聞きながら、アヤセはしぶしぶ切り分けたチーズケーキを口に運んだ。
「……!」
爽やかな風味がしゅわりと口の中で溶ける。驚くほど軽い食感に、甘さ控えめなのにしっかりとしたチーズの香りが鼻腔を抜けた。
そんなアヤセに、フィアナが実にご機嫌な様子でニコニコと尋ねてくる。
「どーぉ? あーちゃん」
「……悪くない」
「うふふ~すごく美味しいって。良かったわね、イブちゃん」
「は?」
笑顔のフィアナはそう言って唯舞に笑いかけた。それに反応するようにアヤセが唯舞に視線を向ければ、少し照れたように唯舞が微笑む。
「今日のケーキはイブちゃんお手製なの! 色々お話してたらお菓子作りも得意って言うから。イブちゃんちのレシピ、うちにあるもので出来そうだったから今日は作ってもらったのよね」
「へぇ。すごく口どけがよくて、それなのに香りはしっかりして。すごく美味しいよイブさん」
「でしょ~?」
「あ、ありがとうございます」
「……」
フィアナがまるで自分のことのように喜び、褒めてくれたイアンに対しても唯舞は気恥ずかしそうに微笑んだ。
まさか唯舞の手作りだとは思ってなかったアヤセの手が、ふと止まる。
決して甘すぎることはない。それなのに、どこか恋しくなるくらいには……甘くて。
簡単に切り分けられるスフレチーズケーキは柔らかく、レモンの爽やかな風味が今も口の中に残っている。
「唯舞」
「はい?」
名前を呼べば唯舞の意識が真っすぐアヤセのほうを向く。
もう一口、すぐに消えてしまう甘さを口に含んでから、アヤセは視線を下げたまま静かに口を開いた。
「美味い」
「! ……ありがとうございます……っ」
蜂蜜のように蕩けた表情に、どこまでも心が乱される。
いつもは冷静な唯舞が時折見せるこの柔らかな顔が、アヤセにとっては苦しさを伴うほど愛おしい。
(なんとも厄介だな……)
チーズケーキのほのかな甘さに引っ張られるように。
唯舞への想いをさらに募らせたアヤセは、誤魔化すように全ての感情を紅茶で流し込んだ。




