第115話 アヤセの実家
(なんでこんなことになってるんだ)
父イアンに言われて、送り込んだ荷物の片付けを手伝う羽目になったアヤセはため息交じりに肩を落とす。
ちらりと見た、視線の先の壁の向こう側には母フィアナと共にキッチンに立つ唯舞の姿があるのだろう。
「……そんなにあの子が気になるのかい?」
「別に」
「ふふ、そう。その割には意識がずっとあの子に向いてるけど」
「…………」
野菜や小麦粉類を貯蔵室に入れて、日用品も片付けて。
久しぶりの父との時間ではあったがアヤセの意識はイアンの言うとおり唯舞にしか向いていない。
村人にさえ簡単に気付かれたくらいだ。実の両親が気付かない訳もなく、それでもイアンはそれ以上は何も言わず郵便物に目をやった。
「珍しい名前の子だね。この辺の子じゃないんだろう?」
「…………アインセルの出だ」
この辺どころか世界がまるで違うが、これはあくまでも機密情報だから家族とはいえ洩らすことは出来ない。
アインセル連邦は様々な民族が集まる国だから、そう伝えれば、成程とイアンも納得する。
「でも女の子がアルプトラオムに入るのは初めてのことじゃないかい?」
「唯舞はリアムやランドルフと同じ非戦闘員だ。メインは事務仕事だからな……元々圧倒的に管理官が足りてない状況だったし、優秀さを見込んでエドヴァルトが連れてきた」
嘘は言っていない。
唯舞が非戦闘員なのも事務仕事メインなのも、本来なら一役職につき一名付くはずの補佐官が現時点でリアムとランドルフの二名しかいなくて人員不足なことも、エドヴァルトが彼女を連れてきたことも。何一つ嘘ではない。
ただ、重要なことは何も言っていないだけだ。
「そう。……今日の母さんはすごく楽しそうだからね。もう少し相手をしてやっておくれ」
「……はぁ。そうやって父さんはすぐあの人を甘やかす」
「そりゃあ、父さんは母さんを世界一愛してるから」
そう言って柔らかく笑う父をアヤセは実に理解不能と眺めていたのだ、今までなら……
でも、今ならば、少しだけその気持ちも分かるような気がする。
最初こそ母フィアナに押され気味だった唯舞だが、順応力の高い彼女のことだ。今頃は手伝って、と引っ張って行かれたキッチンで一緒に料理を作っているのだろう。
……自分の母親と想い人が一緒にいる図は、なんだかとても変な気分になる。
結局、久しぶりに男手が増えたのだからと母から家中の雑用を押し付けられてうんざりするのだが、そのやりとりを見ている唯舞が楽しそうに笑うから。
だからしょうがなくアヤセも、ため息ひとつでそれらを黙って引き受けることにした。
そんなアヤセが気になって仕方ない唯舞がいるキッチンは、リビングからとは完全に切り離された独立型。
日本ではLDKと呼ばれるように、台所とリビングダイニングが一体になった造りが多いが、こちらの国ではそうした空間は完全に切り離すのが主流らしい。
「あら、イブちゃんってお料理上手ね?」
慣れた手つきでメレンゲを泡立てる唯舞を見てフィアナはおっとりと首を傾げる。
ボールを握る手つきや傾ける角度で、普段料理をしているかどうかなんて分かってしまうものだ。
「えぇと、上手……かは分かりませんが、母と一緒によく料理はしてました。父と弟が甘い物が好きだったので、昔は休みの日によくお菓子を作ったりして……」
「今、ご家族は?」
「えっと、事故で離れ離れになってしまって……」
そう、異世界転移という事故だ。びっくりするくらいの大事故。しかも現在、帰る術も見つからない。
それを言うわけにも、例え言っても信用されるかも分からないことなので唯舞は曖昧に苦笑して言葉を濁した。
それに対しフィアナが絶望的な眼差しを向けてくる。
「そんな……! 愛する娘と離れ離れなんてご両親も絶対辛いわ! イブちゃんも大変だったのね」
唯舞より少し小さいフィアナがよしよしと頭を撫でてくる。
その眼差しは間違いなく母としてのもので、何だか少しくすぐったくもあった。
「私は大丈夫です。当時は、その……ザールムガンドで事故に遭って、その時に大佐に助けて頂いたので」
「エドくんに? あぁ、それで出会ったのね。アインセル出身のイブちゃんとザールムガンドにいるエド君がどうしてとは思ったけど。ふふふ、エド君も中々やるじゃない」
手を洗って鍋をしかけながらフィアナはご機嫌な様子でエドヴァルトを褒める。
実はこの村の近くにある廃教会で異世界転移に遭ったのだと知ったら彼女はなんと思うのだろうか。
「でもご両親や弟さんの事は心配ね。まだ見つかってないんでしょう?」
気遣わしげなフィアナに唯舞はまた困ったように笑った。
この先地球に……家族の待つ日本に帰れるかどうかは分からない。
そして、もしも帰ることが出来たとしても。
(……中佐……)
この想いをこの世界に残して――
アヤセのことを忘れて日本で生きていけるのか、今の唯舞には分からなかった。